第4話 主

 シャルベットは納得のいかない様子で振り立てると、余所者である水希を強く睨んだ。

 それもそうだ。突然現れた見ず知らずの日本人が、自国に関与しようとしているのだから。簡単に「はい、そうしましょう」と頷ける事柄ではないだろう。

 水希は黒く汚れた半袖の白いシャツを指でごしごしと拭った。この汚れのようにエニアと日本、両国が互いに抱える悪感情は未だこびり付いたままだ。


「世界を変えるって言ったって俺はただの高校生だし、クレイルだって……」

「僕はこの国のあるじだよ」


 クレイルは表情を一切崩すことなく言い放った。さも当たり前のように。水希は驚きのあまり、驚嘆の声をあげることすら忘れてしまった。


「クレイルってこの国でそんなに偉いの?」


 主という肩書きにより、クレイルが一気に卓越した人間に見え始める。

 すると、シャルベットが横槍を入れるように水希とクレイルの間に割って入った。


「当たり前でしょう。クレイルはこの国の統括を担ってる。私はその補佐よ」


 シャルベットは声高に言うと、クレイルの斜め後ろに立った。相変わらず自分をよく見せることに余念を欠かさない女だ。

 クレイルはもう一度水希の目をしっかりと見つめ直すと、話を続けた。


「君は日本を動かすきっかけになればいい」

「きっかけって……そんな簡単にいくわけ……」

「先程も言った通り、この国は長らく孤立していた。それ故に先端の文化も技術も、そして知能までもが遅れを取っている。僕らエニアの人間から見て、日本人の君は教育が行き届いている上級の国民だ。どんな形であれ、君がきっかけとなって国を動かすことは不可能ではない」


 日本人であることを褒められて悪い気分はしなかったが、話のスケールが膨大過ぎてなかなか頭が付いていかない。

 言葉を詰まらせていると、ズボンの尻ポケットに入れていたスマホが震えた。反射的に急いで取り出すと、通知欄は晴真からのメッセージで埋め尽くされていた。


『水希お前今どこいんの?』

『おーい』

『え?マジで大丈夫? 今日本もやばいことになってる。速報がどんどん入ってきてるよ。』

『とりあえず今日は休校になったから。明日以降のことはまた夜連絡するって。とりあえずこれ見たらすぐ返信しろ!』


 電波状況を見ると、電波はギリギリ一本立っていた。心配性の晴真に「大丈夫!」とだけ返信をしておく。やはり先ほど立て続けに人間が倒れたのは偶然ではなかった。


「それがスマートフォンってやつかい?」


 顔を上げると、クレイルは子どものように目を輝かせながらスマホを凝視していた。シャルベットまでもが水希の手元に釘付けになっている。


「あ、うん。エニアにはないの?」

「ああ。この国の情報機器は公共の施設に設置されているパーソナルコンピューターだけさ」


 クレイルによると、そのパソコンで他国の時事ニュースなどを確認し、国を揺るがす問題に発展する際は屋外スピーカーで逐一市民に伝えているらしい。

 他の国と繋がりのない国がこれほどまでに不便を強いられていることに水希は驚きを隠せなかった。この国の実情を聞くと、改めて自分が住む国が恵まれていることを実感する。同時に、自分たちの身近な文化をエニアの人にも触れて欲しいという思いも微かに芽生え始めていた。


「俺はこの国が好きだよ」

「ありがとう」

「俺が日本を動かすきっかけになれるかは分からない。一年……いや、十年以上かかるかもしれない。でも日本にエニアの人は悪くないってことを伝えたい。だから……」


「協力、させて欲しい」


 実に弱々しい決意だったが、クレイルは立ち上がり「本当かい?」と心底嬉しそうな表情を浮かべた。揺れて輝く瞳は、陽が差した海のようで美しかった。

 シャルベットは辟易へきえきするように額を押さえた。その表情からは諦めも窺える。クレイルは行動力がある上に一度言い出したら聞かない性格なのだろう。なんとなくだが、そんな気がした。


「あ、そういえば」


 水希は思い出したようにクレイルに向き直った。この問題の核となる事を聞かなければならない。


「日本で次々に人が倒れてる問題。この原因はエニアの仕業じゃないよね?」


「当たり前だろう」。当然、その返事が返ってくるものだと信じていた。しかし、クレイルは顔を曇らせると予想外の事を口にした。


「半分は、エニアのせいだ」

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