第142話『拝啓、来世の君達へ』

 ヴァスティハス収容監獄。それは、約400年の歴史を持つと言われている、世界中の極悪人を収容する大監獄の名前である。


 それゆえ昔は正義の象徴だったそうなのだが、その裏では一体いつからなのか、宗教集団『天国の番人ヘヴンズゲート』との協力関係が結ばれており、監獄にまつわる全ての事柄の公平性や信憑性が疑われる昨今だ。


 監獄は、主に3つのエリアで構成されている。

 1階の『ファースト』、2階の『セカンド』、地下の『サード』――収容される囚人は、犯した罪の度合いによって、この3つのエリアに振り分けられる。


 中でも1番恐ろしいのがエリア『サード』で、ギルが収監された当時は『死刑よりも重い判決』と言われている『永遠の終身刑』が行われていたのだが、それは結界外からの影響を受けないというアズノアの能力ありきの処刑であった。

 アズノアが居ないと予想されるこの世界では、『サード』の囚人の処刑はどんなものになっているのだろう。


 エリア『セカンド』――まるで1つの街のように広々としたエリアの中、集合住宅のように立ち並ぶ石の牢屋に挟まれた大通りを歩きながら、ギルは考えていた。


 この『セカンド』は数十年という長期間に渡る禁錮が決まった者や、死刑判決を下されて順番待ちをしている囚人達が収監されており、そのほとんどが生気を失い亡霊のようになっているため、どの階よりもじめじめとしたエリアであった。


 もし、前の世界と同じように歴史が進んでいるのなら、ここにはジャックとマオラオ、シャロとフラムがいるはずなのだが――。


「――はーい、昼食のお時間ですよぉ〜」


 仲間達の姿を探して数分、不意に鼻につく間延びした声が聞こえて、ギルは立ち止まった。声が聞こえたのは、連結された牢屋を挟んで隣の通路からだった。


「この声は……」


 間違いない、あの空色のふわふわ頭――チャーリーだ。

 前の世界でギル達の処刑人を務めていた男。結局全員に脱獄されたので、誰の処刑も出来ていなかったが、もしやこの世界でも彼が戦争屋を担当するのだろうか。

 チャーリーと一緒に居る囚人が誰なのかを知るため、ギルは白装束のフードを被り直して近づいた。


 だが、次の瞬間、


「……ぁ?」


 視界が暗転して、ギルは額を打った。ごちん、という鈍い音と、目の前で火花が散ったような錯覚。意識を失うことはなく、幸い数秒後には視界も戻ったのだが、


「今の……」


 身体を起こし、額をさすりながら、ギルは考える。

 

 船から滑り落ちた時と、感覚が似ていた。状況が近似していることを考えると、あの時と今、どちらも偶発したものではなさそうだ。意識が不安定になった2つのタイミングで共通していた事――それは、


「誰かに近づこうとした時……いや、知り合いに近づいた時……か?」


 役人やトンプソンと居たときは何もなかったことを考えるに、多分後者だろう。恐らく今のギルは、知り合いに近づこうとすると、それを妨害される状況にある。


 何故だかは知らないが。


「世界を越えられたはいいが……ただで越えさせてもらったわけじゃァ、なさそうだな……」


 何かしら不都合なことが起きるのは既に覚悟していたことだが、一体彼らと接触できるようになるのはいつからなのだろう。もしもこれが一時的なものではなく、一生続くようなら――ギルは、彼らと関係を絶たねばならないのだろうか。


「……いや。今はそれどころじゃァねぇ」


 今は、彼らと接触が出来ないことで、アドやヘヴンズゲートへの警戒を、今の戦争屋の面々に促せないことの方が問題である。


 過去2度の経験からして、だいたい彼らから半径5メートル以内に入れば妨害されることがわかっている。それ以上に距離を取らなければ妨害されるとなると、顔を合わせて口頭で会話をする、という手段はまず選べないだろう。


