第2話 赤髪のシャルベット


 深紅の瞳が水希を覗き込む。

突然現れた西洋人形のような少女に、胸の鼓動が派手に音を立てた。


「ねえってば、聞いてる?」


 クラシカルなワインレッドのロリータ服に身を包んだ少女は門にもたれながら腕を組み直した。高い位置で二つに結われた長い赤髪が胸元で揺れる。

 その髪色と装いを見て水希は確信した。この子は間違いなくエニアの人間だ。


「君はエニアの人?」

「まずは私の質問に答えて。クレイルの名前を呼んでたけど、あなた誰?」

「あ、日本に住む遠山水希です」

「ミズキ……」


 水希の名前に聞き覚えがあるのか、少女は唇に指を当てて考える素振りをした。その白い指にはいくつものシルバーリングが不揃いに嵌められていた。

 そして思い付いたように顔を上げると、周囲に誰もいないことを改めて確認する。


「特別よ」

「え?」

「ここじゃ何だし、特別にエニアまで連れて行ってあげる。それに私、日本の空気ってあんまり好きじゃないの。ここに三分以上いたくない」


 少女は眉間に皺を寄せて身震いした。アーケード付近は雑草が生い茂り、お世辞にも綺麗な環境とは言えない。この景色だけを見て日本の印象を決めつけてかかるのは国民として少し不満に思うところはあるが、期せずしてエニアに行けるのは好都合だった。


「転送するから私の手を握って」


 転送、という言葉に思わずファンタジックな異世界を想像する。言われるがままに差し出された手を握ると、リングのひんやりとした質感が伝わった。


「……え?」


 瞬きをした直後、世界は既にに切り替わっていた。世界が歪んだり光に包まれることも無く、それはまさに一瞬の出来事だった。


「ここがエニアよ」


 目の前には本の中でしか見たことがないような世界が広がっていた。手入れの行き届いた木々と美しい花。生き生きとした植物に囲まれた運河の向こうには、西洋風の瀟洒しょうしゃな家々が立ち並んでいた。まさに「おとぎの国」という表現がぴったりな街並みがそこには広がっていた。

 水希は自分の頬をぺたぺたと触りながら、今起こっていることが現実かどうか確認する。


「すごい……」

「当たり前でしょう。なんてったって私はこの国の管理補佐なんだから。国の管理はもちろん、転送権だって得てるのよ」


 すごいのはこの国であって彼女自身を褒めているわけではないのだが、得意顔で語る姿を見ると言葉を飲み込む方が賢明な気がする。管理補佐がどの位置付けなのかは分からないが、彼女の鼻高々な態度を見る限り偉い役職であることは間違いないだろう。


「で? どうして門を叩いたの?」


 少女は再び疑念の目を水希に向けた。水希は頭の中で慎重に言葉を選びながら、ゆっくり口を開いた。


「クレイルに会いたいんだ」

「どうして?」

「えっ、と…… 今日本で次々に人が倒れててみんなエニアの仕業なんじゃないかって疑ってる。日本のことだから、これからエニアを潰しにかかるかもしれない。それを伝えに来たんだ」

「伝えてどうするの?」

「どうするって……」


 水希が言葉に詰まると、少女は呆れたように溜め息を落とした。投げられた視線には「無謀」という辛辣な言葉も含まれていたように思える。


「戦争でも始める?悪いけど、今のエニア人は日本人より強いわよ。ずーっとね」


 少女は小馬鹿にするように鼻を鳴らす。

エニアを救いたい。ただそれだけの想いが伝わらないもどかしさに、感情が先走って喉を通り抜けた。


「俺はエニアの人は悪くないってことを日本に伝えたい。隣国なのにいつまでもいがみ合って……これじゃいつか本当に戦争が起きかねない! そんなこと、絶対にあっちゃダメだ!」

「綺麗事ね。エニアは何度も日本と友好関係を築こうとしたわ。突き放したのはそっちでしょ」


 少女の言い分はごもっともだった。見た所自分より幾分幼く見えるものの、知能では遥かに差があるように感じる。


「名前に聞き覚えがあったから入国させたけど、所詮日本人ね」


 呆れたように呟くと、少女は水希の手首を強く握った。血管に爪が食い込み、水希は思わず顔を歪ませる。


「二度と門を叩かないで頂戴」


 怒気を含んだ紅い瞳が炎のようにゆらゆらと揺れた。このままじゃ日本に戻される、そう思った時だった。


「シャルベット」


 何処からか聞こえた一声で少女の動きが止まった。シャルベットというのは恐らく彼女の名前だろう。シャルベットは声の主を確認すると、渋々水希から手を離した。

 風に揺れる青い髪が、七年前の出会いを鮮明に思い出させる。


「クレイル……」

「久しぶりの日本からの来客だ。失礼は許さないよ、シャルベット」


 クレイルにたしなめられたシャルベットは無言で水希に背を向けた。

 あの時と変わらない優しい声色だが、その立ち振る舞いから確かな威厳を感じる。クレイルは水希の顔を見ると、柔らかく微笑んだ。


「いつか会いに来てくれると思っていたよ、ミズキ」

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