第5.5章 叛逆の愚者 編
第140話『正しく無垢な狂信』
ギルは情報を整理する。
今日の日付は
この世界のギル=クラインは、ヴァスティハス収容監獄に収監されている。
この、11月末に収監されるというのは、前の世界のギルにとっては――自分で自分を『前』というのも妙な感じだが、およそ1ヶ月ほど前に体験した状況だ。
それがそっくりそのまま、現在進行形で起こっているということは、
「アイツの能力……リメ……なんだっけ、そうだ、『
ギルは首を掻く。
しかし何にせよ、到着したのが戦争直前でなくてよかった。
戦争が始まる直前だったら、圧倒的に時間が足りず、故にあの惨事を回避するための立ち回りが上手く出来ていたかわからなかった。
「……けど」
もしも前世をなぞるように、全く同じ出来事が同じタイミングで起こるのなら、この世界でも12月25日にあのヘヴンズゲートとの戦争が起こることになる。すると猶予は今からちょうど1ヶ月。依然、時間がないことに変わりはない。
「……うん? 待てよ?」
不意に、何かが喉に引っかかるような感覚があって、ギルは顎に指を添えた。
本当にこの世界は前世をなぞっているのだろうか。
例えばアズノア。アドと出会い監獄の管理人となった彼女は、『外の世界の影響を受けない』という結界を作ることで、何度も世界を越えていたという話だ。
しかし前の世界にてアズノアは、全身を撃たれて死んでしまった。
これでもしアドの発言が正しいのなら、彼女は『魂の還元』を果たして、本来のアズノアとしてこの世に生まれ落ちていることだろう。
そうすると、この世界のアズノアは何百年を生きた狂人ではなくなり――ひょっとすると、まだアドとの関わりのない無垢な少女でいるのかもしれない。
もしそうなら、既に前の世界とは違う歴史を辿っていることになる。
「全く同じ流れなら、前の世界の情報が役立つんじゃねーかって考えてたが……」
ギルは、乾いた唇を小さく舐めた。
南で鳥が羽ばたけば、北で吹雪が止む――『バード・エフェクト』という(大南大陸発祥らしい)言葉があるように、世の中何がどう繋がるかわからない。ズレが生じているのなら尚更、慎重に動かなければならない。
「とりあえず、これで方針はざっくり決まった。あとは、どうやって今の俺らに合流するかだが……あー、今日は24日……24日ッつーと、脱獄よりちっと前か」
この日既に収監されていたのは、ギル・マオラオ・ジャック・シャロ・フラムの5人だっただろうか。ノエルはもう少し遅かった気がする。ここにレムを含んでも良いのだとしたら、いま居場所が判明しているのはこの6人なのだが、
「なんで……こう……頭が悪そうな奴しか居ねェんだ……?」
『世界の決定』がどうのこうので、倍速されてうんたらかんたら、と説明したところで、理解してくれそうな人間が誰1人として居ない。
なんならこっちもよく理解していないので、推察する力に長ける頭の良い人間に説明したかったのだが、フィオネもノートンも会ったのは脱獄当日あたり。ジュリオットは凍りついており、誰にしてもしばらく説明の機会は得られなさそうだ。
「じゃあ、説明することは脱獄の日までにまとめとくとして……ってなると、当分考えておく必要があるのは、今の俺らをどう脱獄させるか、だな。もし歴史が変わってんなら、前みたいに
それから、どう監獄に行くかも考えなければならないのだが――。
「うーん……」
木々の枝葉から溢れる、日の光を浴びながらギルは唸った。
