第50話 弱者であるということ
天音 凛とオークジェネラルの戦いは、始まった瞬間から苛烈をきわめていた。
至近距離からお互いに
しかし、振るわれた刃の行先は全くもって異なっていた。
凛の振るう無名剣は、オークジェネラルの体を次々と浅く切り裂いていく。
対して、オークジェネラルの振るう鉄斧は凛によって紙一重で回避され、時には無名剣によって受け流され、一振りも直撃することはなかった。
だが、決してこれは凛がオークジェネラルを圧倒しているわけではない。
むしろ逆。凛はオークジェネラルから一撃を喰らうだけでやられてしまうのに対し、オークジェネラルは凛の攻撃を喰らったところで大したダメージにもならないからこそ生まれた状況だった。
(厄介だな。それでもこのまま続けるしかない)
一振り刃をかわすごとに、凛の神経はすり減っていく。
それでも凛には、この戦法を続ける以外の選択肢は残されていなかった。
全身全霊を込めた一撃ならば、オークジェネラルに大ダメージを与えることも可能かもしれない。
しかし、そうしてしまうとこちらに隙が生まれ、オークジェネラルの攻撃も届くことになる。
凛にとっては何よりもまず、敵の攻撃を躱すことが優先だった。
ヒット&アウェイ。
それが、凛がこれまで積み重ねてきた戦い方。
ただただ愚直に、この絶望的な状況にあってもそれを続ける。
敵の土俵には決して上がらず、速度を重視する自分の戦法を敵に押し付ける。
それこそが、弱者に許された唯一にして最も効果的な戦い方。
そんな凛の意思が実を結んだのか。
徐々に、徐々に、凛が刃を振るう回数がオークジェネラルのそれを大きく上回ろうとしていた。
「……すごい」
その戦いを、黒崎 零は離れたところから眺めていた。
凛とオークジェネラルが繰り広げる互角の戦いに、ただただ圧倒されていた。
しかし、感嘆すると同時に幾つかの疑問が頭の中に浮かび上がる。
凛はどのようにして、この閉ざされたボス部屋の中に入ってこれたのか。
そして何より……一週間前までは700レベルにも届いていなかった彼が、なぜオークジェネラルと対等に渡り合えているのか。
いや、そもそも討伐推奨レベルが1500の騎士から零を守れた時点でおかしかった。
それさえも、一週間前の凛にとっては偉業に等しかったはず。
にもかかわらず、凛はそれだけでは飽き足らず、さらなる強敵との戦いに身を投じた。
不意に、零は思い出した。
少し前に風見が言っていた言葉を。
かつて、キング・オブ・ユニークには一人の足手まといがいた。
その者の名は天音 凛。
ダンジョン内転移というユニークスキルを持ちながら、彼は他のどの冒険者よりも無能だったと。
「ダンジョン内――
その瞬間、零は悟った。
なぜ凛が閉ざされたボス部屋の中に入ってこれたのか。
スキルの名前通り、ダンジョン内で自由に転移ができるのだとしたら、たしかに扉からご丁寧に入ってくる必要はない。
ただ、それでももう一つの疑問は残されたまま。
なぜ、凛がこの短期間のうちにあれだけ強くなっているのか。
ユニークスキルを保有していたとしても、5倍以上レベル差がある敵と対等に渡り合うことは不可能なはず。
だとするなら、格上の魔物を大量に倒して経験値を得た?
思いつく中では一番現実的だが、それでも一週間でそれだけのレベルを上げるのは難しいはずだと首を横に振る。
だってそうだ。この一週間、
「――まさか」
――1つの可能性が、零の頭の中に浮かび上がる。
突拍子のない、馬鹿げた発想だ。
しかし目の前の光景を説明するには、もうそのくらいしか思いつかなかった。
なんにせよ、その考えが正しいかどうかを確認できるのは、ここを生き延びてからの話。
凛がオークジェネラルに勝利しなければ、その時は訪れない。
「勝って……凛」
両手を組み、零は祈るように呟く。
ただ、最後に一つ疑問がある。
先ほどから凛の攻撃だけがオークジェネラルに届いているのに、まだ形勢は凛に傾かない。
数十の斬撃を浴びせても倒せない程の差が、凛とオークジェネラルの間にあるのだとしたら。
――どうして凛は、あんなふうに前だけを見て戦い続けられるんだろうか?
格上の強敵を前に絶望し、やられてしまった自分や風見たちには持っていない何かが、凛の中にある気がした。
――天音 凛は、自分が弱者であることを知っている。
これまで、数えきれないほどの強敵と戦ってきた。
だからこそ、格上と戦う上で大切なことを誰よりも理解している。
無用な感情は、戦場で足を引っ張るだけ。
慢心も、油断も――恐怖さえも不要。
全てを切り捨て、ただ目の前の敵に集中する。
目の前で揺れる、勝利という名の、か細い一本の糸を掴むために。
弱者は、全てを賭けないといけない。
そして、そんな格下を相手にすることこそが、格上にとっては最大の恐怖となり得るのだ。
「ガァアアアアア!」
もはや、凛のみが刃を振るうようになったころ。
オークジェネラルはこのままだと蹂躙されるのみだと思ったのか、叫びながら後方に飛び退いた。
「逃がすか!」
凛はすぐに地面を強く蹴り、オークジェネラルに迫る。
だが、それをやすやすと許してくれる敵ではなかった。
オークジェネラルは鉄斧を大きく振りかざすと、上から下にではなく、後方から前方に向けて勢いよく地面に叩きつけた。
それによって地面は破壊され、大量の破片が凛に向かって飛んでくる。
「――――」
破片の数は膨大。
一つをかわしても、そこにはさらに新たな破片が待ち受ける。
いちいち破片の位置を確かめながら回避しようとすれば、減速してしまい敵の的となるだけ。
――ならば!
