第155話 VSイフリート

 無名の騎士ネームレス・ナイト、オークジェネラル、纏雷獣てんらいじゅう、柳、ハイオーガ。

 俺はこれまで数々の強敵と戦い、その全てに打ち勝ってきた。

 中には倍以上のレベル差があった敵だっている。

 それでも無名剣や魔奪剣、ダンジョン内転移といった俺にしかない強力な武器と、これまでに培ってきた経験を駆使することによって、苦難を乗り越えてきた。


 だけどそれは、全て薄氷の上に成り立っていた奇跡なのかもしれない。

 レベル差は2.5倍。

 相性は最悪。

 力のない者たちを守りながら戦う必要がある。

 最悪の条件が揃ったこの状況において。



 ――俺は、どうしようもなく無力だった。



 ◇◆◇



 イフリートが発する魔力に当てられただけで、一般人は全員気絶した。

 この敵があまりにも規格外な存在であるということがよく分かる。


 ここで一つ、俺は大きな決断をした。

 そしてアイテムボックスから、とあるマジックアイテムを取り出す。



 ――――――――――――――


硬化薬こうかやく

 ・60秒間、体の強度を高めてダメージを30%軽減する。

 ・クールタイム:10分間。


 ――――――――――――――



「八神さん、これを冒険者全員に配ってください」

「っ、これは硬化薬か? それも人数分。この前のダンジョンでは一つしか与えられなかったはずだ。なのにどうしてこんな数を……」


 途中で八神さんは言葉を止める。

 俺が隠していた秘密に、だいたいの察しはついたのだろう。

 だとするなら話は早い。


「それから結界をお願いします。一般の方々が戦いに巻き込まれないように」

「……止むを得んな。松本、三坂、今の通りだ。お前たちは防衛に徹してくれ」

「うっす」

「はい」


 頷き、散っていく魔法使いの二人。

 結界を張ったところで、イフリートの攻撃には耐えきれないことは分かっている。

 ただ、このまま放っておけば、高密度の魔力に当てられただけで全員が死んでしまう。


 俺はもう一方に視線を向ける。


「華たちもそっちに合流してくれ。これは三人が入れる戦いじゃない」

「……うん、わかった」

「正直、まだ何がどうなっているのか理解しきれていませんが……凛先輩がそう言うのなら信じます」

「………………」


 華と由衣はすぐに頷き、結界の中に入りに行く。

 零だけが少しの間、苦痛に耐えるような表情を浮かべた後、遅れて二人を追っていった。


 ついさっき彼女の気持ちを聞いたばかりで申し訳ない気持ちはあるが、それでも戦いに参加させるわけにはいかない。


 様々な能力を秘めた剣を作り出すことのできる魔法剣。

 ありとあらゆるスキルをコピーできる技能模倣ストック

 回復魔法や強化魔法に対する高い適性。


 三人には卓越した才能があるが、だからといって現時点でイフリートと渡り合えるはずがない。

 八神さんたちはおろか、俺ですら体が震えるほどだ。

 俺一人なら、今すぐ撤退を決意していただろう。


