3.1

 青く透き通る空が、目の前に広がっている。まばらな雲がじわりじわりとその形を変え、音もなく流れていく。


 この色はどこを見ているか分からなくなってくるな、と思った。焦点を合わせようとしても、その像を結ぶためのものがない。深さも果ても計り知ることのできない、どこまでも純粋な青だ。


 耳元でちゃぷちゃぷと静かな音がする。それに合わせて揺れる、心地良い浮遊感。いつものように目を閉じて雑音を探すが、周囲には波の音しか見つけることができず、その不確かさに私という個人すら曖昧になって溶け出していくように思える。


 身体を起こす。放り出した髪は波間を漂っていたようで、背中を濡らし張り付いた。

 手には長いパドル、そして座っているのはサーフボードの上。


 ビーチを歩いていたら「SUP」という三文字を掲げた屋台を見つけ、それらを借りてみた。

 スタンドアップパドル。サーフボードの上に立ち、カヌーの要領でパドルで水を漕いでいくハワイ発祥のアクティビティだ。以前テレビで紹介されているのを見て、やってみたいと思っていた。

 その時は、まさか一人でやることになるとは想像もしていなかった訳だが。


 あまりにも静かすぎるので沖まで流されてしまったかと思ったが、水平線に視線を走らせて見つけたビーチは想像していたよりも近い。どうやら世界とは、ほんの少しの距離が何光年分もの隔絶と同義になるらしい。


 それはつまり、人の関係と同じなのかもしれない、と。


 ゆるゆると思考を巡らせながら、私は再びボードに寝転がる。

 小学生、あるいは中学生の頃によく遊んでいた友人たち。当時は皆いつまでも一緒に居るものだと思っていたのに、その内の何人かとはいつの間か連絡が途切れ、今やどこで何をしているのかも分からない。そして会わなくなった彼らはいつしか、私の中で存在しないものと同じになってしまった。無論、私が忘れてしまった彼らにとっても、私という存在はそれと変わらないのであろうが。


 それなら。


 ふと、見上げた空に一人の顔が浮かぶ。彼との間に距離ができ、それが永遠の隔絶になったとしたら、私はその存在を居ないものとして生きていくことができるのだろうか。

 私たちの関係は、自分で評価するのも妙だが希薄としか言いようがない。きっとこのまま会わなければ、これまでの日々など波打ち際の砂山のように跡形もなく消えてしまうのだろう。


 しかしその先——つまり彼が居ない生活というものは、私には何故か上手くイメージができなかった。長く一緒に居過ぎたからなのか何なのか、その理由は自分の中に問うてみてもよく分からないのだが。


 波音に加えて、風の音が混ざり始める。

 それは微かに緑の匂いを乗せた、陸からの風だった。横を見るとビーチが先ほどよりも遠ざかっているようで、そこで初めて沖に流されているのではないかということに思い至った。

 SUP中に物思いに耽っていたら自力で帰れなくなりました、なんて事態はさすがに格好悪すぎる。舵を取るため腰を上げようとすると、寝ていた時には分からなかった風の強さに危うくバランスを崩しかける。それでも何とか踏みとどまったところで、風は濡れた髪と背中をするりと撫で、やがて過ぎ去っていった。


 手にしたパドルをくるりと回転させ、海面に突き立てる。普段は意識しないような水の重さを腕に感じながら、それをそのまま後ろに流していく。その繰り返しで、自分が海の上を滑っていく感覚が分かる。飛沫が上がって脚を濡らすのに心地良さを覚えながら、それでも漕ぐ力は緩めない。


 どうやら私とは、流されてばかりはいられない生き物のようだ。

 気付かぬうちに自力では帰れない場所まで来てしまうというのは、私にとって恐怖でしかない。それも、何光年分もの距離のある場所で、一人ぼっちになってしまうというのならば、尚更。


 残念ながら私は、クラゲにはなり得ないらしい。


 陸に戻るため、操るパドルに力を込めた。

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