第98話 呼び声

 思考が停止した華に向けて、柳は堂々と殺害予告を行った。

 華は必死に頭を回転させ、まとまらないまま口を開く。


「私を殺すと……今、そう言ったんですか?」

「ああ、そうだ。悪いがこれは決定事項だから、抵抗しようとしても無駄だ」


 一歩、確実に柳が近付いてくる。

 後ろに下がろうにも、体がうまく動かなかった。


「なんで、そんなことをするんですか? 私が何か、柳さんに恨まれるようなことをしましたか?」


 そう問うと、柳は立ち止まった。



「恨む? 何を言っているんだ、そんなわけないだろう? むしろお前には感謝している。お前の技能模倣ほど優れ、僕にピッタリなユニークスキルの持ち主はなかなかいないからな」

「……柳さんに、ピッタリ?」

「ああ、そうだ。仕方ない、何も知らないまま死ぬのも哀れだからな。少しだけ教えておいてやろうか」



 そう前置きをした後、柳は告げる。

 彼の持つ力についてを。



「僕もお前のようにユニークスキルを保有している。名は【略奪者りゃくだつしゃ】。殺した相手から1つスキルを奪うことのできる力だ。この力を使って、今からお前の持つ技能模倣を奪おうというわけだ」

「……!」



 ユニークスキル、略奪者。

 スキルの説明を聞くからに、通常とは異なる異端のスキルであることが分かる。


 さらにそれを使って、自分からスキルを奪おうとしているという宣言に、ぶるりと体が震えた。


 それだけじゃない。

 柳の言葉を聞いた今、華の中でとある考えが浮かんだ。



「ということはまさか、今のこの状況も貴方が意図的に生み出したものなんですか?」

「ご名答。もともと今日この場でお前を殺すための計画は立てていた。ダンジョンのレベルからはかけ離れた強さの魔物を使って、僕とお前だけが取り残される状況を生み出したかった。そうすることで、お前の死因は魔物によるものだと処理できるからな」

「っ、ですがそれはおかしいです! まるでその言い方だと、貴方があの魔物を呼んできたみたいな言い方で――」

「素晴らしい、その通りだ。せっかくだ、お前にも見せてやろう」

「なっ!」



 柳が軽く手を振るうと、突如として何もないはずの空間から1体の魔物――トレントが現れる。

 先ほど倒したのと同じ魔物だ。


 驚愕する華を前に、柳は満足そうに笑う。



「まあ、こんな感じだ。魔物を操るためには魔物使役テイムというユニークスキルが必要なわけだが、それも実はもともと僕のものじゃない。スキルの持ち主をこの手で殺して手に入れた力だ」

魔物使役テイム……? テイマー!? まさか!」



 華はその単語から、少し前によく流れていたニュースを思い出した。

 ここから程近いダンジョンで、魔物を使役できるユニークスキルの持ち主が不審な死を遂げたというニュースだ。


「それはまさか、連日ニュースになっていた……!」

「ほう、知っているのか? 光栄だな。そうだ、そいつを殺したのも僕だ」

「――――!」


 目の前で片桐が殺され。

 自分に対して殺意を向けられ。

 過去にも人を殺したことがあると告げられ。

 ここまできて、ようやく華はこれが現実であると強く実感した。



「まあ、わざわざ今回魔物を使ったのには、実際にお前がスキルを使うところを見て、殺してでも奪うだけの価値があるか確かめるためという理由もあったがな。ダンジョン内演習で学生が死んだともなれば、この制度はなくなる可能性が大きく、二度と同じチャンスは訪れないだろうからだ――けど、そうするだけの価値は確かにあった。感謝する、天音 華」



 柳はまったく嬉しくない称賛を華に送る。


「前置きはこの程度でいいだろう。さあ、最後の仕上げだ」

「――ッ、これは!」


 突然、華の頭の中にシステム音が鳴り響いた。



『あなたは略奪者の対象に選ばれました』

『発動者と対象者の同意がない限り、解除されることはありません』



 そして、柳の標的が疑う余地なく自分に定められる。


「これで準備は完了だ。略奪者の対象に選ぶには相手に直接触れたことがないといけないが、先ほどの技能模倣を発動する際にその条件は満たしている。さあ、そろそろ終わりにさせてもらおうか」


 そう告げた後、柳はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 この場から逃げないと、間違いなく殺される。

 華は震える足を全力で叩き、強引に走って逃げようとする。


(――これは!)


 そこで華は、自分の動きが普段の何倍も早くなっていることに気付いた。


(そうか、レベルアップしたからだ!)