 そんな強敵を、俺たちは今から倒さなければならないのだ。


 そして、とうとうイフリートは動き始める。

 ギロリと。燃え盛る火炎の中にある、金色に輝く二つの目が俺を見据えた。


「一番レベルが高い奴を標的にしているのか? ありがたい――纏壁てんへき



 ――――――――――――――


 纏  壁LV5:MPを消費することにより、対象者を包み込むような魔力の壁を生み出す(強度、持続時間はスキルレベルにより変動)。

 クールタイム:60秒


 ――――――――――――――



 俺は纏壁を使用した後、イフリートの周囲を回るようにして駆け出した。

 ここから少しでも離れたら、彼らを戦いに巻き込まずに済む。


『グルォォォオオオオオオオオオオ!』


 俺の動きを見たイフリートは、その巨体に見合わない動きで腕を振るう。

 ゴウッと。大気を押し潰すような轟音を鳴らしながら、火炎の大槌が眼前に迫った。


「――――ッ!」


 速度を上げることによって、回避には成功。

 一メートルほど離れた地点にイフリートの拳が振り下ろされる。

 そして、視界が一瞬で深紅に染まった。


「なッ!?」


 大爆発。

 そんな表現が生温く思えるほどの、圧倒的な衝撃だった。

 軽々と放たれた一撃によって地面には巨大なクレーターが生じ、火炎が周囲に拡散する。

 尋常ならざる熱量を誇る火炎は草花を燃やし尽くし、池の水を蒸発させた。

 これだけ離れ、さらには纏壁を使用しているにもかかわらず、圧倒的な熱量を感じ汗が流れてくる。


 これはまずい。

 一撃でも喰らえば、俺の矮小な体はひとたまりもなく砕け散るだろう。

 いや、骨の髄まで燃やし尽くされると言った方が正しいかもしれない。


 ならばどうする?

 どうすればこの強敵に勝てる?

 考えろ。考えるのを止めた瞬間、力の劣る俺たちは敗北が確定する。


 打開しようのない状況に心が折れそうになる中、ふと俺は気付いた。

 炎が周囲に拡散した後、イフリートの腕が露出しているのが見えたのだ。

 全身が炎で構成されているのかと思っていたが、どうやら生身があるらしい。

 生身があるのなら、物理攻撃が効く。

 活路はまだ残されている。



「だけど、まだ足りない。問題はどうやってあの炎の壁を突破するかだ」



 サラマンダーと戦った時のように、体を覆う炎そのものを魔奪剣で奪うのはまず無理だ。

 俺の残存MP量でどうにかなるとは思えない。

 いや、全快だったとしても難しいだろう。


 ならば、振り下ろされた腕から炎が消えた瞬間に攻撃を仕掛ける?

 腕を攻撃したところで致命傷にはならないが……それくらいしか、今できることはない。


『グラァァァ!』

「いまッ!」


 再度腕を振り下ろしてきたタイミングで、攻撃を仕掛ける。

 無名剣の白銀の刃が、イフリートの硬質な肌を切り裂いた。

 かなり硬いが……刃が通らないという程ではない。

 これならダメージは通る。しかし致命傷にはならない。

 

