第138話『未来に繋ぐための言葉』

 2つのマグカップを、両の人差し指に引っ掛けて、ギルは展望台の通路を歩く。


 時刻は午後11時半。冬の真っ只中にある12番目の月、またの名を『サジタリウス』ともいう今月のこの時間帯というのは、1年間でもっとも寒い、と言っても過言ではない気温で、一帯には震えるほどの冷気が充満していた。


 ほう、と息を吐けば、白い蒸気が空気に溶けていく。手元のマグカップ、それに注がれたブラックのコーヒーからも、もうもうと湯気が昇っていた。


 せっかく淹れたコーヒーだが、すぐに冷めてしまうな――と、ぼんやり考えるギルが到着したのは展望台の2階。流星コーナーの前だった。


 そこに設置された、かつての来館者のための休憩用らしきソファには、1人の青年が座っている。


 藤の花を思わせる薄紫の髪を小綺麗にカットし、目元を紺色の帯で隠して、処理班のダークスーツの上に黒いマントを羽織った、儚げな雰囲気の青年――イヴ。


 何か作業をしているようで、手元に顔を向けて、じっと黙り込んでいた彼は、


「うっす、持ってきたぜ」


「……ひっ!? あ、あぁ、おかえりなさい、ギルさん」


 よほど集中していたのか、少々のラグを挟んで反応。横に座ったギルに、『へへへへ』と気味の悪い声をあげながら、手にしていたクリップボードを見せた。


「あ、アルファ文字は完璧です。ベータ文字もほとんど出来ていらっしゃいます。ただその、へへ、ガンマ文字の方がですね……へへへ」


「大体予想がつく反応だなァ……」


 多分良くない成績だったのだろうな、と思いながら、ギルはクリップに挟まれた数枚の紙に視線を落とす。

 それらの紙には北東語の文字が書き連ねられており、その1つ1つに丸やチェックがつけられていた。イヴが丁寧に採点してくれたのだ。


 見たところ、イヴ曰く『初歩中の初歩ですね』なアルファ文字や、『最近は3歳の子もみんな書けます』というベータ文字は、9割以上が出来ているようだった。

 しかし3つある文字のうち、1番難しいというガンマ文字の正答率は――。


「……なるほどねェ」


 不服そうになるギルの顔。それを見て、イヴは『で、でも!』と口を開いた。


「ギルさんが文字の勉強を始められたのは、ほんの数日前のことですから。そう考えると、ギルさんの学習速度はとてつもなく速いと思います、へへへ」


「や、別に褒められてェわけじゃ……それに、過大評価が過ぎんだろ」


「過大評価なんかじゃないですよ……へへ。ギルさんなら3年もあればきっと、この世界にある言葉は全て覚えられるんじゃないでしょうか、へへ」


「それは流石に無理だわ。いくつあると思ってんだ」


 そう言ってマグカップを片方渡してやると、イヴは手にしていた赤色のペンをポケットにしまって、『ありがとうございます』と恐る恐る手を差し出した。


「……」


 自然、ギルの視線が青年の手に向けられる。


 肉刺まめだらけで、傷だらけで、ボロボロになった汚い手。文学青年の、というにはあまりにも醜く、剣士の、というにはあまりにも脆い手。

 肌の白さや透明感を失った代わりに、彼の弱さや未熟さを惜しみもなく体現し、それと同時に今日を含めたこの数日の、彼がしてきた凄まじい努力を物語る手。


 ギルは一瞬、思わず呼吸を止めた。


 ――数日前のイヴは、とても弱かった。


 イヴに文字を教えてもらう代わりに、剣の扱いを教えることとなった最初の日。

 ギルは、『この男は戦場に立ったら、真っ先に死ぬ』と予感した。


 いや、この構文では語弊がある。


 なんなら今も十分に弱いし、その予感はずっとある。

 そしてその予感は普通、本人が強くなっていくと共になくなるものなのだが、イヴの場合は恐らく、彼が戦場に立つ限り永遠に続く。

 何故ならイヴからは、才能や伸び代が全く感じられないのだ。挙句、人より疲弊しやすい体質なようで、それが彼の『死にそう感』に拍車をかけているのである。


 だが。


 目に見えないだけで、成長した何かがあるのだろう、と思う。だって、そうでないなら今日の戦争を生き残れるはずがない。

