vs オルコット枢機卿1

 ズキリ。


 この戦いに巻き込まれて初めてといっても良い、平穏無事な着地、にもかかわらずパレイドリアは胸に鋭い痛みを感じた。


 大理石の床、内側に湾曲した壁、そこにはめ込まれた色ガラスの絵画、ステンドグラスの上にはにこやかな笑みの男が描かれていた。


 赤一色を背景に、白い髪と髭を生やした男は黒ぶちの眼鏡をかけ、白いスーツの上に赤いエプロン、左手は黒のステッキをぶら下げ、右手は黄金色に輝くフライドチキンを高々と掲げていた。


 その構図、一目で宗教家だとパレイドリアは見破った。


 そしてまたズキリ、胸の痛みと共に思い出したくない過去を思い出す。


 ……パレイドリアが邪眼令嬢と呼ばれる前、まだ幼かったころ、この邪眼を両親は呪いだと解釈し、取り除くために奔走した。


 見えないところで大金も動いたのだろう、すぐさま教会は動いて、当時ゲシュタルト領担当だった大主教が主導する大規模解呪の儀式が行われることとなった。


 そうして両親から引きはがされ、連れてこられた大聖堂は、幼い邪眼でも見るに耐えない腐敗ぶりだった。


 お酒ではないとエナジードリンクを飲み漁りブクブクと太った聖職者たち、人々を助ける代わりにサイコロを振り、良い出目のためだけに祈っていた。


 彼らがチップとして賭けるのは信者たち、その中で最も高額なチップとしてパレイドリアは連れてこられたのだった。


 そこでの筆舌しがたい扱いに、到着したその日に脱走を決意、翌日を準備に回し、その次の日には邪眼をもって大いに暴れた。


 結果として、他のチップとしてとらえられていた信者たちを助け出し、聖職者たちの悪行を記した黒革の手帳を入手し、最後には大主教が召喚した巨大マイマイカブリを初めての邪眼ビームで吹き飛ばした。


 この、転生後の人生を伝記にするにあたり、第一章のクライマックスとも言える生後三か月の冒険は、その邪眼に思い出したくない過去をしっかりと焼き付け、宗教嫌いを決定づける一因ともなっていた。


 ……異国異教、それどころか異世界の宗教など知る由もないけれど、あれから歳月を経たパレイドリアは神を信じる行為そのものさえも見下すようになっていた。


「いかかです? 綺麗でしょ?」


 パレイドリアは振り返る。


 頭に膨らみのある帽子、白一色のゆったりとした服装、手には光る青色の宝玉に金の飾り、一目で聖職者と、それも高位のものだと見てとれた。


「この絵は、三百年前に作られたもので、ある優しい老人が、当時人々にはびこっていたビーガンを駆逐するよう典型を受けた場面なんです」


 長い銀色の髪は立っていながら床に突きそうで、その体つきは質素倹約とは無縁に艶っぽい。


「あぁ落ち着いてください。私、争うつもりはありません」


 そう言いながら見せる笑顔は、凡眼には優し気とか、神秘的とかに見えるだろうが、邪眼はその裏の本当の表情を見抜いていた。


「あぁ申し訳ありません。自己紹介がまだでした。私、名をオルコットと申します」


 ペコリ、やうやうしく挨拶され、ならば挨拶し返すのが礼儀とパレイドリアもスカートをもって左右に広げる。


「お初にお目にかかります。アタクシ、ゲシュタルト=アイ=パレイドリア、人呼んで邪眼令嬢と申します」


「まぁ令嬢様、ひょっといて貴族様でおられますか?」


「おしゃる通り、産まれは侯爵家、ですがこうなってしまっては貴族も何もありませんわね」


「そうですね。私も、元の世界では枢機卿、なんて呼ばれてましたが、こっちじゃただの女の子ですものね」


 ホホホと笑い合う両者、互いに失礼のない挨拶、だけれどもパレイドリアはこの女が嫌いで、向こうも同じくこちらを嫌っていると、邪眼無しでも感じとっていた。


 こういった、表情を作り、建前と上辺だけを並べ、無作法と失礼のないまま相手と優劣をつける戦いは、社交界で散々やって来た。それをこんなところでする羽目になるとは夢にも見てなかったけれども、パレイドリアは負けるつもりはなかった。


