第43話 迷宮崩壊

「私はもともと、冒険者として活動していくつもりはなかったんです。魔物と戦うのは怖いですし、武器を持つ感覚に馴染むのにも抵抗感があったので。冒険者資格を取ってダンジョンに入ったのも友達に誘われたからですし、もしステータスを獲得できたら体が丈夫になるな、くらいの認識でした」


 確かに、交通事故に遭っても死なないくらいには丈夫になりたい、という理由でステータス獲得を目指すものは多くいる。

 というか、ほとんどがそれぐらいの気軽さだ。

 命をかけて冒険者という仕事を全うしている人間なんて、ほんの一握り。


 由衣もまた、そんな大多数の人々と同じだったんだろう。

 そして、違ったのはここから。


「けれどステータスの獲得に成功して、私にはヒーラーの才能があると分かった時、とある考えが浮かんだんです。前線に出て魔物と戦うのは怖いけれど、後衛から他の冒険者をサポートするだけならできるって。だから結局、その後も冒険者としての活動を続けましたし、実際にやりがいを感じました」


 由衣は自分の手のひらを見つめる。


「私にこの才能が与えられたのは偶然なのかもしれません。それでも、そこに自分自身が意義を見出しているのは事実です。私がいま一番望んでいるのは、人を救うことのできるこの力を成長させることなんだと思います」


 そして、顔を上げた由衣の瞳には力強い意志が込められていた。


「どうするかは決まったみたいだな」

「はい。勇気を出して、ギルドに入ってみようと思います」

「そうか。まあ、やるだけやって無理そうなら脱退してやればいい。自分の命が一番大事だからな。それから……やりがい搾取だけはされないように気を付けろよ?」


 にっと笑いながらそう言ってやると、由衣も同じ笑みを返してくる。


「その点については大丈夫ですよ! 私が大学生だってことを伝えたら、基本的には休日だけの招集に応じてくれればいいって話だったので。お金についても、普通のヒーラーの相場以上にもらえるみたいです。凛さんの稼ぎもすぐ抜いちゃうかもしれませんね」

「ぬかせ」


 以前までならともかく、今の俺は3日で1千万以上稼げるからな。

 そう言ってやりたい気持ちはあったが、もちろん口はつぐんでおく。


 それからひとしきり会話を楽しんだ後、カフェを出ることになった。

 伝票を俺が持って行こうとすると、由衣が「あっ」と零す。


「待ってください凛さん、今日は私の相談に乗ってもらったんですし、私が払いますよ」

「気にするな。それにギルドに入るとはいえ、実際に稼げるようになるのはもう少し先だろ? どうしてもって言うんだったら、出世払いで頼む」

「凛さん……」


 由衣はその場に立ち尽くしたまま、ぽーっと俺を見つめてくる。

 俺ができる男だと、ようやく分かったみたいだ。


 そう思った直後、由衣は想定外の言葉を発する。



「こんなに気遣いができて、優しくて、頼りがいもあるのに……なんでこれまで恋人が一人もできたことないんだろう?」

「ちょっと待て、いま俺ディスられた? てかなんでそんなこと知ってんだよ。俺のストーカーか何かなのか?」

「ち、違います。華ちゃんと連絡を取っている時に、向こうから教えてくれたんですよ!」

「なんでそんな話してるんだよ……」


 家に帰ったら、華に説教しなくてはいけないみたいだ。



 その後釈然としないまま、俺たちは解散することになった。

 しかしショッピングモールの出口に向かう途中、俺はとある人物を見つけた。


 音楽店の片隅に、ヘッドホンをつけた一人の少女が立っている。

 彼女は確か――


「あれっ? 黒崎さん?」


 ――名前を思い出すよりも早く、隣の由衣がそう呼びかけた。

 彼女――黒崎くろさき れいはピクリと肩を震わせる。


 零は恐る恐るといったふうにこちらを向き、目を見開いた。


「……凛?」

「よう、久しぶりだな」

「うん」


 剣崎ダンジョンの初挑戦時に会って以来なので、一週間ぶりだ。

 気軽に挨拶をかわす俺たちを見て、由衣は衝撃を受けていた。


「ちょっとちょっと、私が声をかけたのに、なんで凛さんに反応するんですか?」

「……誰?」

「まさかの認識されてなかった!? 同じ大学の葛西 由衣だよ!」

「……そう言われてみれば、見覚えがある気がする」


 ふむ、どうやら由衣と零は同じ大学の同学年のようだ。

 話の内容からして、これまで話したことはないみたいだが。


「ていうか凛さん、どうして黒崎さんのことを知ってるんですか?」

「こいつも冒険者なんだよ。だからダンジョンで会ったんだ」

「そうだったんですか? まったく知りませんでした……」


 心から驚いたような表情を浮かべる由衣。


 すると、俺と由衣が会話している最中に零が、手に持つCDを素早く元の位置に戻す。

 ――が、残念ながら俺はそれを見逃しはしなかった。


 CDのジャケットに描かれていたのは、女の子のキャラクターたち。

 要するにアニソンだった。そうか、同士だったか……


 知り合いにアニソンを吟味しているところを見られるのが恥ずかしかったんだろう。

 うん、ここは気付かなかったことにしておこう。


 と、思った直後。


「それにしても黒崎さんとこんなところで会うなんて奇遇だね。初めてお話しできて嬉しいな。いつもヘッドホン付けて音楽聞いてるから話しかけないほうがいいのかなって思ってたし……その、なんていうの、可愛い女の子の絵が出てくるアニメ? の歌が好きだったんだね!」

「――――ッ」


 やめろ由衣。

 その攻撃は俺たちに効く。


 その証拠に、指摘された零は顔を真っ赤にしていた。

 由衣に悪意はなかったんだろうが、それとは関係なく恥ずかしくなってしまうものだ。

 うんうん、分かる分かる。


 俺は「ごほん」と咳払いし、話題を変えることにする。


「零、今日はダンジョン攻略に行く予定はないのか?」

「う、ううん。この後パーティーの人たちと合流して、剣崎ダンジョンに行くつもりだった」


 零は都合がいいとばかりに、俺の質問に答えてくれた。

 しかしそうか、これからアイツらと合流するんだったら、零とは離れた方がいいかもな。

 だってアイツらと会いたくないし。


 そんなふうに思った直後のことだった。


「っ、なに?」

「緊急放送か?」


 ショッピングモール全体に、突如として放送が流れだす。

 放送にはサイレン音が伴っており、否が応でも緊張感を高められてしまう。



『緊急事態が発生しました。緊急事態が発生しました。剣崎ダンジョンにて迷宮崩壊ダンジョンカラプスが発生しました。至急、一般の方は避難を。Cランク以上の冒険者の方には協力を要請いたします』



「なっ、迷宮崩壊!?」


 その単語を聞いて、俺は思わず大声で復唱した。


「凛さん、迷宮崩壊ってまさか……」

「……まずいことになった」


 由衣と零も、緊迫の面持ちだった。

 冒険者である二人は、その危険を人一倍理解しているからだろう。


 迷宮崩壊ダンジョンカラプス

 それはダンジョン消滅時、ごく稀に起きる現象。

 通常は冒険者しか通ることのできないゲートを、魔物も通ることが可能になる。


 すなわち――――



「町に、魔物が溢れるぞ」

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