 あの執念のような努力が。ぶつけて擦りむいて、死肉のようになったこの手が、わずかだけれど確かに彼を強くしたのだろう。


「――」


 いつもは鋭い2つの目を、いくらか和らげて見つめるギル。

 一方それに気づかないイヴは、マグカップを片手に何かを数え、


「えっと、28言語……統一化の影響でさらに減って、14言語ですね。えへへ」


「思ったより多かった……5個くらいだと思ってたわ」


「あ〜……でも、実際に『言語』として生きてる数で言ったら、丁度それくらいの数になると思いますよ。実は14言語の半数以上は、その言語が記された書物や石碑がこの世に現存している、というだけですから」


「ふーん……」


 相槌を打ちながら、ギルは自分のコーヒーを口に流し込む。

 そしてあまりの苦さに渋い顔をして、ウェーッと舌を長く伸ばし、


「最初に28……つって、残ってんのが14ッつったよな。じゃあ、余った14はなんなんだ? 記録にも残ってねェの?」


「――それらは、噂と同レベルの『概念』です。完全に、記録から消されたわけではないんですが……たとえば、ルメールという消滅した言語。その存在が、古代ウェーデンの書物、『海厳かいげんの書・上』で確認できるんですけど」


「マジで色々読んでんな。どこで手に入れんの、そういうの」


「数年前に訪れた、アンラヴェル神聖国の禁止書庫で借りました。ふふ、あの時はよかったです。特許を提示すれば、なんでも本を借りられましたから」


「お、おぉ……禁書か……」


「ただ、その書物でも『北方の大陸に出征した我々ウェール旅団は、独自の言語と文化を持つ少数民族と邂逅かいこうし、打ち解けた。彼らはルメール族というらしい』って浅く触れられてるだけで、その……」


「どんな言葉か、どんな文字かってのはわかんねェのか?」


「そうなんです……はぁ」


 悲しみのこもった息を吐くイヴ。ギルには全く理解できないが、世界中の言語を習得するほどの言語マニアな彼にとって、存在していたのに学べない言語がある、というのはとても辛いことなのだろう。


 割と本気で落ち込んでいるイヴを横目に、ギルはどう反応するべきか迷う。


 と、


「――あ?」


 ふとギルは、誰かの気配を感じて振り向いた。


 向けた目線の先に居たのは、フィオネだ。

 先程ギルがここに来るのに使ったのと、同じ道を通ってきたらしい彼は、ギルと目が合うなり『あぁ』と聴き心地の良い声でこちらの鼓膜を震わせて、


「貴方に聞きたいことがあって来たの。すぐに終わるわ。今、いいかしら」


「構わねェ」


「ありがとう。早速だけど、勉強の調子はどう?」


「あぁ? あー……まぁ、こんなとこだな」


 ギルは、イヴが膝に乗せていたボードを、空いた手に取って渡す。それを受け取ったフィオネは、紙面に目を通すと『ふぅん』と言ってボードを返し、


「良いわ。このままアルファとベータだけ練習しておいて。絶対に、何があってもその2つを忘れないように。ガンマは覚えなくていいわ」


「……は?」


 ギルの眉間が、僅かに寄る。


「どういうことだ、出来てねーのはガンマ文字で……」


「いいえ」


 フィオネはきっぱりと、ギルの言葉を否定した。


「貴方が覚えるべきは基本。その方が読む方は効率がいいし……いえ、そもそも覚える時間がないもの」


「はァ? 何言ってんだ、お前……」


 本格的に理解が出来なくなり、困惑するギル。


 この指示は、あれだろうか。『革命家』を使ってのものだろうか。

 基本的に、『革命家』で未来視をして行動している時のフィオネは、未来が見えないギルには理解不能な言動をすることがほとんどだ。

 だから多分、今回もそうだと思うのだが、相変わらず意味がわからない。

 

「時間がねェって、何に時間を制限されてんだ? ガンマ文字を練習したらダメなタイムリミットってなんだ? 読む方は効率がいいって、文字に慣れてるやつァガンマ文字があった方が読みやすいんだろ? 訳がわからねェ。なぁ、イヴ」


