第145話『運命のターニングポイント』
ヴァスティハス収容監獄、ガレージ・ドック4番。『コ』の形をした床の空白部分に溜め込まれた、近海の水に浮く船には、レム・ジャック・フラム・シャロ、ペレット・ギル・セレーネ・ノエルの8人が乗っていた。
あまるマオラオ・ノートンの2人は、追ってきた白装束の対処をするためドックに残ったままだった。
監獄とドックを繋ぐ直通の通路から、雪崩れ込むように入ってくる白装束を、圧倒的な暴力で蹴散らしていく2人。
彼らの援護をするように、船から顔だけを覗かせるセレーネが撃ち、同じくペレットが召還したナイフを発射、的確に白装束たちの心臓を
その無駄のない連携を見ていたジャックは、加勢がしたいとうずうずしていた。
しかし当然、帆船の上で電気を散らすのは自殺と同義である。それを理解しているギルとフラムによって、力づくで甲板に押さえつけられていた。
「――キリがない。出港してくれ! あとで俺たちも追いつく」
槍と短剣を持って突撃してきた白装束を2人、刀1本で軽くいなしたノートンが顔を上げ、船の操舵を任されているレムに告げる。
「追いつくッたってぇ……海を渡ってくるつもりかぃ」
「そうだ、俺たちにはそれが出来る」
「へぇ、ジャックもとんでもねぇ兄ちゃん達を連れてきたもんでぃ。じゃあ、先に行かしてもらうぜぃ。こっちも『待ってろ』って頼んできた誰かさんのせいで、既に長ぇこと焦らされてて限界が来てたんでなァ」
そう言ってレムが操舵室に入っていくと、船が風を受けるでもなく1人でに動き出し、シャッターの開いたドックから海へと出て行く。
それを逃すまいと構える銃使いの白装束たち。が、発砲の瞬間、ノートンとマオラオがそれぞれ空気を蹴り、殴り、各方向から風圧を与え、銃弾を吹き飛ばした。
あまりにも物理的な常識から逸脱した光景に、白装束たちは一瞬怯む。と、誰かが『応援を要請しろ!』と叫び、応じた数名がドックから出て行った。
残る白装束は能力で、武器で、あるいは己の身体1つで2人の鬼に立ち向かう。
これまでの残虐的で一方的な暴力を目にしていながら、一向に引き下がる様子を見せない彼らの思考が、ノートンには理解できなかった。
「――ッ!」
ふと反応が遅れ、ノートンの腕に透明な液体がかかる。直後、変装のためにまとっていた白の羽織が溶け出し、その液体が強い酸性のものであると気づいた。
服を溶かした酸は肌をもさらい、焼けるような痛みが走ってノートンは歯を食いしばる。
実のところ、ノートンはアラートが鳴り始めた頃――今から1時間くらい前から常に誰かしらと接敵しており、ろくに息をつけていなかった。
そのせいで集中力もじわじわと削がれていたのだが、たった今をきっかけにようやく自身の状態を自覚し、これ以上の継戦に意味はないと判断。
敵を一手に引き受けたおかげで、仲間たちの船も無事監獄から離れたようだ。撤退の頃合いだろう、とマオラオに声をかけようとした、その時だった。
「マオラ……オ?」
名前を呼んだ少年の口から、何かがこぼれ落ちるのを見た。
指、のように見えた。人の。
マオラオを取り囲んでいた白装束たちは、呆然と突っ立っていた。
彼らの顔から察せられたのは、未知の怪物と出会ってしまったような、震えるほどの恐怖心であった。
「――マオラオ!」
もう1度名前を呼ぶと、少年はぴくりと震えてこちらを見る。
「ノートン?」
その紅玉の双眸は、何の濁りもなくこちらへ向けられる。瞬間、口の中の異物に気づいたようで、彼は口を押さえて血相を変えた。
白装束たちが、揃って2、3歩後ずさる。その面前、マオラオはがくんと
ぴしゃ、とコンクリートに叩きつけられた吐瀉物は、赤色に濡れていた。
「――ッ!」
瞬間、ノートンはマオラオの元に飛び移り、短躯を抱えて海へと飛び出す。そしてのどかな昼過ぎの、青を溶かした海の水面を、風のように駆け抜けていった。
不思議と、その背に追撃が浴びせられることはなかった。
*
その日の夜。中央大陸と大西大陸の中間にある、小さな島に停泊していた脱獄囚の面々は、迎えに来たフィオネと処理班員たちの船に集合して夜食をとっていた。
わざわざ一隻に集中したのは、それぞれが持つ情報を共有するためだ。
なお、夜食とは言ってもあまりにこの一大事に関わった者が多く、一同が会するには船内の食堂はあまりにも窮屈であったため、甲板の広いスペースを使って三角座りや胡座など、各々楽な体勢をとっての簡易なものであった。
「夜の海は寒いし、早いところ互いの情報を明かしておきましょう」
全員の中央に立つフィオネが、赤いマフラーに首をうずめてそう言った。
「まず、悪病『ヘロライカ』に感染したミレーユの弟を治すために、ジュリオット達が北のロイデンハーツ帝国に行き、その途中でヘヴンズゲートに『グラン・ノアール』というカジノに誘われたらしいわね」
