第139話 糧
突如として眼前に現れたハイオーガに対し、八神は小さく舌打ちした。
ボス部屋はダンジョンの最下層にしか存在しない。それはダンジョンにおける常識だ。
だからこそ八神たちは何度も索敵を使用し、まだダンジョンが下に続いていることを確認しながら進んできた。
だというのに、これは何だ?
なぜこんな中層にボス部屋が存在する?
しかも、現れたのが通常のボスより遥かに強力なエクストラボスだというおまけつきで。
誰かに答えてもらわなくても、本当はもう分かっている。
先ほどの
そして、レベル40000という遥か格上の魔物と戦う羽目になったという訳だ。
(俺たちだけで、コイツを倒せるか?)
この中で最もレベルが高い自分でも、まだ26000には届かない。
その差は歴然。この場にいる皆の力を借りても、勝つことは難しいだろう。
それでも、ここから生き残るためには、戦わないという選択肢は存在しなかった。
「リーダー!」
指示を求めてこちらを見る仲間たちに向けて、八神は告げる。
「応戦する、陣形を整えろ! 前衛はダメージを与えるのではなく、敵の気を引くことに徹しろ! 俺以外の魔法使いはその援護に回れ! トドメは俺が与える! ヒーラーは全員に強化魔法を!」
「「「はい!」」」
全員が頷き、各々の役目を果たすべくハイオーガに向き合う。
そんな中、八神はふと後ろにいる凛の存在を思い出した。
(先ほどの動きを考えるなら、天音も戦力になる可能性はあるが……いや、ダメだ)
しかし、途中で首を振る。
さすがに40000レベルの魔物と渡り合う実力があるとはとても思えないし、何より彼は短剣を扱う接近戦タイプ。
前衛の連携は難易度が高く、一つのミスが命取りになる。
初めてパーティーを組んだ者たちが上手く協力し合うのは困難だろう。
この極限状態で、彼のような不確定要素に頼るべきではないと八神は判断した。
そんなことを考えているうちにも、徐々に戦場は熱を帯び始める。
タンクはMP消費には一切気を回さず、全てのスキルを使って全力で防衛に徹する。
そうでもしなければ、ハイオーガが振るう大剣を一撃とて耐えきることができないのだ。
そして剣士と槍使いの2人は、隙を見てハイオーガの足首に斬りかかる。
タンクに向けられる圧力を緩和しつつ、動きを制限しようとする考えからだ。
しかし――
キィンッ!
「なっ、刃が通らないだと!?」
「くそっ、こいつ、硬さが普通じゃないぞ!」
甲高い音とともに、ハイオーガの硬質な皮膚によって2人の刃は易々と弾かれた。
レベルが倍近くあるとはいえ、通常ならそんなことは考えられない。
数瞬の思考の末に、八神はその答えに辿り着いた。
「――硬化か!」
スキル硬化。その名の通り体の強度を上げるスキルであり、本来ならタンクを中心とした前衛職が獲得するものだ。
恐らくこのハイオーガは、その力を特性として有している。
これが上位魔物の厄介なところだ。
魔物はレベルが上がれば上がるほど、厄介な特性を持ったものが多くなる。体を溶かす酸を吐く蛇、炎を纏ったトカゲ、地響きを鳴らし続ける亀――そして、体の強度を上げる巨大な鬼。
防御力に特化したこの怪物を倒すのは難しい。
だが、だからといって諦めるわけにはいかない!