 となると、無線機越しに会話をするか。あるいは限りなく不可能だが、ギルが近づいても問題ないほど関係が薄いかつ、部外者に他言しないと信頼できる真反対の二面性を併せ持つ誰かに伝言を頼むか、もしくは――。


 何か良い手段はないか、と思考していたその時だった。


 不意に、言葉が頭に響いた。


《――もし何かあった時は、記録に残しなさい》


「……アイツ」


 思い出したフィオネの言葉に、ギルは溜息をつく。

 呆れからのものではない。感嘆である。


「ここまで読んでやがったのか? 『未来視』ッつったって、何万年は先だぞ」


 言いながら、ギルは立ち上がった。


 文字を書けるものを探さなければ。ギルが書けるのはアルファ文字だけだ。一言一言を書くのに時間がかかるので、早めに書き始めなければならない。


「ガンマ文字は練習すんなって……そういうことか? まさか」


 ガンマ文字はアルファ文字の何十倍も量があり、ある程度習得しようとすれば、相当な手間と脳の容量が必要となる。

 きっとあの短時間で練習しても中途半端にしか覚えられない上、せっかく覚えたアルファ文字も忘れてしまい、全てが無駄になると予測したのだろう。


 フィオネにとっては幼稚で、とても読みにくいはずなのに、アルファ文字だけで書かれていた方が読みやすい、と言った当時の彼の心理も、今なら理解できる。フィオネがギルの記録を解読することを見据えてのものだったのだろう。


「まァ、割と色んなヤツと喋ってきたし、前の世界と今の世界で、ンな言葉に差があるようには思わなかったけど……そこだけ読み違えたのか? あいつァ」


 呟きながら、ギルは動き出す。向かうのは看守室だ。あそこには資料がたくさん置いてあった。文字を書けるものも、探せば必ず見つかるだろう。


「まぁ、もし多少違ったとしても、あいつなら解読してくれ――」


 と、瞬間。ちりと脳が焼けるような心地がした。

 電流が走った、というべきか。点と点が、繋がった瞬間だった。


 ――以前、シャロは言っていた。


 ウェーデン王国の煉瓦街で、ギルにそっくりな男と出会ったと。しかしそいつは喋らなかったと言った。今ならその理由はわかる。彼も自分と同じように、前の世界から来た本物のギル=クラインで、知り合いとの干渉を制限されていたのだ。

 何故か、シャロを抱きしめられるほど接触できているので、自分とは制限されている内容が違うようだが――これは、関係がないので置いておく。


 それからギルに『記録』の大切さを偉そうに説いていたフィオネ。彼は、記録を残せばいつか誰かが読んでくれると言っていた。そして実際に今、ギルは前の世界の情報を今の彼に託そうとしている。『手書きの記録』という形を取って。


 そんなフィオネには、熱心に解読しているものがあった。『手記』だ。


 聞いたところによると、ヘヴンズゲートが起こした戦争屋の拠点爆破によって、最終的にはフィオネの手元に4冊しか残らなかったようだが、本来は全部で13冊あったのだという『手記』。


 それらは、『この世に存在しない文字』で書かれていると聞いた。また、ウェーデン王城の地下室から押収したものであるということも。

 なお、押収したのはドッペルゲンガーのギルが、ウェーデンの煉瓦街に現れ、シャロと出会ったのと同じ日――。


「は……」


 笑みが溢れる。自然と口角が上がり、背が震えた。


 前のギルもその前のギルも、今と同じような状況に陥り、同じ手段をもって、次の自分達へ何かを伝えようとしていたのだ。しかも手記の数は13冊。もしも1人1冊書いたのだとすれば、13人のギルが世界の記憶を繋いできたことになる。


