幕間1『世界を監視する者』

 ここは、この世のどこでもない場所である。


 柔らかい陽が照らし、ぬるい風が流れ、桜の花が満開になった境内けいだい――朱を塗った鳥居をくぐって見える拝殿の手前、短い石階段にその男は座っていた。


 鮮やかな、赤色の着物を着た男だ。長い振袖が地べたについているが、男は気にする素振りを見せない。ただ彼は何万年もの歳月をここで過ごし、すっかり柔らかさを失った――紅玉のような色の目で、天を眺めていた。


 空を見ているわけではない。

 彼はこの、『どこでもない場所』の外にある、現世うつしよを見ていた。


「――」


 現世を生きる人々の営みを眺めるのが、彼の唯一の日課だった。

 心を惹かれるものや、面白いものが見れるわけではない。ただ、この神社から出ることの出来ない男にとって、外の世界を見ることは唯一できる暇潰しであった。


 それに、『こうしていなければ』という執念にも似た思いがあったのだ。何故そんな風に思うのか、肝心の理由はとうの昔に忘れてしまったのだが。


「……!」


 ふと、誰かが近づく気配がした。


 男は目を閉じて、外の世界との繋がりを遮断する。


「どうや? なんやおもろいモンはあったか?」


 男の背後に現れたのは、獅子の立髪のような赤毛を尻まで伸ばし、今まさに天に広がる青空のような、白縹しろはなだ色の着物を羽織ってはだけさせた、背の高い男だった。

 隆々とした筋肉のついた胸が、よれた襟の内から見えている。


 彼の名はアカツキ。本名はもっと長いそうなのだが、この名を名乗った彼曰く、自分でも長すぎて覚えられないため、名前の随所を抜き出して作ったこの名を自分の名前としているらしい。


 彼がこの社にいる期間は、赤い着物の男よりもずっと長い。しかし、酒を飲んだり花見をしたり昼寝をしたりと、存外楽しそうな生活を送っていた。

 延々とここに閉じこもり、その理由さえ忘れた着物の男のように、一切の感情がなくなることも、数十年間ずっと無言でいることもないらしい。


 彼が悠々自適に過ごせているのはきっと、人々から『神』と呼ばれる・・・・立場に居るからなのだろう――というのは、男の勝手な推測だが。実際、そうなのだろう。

 はなから立っている土台が、格が違うのである。


 なお、『神』とは名ばかりで、どちらかと言うと旧時代の犠牲者のようだが。


「……」


 着物の男は息をついて、階段から立ち上がる。元より歴然ではあったが、立って並ぶとアカツキとの体格差が顕著に出た。もちろん、小さいのは着物の男の方だ。

 彼らは60センチ近く身長が離れていた。そのことを気にして、3千年ほど前の感情があった頃の男は、アカツキと並ぶことを激しく嫌っていたのだが――。


「……あ」


 邪魔が入ったと言わんばかりに、するりと横を抜けて社の中に消えていく男に、アカツキは呆れたような表情で肩を落とした。


「アイツももう駄目そうやな。完全に心が壊れとる。こっちの言葉が通じとるんかもわからへん。律儀に世界の監視だけはしとるようやけど」


 言いながら顎の無精髭をいじり、無骨な片手を空にかざすアカツキ。すると、かざした辺りの空間が歪み出し――外の世界が映し出された。


 最初に見えたのは、ヴァスティハス収容監獄の上空だった。


「……お! もうここまで来てんねや! へーっ! 最後に俺が見た時はようやくアン……あんらべるなんたらが生まれた頃やったのに。……あっ! あんらべる滅びとるやないか! ……なるほど、そういう流れなんや。結構変わってんねんな」


 アカツキは興味深そうにうんうん唸りながら、指を軽快に動かして次々と映像を切り替える。最中、ふと映し出されたのは、ヴァスティハス収容監獄の床だった。


「視点ひっく。ねずみか何かか? あかん床の汚れしか見えへん」


 文句を言いながら画面を操作するアカツキ。


 彼の能力『命生癒快めいしょうゆかい』は本来、生物から生命力を奪い、その力で別の生物を治癒するという能力だった。しかし永遠にも等しい時を過ごし、その間使い込まれた能力が『覚醒』した彼は、生物の五感をも借りることが出来るようになっていた。


 そのため、擬似的に千里眼を使うことが出来るのだが、監獄のように動物の立ち入らない場所だと、中々使いにくいのが悩みどころで、


「虫が1番ええねんけどな……あ、キタ! コウモリや!」


 飛行動物の視野を手に入れ、グッと拳を固めるアカツキ。彼はしばらく、天井付近を飛び回っているコウモリの視点から監獄内を眺め、


「……あぁ、ギル=クラインが死んだかぁ」


 ちらと映った男の姿に、悲しむでもなく呟いた。


「今のギル=クラインは……あぁ、元気そうやな。なんや、船で追われとるけど。まーアイツらは大丈夫やろ。けども、この世界も無情なもんやなぁ。死なないはずのヤツまで殺して……その理由を、本人にさえわからせないとは」


 アカツキは溜息をつく。


 アードルフ=ワルツェネグが世界の進む速度を早め、滅亡に到着し、その最中に本来あった死すべき定めに準じるために――詩的に言えば、世界によって強制的に殺されたギル以外の者たち。彼らは次の世界で全く同じ生を受けた。


 しかしギルや着物の男など、時折世界にさえ殺せない者たちもいる。

 殺せないということは魂を回収できないのと同義であり、次の世界に生み落とさなければならない人物の核たる部分がないということ。そうなると一見、彼らが次の世界で新しく生まれることはないように思える。


 だが、前の世界と全く同じ運命を繰り返そうとする世界は、ねじ曲がった運命をなるべく修正しようとするのだ。その結果――回収できなかった人物にはなんと、新しく作られた『よく似た』魂が使われるのである。


 完全に同一の魂でない理由ははっきりしていない。が、感覚的に言えば餅を作るのと同じなのだろう。


 餅を作り慣れた人間は、同じ餅を何個も作ることが出来る。ただ、厳密に言えばそれらは全て違う餅だ。作った時の湿度、気温、肉眼ではわからないような僅かな大きさの違い、含んだ空気の量――決して完全同一の餅は作れない。


 恐らく、それと同じなのである。世界は同一のものを作った気でいるはずだ。


 なお、前々回の世界のギル=クラインが黒い目をしていたのも、数回前の世界のジュリオットが赤い眼鏡をかけていたのも、こうして核たる魂の性質が僅かに前後の世界と異なっており、遺伝子や思考に些細な違いがあったためである。


 ただし、そう、偽物とはいえ極限まで似せられた人物だ。

 それがもし同じ世界に同時に存在すれば、世界はそのバグを修正しようとする。結果、魂の古い方を強制的に消してしまうのだ。それが、前回の、今までのギル=クラインが死んだ理由であり、アカツキや男が社から出られない理由であった。

 どうやら本人には、そこまで突き止める時間はなかったようだが。


「あぁコワイ。その点、俺らは安心して過ごせる場所があって良かったな! 神社と森以外なんもあらへんクソみたいな場所やけど」


 言いながらアカツキは、風を煽ぐように手を振って、歪んだ空間を掻き消す。

 そして、何事もなかったかのように元通りになった空を背に、アカツキは手を当てた首を回しながら社に足を運び、


「――なぁ、マオラオ?」


 愚痴を垂れながら、草履のまま拝殿の中に踏み入った。

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