第6章 寂寞の赤鬼 編

第146話『花都シグレミヤと呪いの霧』

 ――12月1日、深夜1時ごろ。ヴァスティハス収容監獄の近海に浮かぶ、ある無人島に停泊していた処理班の船にて。

 皆が座る甲板に1人立つフィオネが言い放ったのは、最高最悪とうたわれる収容監獄から脱出した彼らの開放感、達成感を完璧に打ち砕く言葉だった。


「マオラオについてだけど――彼はつい先程、戦争屋を脱退したわ」


「え……なんで?」


 唖然とした表情で、ついて出たように尋ねたのはシャロだ。


 元よりマオラオとは、無線機を通じて指示をする側と、される側の関係にあり、戦場において互いを信頼し合うパートナーだっただけでなく、どちらも16歳と年齢的な親近感もあって親友、あるいは兄弟のように接してきたシャロである。

 そのショックは、この場の誰よりも大きかったことが予想された。


 しかしフィオネは、なんともないような表情で首を横に振る。


「言えないわ。言わないで欲しいと、マオラオから言われているから」


「言わないで……っつーことは、マオラオの方から脱退するって言ったのか。まさか、もうこの船に乗ってねェってこたァないよな?」


「……見送ってないからわからないけど、恐らくもうこの船には居ないわ」


 ギルの質問にどこか、他人事のように返すフィオネ。少年の脱退をさして気にしていないかのような素振りに、顔をしかめたのはギルだけではなかった。


 マオラオの脱退と、フィオネの飄々とした態度――。2つの理由から、戦争屋の面々は胃が重たくなるような不穏な空気を漂わせる。

 その空間の息苦しさは尋常でなく、諸事情でノートンを呼びに来ていたある処理班員の少年は、ハッチから顔を覗かせるもすぐに船内へ帰っていった。


 一方、セレーネやレムといった第三者は、そもそも戦争屋の言う『マオラオ』が誰なのかわからず呆然としていた。一応、どちらも彼の姿は視認しているのだが、いかんせん関わりが薄く、顔と名前が一致していないのである。

 ゆえに同じ空間でありながら、ここには対照的な2つの空気が入り乱れていた。


「え、えっと……どうして、フィオネはマオ助を止めなかったんダ?」


 口を開けて固まっていたジャックが、ようやく事態を理解し始めたようで、剣呑な雰囲気に恐る恐る尋ねる。すると、フィオネは夜闇に白い息を吐いて、


「マオラオから脱退を希望した理由を聞いて……アタシも、彼を戦争屋から脱退させるべきだと感じたからよ」


「そう言われても、その肝心の理由が言えねェんじゃあ、テメーの判断も信用できねー。……本当に、『マオラオ』が言ったのか? 俺達に言うなってのは」


「あら、アタシが嘘をついているように見えるかしら。困ったわね……マオラオがもう少しここに残って、証言してくれればよかったんだけど」


 そう言って、頬に手を添えるフィオネ。

 それに対し周囲の面々は、決して自分からは話そうとしない彼から、どうすれば情報を聞き出せるのか考えあぐねた。が、良案が出ず、膠着こうちゃく状態に陥った。


 もしもこの場にノエルが居たのなら、フィオネを洗脳してノエルに従わせ、無理やり聞き出すことも出来たのだろうが――生憎、今のノエルは親友フロイデの仇であるセレーネを避けて、船内にこもっているため不可能だった。


 さて、この状態をどう運ぶべきか。


 頭を悩ませる一同。少しして、場を動かしたのはペレットだった。


「……じゃあ、船を出て行ったマオラオ君はどこに行ったんスか? 呪いと海賊が蔓延ってる大南大陸と、伝説の鬼族が棲んでるって噂の大西大陸……2つの危険な大陸に挟まれたこの海域で、行くあてなんてないと思うんスけど、普通」