八神は逐一戦況を確認しながら、詠唱を続けていく。
前衛の攻撃はハイオーガの皮膚によって弾かれたが、それでも浅い傷を与えることはできていた。
どれだけ強固な体であったとしても、無敵という訳ではない。
全力の一撃ならば、あの怪物を倒すことも十分可能なはずだ。
それから数十秒後、とうとうその瞬間が訪れる。
「リーダー、今です!」
時間を稼ぎ終え、ハイオーガから距離を置いた前衛が八神に向かってそう告げる。
それを見届けた八神は、体の内側にある魔力を絞り出すようにして叫んだ。
「プロミネンス・バーストォォォ!」
炎属性の最上級魔法、プロミネンス・バースト。
渦巻くようにして放たれた炎の奔流は、いかなる鉄壁をも貫くほどの貫通力を誇り、敵の内部に侵入した瞬間、大規模な爆発を引き起こす。
そうすることによって、敵の体を内側から粉砕し焼き尽くしてしまうのだ。
これこそが、今の八神が持つ最大火力の一撃。
ハイオーガの皮膚すら貫けると確信して放った魔法だった。
「グゥゥゥゥゥ!?」
ハイオーガが自身に迫る魔法に気付くが、もはや手遅れ。
回避は間に合わず、炎の奔流はハイオーガの胸元に直撃し、その衝撃によって部屋いっぱいに砂塵が舞った。
ここにいる誰もが、勝利を確信する。
しかし――。
「うそ……だろ」
数秒後、砂塵の中から姿を現したのは、未だ健在なハイオーガの姿だった。
その光景を前に、八神は大きな衝撃を受けた。
(プロミネンス・バーストが当たらなかった? いや、わずかだが火傷の痕がある。直撃はしていたはずだ! なのになぜ、この程度しかダメージを与えられていない!?)
動揺すると同時に、冷静な頭が分析を続ける。
ハイオーガの全身を観察するうちに、八神はとあることに気付いた。
(なんだ? 魔法を喰らったところだけ赤みが増している。火傷のせいではなく、皮膚自体が濃くなっているようだ。その反面、それ以外の部分は少し薄くなっている気が――ッ!)
「まさかッ!」
思考の末、八神は一つの答えに辿り着く。
「部位によって、硬化の強度を変えられるのか!?」
その考えが正しければ、プロミネンス・バーストが防がれたのにも納得がいく。
全身に張り巡らせていた硬化の力を一点に集めたならば、強度は数倍に跳ね上がっていたことだろう。
冒険者が使用する硬化スキルでは再現不可能な、魔物であるハイオーガだけに許された能力。
それによって、八神たちの渾身の一撃は無効化されたのだ。
八神たちにとって望まざる事態は、さらに続く。
道中に現れた魔物たちのように、ハイオーガも再生能力を有しているようで、瞬く間のうちに火傷の痕が消えていったのだ。
(くそっ、なんて厄介な敵だ! 自由自在に硬化を操る力に、多少の傷なら一瞬で治ってしまうほどの再生能力! コイツを倒すには、硬化の操作が間に合わないほどの速度で最大火力をお見舞いするしかない!)
その作戦を実現するためには何をどうするべきか、それはまだ分からない。
ただ、今すぐ動き出さなければ蹂躙されるのみ。
それだけは分かった。
「皆、もう一度時間を稼いでく――」
「ヴルァァァァァアアアアアアアアアア!」
八神の言葉が最後まで紡がれることはなかった。
ハイオーガによる全力の咆哮が、八神の声を掻き消し、大気を圧迫するようにして八神たちに襲い掛かったからだ。
混乱、絶望、恐怖。
自分たちに迫ったかつてない死の危機。
ここにいる誰もが、人間としての根源的な感情を思い出した。
かろうじて、その威圧に堪え切れたのは八神のみ。
焦燥の表情で、呆然と立ち尽くす仲間たちに向かって叫ぶ。
「何をしている、動け! 早くハイオーガから離れるんだ!」
だが、意識がハイオーガに縛り付けられている彼らに、八神の声は届かない。
ハイオーガは巨大な口の端をニッと上げると、大剣を高らかに振り上げる。
そしてこの場にいる全員を――否、部屋そのものを破壊するほどの勢いで振り下ろした。
ゴウッと、大気が断ち切られる音が響く。
振り下ろされる先にいるのは、死の危険と隣り合わせになりながらも、必死に時間を稼いでくれた前衛の皆。
彼らに迫った危機を前にして、八神はただ手を伸ばすことしかできなかった。
そしてその直後、八神は目撃する。
誰もが立ち尽くすことしかできないなか、八神の横を颯爽と駆け抜けていく、一人の青年の姿を。
(な――ッ!?)