「うん。それで、そのカジノで兄ぃ……ウチのお兄ちゃんと会ったんだ」
「そうそう。散財しちゃったカラ、お金が必要だったんだよナ。それでカジノの用心棒のバイトをしてたんだケド、イベントで生き残ったあとヘヴンズゲートに入るかって聞かれて、ヤダって言ったら捕まっちまっタ」
「ウチらも同じ感じで、ウチ・ギル・マオ・ペレットが捕まって、ヴァスティハス収容監獄に送られたんだよね。……あれ、そういえばマオは?」
きょろきょろと周囲を見回すシャロ。脱獄の後、彼がノートンと共に海を渡ってきたことは知っているのだが、それ以降ずっと姿が見えていなかった。
情報が伝わっておらず、この集まりのことを知らないのだろうか。
そう思って三角座りを崩し、探しに行こうとするシャロ。すると、マストの根元に寄りかかっていたノートンが、湯気を立てるマグカップを片手に口を開いた。
「マオラオは気分が悪いと言って救護室にこもっていた。もうじき来るだろう。――そして、氷漬けになったジュリオットと、体力が奪われたミレーユを、俺とフィオネが回収した。が、ジュリオットは未だ解放されていない」
「多分、バーシーのやつを殺さなきゃダメなんだろうナァ」
意外と長い足で胡座をかき、後ろに両手をついて体重を預けるジャックが呟く。その真隣、同じく胡座をかくも両手は軽く組んで、太腿の上に置いたギルが『その後』と口を挟み、
「拠点が燃やされたフラムと、騎士の奴らに裏切られた神子サンが監獄送りになったと」
「ええ、そこまでは理解できるわ。かなり雰囲気が似てるし、ジャックがシャロの兄弟なのもある程度予想がついていた。……わからないのは野性味の強い貴方と、ペレットへの執着が強い貴方よ」
そう言ってフィオネが視線を寄越したのは、船の縁に寄りかかっているレムと、船首よりも1段高い船尾に続く階段に座るセレーネだった。
後者はペレットから半径5メートル以内の接近を禁止されたため、皆よりも少し遠いところに位置取っていた。
両者のことを唯一どちらも知っているギルは、片腕をジャックに触られ、遊ばれながら2人を一瞥して、
「おっさんはジャックの仲間で、俺と一緒に牢屋に入ってた奴。そんで、そっちの胸がでけー女が」
「そういう呼び方はやめてもらえるかしら。私はセレーネ=アズネラよ。ペレットくんが捕らえられてるって聞いて、『グラン・ノアール』から飛んできたの」
「正直、この子が1番わからないのよ。ペレット、説明してもらえるかしら」
「すいません、俺にもわかんないっス。俺が聞いても変なことしか言わなくて……あ、5メートル以内に入ったっス。出てってください」
「いいえ、ペレットくん。私の爪先はいま貴方の中心から5メートル1センチ、35ミリから40ミリの位置にあるわ」
「きも……」
「やだ、ペレットくんから軽蔑されるのゾクゾクする……じゃなくて、私の言葉を信じてちょうだい。貴方も私が触れれば全てを思い出すわ。ほら、ジャック=リップハートに触れて、シャロ=リップハートの記憶が戻ったのを見たでしょう」
「見ましたけど、アンタみたいな変態の記憶なんざ思い出したくありません」
本題をぶった切り、漫才のようなやりとりを始めるペレットとセレーネ。
引くことを知らないセレーネに限界を迎えたペレットが、『きゃーシャロさん助けて』と棒読みでヘイトを移したところで、
「……とりあえず、ペレットの味方でいいのかしら」
「すげェな、フィオネが気圧されてる……でも、ペレットの味方ってこたァ俺らの味方じゃねェってことだろ。信用できんのか? アンラヴェルと『グラン・ノアール』じゃあこっちに攻撃してきたんだぜ?」
「そうだよ、カジノの時なんか殺されかけたんだからね!? あの時、マオが来なかったらどうなってたか……」
「ええ……それに関しては、先日戦争屋と契約を交わしたノエルにどうにかしてもらうつもりだったんだけれど……」
言葉尻が消えて行くフィオネ。腕を組み、顎を摘んで思案顔だ。珍しく言葉を選んでいるらしい。そこへ、ジャックに髪を編まれたギルが『はァ?』と声を上げ、
「契約って、神子サンも戦争屋になったのか? ここには居ねェみてえだけど」
「そうよ。ついでに言えば、ミレーユも処理班に入ったわ。ノエルは……」
「――あぁ、それは私のせいだわ」
先程まで巻き込まれたシャロと威嚇し合っていた少女が、静かに告げる。
フィオネは階段に座る彼女を見上げ、『どういうことかしら』と言及した。
「私が彼女の友人を殺したの。聖騎士団長のフロイデという男をね」
「――」
「だから、顔を見たら殺したいくらい私を恨んでいるけど、組織の方針として私の処分はまだ決まっていない。そんな中で私を殺したら自分自身の評価が落ちる。それを理解しているから、距離を取ることを選んだんでしょう。賢い子だわ」
