3.5

 戻ってきた部屋は、酷い有様だった。


 着替えはそこら中に散乱し、カーテンは開けっぱなし、スマホの充電ケーブルはベッドの端から力無く垂れ下がっている。

 彼の荷物だけでなく何故か私の荷物までひっくり返されていて、思わず閉口する。一体全体、あの男は何を探してこのような惨状を作り出したというのか。


 そして肝心の本人を探すが、その姿はどこにもない。これからそんな奴相手に意思の疎通を図らなければならないということを考え、何となく頭が痛くなってくる。

 出掛ける時は周辺を整理してから部屋を出ること。彼に言う文句がまた一つ増えた。


 ひっくり返された荷物から着替えを引っ張り出す。Tシャツと履き慣れたジーンズ、荷物はいつものトートバッグ。そのポケットに、有紗さんからもらったナウパカの花を挿した。

 あとは、とトロリーバスのフリーチケットを手にする。私の名前と滞在日数が書かれたカードだ。大樹がどこに行っているか分からない以上、長距離の移動は避けられない。


 そういえば、とチケットが入った透明なパスケースを眺めて思い出す。

 紐が付いたそのケースは、ハワイに出発する前日に「こういうのないと不便だろ」と大樹が慌てて買ってきたものだった。テーブルの上に二つ置かれたケースは素っ気ないデザインで、色も同じ透明。ものへの執着がない私は特に感想もなく受け取ったが、よく考えてみればそれは、私たちにとって初めてのお揃いの品物だった。


 今更ながらにそんなことに気付き、心の底の方にぬるま湯をかけられたような心地になる。

 私は馬鹿であると共に、どこまでも鈍いのだ。きっとこれまでにも気付けなかったことが沢山あったに違いない。果たしてそこに重大な見落としはなかったのかと、今更どうにもならないことに少しだけ心配が生まれたりする。


 ……いや、そんなことより。気にすべきは今現在、それからこの後の行動だ。パスケースをバッグの取っ手部分に取り付けて、運転手にすぐに見せられるように外にぶらさげた。とりあえず持っていく必要があるものはこんなところだろうか、と辺りを見渡して腰に手をやる。


「さて」

 彼を探しに行くとしよう。




 そう意気込んだは良いものの。


「あー、うん」

 周りに知り合いは誰一人居ないのに、思わず声が出てしまう。というより、出さずにはいられなかった。心細くて。

 大樹探しは最初から困難にぶち当たっていた。つまり、今の状況はこの言葉以外にない。


「迷子だ」


 何しろ私は、英語を話せなければ読めもしないのだ。停留所には日本語でも表記があったので、島の半分を巡回するバスに乗り込むこと自体はできたのだが、その間に停まる場所までは詳しく見ていなかった。適当なところで降りてみれば、そこは言うまでもなく見ず知らずの土地で、しかも日本語で書かれたものは何もない。振り返れば美術館か博物館のような近代的な建物がポツンと建っていて、それ以外には南国の木々が私のことを嘲笑うかのように鬱蒼と茂っているだけ。

「降りるんじゃなかったな……」

 勘で何とかなるだろうと高をくくっていたことを、今更ながらに激しく後悔する。ワイキキストリートでもらったオアフ島の全景地図を開いてみれば、こんなに広かったのかと泣きたくなる。


 とりあえず、次のバスで人の多いところまで行こう。降りた場所から一歩も動くことができないまま、私はまだしばらく来ないであろうバスが見えてくる方向を眺めた。




 次に降りたのは、巨大な施設の前。大きな紙袋を両手に持った人々が楽しげに行き交っている。

 ショッピングセンターだ。大樹が見ていたガイドブックにも載っていた気がする。


 ——明日はあれに乗ってショッピングセンターに行こうか。


 昨日の大樹の言葉を思い出す。そう、確かに彼はここに来たがっていた。

 探してみる価値はありそうだと思ったが、しかしここは人一人を探すには少しばかり規模が大きすぎた。四階まである建物は一つ一つのフロアが信じられないほど広く、試しに大樹が興味を持ちそうなスポーツ店や土産屋をしらみつぶしに探してみたところ、一フロアを回るだけで三十分もかかってしまった。


 考えてみれば、あの男だって地に根を張っている訳ではないのだ。どこかで移動を繰り返しているのだろうから、今こうしているうちにも私が先ほど見て回った店に入っているかもしれない。そもそもそれ以前の問題として、果たして彼がここに居るのかどうか……。自分がやっていることの効率の悪さと、彼の居場所に見当もつかないことに、知らず苛立ちが募って足早になる。


 ふと、先ほど出会った二人の姿を思い出す。


 有紗さんとジョセフさん。彼らなら、こんな時お互いをすぐに見つけることができるのだろうか。

 ちらと頭に浮かんだ疑問だったが、そんなことは考えるまでもなく簡単だろうと結論付けられた。心の奥で確かに繋がっているような彼らなら、むしろできないことの方が少なそうに思える。


 それなら。


 あの二人のような、強い繋がりでなくても良い。それに類するような、互いに分かり合えるもの。そういう何かは、私と大樹の間にはないのだろうか。


 そんなはずはないと思う。私たちがこれまで過ごしてきた日々は決して短くない。その時間の中にあるはずの、意味と呼べるもの。果たしてそれは何だろうか。


 足を進めながら、意識は記憶を遡っていた。

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