「えっ!? おっおっ、俺ですか!?」


「あァ」


「へ、へへへ、そ、そうですね……確かに、ガンマ文字は画数が多い上に形が独特なので習得に時間をかけますが、文字1つ1つに意味が宿っていますから。へへ、複数の文字を並べてやっと言葉が完成する、アルファ文字やベータ文字だけで構成された文章よりはずっと読みやすいです……だからその、すみません」


 フィオネの無意識に高圧的なオーラにやられているのか、これまでになく気味の悪い笑みを挟みながらもギルと同じ意見を述べるイヴ。こうして2人から理解不能を示されるフィオネだったが、彼は『わからなくてもいいわ』と腕を組んで、


「意味がわかる人間が増えると、敵に察知される可能性も高くなるから」


「でも、ノートンには話してんだろ? いつのまに帰ってきてたみてーだけど」


「あら、妬いてるの? 可愛らしいけど、これは仕方がないことなの。事の発端はノートンにあったんだもの。彼に打ち明けるのは必然だった」


「――お前は」


 清々しいまでのフィオネの態度に、ギルは言いたげに目を細める。


 しかし何を言ったとしても、フィオネはこの飄々とした態度を変えないだろう。それがわかっているから腹立たしいし、腹を立てている自分がまた腹立たしい。

 これではまるで、本当に嫉妬しているみたいだ。


「……」


「妬かれてしまったようだから、1つ話してあげるわ」


 浅く歯を噛んだギルを、自身の顎をつまんだフィオネが紫紺の双眸で捉えた。


「いい? もし何かが起きたらその時は、『記録』に残しなさい。そうすれば必ず誰かが読んで『何か』を解明してくれるから。それじゃあ、お勉強頑張って」


 話の幕を下ろすように、フィオネはウインクを1つ。どういうことだ、と声を上げようとしたギルを背に、彼はゆったりとした歩みで来た道を戻っていった。


「……ぁ、あの」


 終始、萎縮していてろくに話に加われなかったイヴが、苛立ちを滲ませるギルになんと声をかけるか迷って、ぱくぱくと口を開閉する。


 しかし生憎ギルの意識は、遠ざかるフィオネの背にしか注がれていなかった。





 翌日、午前4時前。まだ日が昇る様子もなく、暗雲ばかりが立ち込めており、睫毛すら凍らせるような冷気が大地を漂う頃。


 昨日の戦争の影響でほとんどが焼け、今もところによりちらちらと燃えているスプトーラ大森林には現在、生き残った戦争屋陣営5820人のうち、約1200人がバラバラになって『あるもの』を取り囲むように潜んでいた。


 その『あるもの』とは、曰く『天国の番人ヘヴンズゲート』の第二拠点の遺跡だ。


 神殿風の石造りのもので、周りより少しくぼんだ地に建てられており、旧スプトーラ学院から約400メートルとかなり近い場所にあったそれ。誰の目からも見ても重要な遺物のように思える建造物なのだが、1つ奇妙なことがあった。


 その遺跡のことを、戦争屋陣営の誰もが――考古学を専攻していたフィオネや、あらゆる知識を吸収しているイヴですら『知らない』と言うのだ。


 ただあちらこちらが崩壊しており、苔や鳥の糞にまみれていて、ヘヴンズゲートの変わり者が最近作った遺跡風の建築物、というオチでないことは確かだった。

 同時に、人の住めるような場所でないことも。


「しっかし、なァんも見えねえな……」


 窪地に建つ遺跡の正面、木陰に隠れていたギルは、遺跡を見下ろしながら呟く。


 ――ここは、第1部隊の持ち場であった。

 第1部隊というのは、今回組まれた全4部隊の内もっとも人数が多い隊だ。正面から敵陣に突っ込んでいけるノートンやレム、シーアコットなどが所属している。


 第2部隊は遺跡の西側だ。第2部隊は今回、第3部隊と共にサポートが得意なメンバーで組まれており、シャロ・ノエルらが所属している。

 北東の第3部隊は、リリア・ペレットらが所属していた。


 残りの第4部隊は、スプトーラ大森林全域に散らばって、戦況を確認したり、アクシデントが起きた時に報告をする隊だ。フィオネ・イヴが所属している。

 戦争屋陣営の主要なメンバーの中で、唯一ここに居ないジュリオットは、拠点に残って救護班の指揮をすることになっていた。


 情報課の処理班員を事前に向かわせ、遺跡に立てこもっているヘヴンズゲートの生存者が僅かであると判明したことと、戦争屋側も被害が大きく、動員できる人数が少ないことを加味した結果、こうして少数精鋭を集めた布陣となった。