「……良いわ。それは秘密にしてほしいとは言われてないから。彼が脱退後に向かうと言っていたのは、花の都『シグレミヤ』よ。別名『鬼の国』」


「鬼の国って……じゃあ、マオラオ君は大西大陸に行ったってことっスか? 何でそんなとこに……いや。もしかしてっスけど、マオラオ君って――」


 と、ある考えに至って言いかけたペレットだったが、


「ね、ねぇ、大西大陸ってすぐそこのアレだよね? 監獄の島のすぐ横に浮かんでるおっきいやつ。……ウチ、行ってきても良い? 1回マオと話がしたい」


 そう少年の声を遮ったシャロは、縋るような弱々しい眼差しでフィオネを見た。

 どうやら、マオラオの不在は想像以上に彼にショックを与えているらしい。


 だが、


「行くッつったって、あん中にゃ鬼が居るかもしれねぇんだろぃ。入れるかも帰れるかもわかんねぇ。やめておいた方がいいんじゃぁねぇのかい、嬢ちゃん」


「それはそう、だけど……」


 自身の感情とレムの正論に板挟みにされ、シャロは身体を丸めて口籠った。と、


「――一旦、話し合いは終わらせた方がいいわ。追っ手が来ているようだから」


 事態を静観していたセレーネが、ある方角を見ながらそう言った。

 それにつられて皆が同じ方向を見ると、そこにあったのは海に浮かんだ2隻の巨大な船のシルエット。帆には、天使の羽を模したのだろうシンボルがあった。


「ヘヴンズゲートの船よ。まだ私達のことを諦めてなかったみたい」


「あら、しつこいわね……じゃあ、2手に分かれましょう。こっちの船に乗るのはアタシとノートン、シャロ・ペレット・セレーネ・ノエル」


「あぁ」


「連結してある監獄の船には、ギル・ジャック・フラム・ミレーユ・レムが」


「うーい」


「ノエルと処理班にも伝えてくるわ。全員、戦闘の準備をしていて頂戴」


 そう速やかに指示を下し、船内に入っていくフィオネ。

 それに応じてノートンが2つの船を連結していた縄を切り落とし、ペレットとシャロが錨を上げに向かい、ギルとジャックが平然ともう一方の船に飛び乗る。


 それを見たフラムとミレーユは顔を見合わせ、『僕らは普通に行きましょうか』と苦笑しながら船のタラップを用意し始めた。


「――」


 剣呑なやりとりから一転、淡々と整えられていく戦闘態勢。

 まるで今までの不和が嘘だったかのように、あっという間に戦場を構築する戦争屋のメンバーを見つめてただ1人、


「仲間にはならねぇッつったのに、俺とジャックにも当たり前みてぇに指示出しやがったなアイツ……」


 レムは呆然としながら、ぼんやり呟くのであった。





 夜の海に浮かぶ、計4隻の船。

 うち2つは戦争屋陣営の乗る船であり、処理班の所有するものと監獄から奪ったものである。どちらも相対するヘヴンズゲートの船と比べると、一回り小さい。


 ヘヴンズゲートの2隻は海の真ん中に浮かんでおり、それを迎え撃とうとする戦争屋陣営の2隻は停泊していた無人島を傍に浮いていた。ただし、後者の2隻はゆっくりと散開し島を離れ始めていた。


 それに気づいたらしいヘヴンズゲートは、船を1隻ずつ戦争屋にあてがい、それぞれの船と平行線上に位置を取る。


 ――視点はグループA。大西大陸の南側を走行する、フィオネ達の船である。


 南下しながらフィオネ達を追いかけてきた敵船は、西に向かって走ろうとするフィオネ達の右斜め後ろに位置を取っていた。


 乗組員の誰かの能力なのだろう、半透明のバリアを船の周りに展開する敵船。彼らはフィオネ達との距離を測りながら、ズラリと並ぶ砲門から大砲を覗かせる。


 ドォン! と響き渡る咆哮。

 次々と放たれた砲弾が、バリアを内から貫通してフィオネ達の船へ走った。


 水面に砲弾の影が落ち、うち幾つかが海に吸い込まれていく。激しい水飛沫があちらこちらで上がり、穏やかだった波のリズムが崩れて、フィオネ達の船が上下に揺られて遊ばれた。そこへ、複数の砲弾が続いて来るが、