「――そう」
セレーネの告白を聞いて、フィオネを始めとする数名の表情が変わる。フィオネは顔から表情を消し、シャロはセレーネを見る目に嫌悪が混じる。
『メイド長』を演じていた時のセレーネのことも、関わりは薄かったがフロイデのことも知っていたミレーユは、憂いと驚愕が混じった複雑な表情をしていた。
「ねぇフィオネ、この人海に落とした方がいいんじゃない?」
「……いいえ、落とすには早いと思うわ。彼女にはまだ色々と聞くことがある。航海中はアタシとノートンで監視しておくから、手を出さないでちょうだい。――あとは、貴方達の話を聞かせて欲しいわね」
次にフィオネが目を向けたのは、レムとジャックの2人だった。
船の縁に寄りかかってうとうとしていた前者と、ギルの髪をサイドテールにすることに挑戦していた後者は、視線に気づいたのか揃って顔を上げた。
「……オレ先に喋ってイ? ねぇ、イ?」
「どっちでも構わねぇよ」
「よし、オレはジャックくん。可愛い可愛いシャロのお兄ちゃんをやってんゼ! 昔はギルと同期で兵士とかもやってたナ。最近までは傭兵団もやってたんだケド、誘拐されたから仲間とはぐれちったヨ。あい、レム」
「あー……俺ァレム=グリズリーでぃ。コイツの傭兵団にいた1人だ。えー……おめぇらと付き合うつもりはねぇ。たまたま脱獄を一緒にしただけでぃ」
「え、オレはレムともシャロ達とも付き合うつもりだったんだケド」
「勝手に決めんじゃねぇ!? コイツらと付き合ったらどんな目に遭うか……」
そう言って辺りを順繰りと見回すレム。この中でレムと喋ったことのある人物はギルとジャックくらいのものだが、この中で彼は最年長だ。
長く積んできた対人の経験から、同船しているメンツのほとんどが厄介者であることが彼には透けていたのだろう。
ただしジャックは、この場のほとんどが常人でないことはわかっていても、厄介事を背負っていることまではわからなかったようで、
「ジャック、うちに来なさい。はぐれた仲間集め、代行してあげるわ」
「ホントか!?」
「てめ、ジャック!」
「いや、だって信用できるゼこの人は! シャロの上司なんダロ? それに昔、シャロのこともオレの代わりに助けてくれたみてーだし。フィオネだっけ? その説は本当にありがとうナ! お礼に何でもするゼ! 頭使うのは無理だけどナ!」
「ジャックゥゥゥゥ!!」
疑うことを知らないジャックに頭を抱えるレム。相変わらずの能天気さに頭を痛め、自分だけでもこの野蛮人達からは逃れなければ、と決意を固めるが、
「貴方もうちに来なさい、レム。貴方、エリア『サード』に囚われてたってことは大罪人なのよね? アタシ達と関わっても関わらなくても、既に酷い目に遭う運命なんじゃないかしら。それなら、うちを味方につけておきたいと思わない?」
フィオネの魔手は素早く強固であった。がっちりと腕を掴まれた幻覚が見え、レムは野性味と渋さの同居する顔を思いきり歪めて、
「ッあー……」
「それに貴方、身1つよね? どうやって食い繋ぐつもりかしら。この島に残ってサバイバルも良いでしょうけど、まず救助は来ないわ。来たとしても囚人の格好をしているから、監獄に強制送還ね。自力で船を作るとしても……」
「だぁーっ、おめぇ、ヤな野郎だなぁ!」
淡々と言葉で責められて、短く切り揃えられた頭をむしゃくしゃと掻くレム。大声を上げる姿は珍しいのか、ハーフアップを作っていたジャックが目を丸くする。
「保留にさせろぃ! ……すぐに決められることじゃぁねえのは、おめぇさんも分かってんだろぃ。あと、ジャックのことも俺が決める。俺がいいって言うまで、アイツに難しい話を持ちかけねぇでくれ。馬鹿だから、すぐ引き受けちまう」
「わかったわ。色良い返事がもらえることを期待しているわね」
気味が悪いほどにこやかな表情をして、レムの前から立ち去るフィオネ。再び全員の中心に戻ると、夜の海風に遊ばれた髪を押さえ、
「話もあらかた聞けたところで。アタシ達は今から、オルレアス王国に向かうわ。燃やされた拠点の代わりに、オルレアス城の一部を借りることになっているから、寝床に関しては安心してちょうだい。それから――」
「――え?」
フィオネが続けて言った言葉に、数名の声が重なる。
それは、聞き間違いかと疑うほどに唐突で、異様なことだった。
「も、もう1回言って……?」
案の定、シャロが動揺しながら聞き返す。それに対してフィオネは、無情に、まっすぐに、一言一句言葉を変えずに繰り返した。
「マオラオについてだけど――彼はつい先程、戦争屋を脱退したわ」
— 第5.5章 叛逆の愚者 編・完 —
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