第147話『ばばーんと見参であります!』

 それから合流したグループAは、ひとまず大西大陸の崖沿いに停泊し、花都『シグレミヤ』に向かうため、仮眠を取りながら陽が昇るのを待った。

 なお、陽が昇ってからも霧の壁は晴れることはなかった。壁は昨夜と変わらず、血を思わせる赤黒いモヤを漂わせて、大西大陸とシャロ達を閉じ込めていた。


 ――朝6時、冬の空に朱色が滲み始めた頃。紙の包みに入ったサンドイッチを手に、甲板へ出てきた寝ぼけ眼のノエルは、船の縁に座るシャロを見つけた。


「……あ、おはようございます、シャロさん」


「ん……おはよぉ」


 片手に同じ包みを手にしたシャロは、背後からやってきたノエルに気がつくと、同じく眠たげな目をゆるりと細めて微笑む。どうやら、長い間ここに居たようで、海風にさらされた鼻と両耳が真っ赤だった。


 それから彼は自分の横をぽんぽんと叩き、隣に座るようノエルに促した。

 しかしシャロの傍にやってきた彼女は、『寝ぼけて海に落ちたら嫌なので』と縁を背もたれにして甲板に座った。


 そうしてしばらくの間、お互い何も言わずにサンドイッチを食べていると、飲み込んだシャロが不意に口を開いた。


「ノエルはさぁ……どれくらい眠れた?」


「えーっと……今が6時過ぎくらいですか? 寝たのが1時半でしたから……5時間弱ですね。もしかしてシャロさん……寝てないんですか?」


「うぅんー、寝たよぉ……30分だけ」


「ダメじゃないですか」


 軽くシャロを咎めて、一口頬張るノエル。


 なお、この頃既に完食していたシャロに対し、彼女はまだ7割ほど残っていた。

 昨夜フラムが残してくれたこのサンドイッチは、陣営の大半を占める『大人』に合わせて作られていたため、一口が小さいノエルは人より時間がかかったのだ。


 シャロの完食に若干焦りながら、小動物のように懸命に咀嚼そしゃくするノエル。

 彼女は、自分とは反対の方向を向いて座るシャロが、かくん、かくんと不規則に首を前後させていることに気づき、その腕をつついて起こしてやろうとして、


「――やいやい、そこに居る貴方がた!」


「うわぁ!?」


 どこからか声が降ってきて、ピーンと身体を硬直させるシャロ。

 声が聞こえた方向を見上げると、そこにあったのは崖だった。そこで、1人の少女が仁王立ちをしていた。


「あっ! 驚かせてしまいましたか!? 申し訳ない! それで、貴方がたはどちら様でありますか!?」


「えっ……誰ですか、あれ」


 思いもよらない場所から声をかけられて、心臓をバクバクと高鳴らせるノエルは平べったい胸を押さえて少女を観察する。


 それは、背の高い少女だった。崖なので比較対象がなく断定はできないが、比率的に長い脚と威圧感のある佇まいからそう判断する。そしてノエルに似た灰銀の、腰まで届いた長髪をサイドテールにしていた。


 それから、今のノエル達には距離のため視認できていないことなのだが、少女の片方の目は濃いピンク色を、片方の目は明るい紫色をしていた。


 また、彼女は兵隊か何かなのだろうか。腰に剣と思しきものを携帯し、渋めの紫色を基調とした制服と、つばのついた同じ色の帽子を着用していた。

 ちなみに制服はジャケットの丈が短かったり、袖口が大きく広がっていたり、スカートにフリルがついていたりと兵士らしくないものであったのだが、やはり遠距離のため今のノエル達は気づかなかった。


「言わないのでありますか! 言わないのならこの【メイユイ】、宝蘭ほうらん組第1番隊隊長『補佐』として武力行使もいとわないでありますよ! こら!」


「……あ、あぁ、ごめんなさい! びっくりしててつい……」


「よく聞こえないでありますー! そちらに伺いましょうかー!?」


「あ、あぁっ!? え、えーっと……どうしよ?」


 突然の不審者に困惑するシャロ。宝蘭組だの何だのと言っていたので、制服らしきものを着ていることを加味すると6割兵隊、4割ギャングなのだが、彼女をこちらに受け入れていいものかわからない。


