死が永遠に分かつ彼らの記憶

 Kくんの葬儀会場近くのホテルに着いたのは夜も更けてからだった。安くて部屋が古いホテルだが、従業員の対応が良いホテルだった。古臭い型のエアコンが、起動すると時折ガリガリッと音がするのが不快だが、値段が良心的だし、まあ良しとしよう。

 ベッドに身体を放り出して天井を見つめながら、明日の葬儀で3人と何を話そうか考える。やはり、みんなの記憶についてだろうか、いや、もしくは、Kくんが何を話していたか、だな。思えばぼくはKくん自身の話はほとんど聞いていない。だが、ぼくより前に話した3人、特に最初に話した人...それは、Aくんだろうか...にはKくん自身の記憶は覚えている限り詳細にはなしたはずだ。まずはそれを確認しよう。そこには何かあるはずだ。それと、あの少女のこと・・・あの少女のことが何かある気がする。それを思い出せばすべてが繋がるような気がした。


 翌日葬儀場へ行くと、Mさんが既に会場にいた。Mさんは見ため、もちろん大人の女性として成長しているけれど、15年前の面影を残して、まるで当時のままだと感じるようだった。いや、15年前よりもずっと綺麗になったと思う。ふと脳裏にまた記憶の景色が浮かんできた。Mさんとぼくは池の畔に立っていた。少女が1人、池の真ん中に立っていたと思う。昨日から思い浮かべているあの少女だ。あの少女、誰なんだ...。

 挨拶もそこそこに祭壇に近寄ると、大きな棺が確かに置かれていた。顔があるはずの位置に小扉が付いていたが、小扉は閉まったままだった。


「Kくんの顔は、見れないのかい?」


 Mさんに聞くと、Mさんはぼくから少し目を逸らしながら口を開いた。


「うん...あんまり見ない方がいいと思うわ...」


 そう言われると却って気にかかる。Mさんは見たのだろうし、なんとなく不公平な気分にもなる。


「ぼくも前日にKくんと会ってるんだ。正直まだ信じられない気でいる。幸いまだ皆さんきていないようだし、是非見せてくれないか。いや、見る権利があるはずだ。」


 もっともらしく理屈を並べ立てると、Mさんも、後悔しないなら、と小扉を開けてくれた。ぼくは多少の好奇心を持って扉の中を覗き込んだ。


「ひゅっ」


 息を呑んだ音が自分の喉から聞こえた気が...いや、はっきりと聞こえた。


「その...死化粧はしていただいたんだけれど、どうしてもこれ以上は無理だったらしいの...普通はこうはならないらしいんだけど...せめて、最後くらいはみんなで穏やかに、と思って、扉は閉めてもらったのよ...」


 Kくんの死顔は苦悶に満ちた表情だった。死化粧はされていても誤魔化しようの無い苦痛の表情。それ以上に適切に言い表せらる言葉が無いと感じた。こんな事あるのだろうか。今にもKくんの叫び声が聞こえてくるようだ...。なにか、さぞかし、悔しかったんだろう...何かやり残したことが、よほどの後悔と苦しみの中、彼は亡くなったのだと感じた。


「彼、言ってたわ...神社を探さなきゃ...って。黒い鳥居...山の中...って。わたしも居たはずって聞いたけど、覚えてないのよね...あなたは?どう?」


 どう答えようか...正直なところ、確かなことは今のところ何も無い。


「いや...特に覚えは...Kくんは他に何か話して無かったかい?ぼくにはほとんど彼自身の話はしてくれなかったんだ。」


 Mさんは腕を組んで少し考え込んでから、何か気付いたような表情をした。肩より長い美しい黒髪が、ほんの少し靡いて、女性らしい良い香りが漂ってきた。


「そうね...Kくんは、神社の中で箱を見たと言っていたわ。木箱。黒くて、薄汚れていて、ベタベタした何かが付いていたらしいわね。その後みんなを呼んだとかなんとか...かなり捲し立てられたから、断片的にしか覚えていないけれど、あとは...黒い池をみんなで見たって...それと...学校のすぐ裏にある山って言ってたわ。でも、確かめたけれど、わたしたちの母校の裏って、昔から田んぼばかりで、山なんか無かったのよねえ...」