「はーいストップ」


 甲板に立つペレットが、1番端の砲弾に手をかざし、素早く空気をスライド。その動きに合わせて端から順に、砲弾の動きがぴたりと止まった。


「送り返しますねー」


「えぇ」


 フィオネが頷いたのを確認し、ペレットはかざしていた手の中指を曲げて、その爪に親指を乗せる。そして額を打ってやるように、中指をピンと弾いた。

 すると砲弾が一瞬紫色に光り、直後軌跡を辿るように敵船へ返っていく。


 そのまま直撃するように思われた砲弾だったが、途中でバリアに阻まれて爆発。巨大な爆風に一帯の波が踊った。


「あのバリアをどうにかしないと、こちらの攻撃は通じなさそうね……ペレット、頼めるかしら」


「わかってます、よっと」


 たん、と甲板を爪先で蹴るペレット。

 瞬間、淡く紫色に輝く転移陣が、蹴った箇所を中心に展開された。


「これで向こうの船と繋がったはずっス」


「ありがとう」


「じゃあ、俺とシャロで行こう。シャロ、来れるか?」


「……もちろん!」


 ノートンに誘われて、大鎌を担ぎ直したシャロが意気揚々と転移陣を踏む。刹那、2人の姿が消えたのを見て、ノエルはぎりと自分の片腕を握りしめた。


「ボクは……行ったらダメですか」


「そうね……聖騎士団で剣の指導をしてもらったみたいだけど、今の貴方はやめた方がいいと思うわ。実戦は、一朝一夕で出来るものではないから」


「……。そうですか」


「――悪いっスけど、お喋りしてる暇はなさそーっスよ。魚と人間のハイブリッドみたいな奴らが、ものすごい勢いでこっちに泳いできてます」


 ノエルとフィオネの重々しいやりとりに割り込み、海を指差すペレット。その先には全身に鱗をつけ、耳の辺りにエラのようなものを生やした半裸の集団が居た。


「ペレット君、私が上から撃ち殺すわ」


 そう告げて、マストの見張り台へ伸縮自在の鞭を振るうセレーネ。華奢な身体を上空へ吹き飛ばし、すとんと着地した彼女が構えたのはサブマシンガンだった。


 連続で銃撃音がして、夜の水面に波紋が量産される。雨のような射撃から逃げられる者はおらず、あちこちで血が噴き上がり、魚人集団は赤い海に沈んでいった。


 同時刻。

 敵船の甲板では、乗り込んできたシャロを3人の白装束が取り囲んでいた。


 正面、頭上、背面。死角を含んだ三方向から突撃する白装束達。対するシャロは深く腰を落とし、正面と背面からの斬撃を回避すると、鎌の刃を正面の白装束に向けた。そして横を通り抜けるように突進しながら、白装束の足を刈り取る。


 その間僅か2秒。たやすく膝が切断され、膝より上にあった身体がずり落ちながら傾倒する。肉体を通り抜けた鎌に付着した血が、振り払われて飛び散った。


 そこへ降ってきた白装束は何の能力者か、炎をまとった両手剣でシャロに挑む。


「死ねぇッ!」


「やだぁ!」


 情熱的な赤色の弧を描いて、落下と共に振り払われる両手剣。それをシャロは大鎌の峰で受け止め、下からふーっ! と息を吹きかけた。すると、剣が纏っていた炎が息をはらんで膨れ上がり、白装束の顔にかかった。