 独特な喋り方からしてきっとアホなので、何かあっても丸め込める気がするが、血気盛んでもあるようなので、話をする前に滅多斬りにされるかもしれない。

 そう迷っていると、自身をメイユイと名乗った少女は痺れを切らしたようで、すっと崖から飛び降りてきた。


「お邪魔しまーす、であります!」


「わぁっ!?」


 とんでもない跳躍力で崖と船との隙間を越え、甲板に飛び降りてくるメイユイ。その衝撃で船が前後に揺れ、シャロとノエルはひっくり返って尻餅をつく。

 対するメイユイは低めの崖だったとはいえ、飛び降りれば無事では済まない高さから降りてきたにも関わらず、何ともないように立っており、


「こんにちは! 改めてご挨拶いたしましょう! 私は花都かと『シグレミヤ』の最高最強取締組織、『宝蘭組』の第1番隊隊長『補佐』、【メイユイ】であります!」


「え、えっと、ウチはシャロちゃん。せんそ……戦う……ぐ、軍人って感じかな!」


「なんと、軍人さんでありましたか! そちらのお嬢さんは?」


「ノエル=アン……ノエルです。ぐ、軍人見習いです」


「どひゃー!? こんな可愛いお嬢さんまで軍人さんとは! 軍役ぐんえき生活、大変なこともあるかと思いますが、努力は己を裏切りません。頑張ってくださいね!」


 『では!』とにこやかに告げて、帰って行こうとするメイユイ。彼女が船の縁に黒のショートブーツを履いた足をかけ、跳躍しようとしたところで、


「いや!! 違うであります!!」


 と、急いでシャロ達の元に戻ってきた。そして、ぐぐっと2人に顔を寄せて、


「何故、軍人さんがこの大陸に停泊しているのでありますか?」


「近い近い近い」

 

「お、おや、失礼しました。ただ、質問には答えて頂きたい、であります」


「えーっとですね……」


 左右で色の違う目に凝視され、渋々事情を話し始めるシャロ。監獄から出てきたことはもちろん伏せて、白装束の集団に追われてこの海に入ってきたと話す。

 また、その最中に仲間の船と別れてしまったこと、突如出現した『壁』に触れた仲間が倒れたことを話すと、


「まずいでありますね……」


 メイユイは腕を組み、顎に指を添え、渋い顔をした。


「あの霧は1ヶ月に数日間しか晴れないのであります。そして、ここ数日ちょうど晴れていたのですが……貴方達が入ってきた直後に出現したとなると、次に外に出るチャンスが来るのはおよそ20日後……」


「に!? 20日ー!?」


「はい。……ただ、とても難しくはありますが、もっと早くに出られる……かもしれない方法もあります。それは――」


「――シグレミヤの女王に直接交渉する、か」


「ノートン!?」


 不意に背後で声が聞こえ、揃って振り向くシャロとノエル。そこに居たのは声の主であるノートンと、寝起きなのか珍しくぽやぽやした表情のフィオネだった。

 一方、メイユイは『ノートン……?』とその言葉の響きを吟味ぎんみすると、


「もしや、トンツィ先輩でありますか!?」


「トン……ツィ? って、なに?」


「俺の昔の名前だ。実は、いま俺が名乗ってる『ノートン』って名前は数年前、自分でつけたものなんだ。……っと、久しぶりだな、メイユイ」


 説明の最中、滝のような涙を流して弾丸の如く飛びついてきたメイユイを、広い胸板で軽々と受け止めるノートン。身長190センチ越えの彼の腕の中に居ると、長身で大人びた姿のメイユイも子供のように見えて面白い、とノエルは思った。


 そして、その親密ぶりを少し羨ましく思いながら、


「女王に直接交渉する……というのは?」


「あぁ、それについてなんだが……いや。俺の話は推測が多く混じってる。メイユイから聞いた方が確かだろう。話せるか? メイユイ」


「は、はい。……と、その前に1つ、うっ、ううっ」


 ノートンから離れると、泣き腫らした顔を拭って人差し指を立てるメイユイ。それによって一同はメイユイが大事な話をするのだと思い、まだ眠りから覚めきっていないフィオネ以外は頬を引き締めたのだが、