「……面白ェな。こんなにも長い戦いだったたァ」


 ギルは弧を描く口元を押さえながら、歩みを進める。白い羽織をはためかせて辿り着いたのは、『セカンド』の看守室の前だった。

 塔のような石の建造物を前に、ギルはふっと笑みを消し、


「これで、終わりにしてやんねェとな」


 誰にも聞こえない声で、ぽつりとそう呟いた。





 そうして看守室に入り、新品のノートと鉛筆を手に入れたギルは、自分の世界で起きた出来事について書き始めた。


 まずは、エラーという危険な少女がヘヴンズゲートに居たこと。フラムやジャックがその少女に殺されたこと。

 ペレットは1度裏切ったが戻ってきたこと。ジュリオットやリリアの氷は、バーシーという氷使いを殺せば溶けること。


 ヘヴンズゲートは拠点が2つあり、第二拠点は窪地に建った古代遺跡風の建物であったこと。ヘヴンズゲートを統率しているのは、アドという名前の男であり、『1枚きりの画用紙リメイク・ワールド』という能力を持っていること。およびその能力と被害の内容。


 戦争を回避してもらう為に、直近であったことを最初の方のページに書きつつ、この世界では何が既に起こっていて、何がまだ起こっていないかを知らないので、戦争以前の出来事についても書き連ねていった。


 アンラヴェル神聖国は、『ヘロライカ』というウイルスを、ガスにしたものによって滅びたこと。

 ヴァスティハス収容監獄には元々『アズノア』という少女がいて、彼女がヘヴンズゲートの目的に大きく関わっていたこと。

 アバシィナという男を信用してはならないこと。

 セレーネというヘヴンズゲートの少女は、ペレットの、戦争屋にとって不都合な記憶を所持しているため、彼女を殺して記憶を戻させてはならないこと。


 昼夜を問わず看守の目を盗み、使われない物置や階段などに隠れて文字を書き続ける。鉛筆の芯が折れたり潰れたりすると、ナイフで研いでまた書き始めた。


 アルファ文字は簡単な分、1つの単語を表すのに使う文字が多い。それゆえ全てを書き切るのに時間がかかった。その間休む暇はなかったが、ギルも手の痛みや寝不足などの弊害は起きなかったので、さして問題はなかった。


