vs イボット1
晴天なのに雨が降る。
実際は凡眼には見えないほど薄い雲から凝縮された水分が滴っているに過ぎなかった。
……こんな天気を、パレイドリアはあまり好きではなかった。
その理由を邪眼で見上げる間もなく、滑った。
「ほわ!」
思わず声を上げ、前へ後ろへ足を躍らせスカートフリフリ、踏みとどまれないのは岩の上、雨で湿った表面には真っ当な摩擦はない。
このままでは落ちる。けれども落ちることに悪いことはないと気が付いて、一思いに下へと飛び降りた。
その先は草原、そこには大量の武器がまるで墓石のように地に刺され、ずらりと並んでいた。
その内の一つ、細身の簡素な剣、下級の兵士がつけてそうな、少し錆た剣、その柄がお尻にめり込んだ。
……単純に飛距離の問題、スカートの空気抵抗に滑って不十分だった踏切、飛び越えられると見誤って、だけど物理は非常で、落っこちた。
刺さってはいない。
ただ柄がお尻の右側の肉に、こすり付けられるような形でめり込んだだけで、断じて刺さってはいなかった。
それでも、痛い。
叫ぶほどではない。泣くほどではない。
けれども呼吸は乱れ、右手はお尻から放せず、体重掛からないように左足だけで飛び跳ね、顔をしかめて、何もできずにじっとしてないといられないほどには痛かった。
「……ぁぁぁぁぁ」
人には見せられないみっともない格好、音が付くほど太い息を吐き、邪眼の力を回して回復に徹して、それでも抜けない痛みにみっともないながら足を引きずり、パレイドリアは残る視力で周囲を見回す。
人が隠れられそうな大きさの岩、多種多様な雑多な武器、足首に届かない程度の長さの草、うっとおしい天気雨、シンプルな世界、だから敵の姿はすぐに見つけられた。
切りそろえられた青髪に真っ当じゃない青眼、グレーのコートなど服装から見れば貴族に通ずる部分も見受けられるが、右手に持つ酒瓶が台無しにしていた。
よく見ればガラスではない透明な容器、大人の頭がすっぽり入りそうな大きさ、持ちやすい取っ手にスクリュー式の蓋、中身は透明な液体がたっぷり、見覚えのある屈折率はお酒、それもかなりきつい度数に見えた。
そんな酒を、天気雨に打たれながらラッパ飲みしている。
まるで容器から別の容器に移し替えるような、味わうのではなくただ流し込む作業のような、雑な飲酒、ただそれだけならば人生の終わった負け犬だけれども、中身だけでも下手な乳幼児よりも重そうな容器を片手で呷り、ブレることなく一滴残らず口の中へ流し込める腕力は、鍛えられている証拠でもあった。
ただの飲んだくれではなさそうですわ、お尻をさすりながらパレイドリアはその正体を看破した。
「げはぁ!」
容器内の十分の一ほどを飲み干し、一緒に飲み込んだ空気を吐き出して、満足したのか蓋を閉める男、その口角を限界まで歪めながら、まっすぐ痛みに耐えてるパレイドリアを見つけ、そしてよろりよろりとこちらに歩いてくる。
「ちょっとまっててー! 今行くから―!」
思いのほか若い声、左手を振りながら、岩や武器を避けつつじれったい足取りでやってくる。
そしていきなり立ち止まったかと思えば、また蓋を開けて酒を飲み始める。
焦らし、いらだたせる行為、普段のパレイドリアだったならば、不快感から肩眉を吊り上げていただろう遅延工作、だけれどもお尻がまだ痛いこの状態で、回復の時間を貰えるのは正直ありがたかった。
そんなパレイドリアの思惑を知ってか知らずか、存分に酒を飲み、袖で口を拭う男、そして何を思ったかまだ半分以上残ってた容器を天気雨の空へと投げ上げた。
それなりの重量があるはずなのに回転しながら、高く高く投げられた容器、それが落下するより先、邪眼は驚いた男の瞳に映る驚いたパレイドリアの顔を映していた。