「その……『ふなよい』というものをしてしまったみたいで……話は一旦、陸に上がってからでも良いでありますか……」


 そう言って、すっと青い顔になったメイユイが『うっぷ』と口を押さえた瞬間、一同は彼女の嘔吐に備えるため、船の中を弾かれたように駆け回るのだった。





 メイユイのために上がってきた崖には、とても美しい風景が広がっていた。

 ただっ広く青々しい草原。咲き乱れる色とりどりの花々――昇ってきた陽を浴び始めたそれらが海風で一斉に靡く様は、まさに絶景であった。


 ひとしきり吐いてすっきりしたらしいメイユイは、後ろに続いてくるシャロとノエルが崖の風景に感動していることに気を良くしたようで、


「うんうん、綺麗で穏やかで良い場所でしょう? 私もここの景色が大好きで、毎朝ここを素振りの練習場所に使っているんでありますよ!」


 と、胸を張って説明した。


「しかし、トンツィ先輩が帰ってくるなんて思いもよりませんでした。しかも、そんなに綺麗な女性を連れてくるなんて。先輩もすみに置けないであります」


「はは、フィオネはそういうのじゃないよ。ずる賢くて悪い男だから、メイユイも気をつけるんだぞ」


「あら……失礼しちゃうわ……」


 そう言って欠伸をするフィオネ。彼は、起きてから覚醒状態に入るまでなかなか時間がかかる体質のようで、今はノートンに介護をされながら歩いていた。

 一応、船に戻って寝ていたらどうかとは言ったのだが、彼はメイユイの話には睡魔と戦う価値があると判断したようで、頑なに首を横に振らなかったのである。


「――そういえば、その……メイユイさんって、鬼族なんですか?」


 るんるんと跳ねる少女の背を見ながら、こっそりノートンに耳打ちするノエル。

 本人には聞こえないよう声を抑えたつもりだったのだが、メイユイはぴくりと耳を動かして『そうでありますよ!』と興奮気味に振り返った。


「わっ!?」


「反対にお聞きしますが、ノエルさん達はその……初めて見たときから気になっていたのでありますが、ずばり、ニンゲンさんでよろしいのでしょうか!?」


「は……はい」


「タハーーッ!! 私の読み通りであります!! トンツィ先輩、私夢が叶ったであります、きゃーーっ!!」


「ははは、良かったな」


 唐突に走り出し元気にジャンプするメイユイを眺め、我が子と話す父親のような笑みを溢すノートン。一方、ノエルは彼女のハイテンションに呆然としながら、


「……ってことは、メイユイさんに『先輩』って呼ばれてるノートンさんも?」


「あぁ、鬼だ。知らなかったか? 何なら、今探してるマオラオも鬼だよ」


「――エッッッッ!?」


 こっそり会話を聞いていたのだが、驚きを隠せず大声を上げるシャロ。

 至近距離での彼の絶叫に、ノエルの小さな肩が跳ねる。


「初めて聞いたんだケド……え? 鬼だったの!?」


「ん? シャロも知らなかったのか? まぁ、確かに言った覚えはないし、マオラオも明かしたがらなかっただろうが……薄々勘づいてるもんだと思ってたな」


「確かに2人とも、人間にしてはやけに馬鹿力だなぁとは思ってたけど……!」


 そう言ってシャロが思い返すのは、2人のこれまでの行動の数々である。

 片手で頭を粉砕する、パンチの風圧で銃弾を返す、海を走って渡る――確かに、どれも鬼族でなければありえない現象だ。超人で片付けるには無理がある。


「でも、2人とも角生えてなくない? 鬼族って角が生えてるんでしょ? ……それを言ったら、メイユイちゃんも生えてないんだケド」


「あぁ、角を出すのは特別な時だけだ。出していると爆発的な力が手に入るが、代わりに物凄く疲れるからな。普段はしまってるんだよ」


 説明しながら、どこか憂いのある表情を浮かべるノートン。それに気づいたのはメイユイ以外の3人だったが、その真意を読み取れたのはフィオネだけだった。

 フィオネはとろんと落ちかけた瞼の奥から、紫紺の双眸でノートンを見やるが、言及はせず目を逸らして欠伸を噛み殺した。


 ――少しして。興奮のあまり先を行きすぎて、一連の会話が何1つ聞こえていなかったメイユイが『よし』と声を上げた。


「ここでストップであります。ここなら誰に聞かれる心配もありません。それでは、先程の話について詳しく説明させていただくでありますね」


 彼女はそう言って、辺りを警戒してから話を始めた。


 何度か紆余曲折したのだが、ざっと大筋をまとめるとこうであった。


 前提として鬼の国・花都『シグレミヤ』は現在鎖国中である。その理由はニンゲンの侵入を阻むためで、これにはかつて、鬼族の持つ宝石のような2本の角を手に入れるため、多くのニンゲンが『鬼狩り』を行っていたことが関係していた。


