vs オルコット枢機卿3

 当たり前ではあるが、パレイドリアは自身がこの戦場にどのようにして運ばれてきているか、ちゃんとは見ていなかった。


 邪眼ならば、その気になれば見ることも可能ではあるが、それには途方もない体力が必要で、体力が必要となる戦う前や体力を使い果たした戦った後にわざわざ見ようとは思わなかった。


 それが、不意に、望まぬ形で人が転送されるところ見てしまった。


 なるほど、光で包まれた空間ごとあちらとこちらを取り替えていらっしゃったのね、なんてのんきに思ってから、状況が最悪だと気が付いた。


 どちゃり、転送の光が消えるのとほぼ同時に膝をついたのは、黄色い半袖に赤色のツナギ、赤いリボンで短いおさげを後ろに二つ、その口の右端より赤い舌が飛び出た顔は童顔で男か女か、それだけでは判別しにくいけれど、頭には光る輪に背中に小さな翼、天使に間違いなさそうだった。


 そんな天使がいきなり現れ、絶妙なタイミングでオルコットの代わりに邪眼ビームの直撃を受ける、意味することは凡眼で見ても明らかだった。


「まぁなんということでしょう。いきなり天子さんが現れて、誰も望んでいなかったのに、不慮の事故で戦いに巻き込まれてしまうなんて、なんて悲しい事故なんでしょう」


 いけしゃあしゃあ、オルコットは言ってのける。


 その口ぶりは演技を取り戻し、だけれども杖を持たない左手が口元を押さえてるのは驚きではなく、笑いを押さえるためで、つまりこれは狙い通りだと見てとれた。


 ……オルコットの武器は洗脳、ならば事前に仲間を、被害を増やしておくのは当然のことだった。


 パレイドリアはこの戦いに巻き込まれた最初に、高慢な天使から直接説明があった。


 それがオルコットにもあって、その段階で手を打った、洗脳した、目に映るように想像できた。


 そして、それから先、パレイドリアならこうすると思ったことを、オルコットもやっていた。


 パレイドリアが粉塵まいた戦闘空間に光が灯る。


 一つ、二つ、三つ、沢山、邪眼で全部は見えていても一度に数えきれない数がこの会場に現れ、そして消えて、新たな天使が現れた。


 大きな青いアイスキャンディーを持ったいがくり坊主、口いっぱい全力でラーメンをすするババァ、ワサビ味のスフィンクス男、ピンクの河童、がぶがぶ酒を飲んでる侍君、オレンジ色で二足歩行する像、カレー臭いゴリラ、ソース臭いブルドック、ワサビ臭い二足歩行する牛、放火する牛の主婦たち、クレジットカードを見せつけてくる河童とタヌキ、やたらと生々しい顔のついた巨大な煙草、その多くが人の姿をしていないが、それでも翼に輪に、天使に見えた。


 そんな召喚された天使たち、ばら撒かれた黒の粉塵にせき込みながら辺りを見回し、オルコットを見つければ全力で頭を垂れ、パレイドリアを見つければ全力で襲ってきた。


「あぁお止めになって! 私たちの戦いにあなた方が介入してしまえば、責を負うのはのはあなた方なのですよ!」


 オルコットの声響く。


 それが狙いだろうとパレイドリアは看破していた。


 洗脳済み天使の援軍、一対一を崩したのはあくまで天使であって、オルコットはそれを止めようとした。結果、残念なことに邪眼令嬢は死んでしまい、その責任は天使たちに、残された枢機卿は哀悼の意を表明するのでした。


 この上なくずるい戦い方、自分の手は汚さず、人を利用するだけ利用して、そして捨てる。


 人と呼ぶのも憚られる悪逆に、パレイドリアは怒りを胸に、だけれども頭は冷静だった。


 この数、相手にしてたらアタクシの方がもちませんわ。


 判断、計算、そして妥協、邪眼を限界まで見開き、可能な限り大量に、より濃密に、黒の粉塵を吐き出し続ける。


 これは目くらまし、即ち逃げ隠れ、パレイドリアの主義に合わない戦い方、だけれどもそれを捻じ曲げてでもオルコットは許せない。汚れる決意をもっての粉塵は、援軍の天使たちを狙い通りにかく乱した。


 視界を塞がれ、音や臭いは隣の援軍がかき消して、誰も彼もがパレイドリアを見失っていた。


 動揺、焦り、無意味に大声を上げるもの、ともかく歩き回るもの、動けずただ息を荒くするもの、せき込むもの、中には能力で広範囲攻撃が可能なものもいるようだったが、オルコットを巻き込むことを恐れて何もできないでいた。


 そうして真っ黒な粉塵に沈む会場、ステンドグラスからの輝きも黒に消え、凡眼ならば辛うじて己の手が見える程度の視界の悪いこの場にて、まともに見えているのは邪眼令嬢だけだった。


 凡眼の左目を瞑り、残る邪眼だけで粉塵が口を覆っているオルコットの姿を見つめながら、だけれども見えてるからと言って、まっすぐ行けるわけではなかった。


 粉塵が完全に視覚を潰してくれているわけではない。近寄れば誰だかわかるし、そうでなくてもそれっぽい相手なら捕まえておくぐらいの頭は洗脳された頭にもあるでしょう。それでもし捕まり、バレて、叫ばれたら、殺到される。そしたらもう、お終いですわ。