 やはりそうだ。Kくんはぼくより前に会った人の方に詳しく話をしている...彼らに話を聞けば、もっとKくんの知っていることがはっきりするはずだ。


「Mさん、他の2人は今日来るのかい?彼らにも是非話を聞きたいんだ。なにせ、Kくんと最後にあったのは僕らだけだからね。」


「Sさんは来ると思うわ。近所だし...ただ、Sさんはわたしと一緒にKくんと会ったから、あまり話す内容は変わらないと思うわ。Aくんは...実は断られてしまったの...AくんにKくんのこと、連絡したら、彼、"そうか、そういうことだったのか"と言って、"俺はいかなくちゃならないところがあるから"って電話切られちゃったのよね。それから全然連絡つかなくって...だから、わたし、心細くて、君がちゃんと来てくれて嬉しかったわ!」


 Mさんは屈託のない笑みを浮かべた。純粋にかわいらしいと思った。



 時間になっても、AくんはおろかSさんも来なかった。連絡も付かず、仕方なくたった2人の参列者で葬儀を進めた。焼き場では装置が故障して、なかなか火葬が進まなかったのが、Kくんが"殺さないでくれ"と言っているようで不気味だった。

 MさんはやはりSさんが来なかったことに怯えているようだった。今日のところは帰って休もう、明日またお茶でもしようと言うと、彼女は嬉しそうだった。そういえば、ぼくは昔Mさんのことが好きだった気がする。MさんはKくんが、SさんはAくんが好きだった。ぼくはKくんのことも大事な親友だったから、Mさんへの気持ちは隠していたけれど、Kくんはなんとなくぼくの気持ちを知っていてMさんに遠慮ばかりしていた気がする。

 そうだ...ぼくらはこんなにも、青春を共にしていたのに、どうして急に疎遠になったんだろう。もう10年ほども連絡を取り合っていなかった。ぼくは終に、Mさんに告白できなかったのか...記憶が曖昧な気がした。


「難しい顔、してるね。でも、さっきの言葉、嬉しかった。あの時のこと、まだ覚えててくれたんだね!」


 あの時...なんだろうか...特別なことでもあったのか...?


「あ、ああ...忘れるわけないよ...」


 記憶が曖昧なので適当な返事しかできない。彼女は真剣なのに、ぼくは卑怯なやつだと後ろめたさを感じた。


「ふふっ、学校で、放課後、告白してくれたこと。嬉しかったあ。ずっと、君を守るからって。わたしの大切な記憶。でも、何故か、わたしたち、疎遠になっちゃったね。Kくんも応援してくれて、AくんとSさんも仲良しで、すっごく楽しかったのにな...いつからか言葉を交わさなくなって...目も合わせづらくなって...なんでかなあ?」


 Mさんは悲しそうな顔で思い出に浸っている。Mさんは昔と変わらない、ぼくの好きな彼女のままだった。ぼくは適当に彼女を慰めて、斎場を後にした。

 ホテルに帰ると、ぼくの頭の中は、Mさんの思い出でいっぱいになった。彼女に告白した大切な思い出。なぜ、ぼくは忘れてしまっているのだろう。かわいらしいMさん。ぼくの告白は成功した。人生最大の成功をなぜ手放したのか。しかもMさんは未だにぼくに好意を寄せてくれている。こんな思い出を忘れるはずがない。それを忘れているということが、まるでぼくら5人が何かに呪われているという事実を指し示しているかのようで、その呪いがKくんを殺したのかと思うと、不気味に思えて仕方がなかった。


 気が付くと、時間が飛んだような気がした。いろんなことが重なって疲れていたのか、いつのまにか、眠ってしまっていたようだ。部屋の時計を見ると、深夜の2時だった。随分変な時間に目覚めてしまったな...古いエアコンがつけっぱなしだったせいか、なんとなく肌寒い。ぼくは起き上がってエアコンをオフにした。


ガリガリガリッ ガリガリッ


 またあの音だ。エアコンは黒い汚れみたいなものをぶわっと吹き出しながら止まった。やはり安いホテルはそれなりかと思った。寒さが響いてトイレに行ってから、ベッドに横になる。周りに何も無いから、窓の外には深い暗闇が広がっていて遠くの街の電灯が、キラキラと輝いている。部屋の中は静かで、空気がわずかに振動する音だけが、キーンとか、ツーーとかいう音となって、ぼくの耳に聞こえてくる。それ以外には、ぼくの思考だけが、脳内でぼくの声となって響いているだけ...


