1.3
式は三日後。前日には親戚や友人が来るが、その前後は私たちにとってのハネムーンだった。
「今日いらっしゃったばかりだったんですね!」
日本で採寸して事前に確認していたが、ウエディングドレスは念には念を入れて予行演習でも着ておきたかった。鏡の前に立つ私の後ろでドレスの裾を直してくれる女性——
「人によっては時差ボケが酷くなるので、今日は早めにお休みになられた方がいいですよ」
「はい……、ありがとうございます」
そのことを考慮に入れていなかったのが悔やまれる。現に、今の段階で既に眠くなってしまっていて、この後出掛けられるか少し怪しい。
「ところで、ですけど」
ふと見ると、鏡越しに私を見上げる有紗さんと目が合った。
「あの、違ってたらごめんなさい。澪奈さんってもしかして、モデルさんとかやられてます?」
「え……」
思わずじっと見つめてしまったからか、彼女は「いや、すみません勘違いでした、すみません」と顔を赤くしながら目を伏せた。
「昔読んでいた雑誌に澪奈さんみたいな人が載ってたなーって思ったんですけど……、でもその人ショートヘアだったなって。人違いでしたね」
しばし固まった後、思わず顔を背けてしまう。まさかこんなところでそんな話題が出てくるとは思っておらず、今度は私が赤面する番だった。大学卒業と共に伸ばし始めた髪に、何となく手をやる。
「えっと……多分それ、私です」
呟くと、有紗さんはパッと顔を輝かせた。
「わ、やっぱり! 本物に会えるなんて嬉しいです!」
そう言って彼女が口にしたのはやはり、私が昔モデルとして載っていたファッション雑誌の名前だった。
「毎月買ってましたよー」
「はは……、それはありがとうございます」
当時大学生だった私は、街でスカウトされてモデル業というものをやっていた。デニムに合わせるトップスを紹介するような、いわゆるボーイズライクコーデ担当。そこそこのページに出させてもらっていて、大学の合間にする仕事は忙しかった。
ただ、私自身の意識としては、今後それで食べていきたいとか、その様な類の情熱は全くなかった訳だが。
「今もそっちのお仕事をされているんですか?」
「いえ。あの雑誌と、ちょっとドラマの脇役で出ただけで、その後は全く」
「そうなんですか、残念」
「ずっと活躍できるのはほんの一握りですよ。私は向いてませんでした」
私のそういう発言に対し、大抵の人は「そんなことないよ」とか「もう少しやってみればいいのに」とか言うのだが、意外なことに有紗さんの反応は「向いてるとか向いてないとか、そういうことって自分自身にしか分かりませんもんね」というものだった。
「やっていて楽しくないことを嫌々やるくらいなら、その時間を自分にとって価値あるものに回してあげた方がずっと良いと思うんです。人生なんて、これで良いのかって悩んでいる間にも進んでいっちゃうんですから。……ま、わたしはそのせいで四回も転職した上に、気付けばこんなリゾートに来ちゃってましたけど」
あはは、と彼女は笑い、思わず私もそれにつられた。
「あ」
ふと動きを止めた有紗さんは、子供が小さな発見をした時のように悪戯っぽく微笑んだ。
「やっぱり澪奈さんって、笑った顔が凄く素敵」
そんなに分かりやすく笑っていただろうか。頰に手を当て、思わず視線を逸らす。
「いや、でも私……、笑顔を作るのが本当に苦手で」
モデル業を辞めた理由。いくつかあるうちの一つが、それだった。
自分でも、あまりにも馬鹿馬鹿しいとは思う。しかし撮影の際に「自然な笑顔で」なんてリクエストが来ると、途端にどんな風にすれば良いのか分からなくなってしまうのだ。それに応えようと普段使わない表情筋を上げてみれば、決まってカメラマンたちは「うーん」と言いながらレンズから顔を上げてしまう。そんな反応が気まずくて苦手で、嫌だった。
結果として完成したのが、いつも仏頂面、あるいは無表情という私の「アイデンティティ」。当時の雑誌に写る私はボーイズライク担当というより、それ以外に割り当てる役がなかったと言う方が正しいのだろうと、今でもそう思っている。
「ねえ、澪奈さん」
有紗さんはふいに立ち上がると、そっと私の手を取った。
「結婚式は撮影じゃないから、笑顔は作らなくてもいいんですよ。それに、幸せな瞬間って自然と笑顔が溢れてくるものだと思うんです。だから、大丈夫」
繋いだ手を小さく揺らしながら、彼女は力強く頷く。
「最高の式にしますから。それこそ、笑顔を溢さずにはいられないような」
何たってわたしがコーディネートするんですからね、最高以外にはさせてあげません、と妙に自信満々な彼女につられ、今度こそ私ははっきりと笑ってしまった。
そう、大丈夫。
きっと笑顔になれる。
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