 悲鳴を上げて、着地と同時に後ずさる白装束。

 炙られたのは一瞬だったが、高温でこんがり焼けてしまったようで、顔の肉が焼けただれていた。が、白装束はすぐに剣を持ち直し、果敢にシャロへ挑んだ。

 しかし鎌と両手剣で何度か打ち合った後、人の身長をも越える一回転ジャンプを披露したシャロに背後へ回られ、白装束の首はすぱんと飛んでいった。


 続いて背後から、先程も背面に居た剣使いが飛び込んでくる。

 シャロはその剣使いの初撃を柄で受け止めると、長い鎌をバットのように構え、柄と刃の接続部分を相手の腹にフルスイング。ドン、と人体らしからぬ重い音が響き、白装束は血相を変えて、甲板に転がり悶絶した。

 シャロはその背中に刃の先端部分を刺し、トドメにぐりぐりと内臓をいじくった。


「……ふー。全く、乙女1人に3人がかりなんて酷いよねー……っと、そろそろノートンの方も終わったかな?」


 言いながら、汗をぬぐうシャロ。

 ノートンを呼ぶため船内に入ろうとして、不意にそれは目に入った。


「ん……?」


 それは、一帯の海を取り囲むように大きく広がった、円柱状の『壁』だった。明確な形があるものではない。霧のようにもやもやと、不安定に形を作っていた。

 暗闇でよく見えないが、ここからだと赤黒い色をしているように見える。


 一応、見上げれば依然として変わりない星空が望めるのだが、その壁の内側にあるシャロ達の居る敵船とフィオネ達の居る処理班の船、どちらの船もマストの先端まで覆えるくらいには幅がある壁で、異様な存在感を放っていた。


「え……? 何あれ……?」


 突如出現した壁の存在に、呆然と突っ立つシャロ。と、瞬間、戦争屋陣営の船の方から何か紐状のものが飛んできて、敵船の甲板の手すりに絡まった。それがセレーネの操る鞭であると気づいた時、その持ち主はシャロの方へすっ飛んできた。


「シャロ=リップハート!」


「わぁっ!?」


 鞭を高速で縮め、ハヤブサのような勢いですっ飛んできたセレーネ。彼女が船の横腹に着地したことで船体が揺れ、シャロはひっくり返って尻餅をつく。

 しかし、セレーネは転倒した彼を気にも留めず、慌てたように周囲を見回した。


「あの人は!? あのスーツの男性はどこ!?」


「え? す、スーツ? ノートンのことなら多分、下に居ると思うけど……」


「ならいいわ、貴方に話すわね。あの壁には貴方も気づいてるわよね?」


 まるで一刻を争うような、迫真の表情で尋ねるセレーネ。シャロは、彼女の雰囲気に緊張しながら『う、うん』と頷く。


「何なの、あれ?」


「わからない。ただ……今は船を内側に寄せているけど、最初あの壁は戦争屋の船尾に触れていたの。だから出現した瞬間、ペレット君と私が気づいたんだけど……調べるために壁に近づいたペレット君が、突然倒れて苦しそうに喘ぎ始めて」


「ハーッ、何やってんの!? ……え、大丈夫なの?」


「それもわからない。一応、医務室で見てもらっているのだけど……とにかくあの壁は越えられないし、ペレット君が倒れた以上どこかに転移することも出来ない」


「え……待って、転移が出来ないって……? 能力も使えないくらいやられてる、ってこと……? 壁に触れただけで……?」


「そう。だから、シャロ=リップハート。貴方が得をするのは正直不服だけれど、壁のことを調査するために、あそこへ行くことになったわ。喜びなさい」


 しゃくに触る物言いと共に、ある一方を指差すセレーネ。彼女の示した方向を見て、シャロは驚きに希望を滲ませた表情で、『ここって……』と呟いた。

 彼女が示したのは、謎の壁が囲む中心部にして、目の前に浮かぶ巨大な大地。


「大西大陸唯一の王国――貴方のお友達が向かった、花都かと『シグレミヤ』よ」

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