7_"ポニーテール"と"紙束"
時間は放課後。
本格的に授業が始まり、正直覚えてるところより覚えてない方が圧倒的多数で、作戦1がさっそくダメになりそうな気配を感じつつ、俺はクラスメイトのいなくなった教室に一人残っていた。
そう、クラス委員の仕事のためだ。朝方、逢瀬から話された件で、さっそく集めた進路調査の紙を集計しているのだが……。
逢瀬が来ない。
何故だ。自分から声掛けてきたのに。まさかあの会話はお前一人でやれやという意味をだったのか。それとも、マジであの紙見てドン引きして逃げたのか。どちらにせよ困った状況になったのは違いない。
どうしよう。
「……とりあえず一人でやるか」
出席番号順に並んだそれを整え、各々の進路先をまとめていく。進学、就職、その他。進学なら進学で大学か、専門か。就職ならどういう職種か。細かくなり過ぎないように分けていき、ある程度分類が進んだところ。
「ごめーん。遅れちゃったー!」
息を切らして逢瀬が教室に入ってきた。夕焼けに照らされてなんだか色っぽかった。
「あ、ああ。いいよ。まだ始めたばっかだし」
「いやいや、アタシから言ったのに、ごめんね。職員室寄ったら顧問に捕まってさ」
特段例の紙の事は気にしてない様子で胸を撫で下ろす。そうだよな。あんな紙一枚でいきなり関係がぶっ壊れるのはさすがに無いか。逢瀬はそのまま俺の座ってる向かいに腰掛けようと、椅子を引いた。
「…………」
すると何故か、紙束か机の上に広がる紙束をぼんやり眺めた。
んん?
「一通り分類にまとめておいたんだけど……なんかまずかったか?」
俺の低姿勢気味の言葉に、逢瀬はどこか照れたような笑みを浮かべた。
「あーいや、いきなりはないよね。うん」
「は?」
一人で納得して「な、なんでもないの」と誤魔化す逢瀬。うん? ま、まあ、いいか。あんまり突っ込むの地雷な気がするのでそれ以上の言及は避けて、進路調査の集計を再開していく。
「結構細かく分かれてるんだね」
「大学進学一つとっても、学部や学科まで書いてあるからな。まずはざっと大分類に分けたから、あとはそこからブランチを作って整理していくか」
「う、うん」
粛々と手分けして集計を行なっていく。クラスの人数は全部で30人。根気よくやれば、すぐに終わるだろう。残業はお手の物だが、逢瀬に迷惑をかけるのは良くない。うちの軽音はともかく、彼女はバドミントン部で部長代理の立場らしく、それを考慮するとあまり長時間の拘束はできない。ボールペンを動かすスピードを上げていく。
「…………」
すると、またしても逢瀬がぼんやりして、今度はこちらを眺めていた。なんださっきから。
「逢瀬どうした?」
「え、いや、その。なんか手際がずいぶん良いなって思ってね。小慣れてるっていうかさ」
そりゃ社会人五年くらいやってるし……って、そうか。勉強はまだ覚えてるところ、覚えてないところとあるのであれだが、こういう仕事みたいな事務系の作業は、普通科の高校生じゃそこまでやらないもんな。まして、毎日朝早くから夜遅くまでとか。ダメだな。このままだと逢瀬に『アタシいらなくね?』って思われてしまうかも。ちゃんと相手のペース見ながらやられねば。
「ほら、仕事……バイトでやるんだよ、こういうの。だから少し慣れてるだけだ。実際は殆ど手探りだよ」
「そうなんだ?」
「ああ。だから『アタシいらなくね?』なんて思うなよ?」
「お、思わないよ! もー、アタシをなんだと思ってるのさっ!」
少し怒った顔で、しかしすぐに笑顔に戻ってくれる逢瀬は、やっぱり魅力的だった。良い。可愛い。好き。逢瀬と真正面から話した事なかったのが本当にもったない。現世の十年後に同窓会で会ったら、もっと後悔してたところだろうか。あ、そういや、大学卒業してからの彼女は結婚してるのだろうか。彼氏は高校からのクソメガネが大学時代は居たが……その後の状況は知らん。結婚したのかな……そしたら人妻の逢瀬か……それもそれで、ゴクリ。
「どうしたの宮田くん。急にニヤニヤして」
「ゑ?」
バカみたいな声が出た。