「天音! 上だ!」

「――瞬間転移タイム・ゼロ


 八神さんの呼びかけによって上からもう一本の腕が迫っていることに気付いた俺は、瞬間転移でその場から離脱する。

 連続攻撃か。どうやらイフリートも、ちょこまかと動き回る俺にイラついているようだ。

 瞬間転移の特性上、回避はお手の物。そう簡単にやられるつもりはない。



 その後、しばらく膠着状態が続いた。

 イフリートは俺に狙いを定めて二本の腕を振るい、時には炎の塊を放ってくる。

 俺は瞬間転移でそれらの攻撃を躱し、攻撃を加えていく。

 その時々で八神さんたちが魔法を使いイフリートの気を引いてくれるので、かなりやりやすかった。

 とはいえ向こうに矛先を向けさせるわけにはいかないため、その辺りのヘイト管理は大変だったが。


 そんな一進一退の攻防を繰り広げながら、俺はイフリートの一挙手一投足に注目していた。

 奴の体のどこに魔石が埋め込まれているのかを考えていたのだ。

 魔物である以上、必ず魔石を持っている。地道にダメージを与えるより、直接魔石を破壊してしまった方が早いのではないかと考えたのだ。


 魔石は体の内側にあることも関係し、普通ならば魔石が破壊されたときには魔物も死んでいるため、この策は使えない。

 だけど今に限っては条件が違う。

 俺の持つ力と、イフリートが10メートルを超える巨体であることを考慮すれば、打てる手が一つだけ残されている。


 どのタイミングでその手を使うべきか探っていた、次の瞬間だった。



『ゴォォォオオオオオオオオオオ!!!』

「――――これは!」



 イフリートは突如として天を仰ぎ咆哮する。

 大気に激震が走り、威圧感に押し潰されそうになる。

 それだけでも厄介な行動だったが、本当の脅威はここからだった。


 イフリートの炎の一部が、奴の頭上に集い大きな塊と化す。

 それはさながら太陽のようで。

 もともと上空に浮かんでいた満月を掻き消すようにして、そこに姿を現した。

 眩い光が、ボス部屋全体に注がれる。


 とはいえ、当然それは俺たちに温かい光を届けてくれるためのものではない。

 太陽は数十の塊にへと分裂し、神の鉄槌のようにして降り注いだ。


「冗談だろ!?」


 その一つ一つに、驚くほどの魔力が込められていた。

 絶望の炎塊えんかいが容赦なく俺たちに襲い掛かってくる。


 ああ、くそっ、そうか。

 コイツはまだ、これっぽっちも本気を出していなかった。

 自分よりも圧倒的に劣る者たちを片手間に殺すつもりが、思っていた以上に食い下がってきたため、面倒になって一気に殲滅できる攻撃手段を選んだのだ。


 頭上に浮かぶ数十の塊のうち、八割近くが俺のもとに降り注ぐ。

 俺は一つ一つの動きを見極め、必死に回避していく。

 直撃こそ避けたものの、圧倒的な熱量の炎塊が、俺の周囲を火の海に変えた。


「ッ、向こうは!」


 反対側に視線を向ける。

 するとそこには、最初の数発こそタンクを中心に食い止めたもの、大きなダメージを負い地面に横たわる皆の姿があった。

 そんな彼らのもとに、最後に一つだけ残された一際大きな炎塊が迫る。


「させるかぁぁぁあああああ!」


 瞬間転移を連続で使用し、一瞬で彼らのもとに移動する。

 俺はそのまま左手に魔奪剣を召喚し、その炎塊を迎え撃った。


「――喰らえ!」


 ごっそりと。

 30000近いMPが奪われる。

 それでも、かろうじて炎塊を奪うことに成功した。


「大丈夫か!?」

「あ、ああ。助かった!」


 両膝を地に付けながら、八神さんが苦しそうな声でそう答える。

 その光景を見て、俺は覚悟を決めた。


「――限界を、超えろ」


 かつての纏雷獣戦での発言を思い出し、自分自身を奮い立たせる。

 ここが正念場だと判断した俺は硬化薬を飲む。

 その後、イフリートのすぐ手前まで迫り、小さく口を開いた。


「瞬間転移」


 刹那、視界が黒に染まる。

 イフリートの内部に侵入した証拠だ。

 結局、どこに魔石があるのかは分からないまま。

 それでもこれ以上時間をかけてはいられない。

 魔石は破壊できずとも、内部から大ダメージを与え――


「ご、ほっ」


 ――むせた。

 なぜ?

 煙が気管に入ったから。

 圧倒的な熱量を感じたから。

 纏壁にヒビが入っていたから。

 イフリートの内部にもまた、地獄の業火が満ちていたから。


「――――!?!?!?」


 驚愕すると同時に、瞬間転移を発動する。

 それは理性を超えた本能的行動だった。

 空中に放り出された俺は遅れて理解する。

 ――今の決断が一瞬でも遅れていたら、俺は死んでいたと。


 なんとか空中で態勢を整え、片膝をつくように着地する。

 イフリートと視線があった。

 イフリートの右側には華たちがいるが、奴は俺にしか興味がないようだった。

 自分の体内に侵入した愚行を決して許しはしないと、そう言っているように思えた。



「それは、こっちだって同じだ」



 自分で自分の胸を殴り、ヒビの入った纏壁を破壊する。

 そして前回の発動から60秒以上が経過しているため、再び発動した。

 これで再び、傷一つない透明な壁に俺は守られる。


 最も有効だと思われた策は無駄に終わった。

 なら、もう、俺に残された選択肢は一つしかない。


 駆けろ、全力で。

 誰よりも速く。

 纏壁が俺の体を守ってくれている間に。

 イフリートの炎が俺を燃やし尽くすより先に、奴の体を貫け!


「うおぉぉぉおおおおおおおおおお!」


 俺は駆けた。

 搦め手もなしに、まっすぐと。

 全速力でイフリートに向かった。


『ヴゴォォォオオオオオ!』


 そんな俺に向かって、イフリートは炎塊を放つ。

 その時にはもう、俺は急に方向を変えられないほどの速度を出していた。

 それで構わない。なぜなら――――!