その青年――天音 凛は、白銀の長剣を手に、ハイオーガに向かっていく。
八神は咄嗟に声を上げる。
「待て、天音! 無謀だ!」
なぜ、この状況で彼だけが動けるのかは分からない。
だけど、40000レベルの魔物と戦うには、その体はあまりにも小さく――。
無情にも、その矮小な体にハイオーガの大剣は振り下ろされた。
*
数十秒前。
後方から八神たちとハイオーガの戦闘を眺めながら、凛は思考の海に沈んでいた。
ハイオーガのレベルは40000。
現在の凛のレベルは17000と少しであり、軽く2倍以上に該当する。
凛は直感的に、この敵がこれまで戦ってきた魔物たちの中で、最も強力であると理解していた。
レベル差だけならば、かつて戦った纏雷獣が最も大きい。
だけど改めて思い返してみると、あの時は道中のクエスト報酬で
凛が纏雷獣に打ち勝つための術を、システム音が用意してくれていたのだ(それでもギリギリの勝利だったが)。
だが、今回は違う。
今、凛たちの目の前にいるハイオーガはイレギュラーによって現れた敵であり、明確に凛たちを殺すためだけに存在している。
アレと戦うために全力を出せば、凛の実力は今度こそバレてしまうだろう。
そもそも全力を尽くしたからといって、必ずしも勝てる保証はない。
ならば、歴戦の猛者である八神たちに討伐を任せる方が、きっと得策で。
その考えのもと、凛は戦いの行く末を見守ることにした。
しかし、結果として八神が放った全力の魔法ではハイオーガを倒すことができず、その現実を前に全員が絶望と恐怖を抱き足を止める。
――不意に、少し前のことを思い出した。
オークジェネラルとの死闘を繰り広げた、あの日のことだ。
あの日、凛は間に合わなかった。
かろうじて零だけは助けることができたが、手のひらから零れ落ちた命も確かにあった。
けど、自分は今ここにいる。
まだ誰も死んではいない。
彼らの命と自分の秘密など、天秤にかけられるようなものじゃない。
それに――。
(そもそも俺は、何のためにここにきた)
答えは決まっている。
強者と戦い、新たなる力を得るためだ。
なら、この機会をみすみす見逃すわけにはいかない。
「
この手に現れるは、格上を打ち倒すための剣。
ハイオーガが大剣を振り下ろしたタイミングで、凛は駆け出した。
「待て、天音! 無謀だ!」
思考は既にハイオーガの動きだけに限定され、周囲の声も耳には入ってこない。
音速を上回る動きで飛び出した凛は、床を粉砕するような勢いで踏み込んだ後――大剣目掛けて、無名剣を全力で振り上げた。
「はあぁぁぁッ!」
2つの刃がぶつかり合い、真っ白な火花を散らす。
結果は互角。
両者の力は拮抗し、それぞれの剣が後方に押し返される。
「なっ!」
「あの大剣をはじき返しただと!?」
その光景を前に、凛を除く全員が驚愕の声を上げていた。
それは彼らにとって、恐怖を打ち消すほどの衝撃だったのだ。
「――――?」
そしてそれはハイオーガも例外ではなかった。
困惑した様子で、凛を見下ろす。
この小さな体に、なぜこれだけの力が備わっているのかが理解できないようだった。
対して、凛の反応は違った。
これまで後方から眺めていたことによって、ハイオーガの特性は理解している。
それに加えて、パワーでも対等に渡り合えることがこうして分かった。
――全ての条件は揃った。
漆黒の瞳をハイオーガに向け、凛は静かな声で告げる。
「お前にはここで、俺の糧になってもらう」
そして、凛とハイオーガの戦いが幕を開けた。
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