「うむ。なんでもねぇさ」
「そう? へんなの」
「……あのさ、逢瀬」
「ん?」
「何歳までに結婚したい?」
自分でもなんでこんな事訊いたのか分からんが、人妻の逢瀬を考えたら、自然と結婚という単語が浮かんできてしまった。って、これ職場の同僚とか話すやつだな……JKにやんなよ俺。数秒して逢瀬は何かにハッとした様子で答えた。
「れ、恋愛の進路調査ですか」
「ごめん忘れて」
変な方向になってきたのでやめた。ハラスメントだなこれ。せいぜい仲良くなってからこういう事を話すべきだ。
という事で俺は作業に戻った。
「ね、宮田くんは、進路どうするの?」
数分してだった。今度は逢瀬が尋ねてきた。
「ん、そうだな、俺はとりあえず大学だ。逢瀬は?」
「アタシも大学かな…………あ、ここはお嫁さんって言うべきかな」
「さっきの引きずらないで」
意外にもノリ良くちょくちょく逢瀬にいじられながら、二人で非効率ながらもお喋りを挟みつつ、集計を進めていく。時間はすっかり部活の真っ最中で、校内に様々な音が響いている。掛け声、トランペット、金属バットがボールを叩く音――大人になると聞こえなくなる、様々な青春の音たち。それは妙に熱気を孕んでいて、体温が少し上がった気がした。そのまま二人黙ってボールペンを走らせて、紙の擦れる音が重なって、しばらくして俺が時計を眺めて、逢瀬もそれに続いて、「もうこんな時間だね」と呟いて、窓から吹き込む風が逢瀬の長い髪を揺らした。紙束は小さく舞って、同時に甘い、バニラの香りが漂った。
「…………」
「…………」
ふと、目が合ってしまう。
「……ふふ」
「なんだよ」
「なんだろうねー」
小さくこぼし合って、逢瀬が先に照れたように微笑み、俺も頬を緩めた。遠くに聞こえる青春の喧騒が止んだように、二人だけの時間が流れていた。
とても心地よくて、溶けそう。
「アタシね、英語苦手なの」
ボールペンを動かして、逢瀬が思い出したかのように言った。
唐突な奴だ。
「あと、数学でしょ、化学でしょ、古典でしょ、それと漢文」
「……多いな」
「ねー、困った困った。今度の中間でまたお母さんに怒られちゃうよ」
彼女はそんな事を俺に向けた。わざとらしく、気付かせるように、目の前の俺に向けて白い歯を見せて、楽しそうに。
そして俺を、からかうように。
「でも音楽は好きだよ。成績も体育と同じくらい良いの。まあ楽譜は読めないけど、歌うのも聴くのも、大好きなんだ」
「うん」
「えへへ、だからね」
書き終わったボールペンが机に転がり、そのまま床に落ちて風が吹いた。さっきと同じように逢瀬の髪が揺れて、紙束が舞って、バニラの香りがして……見惚れた。
画になるって、こういう事を言うのか。
「成功するといいね」
「え、なにが?」
「作戦」
舞って紙束をゆっくり拾い直して、逢瀬は再び作業に戻った。既に終わった俺の進路調査の集計と合わせながら、数字をまとめて、見やすく書き上げていく。
……ああ、もう。からかってるつもりかよ。
「よっし、終わったー!」
「おつかれ」
「あはは。のろまごめんねー。手こずっちゃったよー」
全員分の集計が終わり、二人で労いの言葉を掛け合った。
長く感じたような時間。それはたったの30分程度で、思ったよりも早かった。
けど。
こうして片思いしてた人と二人きりで居られて、時間なんて関係なくなるくらい幸せだった。
きっと、この時にしか味わえない、恋の味。
おじさんになると枯れて行ってしまうけど、青臭くて結構、それは大切にしなきゃと思う。
書き上げた用紙を持って、二人並び廊下に出る。換気のため窓が全開で三度の風にまたしても逢瀬の長い髪がたなびいた。
「今日は、ポニテじゃないんだな」
俺の思い付きの言葉に、逢瀬はその髪を片手に乗せて笑った。
「あーうん。結ぶの面倒でさ」
「もったいない」
「えー。なに、どう言う意味?」
「次のクラス委員の時は、ぜひ」
「見たいんだ。へえ、考えとこ」
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