 文字を間違えれば、黒く塗り潰して消す。


 手に入れる力が強くなるあまり、紙が破けたら、その紙を根元から破り捨てて、また最初から書き直す。


 それを3日間繰り返し、時は30日の午前9時。


 ギルは戦争屋を解放する準備のため、監獄の2階に向かっていた。

 さすが元王城というだけあって、経路は複雑であったが、この頃になるともう1階から3階までの大雑把な構造は把握していた。


 ギルは慣れたように通路を歩き、2階に続く螺旋階段を目指す。その道中、彼は普段開いていない部屋のドアが、うっすらと開いていることに気づいた。


 ギルは息を殺し、ドアが設置されている壁に背をつけて、耳を澄ませる。


 物音はしない。人の気配もしない。通過しても問題なさそうだ。

 そう判断して、ギルは今度こそ階段を降りようとした。と、耳に触れる足音。


 たんたんたん、という小刻みで静かな音が、下の階から聞こえた。

 誰かがこちらに向かってきている。


 ギルは今日まで誰とすれ違っても、白装束のフードをきつく被って、顔を隠すことでやり過ごしてきた。が、流石にフードの届かない下から来られるのはまずい。

 顔を見られればギルが脱獄したと思われ、通報されてしまうだろう。


 ギルは後退あとずさり、先程無人であることを確かめた部屋の中にするりと入り込んだ。


 ――部屋の中は広く、書斎のようになっていた。


 書き物をするのだろう机があり、その正面にはローテーブルとソファ。部屋のあちこちに置かれた本棚には、ファイルがぎっしりと詰め込まれていた。

 堅苦しい雰囲気の部屋だが、白い薄手のカーテンがかかった大きな窓から一望できるヴァスティハスの海が、この部屋に唯一清浄をもたらしていた。


 そんな風に部屋の確認をしていると、ギルはふと気づいた。書き物用の机に、数冊のノートと5個のインク壺が置かれている。そのうち4つはからだった。


 普通、1度に5個も使うものだろうか。

 そう思いながらも、ギルは目を逸らそうとした。目を引かれはしたが、今の状況を放置してまで気にすることではないと思った。


 しかし直後、彼はさらにあることに気づいた。それはひどくその環境に馴染んでいて、インク壺に目を向けなければ気づかなかったことであった。


「これは……」


 ギルは、机上のノートを手に取る。と、同時聞こえた音。


 それは、先刻聞いた足音の主が、最後の段を踏む音だった。

 ギルの意識はノートから、ドアの向こうの人物へと向けられ、瞬間、彼は自分の認識が1つ間違いであったことを知る。


「2……!?」


 口にしたのは、ドアの向こうにある気配の数だった。


 だが、先程聞いた足音は、間違いなく1人分であった。


 どういうことだ、とギルは困惑する。


 いや、気配が2つあるからには、部屋の前には人が2人立っているのだろう。それは揺るがないし受け入れている。問題はそこではないのだ。


 問題――というか気になるのは、突然存在を露わにした『2人目』――長年戦地に置かれて機敏になったギルの耳でさえ、まるで聞き取れないほど足音を殺せる人間に、気配を抑えようという気がないことであった。


 周囲に仲間しか居ないと思い込み、油断しているのだとしても、それなりに修練を積んだ者ならば多少は抑えられる。が、これはまるで素人の空気感だ。


 自身から発生する音の操作は熟練されているにも関わらず、その点だけが素人という両立するはずのないギャップがギルの気がかりだった。


 まさか幽霊でも連れてきたのだろうか、などと冗談を頭の片隅に置きつつ、ギルはノートを戻してソファの裏に滑り込もうと動く。


 と、声が聞こえた。


「ミス・マルトリッド。気をつけてくれ」


 最初に聞こえたのは、やけにミュージカル調で腹の立つ、しかし伸びの良い男の声だった。


「どうした」


 応答したのは、感情が抜け落ちたように酷く冷たい女の声だった。


「焦燥の念が残留している。しかも全く薄れていない……どうやら、この感情の持ち主はまだ近くにいるみたいだね」


 その言葉を聞いた瞬間、ギルは弾かれたように机に戻ってノートを集め、まとめて小脇に抱えた。そして窓のカーテンを開け放ち、窓ガラスに触れた。


 どうやらこの部屋に隠れるのは無意味なようだ。それにあの女が一緒と来ては、もうここに居る意味はない。無駄な戦闘は御免である。


 どのみち姿は見られるので、逆境に飛び込むことになるだろうが、ここで捕まれば顔を見られて戦争屋の脱獄がずっと困難になる。逃げるほか選択肢はなかった。


「……まさか」


「あぁ、臨戦態勢をとってほしい。焦燥が覚悟に変わっている。向こうも戦う気でいるようだね」


 ギルは、両開きの窓を押し開けた。きいと蝶番の部分が音を立てたが、もうなりふり構ってはいられない。半円型のベランダに出て、柵の部分に足をかける。


 背を向けた方向から、ドアが開く音が聞こえた瞬間――ギルは、飛び降りた。


 ふわりと広がる白い羽織。

 数瞬の後、『待て!』という凛とした女声と共に風の唸る音がして、背後の窓ガラスが粉々に砕け散るのがわかった。が、そのガラスを割った何かは、ギルの頭上を駆け抜けて空気に溶けていった。


 珍しく、ヴァスティハスの孤島を照らす陽の光を、粒になった無数の窓ガラスが反射して、きらきらと一帯が煌めき出す。


「――ッ!」


 ギルは射出器を巧みに操り、監獄を取り囲む木々の中を疾走した。


 数分後。

 地上に到着してから、島中に響き渡ったアラートに、ギルは苦笑した。


「やーっちまった」

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