 なお、ニンゲンというのは人族のことではない。鬼族から見た人族と獣人族、どちらも『ヒト』として括られている2大種族のことである。

 鬼族とニンゲン、2つの派閥の間には圧倒的な武力差があったとはいえ、ニンゲンには数の優位があり、決して少なくない数の鬼達が命を落とした。


「そうしてニンゲンとの交流を恐れた鬼族は、大西大陸にこもり、長きにわたってニンゲンの侵入を徹底的に拒んでおりました。更に、ニンゲンとの関わりを持った鬼を国外追放……酷い場合には死刑を下してきたのであります。――が」


 近年、長い間王位についていた男が寿命のため逝去。

 代わりに王位についたのが、現在話に上がっている現『女王』であった。


 女王はこれまでの王族の中でも、特にニンゲン嫌いの鬼で有名だった。

 女王は即位した途端、法律や武力などあらゆる手を使って『シグレミヤ』からニンゲンの介入できる余地をなくし、更には自身の持つ『血を操る』能力を使って、大西大陸周辺に対ニンゲン用の結界を張ったのだという。


「それがあの壁であります。霧のように見えますが、あれは細かい血が空気に付着しているだけなのであります」


「血……でも、血に触れただけで人が倒れたりしますか……?」


 首を傾げたのはノエルである。彼女の問いにメイユイは腕を組んで、『そうなんですよー』と目を瞑る。


「そこが私にもよくわからず……しかしとにかく、あの霧の壁を操作しているのは女王なんであります。ですから、女王に謁見して交渉が成功すれば、壁が晴れて無事外の世界に帰れる……と思うのでありますが」


「筋金入りのニンゲン嫌いだから、謁見が叶うかどうか。謁見できたところで話を聞いてもらえるか、願いを叶えてもらえるか、って話ね」


 陽が昇りきったからか、メイユイの話を聞いていたからか、すっかり目が覚めたらしいフィオネが口籠ったメイユイの代わりに言う。

 と、今までの話を咀嚼そしゃくしていたシャロがふと『あれ?』と呟き、


「でもさ。メイユイちゃんは、ニンゲンを弾圧してる『シグレミヤ』に居るのに、どうしてウチらを逃がそうとしてくれるの? なんで、北東語が喋れるの?」


 そう問うと、メイユイは少しだけ驚いたような表情で固まった。

 彼女は靡く横髪を抑えると、『そうですね』と小さく笑う。


「まず、1つ目の質問にお答えしましょう。実は今から3年ほど前に、シグレミヤにたった1人だけニンゲンが居たのであります。私はその人に出会ってニンゲンの存在を知り……ずっと、ニンゲンと仲良くなりたいと思っていたのであります」


 そして2つ目、とメイユイは横髪を耳にかける。


「私はその人にせがみ、北東語を教えてもらっていたのであります。喋れているのはそのおかげです」


「……あら。随分危険なことをするのね」


「えぇ。実際、何度もお縄にかかりかけたことがあります。私も、先生も。でも、どうしても夢を叶えたくて、先生に手伝ってもらって……だから今、私はすっごく幸せであります。ニンゲンの言葉で、ニンゲンの方とお話しできて」


 まるで小さな蕾が花開くような、温かい笑みを浮かべるメイユイ。あまりにも綺麗な笑顔を前に、フィオネは少し複雑そうに目を細めた。そして、


「じゃあ、貴方はニンゲン迎合派……アタシ達の味方と信じて良いのね?」


「はい! ただ、私1人では出来ることが限られています。……ですから」


 メイユイはある方向へ駆けていくと、途中でくるりと振り返って腕を広げる。

 その背後には、木々に花を咲かせた山々が囲む、白い街並みが広がっていた。


「――ご案内しましょう。花都『シグレミヤ』が誇る最高最強取締組織、『宝蘭組』の屯所へ!」

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