第143話『バード・エフェクト』

 後々確認したところ、ギルが盗んだノートはやはり『手記』であった。


 どれも保存状態はまずまずだったが、一部は紙が黄ばんでいた。恐らく、かなり前の世界のギルが書いたものだろう。全部で9冊あったので、数的に考えると前回フィオネが拠点と一緒に焼失した、と思っていたものに違いない。


 実際は、これら9冊が収容監獄の書斎にあったことから、ヘヴンズゲートはこの『手記』の存在に気づいて、燃やさずに拠点から押収していたようだが。


 中を読んでみると、それらの手記の半分には、黒のインクで沢山の書き込みがされていた。なんと書いてあるかはわからなかったが、それはもうびっしりと。

 この目が痛くなるような書き込みの多さと、先程見た机上のインク壺の量を考えるに、きっとあの部屋の持ち主が書いたのだろう。


 かなり上の立場の人間のために用意された部屋のようだったので、順当に考えれば監獄長であるミュージカル男――ヨハン=バシェロランテの筆記だろうか。

 マルトリッドもかなり上の立場のように思えたが、この書き込みは翻訳文なのではないかと考察すると、やはりヨハンのように思える。


 理由は単純である。彼が働いている瞬間を見たことがないからだ。翻訳している暇があるとしたらヨハンだろう。


 さておき、偶然良いものが手に入った。書き込まれた文字が読めないことから、この世界の文字は前の世界のものとは違うことが明らかになったが、翻訳文の可能性がある書き込みつきの手記を手に入れたので、結果的にプラマイゼロである。


「けど、なんでアイツは翻訳できたんだ? いや、まぁ、これが過去の手記の翻訳文だって前提だが……アイツの特殊能力ってなんだ? 『焦燥の念が残留してる』とか言ってたけど。人の気持ちが読める、とかそんなとこか?」


 ギルはつぶやきながら、自前のノートと9冊の手記をひとまとめに抱えて、射出器で再び登った城の屋根から飛び降りる。目指すは監獄の中庭だ。


 監獄長のヨハン、鉄の女看守マルトリッドに見つかってしまった以上、数日は彼らに探されることになるだろう。その間監獄の警備は固くなり、経路も制限され、戦争屋の脱獄はひどく厳しいものになるはずだ。

 となると、脱獄するにはもう今日しかチャンスがない。


 手順を考えなければ。


「まず、『セカンド』と『サード』の鍵を看守室から奪って……」


 先に『サード』へ行き、居るかもしれないギルとレムの解放を急ぐ。

 それに際して今までの経験上、ギルは知り合いに近づくと気絶してしまうので、牢屋の中に鍵を投げ込み、彼らには自力で枷を外してもらうことにする。


 そうするとまだヤツの脅威を知らないギル達は、アバシィナのカスまで解放してしまうかもしれないが、もしそうなったら自分がアバシィナのカスを――略してアバカスを暗殺するつもりだ。


「――ってわけで、とりあえず『サード』に来てみたはいいが……どっちのエリアの鍵もなかったな。既にノートンが動いてんのか……?」


 薄暗い地下水路を進みながら、周囲を見回すギル。

 地下水路に作られたいくつかの洞穴、その中には複数の人影が転がっているように見えたため、どうやら『サード』のシステム自体は残っているようだった。


「えーっと……ここ、だよな」


 前回自分が捕らえられていた洞穴を見つけ、ギルは口の中で呟く。ぼんやりと人影が見えた気がして、彼は鉄格子に近づきよく目を凝らした。

 

