第1話 始まりの門

 時は二○二○年、令和。

 我が国日本と裏の世界『エニア』は相も変わらずいがみ合っていた。ミサイルが飛べばとりあえずエニアのせいにするし、新しいウイルスが発見された日には皆も揃って一番にエニアを疑った。

 この教室の中でもエニアを非難する声が日々当たり前のように飛び交っている。


「みんなエニアエニアって…… そんな悪く言うことなくね?」

「出た〜 水希の非国民発言」


 エニアを擁護する発言をすると、必ずと言っていいほど友人の永野 晴真はるまは非国民のレッテルを貼ってくる。お決まりの流れだ。水希は口元を覆う暑苦しい不織布マスクを顎までずらすと、購買で買ったキャラメルオレを一気に飲み干した。時計の針は五限の始まりを示している。


「それにしてもエニアってどんな国なんだろうな〜」


 言葉とは裏腹に晴真は興味なさげに呟いた。机の中から現代文の教科書を取り出しながら、水希はエニアに足を踏み入れた七年前を思い出す。あの日の事は誰にも話していない。


「俺はみんなが思ってるような悪い国じゃないと思う」

「ふーん、水希はなんでそんなにエニア推しなわけ?」

「推しって訳じゃないけど」

「ま、この先関わることもないからどうでもいいや。アーケードも完全封鎖されたしな」


 アーケードというのは日本とエニアの通り道のことで、元来、アーケードの通行規制はあってないようなものだった。そのため幼い頃の自分のようにほんの少しの好奇心と度胸試しで裏の世界に足を運ぶ若者が絶えず、社会的な問題にまで発展した。その行為が危険と判断した国は総力をあげてアーケードの封鎖に取り掛かり、五年前、アーケードは完全に封鎖された。これによって裏の世界との繋がりは完全に絶たれてしまった。

 水希は思い出す。クレイルという美しく、そして心優しいエニアの少年を。またいつか会えた時にはあの日言いそびれたお礼を彼に言いたい。


「やべ、中村来た」


 晴真は慌てて自分の席に戻ると、何食わぬ顔で始業を待つ素振りをした。その様子を見て水希は声を押し殺して笑う。

 始業のチャイムと共に現代文を受け持つ中村が教室のドアを開いた。学校一明るいと評判の教師だが、今日は心なしか元気がないようだった。覚束ない足取りで教壇に向かう中村を見て生徒らは一瞬戸惑いを見せるものの、男子生徒が「先生二日酔い?」などと揶揄すると、教室内はたちまち笑いで溢れ返った。

 中村は最後の気力を振り絞ったように微かに微笑むと、喉元を押さえながら勢いよく床に倒れ込む。尋常ではない苦しみ方に、騒がしかった教室内が一瞬にして静まり返った。


「せ、先生……?どうしたの?」


 一人の女子生徒が床でうずくまる中村に恐る恐る声を掛ける。中村の口端からは泡が吹き出し、唇は次第に色を無くしていく。そして数分後、中村の体の機能は完全に止まった。


「し、死んだ! 先生が死んだ!」


 男子生徒が叫んだその瞬間、非常を知らせるベルが学校中に響き渡った。隣のクラスからも「先生が死んだ!」という悲鳴が聞こえる。向かいの棟も同じような騒ぎになり、学校内はあっという間にパニックに陥った。状況を把握し切れていない者、落ち着くように諭す者、泣き出す者。混乱が蔓延る中、一人の女子生徒が震える声で叫んだ。


「これもエニアの仕業よ!」


 エニアという言葉が出た途端、憎悪をはらんだどす黒い空気が水希の周りを渦巻く。この国の悪い癖が、こんな時にまで現れてしまうことに寒気立った。いや、こんな時だからこそエニアのせいにしたいのかもしれない。


「そうだエニアだ」

「エニアのせいだ」

「全部エニアが悪い」


「やっぱりエニアは潰すべきだ」


 教室中に充満する邪気に言い知れぬ恐怖がじわじわと体を支配していく。


(なんだ……? この異様な空気は……)


 非力な学生らに国を潰すことなど限りなく不可能な筈なのに、それを容易に成し遂げてしまうのではないかと錯覚してしまうほどの殺気。

 気付いた時には水希は上履きのまま校舎を飛び出していた。というより体が勝手にその場から逃げ出していた。

 自分を呼び止める晴真の声も聞こえないほど、無我夢中で地面を蹴る。足はある場所に向かってがむしゃらに走っていた。その場所は校舎の裏山を抜ければすぐに見える、あの異境的な門。


「……クレイル」


 その名前を口にすると、日本全体を覆う黒い影にひと筋の明るい光が差し込んだような気がした。水希は顳顬こめかみに滲む汗を手の甲で拭い、金網で厳重に塞がれたアーケードを裏山の頂上から見つめる。

 何故この場所に来たのか自分でも分からない。しかし、エニアに繋がるこのアーケードが自分を正しい道に導いてくれる気がしてならないのだ。


 封鎖されたアーケードの前に着くと、水希は裏の世界に通じる門を力任せに叩いた。 

  

「いって!」


 錆びた金網が手の平に突き刺さり、血が滲む。それでもお構いなしに門の扉をひたすらに叩き続けた。


「……クレイル!クレイル! 開けてくれ! 日本が……日本が君の国を壊すかもしれない!」


 応答は無い。当たり前だ。国は利己主義を貫き、隣国に寄り添うことをしなかった。こんな時にだけ対顔たいがんを望むなど都合が良すぎるのではないか。

 擦りむけた手は、自分の非力さを無様に映し出していた。


「ねえ。さっきからうるさいんだけど、あなた誰?」

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