3.4

「なるほどー」


 ヤシの木の下に座り込んだ有紗さんは、同じく隣に座った私の拙い話が終わると共に一つ伸びをした。


「せっかくのお休みの日にすいません、こんな変な話して」

 思わず頭を下げると、彼女は可笑しそうに笑った。

「仕事かどうかは関係ないですよ。本人にとってはその後の人生に直結することなんですから、そういう相談はいつだって大歓迎です。それに、結構多いんですよ。式の直前になって、本当に彼と結婚して良いのかって悩む人」

「そうなんですか」

「マリッジブルーってやつですかね」


 うーん、と首をひねる。何となく、私からは縁の遠そうな言葉だと思っていた。


「多分わたしだって」と有紗さんは海の方に目をやる。その視線の先では、ジョセフさんが子どもたちとビーチバレーをして遊んでいた。ボールを海に流してしまった子どもたちのために取りに行った彼だったが、いつの間にやら仲良くなってしまったらしい。


「そこで遊んでいる精神年齢八歳の人と結婚するってことになったら色々考えると思うし、それ以上に色々不安にもなるわ」


 ガキっぽいし、美人を見かけるとすぐ鼻の下伸ばすし、家事できないしイビキうるさいし牛乳直飲みするし、と片手では飽き足らず両の指まで折ってすらすらと列挙し始める有紗さんを、私はどうどうと抑える。


「……とまあ、そういう感じの嫌な側面にしか目がいかなくなっちゃうんでしょうね、結婚直前になると。それで自分の選択に自信がなくなったり、そもそもなんで結婚しようと思ったんだっけ、なんて思ったり。だってこれから、今まで生きてきた人生よりずっと長い時間をその人と共にすることになるんですよ? 人間なんてほとんどの人は、将来のことどころか来月の晩ご飯の献立も考えられないんだから、それは仕方ないです」


「私は……どうしたら良いんでしょう?」


 そんな問いに答えようなんてないし、訊いたところで困らせるだけだということは分かっているのに、つい他人に答えを求めてしまう自分に嫌気がさす。それでも有紗さんはしばし空に答えを探すような目をした後、ぴんと人差し指を立ててみせた。


「わたしも、これが正解! ってことは言えませんが……。多分、自分が同じような立場になったら、その嫌なこと全部を相手にぶつけると思います。あんたのここが嫌なのよ、直してよって」

 立てた指をくるくると回しながら、彼女は続ける。

「そうしたら、相手も多分言い返してくるんですよ。そういうお前にもこういうところがあるから、どうにかしてくれって、ね。わたしたちが男どもに不満を持っているのと同じように、奴らには奴らの言い分がある。それを互いにぶつけて、変えられるところは変えるように努力し、譲れないところはじゃあどうすれば認められるのか、二人で考えるんです」


 ふいに有紗さんは後ろの地面を振り返る。小さな草むらのようになっているところから何かを摘み取ると、それを私に見せた。


「式場で最初に話した伝説、あったじゃないですか」


 ナウパカの花だ。白く小さく咲く、誰かの半分の想い。


「あれですね、実は説明したわたし自身ちょっと釈然としていないんです。この花は二つくっつけると綺麗に一つになりますけど、普通の人間はそうはいかないんじゃないかなって。だってその二人は、全く違う人生をそれぞれ生きてきたんですよ? 価値観とか思考とか、そういうものが最初からかっちり噛み合っていたら、それはそれで気持ち悪いじゃないですか」


 有紗さんは茎を軽くつまみ、指の中でそれを転がす。半分だけ咲いた花は、重心がずれているからだろう、ふらふらと心許無く回転する。それを眺めながら、彼女は優しく言葉を続けた。


「多分ですけど、人間ってどこまでも歪な形をしているんでしょうね。だから、一人で居る分には歪なままで構わないけれど、誰かと一緒に居るとなると摩擦が起こるのはきっと避けられないんですよ。……でも、お互いがぶつかっていく中でその歪さは少しずつ削れていって、やがてはきちんとした何かの形に収まっていく。他人同士が一緒になることの意味ってそういうところにあるのかなって、この仕事をしていく中でそんな風に思ったりするんです」


 どこか静かな横顔から、私は目を離すことができなかった。それは、今まで数多の他人が一つになるのを見てきた有紗さんだからこそ語れる言葉の一つ一つが、例えるなら雨上がりに煌めく水滴の一粒一粒のように輝いていると——そう思えたからなのかもしれない。


 一通り話し終えると、有紗さんは目を伏せた。そして次にこちらを見る時にはいつものころりとした表情に戻って、「あ、ちなみにですけど、式場で最初にしたナウパカの説明。あれはうちの従業員マニュアルに書いてあることなので、わたしの意思とは関係ありません」と要らないところを補足してくれる。


 そんな有紗さんに笑いながら、私は先程の彼女の言葉を心の中で反芻していた。


 人はどこまでも歪だが、一人で居る分にはそれで構わない。

 それは言い換えれば、一人で居ては己の歪さに気付くことができない、ということでもある。


 ならば今、私がすべきことは——


「有紗さん」

「うん?」


 有紗さんは私の瞳を覗き込む。

 しばらくそうしていた彼女は、ふと月が欠けるように目を細めると、満足げに頷いた。


「それで良いと思います」

「え……」

「皆まで言わずとも、その目を見れば分かりますよ」


 彼女はそっと私の頭に手をやった。優しく撫でるように何かを髪に挟み込み、それから手を離して「可愛い」と笑う。


 触れられた部分に手をやると、ふわりと儚く小さな感覚。


 半分の花が咲いていた。


「話して話して話して、それでも駄目なら最後は」

 彼女はグッと掌を丸めると、それを突き出す。

「拳で語るっていうのもありですよ」


 あ、もちろん最初に拳でいってもOKです、と有紗さんははにかむ。


「いや、最初から拳は……」

 と言いつつ、案外それもありかと思う私がいる。口喧嘩さえ面倒臭がって、いつしか互いを主張することもなくなってしまった私たちには、それくらいのスパイスが必要なのかもしれない。


「アドバイスありがとうございました。……じゃ、行ってきますね」

 有紗さんは優しく微笑むと、しかし急に真面目な顔になって言った。


「最後に一つだけ。……うちの式場は今からだとキャンセル費用全額負担になっちゃうので、そっちの方向で話を進めるのはあまりおすすめしません。従業員的には」


 あまりにも急に現実的なアドバイスが飛んできて、思わず吹き出してしまった。一通り笑ってから、私は応える。

「分かりました。貴重な忠告ありがとうございます」


 それじゃまた明後日、と手を振る有紗さんと、ようやく戻ってきたジョセフさんにお礼を言って腰を上げる。ジョセフさんは多分何も分かってはいないと思うのだが、「Good luck!」と親指を立てて笑ってくれた。

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