 洞穴の中には、人影が2つあった。

 片方は暗闇でもはっきりとわかる、熊のような巨躯を持った男の影だ。もう片方は人並みのシルエットをしており、大体の骨格から男であることがわかった。


「――」


 レムと、自分だ。ギルは息を止めた。


 こうしていざ自分を目にするのは、妙な感覚であった。


 しかし――どうしてアバシィナが居ないのだろうか。アドにとって彼は、とても有用な人物であったはずだ。実際、彼の作ったエラーは戦争屋を2人も殺した。

 逃しておくはずがないと思うのだが、僅かな歴史の乱れが、自由奔放な彼を取り逃してしまったのだろうか。


 まぁ、それならそれで好都合だ。もしいま彼のことを目にしていたら、自分の目的も忘れて彼を殺していたところだった。

 この一刻が事を争う状況下で、感情を昂らせるようなことはしたくない。居ないなら居ないで懸念することはあるが、とりあえずは運が良いと思っていよう。


 ギルは自分を諭し、鉄格子から1歩身を引いた。


 ――ギルとレムは、『サード』に捕らえられていた。

 ――ところが、鍵は看守室にはなかった。


 これは、予想していなかったケースだ。


 一方があるならもう一方もあり、一方がないならもう一方もない。

 そう考えていたのだが、読みは外れてしまった。


 一体どうするべきだろう。

 考えていると不意に、何かの音が耳に触れて、ギルは眉をぴくりと動かした。


「……ぁ?」


 何か、硬いもの同士が擦れ合う音だった。金属と石だろうか。それに混じって、鎖が動くような音もする。それらの音が段々と、ギルの元へ近づいて来ていた。


 どくん、と心臓が跳ねる。


「まさか……いや、だとしたら」


 そうつぶやいて音の聞こえた方を振り向くと、橙色の光が地下水路をほのかに照らしていた。光源は燭台の蝋燭だ。――細く、白い人の手に握られた。


「――どうしました?」


 少女らしい声が、ギルにかけられる。


 それは、ギルの知る『彼女』の声とは似ても似つかず、別人なのではないかと思わされた。が、目に映ったその姿から、それが『彼女』であると確信した。


 何年も陽の光を浴びていないのだろう白い肌。漆黒の修道服に隠された痩躯。

 すぐに不健康なのだとわかったが、きっちり整えられた白い髪と、シワ1つない黒衣から、その状態は彼女の怠慢で作られたものではないことが理解できた。


「刑務作業の呼び出しには、まだ1時間ほど早いはずですが」


 彼女は、上の階で警報が鳴り響いていることを知らないのだろう。特別いぶかしむ様子もなく、ただ1人の白装束としてギルとの対話を試みていた。


 だが、ギルはそれに応えることはしなかった。


 アズノアがここに居るということは、『結界』が張られている可能性が高い。

 そして、よくよく思い出してみると、そう――彼女の結界の中は、外の世界の影響を受けないが故に、時間の流れが狂っているのだ。外の世界で1日が経っても、結界内では1分しか経っていない、ということが起きる。その逆もまた然り。


 つまり、彼女と悠長に話している暇はなかった。

 早いところ彼女から鍵を奪って、ギル達を解放しなければならない。


「……ッ!」


 ギルは射出器を振るい、無防備だったアズノアを捕縛した。


「やっ!?」


 悲鳴を上げて、少女は倒れる。手放された燭台は地下水路の水に沈み、辺りを照らしていた橙色の光がぱっと消えた。鉄球の鎖だけはまだ握られていたが、肘のあたりを縛り上げたので、彼女はもう満足に振るうことが出来ない。


 ギルはアズノアに走り寄り、ぺたぺたと全身を触った。鍵を探さなければ。


 腰を、胸を、とにかくポケットがありそうな箇所を、ぺたぺたと触る――当然、この時のギルによこしまな気持ちは欠片もなかった。

 だが、そうと知らないアズノアは、唐突に受けたセクハラに言葉を失い、


「な……何をしているのですか! だっ、やめ、やめなさい! 何を、んっ」


「黙っとけテメー! こっちァ急いでんだ!」


 少女の口を片手で塞ぎ、レム達に自らの存在がバレないよう小声で返すギル。


 既に洞穴の方から枷が動く音が聞こえていたので、彼らがこちらの異変に気づき始めているのは知っていたのだが、何が禁止事項に接触するかわからない。

 故に自身の存在感の滅却を徹底し、無意識だが同時にムッツリスケベの誤解をアズノアに刷り込んでいた。


「……った!」


 そうこうして尻にあったポケットから鍵を奪うと、ギルは一目散に牢屋に飛びつきレムと思しき人物に鍵を投げ渡した。

 手と脚は枷で繋がれているが、首は自由だったはずだ。口でも何でも使って、どうにか枷を外してもらおう、という作戦だった。


 ちゃりん、と鍵の落ちる音。


 それを聞くとギルは、アズノアが非難する声にも、レムの『あぁ?』という唸り声にも構わず、勢いよく『サード』を飛び出した。





 手順その1が終わった。その2はこうだ。


 まず『セカンド』に行き、戦争屋を解放する。

 これに関しては前回、ノートンがうまく動いてくれていたので、もしかするとギルが動く必要はないかもしれないが、ここに来てから少しずつ、世界の流れが変わっていることに気づいたので、万が一に備えて準備をしておく。

 鍵が見つからなかったので、鉄格子ではなく壁側を爆破しての解放になるが、背に腹は変えられないだろう。


 そして全員を解放し次第、ガレージ・ドックを開け、先回りして船の中に手記を投げ込んでおく。そうすれば誰かしらに気づいてもらえるはずだ。


「よし……」


 昇降機――後の世にはエレベーターと呼ばれるものを使って、地下1階から地上2階、エリア『セカンド』へ戻るギル。

 この頃にはもうアラートはとっくに止んでおり、代わりに大勢の白装束や看守がひっきりなしに動いていた。


 またよく見ると、あちらこちらに白装束や看守の死体が転がっており、既に戦争屋側の誰かが動き出したのだと分かった。


「多分、ノートンだろうなァ……。けど、まだレムのおっさん達が出てねーから、今ある監獄の勢力は全部兄貴に集められてるはずだ。足止めされてっとまずいし、テキトーなとこから援護射撃しつつ、ドックに向かうか……」


