空が黯い日
水が屋根や窓を叩く音で目を覚ます。まるでたくさんの人が走り回り、壁を叩いているかのようだ。今日は近年まれに見る災害級の豪雨が降っているらしく、ニュースはどこも、洪水警報や災害情報で溢れている。アナウンサーがしきりに命を守る行動を、と言っているのが鬱陶しくてテレビを消す。スマホを手に取って見たが、SNSもだいたい似たような感じだ。
どん どん だん だん ばら
どん だん ばら
どん どん だん ばら
雨音が大きすぎて気が狂いそうになる。早く止んで欲しいものだ...。ふと、起き掛けに考えていたことが脳裏に浮かぶ。もしこの音が雨でなかったら。カーテンを開けるとたくさんの人が窓を叩いていたら...。引き篭もっているせいか、ゾッとするような想像が止まらない。勝手な自分の妄想にビビってザッとカーテンを開けてみる。もちろん、たくさんの人も、幽霊も居なかった。
ただ、家のすぐ目の前に、Kくんが立っていた。ぼくはギョッとした。Kくんは昨日見たままの姿で、虚ろな目でこちらを見ている。...一瞬目が合った気がした。ぼくはこんな雨の日に、どうしたんだとか、風邪を引いたら大変だとか考えながら、傘も持たず玄関から飛び出してKくんを出迎えに行った。
外に出ると、Kくんはもうどこにも居なかった。ぼくはびしょ濡れになりながら、曲がり角の先まで見に行ったが、Kくんは、まるで初めから居なかったように...姿を消していた。いや、そもそもこんな土砂降りの日に、出歩いている方がどうかしている。もしかすると、ぼくは彼への後ろめたさから幻覚でも見たのかもしれない。
そんなことを考えながら家に戻ると、スマホに不在着信がたくさん入っていた。知らない番号からだ...折り返そうか迷っているとその番号からまたかかってきた。恐る恐る出る。
「...もしもし。」
通話の向こうで、雨の音がしている。掛けてきたはずの人間の気配がしない。
「もしもし!誰ですか!悪戯ならやめてくださいよ!!」
声を少し荒げてみたが、返事がない。悪戯かと思って通話を切ろうとすると、離したスマホから声らしきものが漏れ出ているのに気が付いた。何か不安を感じながら、もう一度スマホを耳に付ける。
「ザーッ...ブツッ...ザーッザザーッ...おねがい...ザザーッ...きて...ザーッ...」
声の主は女の子...のようだった。昨日ふと思い浮かべた少女のことが脳裏に浮かぶ。ぼくはまた恐る恐る、声の主に問いかける。
「だ、誰...誰ですか?」
急に音が聞こえなくなり、不安を覚える。電波が悪いのか、通話を切るかと迷っていると、音が戻ってきた。
「...ッ...ッ...」
無意識の内に耳を済ませる。
「ぼごごごっ...ぶぉぼっぼろろろっ...がぶゅっ...ぼごごっ」
「うわっ!?」
思わず叫んでスマホを放り投げる。液体の中の音のようだった。何故そんな音がなるのかさっぱり分からなかったが、人が溺れている時の音だと直感的に思った。あれは...あれは、Kくんのような気がする。気のせいに違いないという思いと不安が、胸の中にドロドロと渦巻いている。
ふと、放り投げたスマホから、もしもし、もしもし、という声が聞こえてくる。ハッとして、スマホを拾い上げた。
「も、もしもし」
「あ!やっと通じた!わたしよ!Mよ!電話は繋がってるみたいなのに、電波が悪かったのか、全然聞こえなくて...ごめんね!久しぶり!元気だった?」
Mさんは15年前のあの日と同じく元気で可愛らしい声で話しかけてきた。
...15年前のあの日...?あの日っていつのことだ?何をしていた日だ?
「あの...話し続けていいかな?...その、驚かないでね?あの...Kくんが亡くなったの...」
「えっ!!」
ただでさえ混乱した頭が更にぐるぐる回り始めた。一体何が起こってるんだ。だって、今日ぼくは見たじゃないか。Kくん、昨日、一緒に飲んだぞ。それが、どうして...。Kくんが死んだことも、彼を見た気がしたことも、さっきの電話も、突然思い出したMさんを見た"あの日"の存在も、唐突に脳裏に浮かぶ少女のことも...何もかもが噛み合わなかった。決定的な僕自身の何かが欠落しているような感じがした。
「驚くのも無理ないわ...つづけていいよね...?Kくん、昨日、わたしのところに来たの。あなたのところにも行ったって、彼から聞いたわ。わたしはもう話せる事はないって言ったのだけれど、彼はとにかくもう一度、と言って聞かなかった。何日かぶりにあった彼はひどく疲れた様子だったわ。夢にうなされて、何日も寝てないって言っていたわね。しばらくすると、突然苦しみ出したの。声も出せないほどの苦しみだった。すぐ救急車を呼んだけれど...間に合わなかった...お医者様の話では、心臓か、他の臓器不全か、原因がはっきりとしないようなことを仰られていたわ。彼、家族がもうみんな亡くなってしまっていて、身寄りがないの。だから、わたしが葬儀をしてあげることにしたんだけれど、あなたもどう?AくんとSさんにも声はかけたから、来ると思うわ。」
Mさんにどんな返事をしたのか、あまり覚えていない。相当生返事だったと思うが、メールで住所や連絡先が飛んできた。そんなに遠くないところだった。
それにしても、Kくんは病死だったのか...あの不快な通話は、溺れていたのは誰だったんだろうか。それに、今朝見たKくんは...ぼくの幻覚だったんだろうか...ぼくも疲れていたんだろうか...友人の力になることができなかった罪悪感と疲労で、彼の幻影を見た...あり得ない話では無かったが、自分に異常があるとは思いたくは無かった。
今日はちょうど休みの日だったから、更に何日か仕事の休みを貰うことにして、旅行の準備を始めた。まあカバンに詰めるものほ着替えくらいなものだが。乱雑に服を詰めながら、ぼくは不意に思い出した"あの日"について考えを巡らせていた。
Mさんの声を聞いて、ぼくは"あの日"の記憶を思い出した。いつかもどこかもわからないが、とにかく古い記憶で、Mさんとぼくは一緒に居たのだ。たいして仲が良かったわけではないと思うのだが...この"あの日"はKくんが言っていた15年前の"その日"なんだろうか?それだけでも、せめて確かめたい、いや、確かめる必要があると思った。
Kくんは、"あの日" "5人" "裏山の神社" "悪い事" "黒い鳥居" "女の子"と言っていた。Kくんが去り際にこぼした、順番に呼ばれているという言葉も不気味だった。確証はまだ無いが、"あの日"と”女の子”は繋がった気がしていた。Kくんが死んだことも、記憶のことも、やたらと思い浮かぶ少女のことも、何もかも気がかりだった。
家の前に出来上がった池のように大きな水たまりをなんとか避けながら車に荷物を載せて、エンジンをかけた。いつのまにか雨は止んでいたが、まだ分厚い雨雲が居座り続けていて、空は黯いままだった。
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