……目は放していない。
むしろ凝視していたからこそ、この動きに対応できた。
投擲による視線誘導、地に刺さった武器を踏み台にする加速術、岩陰を通るルート取りに、緩急によるフェイント、そしてそれだけ動いているのに音が一切ない未知の技術、凡眼なら、邪眼でなかったら見逃していた隠密軌道だった。
それは、本人も自負していたらしく、自信ありげにパレイドリアの横に出ながらバッチリ目の合った邪眼に、想定外のお見合いに、酔いが一気にさめた様子だった。
「……ひょっとして、僕のことが見えるのかい?」
驚きの表情のままおどけて、男は壁のパントマイムを始める。
「えぇバッチリと」
応えてしまうパレイドリアも驚きの表情、それが薄まるのと合わせて男のパントマイムも消えていく。
「そっかー。それじゃあ、普通に始めても? いいともー!」
「いえその前に」
ノリノリだった男を遮る形になってしまい、気まずいパレイドリア、だけれども誉は大事だった。
「アタクシ、名をゲシュタルト=アイ=パレイドリア、人呼んで邪眼令嬢と申します」
スカート広げただ片足で身を一瞬沈めただけの簡素な挨拶、遮った上で時間をかける無礼をパレイドリアは嫌った。
「あーこれはこれはどうもどうも」
それを理解してか、男もガバリと体を前に倒し、だけれども顔だけは前を見ている変わったお辞儀で返す。
「俺の名前はユースケ、だけどこの肌の色から近しい人からはイボットと呼ばれてるんだ! 口癖はかっ飛ばせ! 宿題大好き!」
ピコピコしながらなんか言ってる男に、パレイドリアは隠し切れない歓喜の笑顔を向けていた。
「ギヅセギゼググ、ガバダパゴザギガンゼグバ?」
思わず前世の言葉を口走る。
「ギゲ、ゴンバググゼンガスパベガシラゲンパベ。ギヅセギ、ゴロパズボグズンギデギラギラギダパ。ジヅザパダブギ、ゾグゲギンジョョドギグゾグビダギゼンゴゲパビバシラギデ、ロギロボヂサンゲバギビデンゲギガセデゴサセダボバサ、グジャグジャビグスヅロシゼギダン。ゼググボボラゼザバギデヅグジデバギドギグボドパデヅジンゼグパベ」
捲し立てるパレイドリア、意味の通じる言語ながらさっぱり意味の分かってなさそうな男は、折れ曲がった体を元に戻して、またパントマイムを始めた。今度は見えないロープを引っ張ってた。
これに、コホンとパレイドリアは軽く咳払いして仕切り直す。
「失礼いたしましたわジョーさん」
「いや、イボットで」
「それではイボットさん。始めましょうか」
「あ、はい」
グダグダな展開、それでもイボット、間合いを取り直し、傍に刺さっていた投げ斧を引き抜く。
「じゃ、殺すよ!」
宣言、同時に踏み込むイボット、だけれども二歩目より先にその刃を邪眼ビームが直撃した。
……天気雨の水の粒が光を拡散し、威力は思っていたよりも低く、構えていた斧を変な方向に一時的に押しやっただけで終わった。
低すぎる威力、実戦で使うにはもっと威力を、そのためには溜めの時間が必要ですわね。使いにくいと判断し、自制しようと決めたパレイドリア、それでもイボットはしかめた顔を向ける。
「……こういう戦いではありませんわね?」
「まぁ、ハイ」
返事を受け、ならばとパレイドリアは腰のサーベルを引き抜く。
「えっと、始める前にちょっと言っときたいことが」
「なんでしょうイボットさん」
「いや、お互い、かみ合わないなって」
「えぇ、そうですわね」
フフフと二人、笑いあってから、ほぼ同時に踏み出した。
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