 ギルはひとまずの方針を立てて、射出器をつけた腕を振るう。すると、少し離れたところにあった塔のような建築物の先端に、飛んでいった射出器の糸が絡んだ。

 勢いよく糸を戻す射出器に引っ張られ、ギルは『セカンド』上空に吹き飛ぶ。


「えーっと、あっちにマル……あの、マルタ……リッドが居て、あっちに看守集団。全員おんなじ方向に向かってんな。多分この先にノートンがいて……っと」


 塔の屋根に到着し、背負っていたシーツの容れ物からライフルを取り出すギル。異様に人が群がっている場所を発見すると、フルオートで頭を撃ち抜き一掃する。


「っぱノートンだ。ようやく顔が見れたぜ」


 次々と襲い来る白装束達を一手に引き受ける男の姿を見つけ、ほとんど彼が殺したのだろう死屍累々とした空間に援護射撃を入れる。今度はセミオートだ。


 1人、また1人と数が減っていく敵集団に、ノートンが不審がる様子はない。それほどまでに手一杯なのだろう。痛快なくらいには白装束たちを圧倒しているが、未だ本人の顔に余裕は見えない。

 しかしこれ以上手伝うと流石に気づかれる、と判断したギルは射撃を中断し、更に射出器で移動した。


 到着したのは、前回戦争屋の面々がほとんど捕まっていた牢屋の付近にあった、ビルのように数階建てになった牢屋の屋上だった。

 処刑の日当日ということで、どさくさに紛れて処刑人のチャーリーが、彼らを処刑台に移しているかもしれない、と気になってやってきたのだが、


「……あ?」


 ギルは声を漏らす。不可解な状況が目に飛び込んできた。


 まずギルは目を凝らし、前世で『セカンド』に捉えられていた人間を思い出す。ジャック・マオラオ・シャロ・フラム。そう4人だ。

 だが、ギルの目が確かなら今、牢屋は5つ埋まっている。しかもその、居たはずのない牢屋に居るのは、黒髪の生意気そうな少年――。


「ペレット……? なんでアイツがそこに……しかも」


 白装束が1人、そのペレットと会話をしている。

 丁寧にフードまで被っているせいで、誰なのかは判別できないのだが、少なくともチャーリーではなさそうだった。もっと小柄な、少女の体型をしていた。


「誰だアレ……撃った方がいいのか?」


 白装束に扮した味方の可能性も拭えず、銃口を向けたまま様子を伺っていると、突然。少女体型の白装束がこちらを振り向いて、鈍く光る何かをかざしてきた。


 拳銃だ。それに気づいた瞬間、ギルは身を引っ込める。直後、目にも止まらぬ速さで、空気を裂く音だけを帯びて、銃弾が頭上を走り抜けた。


「ハァーーー??」


 マオラオみたいな声が出た。もうわけがわからない。


 ――撃たれる寸前、白装束の顔が見えた。やはり、少女らしい丸みを帯びた顔立ちをしていて、しかしその翡翠のような目は、少女らしからぬ殺意に満ちていた。

 少女からギルまでは距離があり、ギルも気配を殺すことには慣れていたのに、確信を持ってこちらに銃口を向けてきたあの目。数日は脳裏に焼きついていそうだ。


 だが何より目を引いたのは、向日葵の花のような、輝かんばかりの金色の髪。


「……セレーネ、だよな……あのアンラヴェルのメイドだったヤツ……なんでアイツがここに居んだ、つかなんで生きてんだ!?」


 愕然としているとそこへ、一際大きな音が飛び込む。地面が割れた音だ。ふと見ると、こちらへ走ってくるノートンの後ろに2人の影があった。


 片方の正体はアズノアだった。どうやって糸から抜け出したのか、彼女は自由になった腕で鉄球を振り回していた。幸い、ノートンはそのフィジカルで、迫り来る超質量の鉄を難なく避けているようだったが、代わりに鉄球が『セカンド』のあらゆる建物にぶつかって、監獄のいたる箇所に崩壊が起きていた。


 もう片方の正体はチャーリーだった。その2メートル近い長身にそぐわない、ふわふわとした空色の髪が見える。彼はパステルカラーで構成された、しかし身の丈よりも大きなハンマー型の武器を抱えて、ノートンを追っていた。


「アイツ、マジで振り回し方えげつねェな……つか、こっち来てるよな? ジャック達は……」


 アズノアの破壊に巻き込まれる予感がして、慌ててビルの陰から身を出すギル。ところが、先程セレーネが向かい合っていた牢屋には、もう誰も居なかった。


「え? は? アイツが逃したのか? アイツは……あの女は、味方ってことでいいのか……? あぁぁぁわかんねェ……!!」


 耳の後ろを掻きむしり、混乱したまま塔から飛び降りるギル。


 想像よりもこの世界は、ギルの知る世界とは違うことがわかった。脱獄までのスピードもずっと速い。手記を届けるためにも、急いでドックに先回りしなければ。


 そう思っていたのだが、


「……は?」


 地面に着く少し前、射出器を展開しようとして、また目の前が真っ暗になった。

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