「……それで、どうしましょう。あの天使さんは、私に戦えって言ってたんですけど。やっぱり暴力は反対です」


「えぇアタクシも、戦う意思のないものと戦うつもりはありませんわ」


「でしたら、もう少しここにいてもらえません? 実はずっとここで一人ぼっちで寂しかったんです。同年代の女の子とお喋りするのも久しぶりですし、あ、それからここ、案内出来ますよ?」


 にこやかに流ちょうに、声だけならば信じてしまいそうなオルコットの笑顔、だけれどもその裏の毒は、危険だった。


 この女、明確な悪意を持っている。その上で、上手く誘導し、罠にはめようとしている、そんな感じに見えた。


「申し訳ありません。あいにく、アタクシは早々に立ち去らねばなりませんの。ですから、平和の内に決着を付けたいと存じます」


「え、えぇー! 戦うんですかー!」


 ぶりっ子なオルコットのわざとらしい驚き、鏡に映して見せてやりたいとパレイドリアは内心食いしばる。


「いえ滅相もございません。ただ、この地より出れば場外で決着、と伺っております。そして勝った側が何でも好きな願いをかなえてもらえるとも。ですので、どちらか一方が場外で負けて頂いて、残る勝った側がその願いで負けた方も救済する、というのはいかがでしょう」


「名案です! さすが令嬢様! あぁでも一つ問題が、実はここ、出口がないんです。ご覧の通り大きなドーム状になってまして、本来あるはずのドアも消えちゃってるんです」


「それならご安心を、出口なら作りますわ」


 宣言、同時に発射、邪眼ビーム、ぶっ放し、壁で爆発、振動に煙、だけども壁に穴は無く、上のステンドグラス共々ヒビが入っただけだった。


「まぁなんてことを!」


 オルコット、大きく開いた口を開いてた左手広げて隠して大げさに驚いたリアクション、ここまでくると滑稽ね、とパレイドリアは心の中で笑う。


「ご心配なく、後数発で穴が開きますわ。ですがそうしてしまうと体が疲れて動けませんの。ですので、どうかアタクシを信じて、外に出て頂きたく」


「そう言う問題じゃありません! このステンドグラス歴史があって大変貴重なんですよ! それに人気もあって、これを楽しみに来られる信者様方も大勢らっしゃるんです!」


「……御冗談を」


 ふと、パレイドリアは表情を誤魔化すのをやめた。


「ご存じかしら? ガラスは液体ですの。ただ硬い水あめのようにどろりとしていて、流れるのがゆーーっくりなだけ、凡眼では見えない速さで、だけどもしっかり動き続けてますの。ですから、三百年もあれば上から流れたガラスで下が熱くなるもの、ですがこちらはそれが見られませんの。おっしゃってるステンドグラスが実在するかは存じませんが、これは偽物ですわ」


 看破、ふふんと表情を作るパレイドリア、だったが、オルコットのリアクションは変わらなかった。


「へぇーそうなんですか。令嬢様って物知りなんですね」


 気にしてないような表情、だけどその裏では、オルコットはほくそ笑んでいた。


 何が? 失敗? 他に何か? 狙いは何?


 一瞬の混乱、それから立ち直ろうとしたパレイドリアの足元がふらついた。


 演技ではない。


 本気で、体がふらついた。


 それだけの体力の消耗、邪眼ビーム一発では説明つかない疲労、何かが起こっている。


 見落とし。


 邪眼をもってすればあり得ないこと、だけれどもやらかしたと、パレイドリアは全身から汗が噴き出した。


 ……この時点で、パレイドリアは大きな、そして致命的な見落としをしていた。


 攻撃は、すでに始まっていた。

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