今ギルがいるスプトン共和国は、ヴァスティハス収容監獄のある孤島との間に、1つ大きな国を挟んでいたはずだ。スプトーラ戦争の時にフィオネから、何度も世界地図を見せられたので覚えている。国の名前までは覚えていないが。
ここからその国を通って監獄に行くとなると、一体何日かかるのだろう。
馬車を使ったとしても、走れる距離と出せる速度には限界がある。何台も乗り継いで行かないと、ろくに進むことすら出来なさそうだ。
海を渡っていければ――とも思ったが、普通監獄に向かう船などないだろうし、スプトンから船を出すとなるとどうしても南の海を通らなければならない。
だが、南の海には海賊がうようよ蔓延っていると聞いている。漁船などを適当に奪って渡航しようとしたところで、乗った船が破壊されるのがオチだろう。
第一、ギルにはそれをするための路銀と航海技術がない。
「だぁぁぁぁぁぁぁ……」
頭を抱えるギル。ここに来て早速壁にぶつかるとは思わなかった。世界の記憶を引き継いでやる、と大層な台詞を吐いた覚えがあるが、なかったことにしたい。
そんなことを思いながら、とにかく、とギルは森の中を動き出し、
「えーっと、脱獄したのが12月1日……になったばっかりか」
そして今日が11月24日。なので、今日から次の1日までの数日間が、ギルに残されている猶予である。その間に戦争屋と遭遇できなかった場合、ギルは彼らと会うために再び試行錯誤しなければならない。
しかし、当然そんなことをしている暇はない。
アドがいつ行動に出るかわからないのだ。これが最初で最後のチャンスだと、そう思うくらいの覚悟でいなければならない。
「
言いながら、白装束のフードを深く被る。
ギルが向かったのは、ヘヴンズゲートの拠点、スプトーラ学院の中だった。
スプトーラ学院の中は、異様に人が少なかった。
ギルは路銀と武器、腕時計と食料を盗むことに成功した。
誰のものかもわからない財布をポケットに、武器を装束の内側に隠して、腕時計を錆びた射出器の代わりにつけ、食料をベッドシーツに包み手提げのように持つ。
「よし」
風のような速さでその場を後にし、2枚の地図を手に森の中を抜けた。片方は世界地図で、片方は中央三国の西『ディエツ帝国』の地図であった。
運がいいことに、学校だった頃の名残なのか資料室? 準備室? と思われるところに、こういった地図が沢山あったのである。
「ここをこう通って……この山をどう越えるかだよなァ……」
そう言いながらギルは、遠くの方を見た。
見えるのは、2つの国を隔てる国境の関所――塔が両隣に建設された石造りの門と、それを越えるために並ぶ数十人の人間の列だ。馬車も混じっている。
ギルはその最後尾に並びながら、そういえば前の世界ではヘヴンズゲートの退路を断つために、ここ一帯を燃やし尽くしたんだよな、と思い出しつつ、
「どうすっかなァ……身分を証明するもんなんざ持ってねェし、持ってたところで捕まるだけなんだよな……けど、脅して通るのも後が怖えよな。想像もしてねェ方向に歴史……えっと、なんかの決定がひん曲がるといけねーし」
などとぶつぶつ呟いていると、突然。長蛇の列の遥か前方で、入国希望者の取り調べをしていた役人の1人が、こちらに向かって全力で走ってきた。
「……アレ?」
頬をひくつかせるギル。実物を見たことはないが、豹を想わせるあのスピード。明らかに捕らえに来ている。決して逃さないという覚悟が伺える。ただ、何故そうなったのかはわからない。逃げるべきだろうか?