「索敵」
凛はスキル、索敵を発動した。
基本的には人や魔物を探すときに使用するのだが、正確には指定範囲の魔力を感知するスキルだ。
目の前に浮遊する大量の破片はダンジョンの一部であるため、当然魔力を有している。
こうすることによって、全ての破片を立体的に把握することが可能になり、速度を落とすことなく最短距離でオークジェネラルに迫ることができた。
凛の接近が想定より早かったのか、オークジェネラルは鉄斧を構えるのが遅れていた。
この状況なら、全力の一撃が入る可能性は高い。
凛は迷うことなく、踏み込む力を強めた。
が――
「凛、危ない!」
零の声が後方から聞こえる。
彼女が思わず叫んでしまうような行動を、オークジェネラルが選択したからだ。
オークジェネラルは鉄斧を空中に投げ捨てると、両手を組みそのまま振り下ろす。
威力は減るものの、重量のある鉄斧がなくなったことで初速が上がり、今にも凛を潰さんと迫る。
タイミング的に、回避は間に合わない。
――仮に凛が剣を振るうべく立ち止まっていたら、無残な結末が待っていただろう。
しかし、
「悪いが、その戦法は経験済みだ」
凛は小さな声でそう呟くと、
オークジェネラルの巨大な両手が、数瞬前まで凛のいた地面を大きく凹ませる。
つまり、空振りに終わった。
爆風を背中に感じながらも、凛はさらに駆けていく。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
疾 風LV3:速度を+30%(1秒につき10MPを消費する)
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高速移動がLV10になることで入手できるようになる上級スキル、疾風。
昨日新たに獲得したスキルであり、MP消費量が大きいため温存していたが、ここにきて凛は迷うことなく発動した。
そうすることにより、先ほどのオークジェネラルの攻撃を回避できたのだ。
だが、あまりにも速度が出すぎたのか、一瞬でオークジェネラルに接近しすぎてしまう。
とても剣を振るえるような距離ではないが、凛が戸惑うことはない。
「仕返しだ――喰らえ!」
全力の踏み込みとともに、
会心の一撃だったのか、オークジェネラルの足が僅かに地面から離れる。
武器を手放し素手で攻撃するという戦法を、凛はアイテムボックスを利用することによって再現したのだ。
――疾風と同様、剛力の上位スキルである金剛力を発動した上で。
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金剛力LV3:攻撃力を+30%(1秒につき10MPを消費する)
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「ここで決める!」
疾風と金剛力をそのまま常時発動し、アイテムボックスから再び無名剣を召喚する。
MPが湯水のように消費されていくが、気にする余裕はない。
ここが最終局面であると、凛は直感的に理解した。
凛は最後の猛攻をしかける。
地上を、時にはオークジェネラルの体さえ駆け、隙だらけの胴体と四肢を中心に切り刻んでいく。
あと少しでトドメを与えることができる。
そう思った次の瞬間だった。
「グォォォオオオオオ!」
攻撃も防御も忘れ、全力で咆哮するオークジェネラル。
オークジェネラルから放たれる烈風によって、凛の体は軽々と吹き飛ばされる。
バランスを崩しながらも、凛はなんとか着地した。
凛の猛攻を退けたオークジェネラルは鉄斧を掴むと、気合を入れるようにもう一度、大きく、そして長い雄叫びを上げる。
十数秒後、満足したオークジェネラルは両の目を赤く光らせ、反撃に出ようとする。
――それこそが、オークジェネラルにとって最期の失敗となった。
「――――グルゥ!?」
オークジェネラルが視線を向けた先に、天音 凛はいない。
オークジェネラルの行動は、いま凛が何よりも欲しかった時間を稼いでくれた。
奇しくも、オークジェネラルが風見たちとの戦闘時に無名の騎士を呼び出し、強力化する時間を稼いだ意趣返しのごとく。
消えた凛の姿を見つけられたのは零だけだった。
凛は小さく何かを呟いた直後、その場から消え――次の瞬間にはオークジェネラルの頭上にいた。
(――やっぱり、凛は)
零の仮説が現実のものになろうとしたその時、凛は天井を強く蹴り、オークジェネラルめがけて飛んだ。
凛の体は重力によってさらに加速し、そのエネルギーが全て手に持つ無名剣に伝わる。
ここまできて、オークジェネラルはようやく凛の居場所に気付いた。
いつの間にか自分の頭上にいた凛に対し、焦燥を感じさせる動きで鉄斧を振るう。
「ガァァァアアアアア!」
「無駄だ!」
しかし、苦し紛れに放たれた一撃を浴びるほど凛は甘くなかった。
空中で回転して鉄斧をかわした凛は、その勢いすら攻撃力に変換する。
そして、とうとうその瞬間が訪れる。
「これで終わりだぁあああああああああああ!」
まさに、天音 凛の全てを使った全身全霊の刃が振り下ろされる。
光り輝く白銀の刃は、空中に半月を描いた。
トンっと、剣を振り下ろした体勢で、片膝をつくように着地する凛。
遅れて、オークジェネラルの首がすっとすべり落ちていく。
崩れていくオークジェネラルの体に背中を向けながらゆっくりと立ち上がった凛は、刃についた血を払うように、2回無名剣を振るった。
そして――
「終わったぞ、零」
――小さく笑って、零にそう告げるのだった。
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