「……もうすぐだな」


 ギルの傍に隠れていたノートンが、小さく呟く。

 もうすぐ、というのは4時のことだろう。4時ちょうどに第1部隊突入。状況を見て残りの部隊が動く、という手筈になっているのだ。


「最初にレムさんとノートン、わたくしが攻撃――遺跡周辺の対人装置を破壊し、先遣のギルさんが装置の停止を確認。よろしいかしら。間違っても勝手に突っ込んでいったりしないでくださいましね、ギルさん」


 横から念を押してくるのは、長い黒髪を後頭部でまとめ、身の丈と同じくらいのサイズの大剣を手にしたグラマラスな女性。シーアコットだ。

 何も見えない闇夜とはいえ、いつものドレスでは目立ってしまうということで、今日は処理班のスーツをまとっているのだが、これが中々似合っているのである。

 なんというか――有能でエロい、女上司のような雰囲気がある。


 ギルは、暗闇の中でも出っ張りのわかる彼女の胸に目をやりながら、『わァってるって』と手をひらひらさせた。すると、


「びっくりするぐれぇ綺麗なフラグ立てやがったなぁ、嬢ちゃん」


 シーアコットの反対、ギルのもう片方にいた眠そうな顔の熊男――レムが、ぼりぼりと頬を掻きながら言った。彼の無骨な手には、拳大の石ころが握られている。


「あんま兄ちゃんの気を煽らねぇ方がいいんじゃあねぇかい」


「おっさん、流石に俺も今ふざける気はねーよ??」


「どうだか」


「どうだか、じゃあねェんだわ」


「お2人とも、お静かに。そろそろ時間ですわ」


 シーアコットの制止が入り、ギルとレムは口をつぐんだ。


 レムは石を投擲とうてきする姿勢に入り、シーアコットは大剣を頭上に振り上げる。ノートンは肩をぐるりと回して、ギルの前に立ち、正拳突きの構えを取った。


 全員の無線機に、通信が入る。


《4時になったわ。――作戦開始!》


 瞬間、三者は空気を打ち、剣を振り下ろし、石を投げた。

 打撃の威力で歪められた空気が、剣の軌跡から迸った青い斬撃が、みるみるうちに巨大化していく石が、遺跡に向かって飛んでいく。


 3秒ほど遅れて、ギルは腕を振り払った。すると腕時計型の射出器から透明な糸が飛び出して、三者の攻撃を追いかけた。


 先に遺跡に辿り着いたのは斬撃だった。飛ぶ斬撃が遺跡の正面に衝突した瞬間、石の柱が粉々になり、天井の一部が崩れ落ちる。そこにやってきた巨大な、もはや小さな隕石のようになった石は、遺跡の手前の地面を叩き割った。