ギルが迷っていると、走ってきていた役人が手を振った。
「天使様ー! 何故お並びになるのですか!」
「……あ?」
「そうです貴方です! その白装束が天使様であられる何よりの証拠! 天使様に取り調べは必要ございません。ディエツ帝国へようこそ、どうぞお入りください」
そう言って長蛇の列を無視しながら、関所の方へギルを引っ張っていく役人。
あまりに突然のことに、ギルは困惑しながら周囲を見るが、列に並ぶ者たちはこちらに見向きもしないか、チラ見しているか、注視しているかのどれかだった。
誰も怒ったり、止めようとはしない。それが当然であるかのようだった。
「――そういえば」
カジノ『グラン・ノアール』で、イツメと交戦していた時だっただろうか。中央大陸にある3つの国は、ヘヴンズゲートの支配下に置かれているのだと聞いた。
もしやそれが理由で、ヘヴンズゲートの人間は優遇されるのだろうか。
ならば、
「あのー」
「はい、なんでしょう」
「ここからヴァ……ディエツの西の港に行きたいんすけど、そこまでの最短のルートと料金を調べてもらうことって出来ますかね」
「あぁ、もちろんです! 15分ほどお時間を頂きますが、よろしいでしょうか」
「あ、大丈夫っす、ありがとうございます」
予想も期待もしていたのだが、あまりの優遇っぷりと疑心のなさと、ヘヴンズゲートの権力の強さに引きながら、関所の建物に連れて行かれるギル。
建物の前まで来た時、役人がドアを開けて『どうぞ』と促したのを見て、彼は何故だか複雑な心境になるのであった。
*
そこからのスピードは凄まじかった。
あの後、すぐ長距離用の馬車が手配され――ギルの知る馬とはだいぶ違って、ドーピングでもしたかのように目が血走っていたのだが、アレは何だったのだろうか――を3台ほど乗り継いで、ギルは監獄の最寄りの港に到着した。
なお、それまでにかかった料金は、全てヘヴンズゲート本部にツケた。役人にあそこまで尽くしてもらい、ある程度この国の『ヘヴンズゲートに対する信仰度』が伺えたのでもしや、と思って申し出たところ、なんとまかり通ったのである。
「マージで、洗脳でもされてんじゃねってくれーの狂信っぷりだったな……」
無料です、とは言われなかった辺りにきちんと理性が垣間見えており、彼らが正常な判断力を持っていると分かったのが逆に恐ろしかったという裏話。
さておき、時刻は2日経って26日の午後9時。
関所で確認したことでようやくわかった、今月の最終日かつ脱獄の日である30日の終わりまで、残り4日と3時間という頃。
ギルは砂浜に座って、大いに悩んでいた。
まずギルが予想していた通り、この港から監獄に出る船はなかった。
いちおう月に2、3回、食糧や医薬品を始めとする物資を運ぶ『輸送船』は出るとのことだったが、つい先日出たばかりなのでしばらくその船はないらしく、どのみち公的な方法では入れそうになかった。
だから、ここまでに実感したヘヴンズゲートの権力や信仰を駆使して、自分の船を持っている漁師や貿易商に交渉し、船を出してもらう予定でいたのだが。
「死の海域……『蛇の巣窟』ねェ……」
実はヴァスティハス収容監獄のある孤島の近辺には、特殊な海流があるそうで、よほど強く早い船でなければそれに呑まれて沈んでしまうのだそうだ。
また近年、大西大陸の周辺で『
発生の原因が不明のため、皆揃ってその霧を『呪いの霧』と呼び、近づくことを恐れているらしく――誰も、協力しようとはしてくれなかったのである。
「うーん……泳いでいくしかねェのかな……」
そんな馬鹿なことを考えるくらいに、彼が頭を悩ませていたその時。不意に誰かが近づく気配と、砂を踏む音がして、ギルは背後を振り返った。
そこにいたのは、温厚そうな初老の男性だった。見覚えのない人物だったが、敵意はないと判断し『どちら様すか』と尋ねる。すると、
「あぁ、無言で近づいてしまって申し訳ない。私はトンプソン。この港町ラモーヌで玩具屋を営んでおります。昼間、息子に助けを求めたというのは
「うん? 息子……?」
「このラモーヌ海域で漁をしております。金髪で右目のあたりに火傷があって、漁が終わっても日が暮れるまでずうっと海を眺めてる変わり者なんですが」
「あ、あぁ……そうです、本当です」
男性、もといトンプソンの話を聞きながら、今日のことを思い返すギル。
確かに今日の昼間、金髪で火傷のあるいかつい顔立ちの青年にも、船を出してくれないかと交渉した覚えがある。まぁ、こうしてギルが砂浜で