 加速、転移、透過。

 俺の全てを使った全身全霊の一撃――透過インビジブル斬撃・スラッシュ


 炎塊をすり抜けた俺は、そのまま転移の連続使用によって宙を駆け――


「喰らえぇぇぇええええええええええ!」


 ――右手に握る無名剣を、全力で振り切った。

 炎の中で白銀の刃が閃き、イフリートの胸を深々と切り裂く。

 手応えあり。俺はそう確信した。


「――――え?」


 だからこそ、理解できなかった。

 俺の左側面を叩く何かがあった。

 纏壁は一瞬で破壊され、熱量を持った一撃が俺の全身を叩く。

 そして、俺は矮小な体は勢いよく弾き飛ばされた。


 ドンッ、と。背中から何かにぶつかる。

 恐らくは壁だろう。

 血を流しながら、地面に落ちた。

 視界の端に移るHPが一割を切っていた。


 かすむ視界の中、俺は顔を上げて見た。

 イフリートが右腕を振り切った姿を。

 ああ、そうか。俺は殴られたのか。

 それで、弾き飛ばされたのだ。


「ごほっ」


 口から血反吐が噴き出す。

 だが、まだ終わっていない。

 イフリートをよく見てみると、切り裂かれた胸元を左手で押さえるような行動を取っていた。

 そうだ。ダメージは確かに通っているんだ。

 あと一撃。あと一撃だけでも同じものを浴びせることができたら、奴を倒せる可能性は十分にある!


「凛!」

「お兄ちゃん!」

「凛先輩!」


 傷だらけの体を気力だけで起き上がらせ前に出ると、後ろから華たちの呼び声が聞こえた。

 それでも、立ち止まることはできない。

 いま俺が止まったら、いったい誰がアイツの相手をしてくれるんだ。


「くっ!」


 一歩進むたびに激痛が走り、その場に倒れそうになる。

 そうこうしているうちにも、イフリートは既に次の準備を終えていた。


『ゴォォォオオオオオオオオオオ!!!』

「…………くそっ、たれ」


 再びの咆哮。

 頭上に浮かぶ巨大な太陽。

 先ほどよりもさらに大きい。

 その全てが、余すことなく俺たちに降り注ごうとしていた。



 あれが放たれれば、ここにいる全員が死ぬ。

 ――いや、正確には俺以外は、か。

 俺だけなら今すぐ瞬間転移を使ってボス部屋から逃げれば、生き残ることができるかもしれない。

 もっと言うと、イフリートに勝つための算段は、既に頭の中に浮かび上がっていた。

 もっとも、それはここにいるのが俺一人だけだったらの話。

 全力で回避に徹し時間を稼ぎ、纏壁の再発動ができるようになったら、同じ方法で攻撃してやればいい。

 今度は不意打ちも喰らわない自信がある。

 厳しい戦いになるが、勝てる可能性は十分にあるはずだ。



 だけど、それじゃ意味がないんだ。

 だって、ここには華たちがいるから。

 大切な人たちがいるから。

 


 ――ああ。俺は、なんて無力なんだ。



 俺は何のために強さを求めたんだ。

 ここで大切な人たちを守れないなら、何の意味もないだろう!


 俺はイフリートの金色の双眸を睨みつけた。


「聞け、イフリート。全て、俺を狙え」


 そして、駆けだす。

 ここにいると、華たちまで巻き込んでしまうから。


 今は纏壁を使用していない。

 この身を守ってくれるものは何もない。

 それでも振るえる刃はある!

 たとえ炎でこの体が燃え尽きようが、奴の命だけはもらっていく!



「――待って!」



 それが誰の声だったのかさえ、もう分からない。

 俺はただ愚直に、イフリートへと向かって行った。


 HPが一割を切ったからだろう。

 起死回生のスキルが発動し、速度がさらに上昇する。

 限界を超えた、さらにその先へ俺は挑む。

 そして――――






 何かが壊れる音がした。






「――――氷葬剣カースド

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