 トレントを討伐した際、大量にレベルアップしたことを思い出した。

 いま思い返してみると、柳のスキルを借りて倒したせいで施しを受けたような不満が残るが、使えるものは全て使うのが華の主義だ。食材なんかもきちんと最後まで使い切るタイプである。


 今はこの場から逃げるのが何より優先。

 そう考える華だが、現実は厳しかった。


「させるものか。捕らえろ、トレント!」

「――――!」


 トレントは数十本の枝やツタを華に向かって伸ばしてくる。

 このままでは間違いなく捕まってしまう――


 いや、まだ最後の手段は残っている!


「――破弾!」


 両手をトレントに向け、華は漆黒の魔力を放った。

 迫る枝やツタを呑み込み、トレント本体にも大ダメージを与えた。


 その光景を眺めていた柳が眉をひそめる。


「なんだと? 先ほどMPは全て消費していたはずだが……いや、違う。レベルアップ時に増えたMPを使用したのか」


(今のうちに!)


 柳が何かを分析しようとしている間に、華は再び逃走を試みる。

 しかし――


「どこにいくつもりだ?」

「なっ!」


 いつの間にか目の前に回り込んでいた柳から、軽く蹴りを浴びせられる。

 それだけで華の体は軽々と吹き飛ばされ、地面を何回か跳ねたのちに止まった。


 これまでに感じたことのないような痛みが華を襲った。

 しかし動けないほどではない。ステータスの恩恵を感じながら、華は必死に体を起こそうとする。

 その時、視界の片隅で既に半分を切っているHPが表示されているのに気付いた。


(今のをもう一度くらったら、それで終わり……?)


 それを自覚した瞬間、ぞくりと背筋に悪寒が走り、体が全く動かなくなった。


 その様子を、柳は不敵に笑いながら眺める。


「ほう、今の一撃を耐えるのか。思っていたよりもレベルが上がっていたみたいだな。ふむ、せっかくだ。これをさっそく使ってみるとするか」


 柳が手のひらを上に向けると、その上に巨大な炎の塊が出現する。

 離れていても身を焦がす程の熱量だった。


「片桐から奪った上級魔法LV9による炎魔法だ。彼女を殺すにはいささか過剰な気がするが、まあそれも一興だろう」


 柳は既に、自分がその一撃で華を殺せると確信しているのだろう。

 もはや華に視線を向けることすらなく、自分の世界に没入していた。



 そんな柳の言葉を聞きながら、華は朦朧とする頭で理解した。

 自分が今から柳によって殺されるのは、変えようのない確定した未来なのだと。


(――そんなの、やだよ)


 だけど。

 頭では理解できても、心がその運命を拒絶する。

 華はこれまで、命が脅かされる危険からは遠い安全な場所で生きてきた。

 死ぬ覚悟など、できているわけがなかった。


 それでも、死がどういうものなのかは、少しだけ知っている。

 走馬灯のように、数年前の記憶が華の脳裏をよぎる。


 華の父と母は、数年前の海外旅行中に乗っていた飛行機が墜落し、そのまま行方不明となっている。

 死体が見つからなかったから行方不明とされているだけで、実際がどうであるかを理解できないほど、当時の華は幼くなかった。


 だからといって、感情を抑えられるほど大人でもなかった。


 悲しみに耐えきれず、いつまでも泣き続けていた華。

 そんな華を支えてくれたのは、外ならぬ兄だった。

 凛はずっと華の手を握り、そばに居続けてくれた。


(ああ、そっか。私は今まで、ずっとお兄ちゃんに守られて生きてきたんだ)


 心の中では既に理解していたことを、改めて再認識する。

 昔からずっと、凛は華にとってのヒーローなのだ。


 そんな思考に至ったからだろうか。

 ほんの数週間前の出来事を、華は思い出した。


 お兄ちゃんが強くなって、私を守ってね。

 冗談でそういった華に対して、凛は告げた。



『ああ、任せろ。華の身に何かあった時、俺を呼べば必ず助けてやる』――と。



 華は知っていた。

 兄が冒険者になってからもずっと苦労し続け、なかなか強くなれずにいたことを。

 華の前では気丈に振舞っていたが、1人でいる時に辛そうな表情を浮かべているのを見たことがある。


 きっと今、目の前にいる柳は凛よりも遥か格上で。

 仮に凛が助けに来たところで、勝てる見込みなんてものは0で。


 ――それでも最後に、すがることくらいは許されるだろうか?