 刹那、引き起こされる大爆発。地面の下に爆破装置が隠されていたらしい。全方位へ広がる大火炎――そこに向かって、最後にやってくるのが歪んだ空気である。


 空気は大火炎を掻き消し、遺跡から崩れ落ちた石を更にちりへと細断。圧倒的な暴力で整地された一帯に、遅れて飛び込んだギルの糸が適当な石柱に巻きついた。


「それじゃあ、頼みましたわ」


「気をつけていくんだぞ」


「あんまり羽目外すんじゃあねーぜぃ」


「任せろ」


 シーアコットとノートン、レムの言葉を背に、ギルは勢いよく射出器の糸を巻き戻して、窪地くぼちの遺跡に飛び込む。


「いよっ、と」


 巧みに糸を操って、遺跡の手前で着地。そのまま周囲を歩いてみるが、雨のような矢が飛んできたり、落とし穴に落とされるといったことは一切起きなかった。

 一応、先程の攻撃で正面の装置は全て破壊されたようだ。ギルは無線機を使って『問題ない』と報告し、そのまま遺跡の中に入った。


 ――遺跡の中は何やら、白くぼんやりと光る鉱石がいくつか埋まっていて、外よりかは明るくなっていた。


「とりあえず、適当に走り回るか」


 今度は遺跡内の安全確認をすべく、ギルは遺跡の中を思うままに奔走。なるべく色んな壁に触れて、色んな道を走って、対侵入者装置の有無を確かめた。

 しかし、


「こんだけ動き回っても、だァれも出て来やがらねえ」


 数分後、ギルは別のことに意識を割いていた。

 遺跡の内部はところどころに松明がかけられていて、誰かがここへ灯しに来ていることは確かなのだが、どれだけ走り回っても誰にも出会わないのである。


「一体、どうなって――」


 そう呟いた、その時だった。


 突然、誰かの甲高い悲鳴が聞こえた。

 声の高さ的に、恐らく女の声だ。聞こえてきた方向にあるのは、壁。そこには、壁材をくり抜いて作られたらしい、地下へと続く階段があった。


「――」


 ギルは息を殺し、階段に向かって進む。


 そしてゆっくりと、一段ずつ降りていくと、開けた部屋が見えた。

 その部屋には、松明がかけられた石柱が何本か等間隔で並んでいた。今までに訪れたどの部屋よりも明るかった。


 奥にも部屋が続いているようだったが、恐らく声の主は手前ここにいるのだろう、と予測して、ギルは階段の壁に背をつけ様子を伺う。

 すると、1人の女性の姿が見えた。


 白い装束を着た女性だ。ひどく青い顔をしている。何かが起きた様子である。


 ギルは、更に周囲を観察した。


 ふと、女性の足元に何かがあることに気がついた。


 ここからではよくわからないが、白い布のように見える。白装束だろうか?

 だとすると、彼女にとってはただの制服だと思うのだが――それを見て、しきりに怯えている理由はなんなのだろう。


「あれ、は……」


 階段の陰から僅かに身を出しつつ、ギルは口の中で呟く。と、次の瞬間、


「――ッ!?」


 青い顔をしていた女性の身体が、突然ドロドロと溶け出した。溶けながら黒く変色していって、そのまま彼女は黒い粘着性の塊になって崩れ落ちた。

 セメントのようになった遺体の上に、はらりと、女性が着ていた装束が被さる。


 床に落ちた白装束が、2つ。


「……」


 自然と息を詰めながら、ギルは納得した。


 何がどうなっているのかはわからない。

 が、ここには元々2人の人物がいて、先に片方が溶け出したのだ。それを直視してしまった女性があげたのが、先程ギルが耳にした悲鳴だったのだろう。


「一体、なんで……いや」


 もしこの部屋の中に、人体が一瞬で変質するような仕掛けがあるのならば、それを壊すのがギルの役目である。怖気づくよりも先に、室内の調査をしなければ。

 ひとまず、皆に連絡を入れて、地下には降りないで貰おうと思い、ギルは耳元の無線機に触れようとした。


 しかし、触れるよりも先に、ノイズ音が鼓膜を震わせた。


 誰からのものだろう、とギルは通信を受け取る。すると、ギルの耳をつんざいたのは、今まで聞いたこともないようなノートンの焦った声だった。


《――ギル!! だっ、大丈夫か!!》


「ノートン? 大丈夫だけど、どうかし……」


《――身体に異常はないか!? ま、周りに危険なものはないか!?》


「お、おう……異常はねェけど……危険……危険っちゃ危険そうなものは」


《異常はないんだな!? じゃあ、そこを動かないでくれ!》


「ま、待てノートン、何があったんだ?」


 異様な剣幕で捲し立てるノートンに、気圧されながらも質問をし返すギル。

 と、その言葉でノートンは我に返ったのか、深呼吸をして自身を落ち着かせ、僅かに震えた声音で告げた。


《信じられない、と思うが――》


「……え?」


 ノートンから告げられた言葉に、ギルの喉が凍りつく。頭が真っ白になって、部屋の松明がちらちらと燃える音が、とても遠く聞こえた。

 人は本当に信じられないものを前にすると、どうやら笑ってしまうらしい。意図せず口角が上がるが、ギルはそれを無視して、脂汗をこめかみから流した。




「――――全員、死んだ?」

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