vs ヴァイス・ヴァリエール3
パレイドリアも令嬢、貴族の嗜みとして狩りのことはある程度知っていた。
好きか嫌いかは程度の問題で、釣りたての魚や獲れたての鳥に鹿に、ジビエは好物でもあった。
一方で、捕らえた狼を鎖でつないで石を投げつけたり、川に毒を流したりと、不必要な虐待や虐殺は主義に合わなかったが、見下すだけで取り留めてアニカをするわけではなかった。
ただ一度、あまりにも酷い狩りにぶちぎれて暴れまわったことがある。
とある王族主催、お祭りのクライマックス、一大イベントとして行われたそれは、ただ単に森の広範囲に炎の雨を降らせて全てを焼き尽くすというものだった。
炎に巻かれ、逃げ惑うシカやイノシシたち、全部が焼け終わった後に残る大量の焼死体の中から良い焼き加減のものを見つけて美味しく食べよう。
どこをどう暴れたか覚えてないが、この一件で邪眼令嬢の名はまた一段と広がった。
……そんなこと、思い出しながら、目をそむけたくなるような地獄を、邪眼は見つめ続けていた。
焼け落ちた檻から飛び出す熊たち、己の背の炎から逃れようと駆け出し、暴れ、狂い、逃げ惑う。
あるものは前が見えずに木に激突しその首を折り、あるものは地に転がり消そうと試みて逆に燃え広がり、あるものはすでにこと切れた我が子の火を消そうと前足を焼いていた。
身に火を点けられるという地獄、その中でなお生き残ろうと走り続ける熊たちは、始めは出鱈目な方向に向かっていたが、徐々に同じ方向に、少しでも涼しい風上へと揃って走り始めた。
風は秋、冷えた乾燥した空気、だけれども周囲は生木の森、簡単に燃え広がるものではない。
ヴァイスの狙いは煙、理屈までは見えなかったが、それでも赤い瞳と白い瞳の複合で出される炎からばら撒かれる毒ガスの広範囲散布、知らずに吸ったウサギやキツネがバタバタと倒れて痙攣していく。
悪魔のような攻撃手段を、邪眼で見破りながら、パレイドリアにできることは何もなかった。
ただ奥歯を噛みしめ邪眼を見開き、前へ、風上へ、ヴァイスの元へと突き進む。
炎から逃れようと風下に逃れようとするのは本能、だけれども結局は煙に巻かれて命を落とす。あるいは、それを見越して罠を張るのを、パレイドリアは狩りではなく改革派のテロで見知っていた。
だから風上、炎の発生源よりも風上にいれば危険は遠のく。
それを理解しながらも、パレイドリアの邪眼はただヴァイスのみを見据えていた。
そのヴァイスもまた、風上に向かっていた。
人狼となって森を軽々進む。その足取りには余裕が見える。この一手での勝利、あるいはイニシアチブを知っての余裕、あるいは炎を出しすぎたことによる疲弊、本来ならばパレイドリアの足では決して追いつけないはずが、段々と距離を詰めることができた。
草むらをサーベルで薙ぎ、痙攣するウサギを跨ぎ、煙をかわし毒ガスを避けて綺麗な空気だけを吸って、そして焼け死んだ球磨の横に来て、ようやく先行くヴァイスの背中が凡眼でも見える距離までこれた。
同時に、そのヴァイスとも目が合った。
余裕を持っての振り返り、そしてそこにいるはずのないパレイドリアの姿、見つけて、驚いて、目の色が青に変わる。
逃げられる。
パレイドリアは焦る。
まだ攻撃するには遠すぎる距離、だけれども相手に察知され、絶対に逃げられる。
今度は余裕などなしに全力で移動して、そしてまたも、もっと広範囲に、炎を撒くだろう。
そうなる前に止める術、一瞬で考えた末に出た答えを叫ぶ。
「お待ちなさい!」
令嬢として気品のある生活をしてきたパレイドリアにとって、歌を歌う以上の大声を上げることなど悲鳴ぐらいしかなかった。
それでも呼び止め、足を止める。唯一見つけた手段だった。
「あなたには誇りがないのですか! 逃げずに堂々と戦いなさい! それともワタクシに恐れをなしたとでもおっしゃるのですか!」
悪口のボキャブラリーに乏しいパレイドリア、加えて内容と状況から、まるで負け犬の遠吠えのように聞こえてしまう。
事実、ヴァイスもそう聞こえたようで、余裕の笑みを浮かべた後に青から黒に瞳を変えて、そして背を向けた。
逃げられる。
焦り、焦り、焦り、追い詰められて、必死に考え絞り出すパレイドリアは、知るうえで最も汚い悪口を口走った。
「この醜い目ん玉風情が!」
これまでかけられた中で最も印象に残った、つまりは傷つけられてきた暴言、口にして反省するほどの汚い言葉、だけれども凡眼にはあまり意味のない悪口だったけれども、ヴァイスには突き刺さった。
「醜い、この目が?」
立ち止まり、ゆっくりと振り返るヴァイス、その眼差しは憎悪が見えた。
「訂正しろ。これは五人が残した崇高な五色だ。そこらのガラス玉とはわけが違うんだ。もっとも、お前のその不細工な右目じゃよさもなにも見えないだろうがな」
不必要な言葉、挑発に乗った証、怒り立ち止まったヴァイスはパレイドリアの術中に落ちていた。
ただ、見逃してたことが一つあった。
「不細工? このアタクシが? この邪眼を指して言ってるのでして?」
パレイドリア、同じく挑発に乗っていた。
普段なら、この程度の言葉、凡眼のたわごとと流していたが、この地獄を見せられて、本人の自覚のない所で精神が追い詰められていて、そこへの侮辱が、最後の冷静さを消し飛ばしたのだった。
「五色か何だか知りませんが、そちらのお目めはただ使う魔法を教えてるだけじゃありませんか。視野も低いようですし、簡単に目くらましされてるご様子、ちゃんとお見えになってますの?」
「よく言う。ただとってつけたぎょろい目玉、半端なビームに半端な障壁、それで動きはフラフラで、視力に自信があるらしいが、だったらその不細工な目ん玉、隠さないとやってられないね。それとも、鏡に映ったのが自分だともわからないほど近眼か?」
地獄のような火事の中、ガキのような口げんか、無意味不毛だと気が付いたのはヴァイスだった。
さっさと切り上げよう、その前に捨て台詞を吐こう、冷静に考えている一方で、一気に頭に血が上ったのはパレイドリアだった。
「なんですって!」
完全に顔真っ赤、左目充血してわなわな震える姿は揶揄い冥利に尽きた。
だが、パレイドリアには邪眼があった。
「それじゃあな。その醜い目玉を抱えて焼かれ死ね」
捨て台詞、吐き出し背を向けるヴァイスの姿を、パレイドリアは見られなかった。
「どうぞお逃げなさい。そしてその五人とやらに慰めてもらいなさい」
新たな挑発の言葉、それに反論しようとして、辞めたヴァイスは、動けなくなった。
その目は、本来なら見えないものを、見えるはずのないものを見ることとなった。
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