 そんなことを考える華に向けて、柳は告げる。


「では、そろそろ終わりにしようか――いけ」


 柳の掛け声とともに、巨大な炎の塊が華に向かって放たれた。

 それには間違いなく、自分の命を奪うだけの威力が込められている。

 華にはあれを躱すことも、受け切ることもできない。


 それが分かったからこそ、華は決断することができた。

 たとえ無駄だとしても、最期の瞬間には期待を抱いたまま終わりたいと。


 華は目を閉じて、叫んだ。

 応えてくれるはずのない、その呼び声を。

 今、出せるだけの全力で。



「――助けて、お兄ちゃん!」



 精いっぱいの呼び声は、閉ざされたダンジョンの中にこだまする。

 しかし華の耳に返ってくるのは反響音のみ。


 当然、その呼び声に対する返事など存在するはずがない。

 そう、思っていた――




「――――ああ、任せろ」




 ――だけど。


 暗闇の中で、華は確かにその声を聞いた。


(嘘……)


 華はゆっくりと目を開けた。

 どういうわけか、そこには華に襲い掛かっていたはずの炎の塊が存在せず。

 代わりに、1人の男が背中を向けて立っていた。

 深紅に染まる短剣を片手に握ったまま。


 彼は、華が心の底から会いたかった存在だった。



「――――お兄ちゃん!」



 呼ぶと、彼――天音 凛は振り向き、優しい笑顔で頷いた。

 ゆっくりと華に近付いてくると、片膝を地面につける。

 先ほどまで握っていたはずの短剣はどこにいったのか、手の中に見当たらない。


「回復薬だ。ひとまずこれを飲め」

「……うんっ」


 回復薬を受け取って飲むと、凛はそんな華の頭に優しく手を乗せた。


「よく頑張ったな、華。もう大丈夫だ、後は全部俺に任せろ」

「――うんっ、うんっ!」


 凛の言葉を聞くだけで、不思議と華は救われたような気分になった。



 しかし冷静に状況を見ると、凛が来たからといって決してこちらの優勢になったわけではない。

 今もなおこの場の支配権を握っている柳は、2人のやりとりを見ながら怪訝そうな顔をしていた。


「……お前がなぜ、ここにいる? いや、それよりもなぜ、今の魔法を浴びて全くダメージを喰らっていない? 答えろ、天音 凛!」


 柳の投げかけを背に受けた凛は、静かに立ち上がり振り返る。


「その前にこちらからも1つ聞かせろ。お前は華を殺そうとしたのか?」

「……その通りだ。僕は彼女を殺し、ユニークスキルを奪おうとしていた。そういった力を持っているからな。この答えで満足か?」

「ああ――よく分かったよ」


 先ほどまでの華に向けるものとは全く違う。

 全ての感情を排したかのような静かな声とともに、凛はゆっくりと柳との距離を詰めていく。


「ほう、こちらは親切に答えてやったというのに、そちらは答える気がないということか? まあ構わないがな。だったらこっちにも考えがある――起きろ、トレント!」

「なっ!」


 その光景を見て、華は言葉を失った。

 先ほど華が破弾を浴びせたはずのトレントの体が修復され、再び起き上がったのだ。

 いや、思い返してみると2体目を攻撃した時には確かにレベルアップ音が流れなかった。

 100%の威力を誇る破弾ではなかったせいか、倒し切れていなかったのだ。


「やれ!」


 柳の指示に応じるように、トレントはその巨体から想像できないような速度で動き、凛に接近する。

 そして、枝とツタが絡まってできた巨大な棍棒のような腕で凛に殴りかかった。


「お兄ちゃん、危ない!」


 咄嗟に華はそう叫んだ。

 先ほど、どのようにして凛が炎の魔法を防いだのかは分からない。

 ――が、少し前に聞いた凛のレベルを考えれば、トレントの一撃に耐えることは不可能なはず。


 一瞬、華の心の中に後悔が生じる。

 最後に縋るようにして凛に助けを求め、こうしてきてくれた。

 だけどそれは結局、兄まで命の危機にさらしただけではなかったのかと。


 しかし次の瞬間、華が目にしたのは信じられない光景だった。

 凛は自分に襲い掛かってくるトレントを一瞥いちべつし、


「邪魔だぞ」


 聞くもの全てを凍えさせるような声とともに、真正面からトレントを

 凛の拳はトレントの腕を軽々と粉砕し、そのまま体の中心を射抜く。

 その衝撃に耐えきれず、トレントは木っ端みじんに爆散した。



「……えっ?」

「なんだと?」



 この場にいる誰もが――きっと凛を除く全員が想定していなかった光景。

 それを前にして、華と柳が驚愕をあらわにする。


 対する凛は、歓喜するでもなく、至極当然といった表情を浮かべたまま。

 柳に視線を向けて、静かに告げた。



「柳――お前だけは必ず、今ここで俺が殺す」



 その瞳は、深い、深い闇のような黒をしていた。

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