「それが、どうかしましたか」
「あぁ、いえ。男前だけど目つきが悪い天使様が、かなり困っておられた……と息子から聞いたので、もしかするとまだここにいるんじゃないかと思いましてね。このごろの夜の海は、寒くて敵いませんから。心配で見に来たんです」
「目つ……あー、すみません」
「いえいえ、お気になさらず。……お隣、よろしいですかな」
「あ、どうぞ」
何やら本格的に話をし始める様子のトンプソンに、疑心を抱きながらも手で促してやるギル。そうしてトンプソンはギルの隣に座ると、『ふー』と息をついて、
「しかし、何故お1人で監獄に? 船は、教団から出して頂けないのですか?」
「それは……まぁ、機密情報なんで」
「はっはっは、そうですかそうですか。なら、無理にはお聞きしません。あぁ、でも――かなり厳しいかもしれませんが、監獄に行く方法を1つ知っております」
「えっ?」
思わず、声が1段階低くなるギル。
彼が無意識に寄せて話を聞こうとすると、トンプソンはそれを手の仕草で優しく追いやりながら『はっはっは』と笑い、
「明日の朝か、昼頃。このラモーヌ海域を、『
「――! マジ……いや、本当ですか?」
「あくまで噂ですが、信憑性は高いと思います。ただ、問題はその船に乗る方法で」
「あぁ、それは問題……」
ない、と言おうとして、ギルは思い出した。
射出器の中のからくりは、何千何万という歳月を経て劣化してしまっている。使おうとしても錆びて動かないか、割れたり砕けたりしてしまうだろう。
修理をしようにも道具がないし、元々ペレットが作ってくれたものなので、ギルには仕組みもわからなければ修理の方法もわからない。
壁を1つ越えたと思ったら、また別の壁が立ちはだかっていた。
ギルは脱力するあまり、砂浜に大の字になろうとする。が、背をつける寸前、
「いや、待て」
倒した上体を、腹筋の力だけで元の位置に戻した。
「――トンプソンさん、職業はなんて?」
「おや、私のですか? 私は玩具屋です。トイランドという店を営んでおります。今は店員は私と妻しかおらず、お客様は滅多にいらっしゃらないので、最近まで露店商として各国を巡り、出張販売をしていたのですが……ご興味がおありで?」
「あ、いや、そういうわけじゃないんですけど……依頼がしたいんす」
「依頼?」
「はい。あるものを、直してくれませんか。――貴方にしか頼めない」
そう言ってギルは、しまっていた射出器を取り出して見せた。
射出器を見たトンプソンは、驚いて目を見張る。
その理由は、普通ではありえない経年劣化をした射出器の見た目によるものか、はたまたはこの世に2つとない特殊な機械であったためか。彼は、細かいしわが刻まれた顎を撫でながら、射出器をしばらく眺めると『ふむ』と呟いて、
「変わった機械ですな。長いこと機械をいじっている私ですが、今までこんなもの見たことがありません。何故こうなったのかが気になりますが……良いでしょう。少し、それをお貸しいただけますか?」
「あ、はい」
「ありがとうございます。はい、どうぞ」
「あり……え? えっ!?」
露店商の手に渡った直後、新品のようになった射出器に声を裏返すギル。一瞬の出来事に彼が愕然としていると、トンプソンは再び『はっはっは』と笑い、
「その反応が見たかった。それでは、代金は1500ペスカです」
「エッ……は、はい、どうぞ……」
ギルは、傍らに置いたベッドシーツの中をおぼつかない手で漁り、学院の白装束から盗んだ財布を取り出す。そしてコインとお札を1枚ずつトンプソンに渡すと、それを受け取ったトンプソンは、『どうも』と服のポケットにしまいこみ、
「その機械があれば、どうにかなるんですかな?」
「はい、多分。助かったっす、ありがとうございます」
ギルが礼を言うと、トンプソンは満足げに『そうですか』と砂浜から腰を上げた。
「お力になれたようで幸いです。では、私はそろそろ寝る時間なので失礼します。どうか、お気をつけて。それと、ジュリオットさんによろしくお願いします」
「あ、はい、ジュリ――え?」
突然、トンプソンから飛び出た知り合いの名前に、間抜けな声を出すギル。
が、砂浜から去っていく彼は振り返ってわずかに微笑んだだけで、それ以上は語ろうとはしなかった。ただ彼は、町のある方向へと砂に足跡をつけていった。
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