ガリガリガリッ ガリガリッ


 ...エアコンが完全に止まっていなかったのかな。エアコン本体を見ると、もう完全に止まっているようだ。気のせい...ってことはないよな...。


ガリガリガリッ ガリガリッ


 この音はなんだ。どこから聞こえてくる?


ガリガリガリッ ガリガリッ


 不快な音だ...エアコンが付いている壁の..."中"か...?


ガリガリッ ごぽっ...


 恐る恐る、耳を壁に付ける...。かりかりっという音と、こぽこぽと水音が響いている...なんだ...

 よく聞こえないが、うっすら息遣いのようなものも...聞こえるような...

 ひとり...じゃ...ない...


 ふたり...か...


 壁の中の音に、澄ませた耳に、集中していく。視界が狭くなり、意識が壁の中へ、少しずつ入り込んでいく。その時だった。





「殺されるぞ」   「あなたも殺される」

    「お前も溺れ死ぬ」

           「全員死ぬ」

  「あの日の呪いだ」   「思い出せ」

             「約束を守らなければ」

    「必ず戻ると言った」




 心臓が止まったかと思うほど強く動悸した。驚き壁から勢い良く離れた時、足が縺れてすっ転んだ。どたんがたんとぶざまに床に倒れ、壁を見つめる。ばくんばくんと心臓が飛び跳ねている。男と...女の声だった...壁の中...莫迦な...。はっきりと...聞こえたが...。そうだ...必ず戻る...誰かにそう言った気がした。それは誰だったか...15年前の”あの日”誰かに良くないことが起こった...その時ぼくは、その子に何か声をかけたんだ...それがその言葉だった気がする...その後、僕はどうしたんだったか...。

 部屋には静寂が戻り、また、空気の震える音だけが、ツーーとか、キーンとか、聞こえてくるだけだ。夏の暑さと湿度が、部屋の中にも戻ってくる。じわっと、額に汗が滲んでいることに気が付いたが、エアコンをもう一度付ける勇気は無かった。


 部屋の中に居たくなくて、夜通し車の中でカーテレビを見ながら眠らずに居た。外は暗くて、暗闇が蠢いて、その暗がりと恐怖が、ぼくの身体中を這いずり周り、食い散らかしていった。テレビの音声と車のエンジン音だけが、ぼくを辛うじて現世につなぎ止めてくれているような気がした。

 朝日が登る頃、テレビから軽快な音楽が流れて、不眠症の頭を叩いてきた。ニュース報道が流れて、今日という1日の始まりを告げてくる。ぼくにとってはもう何時間も、昨日という1日が続いているのだが。


「今朝未明、男女2名の遺体が発見されました。警察は事故と自殺の両面から捜査を進めています。亡くなったのは、〇〇町に住むAさんと、その交際相手のSさんの2名で、ふたりは昨日一緒に〇〇町の喫茶店にいるところを目撃...」


 一瞬にして背筋が凍った。瞬きも忘れて画面を見つめていたが、アナウンサーの声はもうぼくには届いていなかった。ふたりはもう死んでいた...なら、昨日の声の主は、もしかして、ふたりだったのか...?Aくんは何に気付いたんだ...何かに気が付いたAくんはどこかへ向かった...付き合っていたSさんは彼の様子がおかしいことに気が付き、約束を反故にしてまで彼を追いかけた...一体その後何があったのか...

 いろいろなことが起こりすぎ、そして寝不足だった。血の気が一気に引いていく感じがして、座席を倒す。目眩を感じながら眠りに落ちた。目を閉じる直前、車の窓からKくんたち3人がぼくを覗き見ているように見えた。あれは現実か、幻覚、どちらだったろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る