 そうならぬよう、いそいそと、隙間を縫って移動するしかございませんわね。


 邪眼ビーム、遠距離で仕留めたい衝動もあるけれど、ただでさえ洗脳による体力の減少に加えて、ここまで粉塵を撒いては、まともに出るものも出ない。それどころか、そろそろニセチチの維持さえ難しくなってきていた。


 それでも、オルコットを捕らえ、サーベルで脅し、彼らを追い返して、場外に放り出して勝利する。明るい未来は見えていた。


「何してるの! 出てきたんだったらちゃんとしなさい!」


 オルコットのヒステリックな声、この粉塵の視界の悪さが精神を逆なでしてるらしい。


「すぐ近くの相手を捕まえて! 味方だったら手をつなぐの! そうやって塊を作りなさい! それから広がって網になるの!」


 建前を忘れた完全な支持、洗脳天使はすぐに従った。


 手を広げ、誰かを捕らえて確認し合い、味方と判断すれば手をつなぐ。粉塵に対する物量による攻略法、あっという間にパレイドリアを追い詰めた。


「ヨシ!」


 呟き声に続いて激しくせき込んだのは黄色いメットに灰色の毛の、二足歩行する猫だった。


「敵確認ヨシ!」


 その毛深い指でパレイドリアを指さし叫ぶや、その声にひかれて網がすぼめられていく。


 殺到、圧倒的数、数えきれないだけの人数が一か所に集まるだけで、生身のパレイドリアの体は、邪眼を残してもみくちゃになってしまう。


 最悪を脳裏に浮かべながら必死に邪眼で打つ手を探し、そして刹那に見つけ出した。


 ただし、これもまた主義に反する手であった。


「……仕方ないわね」


 ぼそり呟き、それから小さく微笑みながら、未だに指さし続ける猫の天使に話しかける。


「こんな状況の中、アタクシを置見つけになられなあなた様に、特別に技の名前をお教えしましょう。と申しましても、実は今さっき思いついたものですけど」


 話しかけながら肩にかかってた髪を後ろへと流し、同時にニセチチを形作っていた分を流動させ、口元へ、鼻から下をすっぽり覆い隠してから凡眼の左目を左手で隠す。


「この技の名前は『バサモモンゾギ空っぽの星ですわ』


 優しく話しかけると同時に、黒の粉塵が全て、一瞬にして消え去った。


 …………原理は、パレイドリア自身も良くわかっていない。


 ただ、この邪眼が分泌する黒い物質は、魔力とか体力と言ったエネルギーを物質化したものだと感覚でわかっていた。


 なので明らかに質量保存の法則を超越した量を、ビームなり壁なり粉塵なりの形で、邪眼は吐き出すことができた。


 そしてもう一つ、良くわかってないことに、これらの物質は邪眼を通じて意識すればすぐさま消滅させることができた。


 構成されたエネルギーは距離といった障壁を飛び越え、邪眼を介してまたパレイドリアのもとに戻って来る。なのでニセチチを形作る分を消費して回復したりパワーアップできたりするのだが、今回利用したのは消滅の方だった。


 体積を持つ物質が消滅すれば、そこには真空が残る。そこを埋めるため、周囲の気体などが吸い込まれるわけだが、そこにはタイムラグやムラが産まれる。ソレガ少量ならばそよ風程度しか感じられないが、ここまで広範囲に粉塵がまかれ、しかもそれがせき込むほどに、体内に、肺の内部に入れば、話は変わってくる。


 今回、粉塵が消えたことによって、この会場の酸素濃度は、瞬間的ではあるが、通常時の三分のニ程度まで減少した。加えて叫んだり歩き回ったりと若干の運動、若干の息切れ、即ち酸素の若干の大量消費が加われば、訪れるのは高山病、低酸素障害だった。


「ごべぇえええ」


 目の前の指さし猫がゲロを吐く。


 それは他の天使も同じ、嘔吐、運動失調、放屁、恐らくは目まいや頭痛も感じていることだろう。


 こうなると事前に知っていたパレイドリアはだから口をマスクで覆い、ニセチチ内部にこっそいと溜めていた空気で肺を満たすと同時に、入り込んでいた粉塵を少しずつ、あらかじめ消滅させていた。


 それでも逃れられなかった耳鳴り、凡眼への痛み、それでも効果は絶大だった。


 次々と倒れていく天使たち、低酸素は一瞬のこと、すぐに元に戻った空気を吸っていれば、徐々に回復していくでしょう。


 そう、内心で納得させながらも、この毒ガスを撒いたかのような惨状に、心を痛めるアパレイドリア、だから反応が遅れた。


 音も衝撃もない一撃、邪眼でなければ見逃していた光線、だけれども避けるのもかわすのも間に合わずに背中に直撃し、途端に急激な疲労が襲ってきた。


 これにパレイドリア、見覚えがあった。オルコットの、洗脳の光だった。

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