第136話『愛されたがりの私と貴方 後編』

「――〜〜ッ!!」


 髪を風に遊ばれ――殴られながら、声にならない悲鳴をあげるハクラウル。

 降りた先には、スプトーラ大森林の木々があった。


 セレーネは、それらに向かって鞭を振るった。大きくしなった革製のそれは、その全体を長くしながら木の枝の1つに向かって飛び、くるくると巻きつく。

 重力に惹かれて落ちていく2人は、枝に巻きつけた鞭をメジャーを戻すように短くしていくことで軌道を変え、地面に滑り込むように滑空。

 迫り来る大地をヒールで受け止め、セレーネは雨で柔らかくなった土に軌跡を残しながら着地――勢い余って後ろへ転び、どんと尻餅をついた。


「ひぇあぁぁぁぁぁぁぁぁ……」


 地上に到着しても、未だに震えながら少女の細い体躯にしがみつくハクラウル。

 と、その時、背後の学院から特大の爆発音がして、割れたらしい窓から業火が噴出。もくもくと黒い煙が上がったのを見て、セレーネは笑い、


「ほら、出てきてよかったでしょう」


「よかったも何も! 今君が起爆スイッチを押したんだろ!」


「あら、バレていたのね」


 芝居を看破され、舌を出して不服そうな顔をするセレーネ。

 彼女が白い巨大な毛虫を地上に下ろしてやると、毛虫はわたわたと長い手足をばたつかせながら少女と距離をとった。


「いいか、僕は君に協力しない! 何があろうとも!」


「あら、どうして?」


 セレーネは立ち上がり、尻についた汚れを払って首を傾げる。


「これ以上アド様に協力する理由なんてないでしょう? 彼に従ったら私たちは私たちでなくなってしまう。それは貴方にとっても、良いことじゃないはず」


 そう言うと、ハクラウルは苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。

 彼の中でも何か、思うところがあるのだろう。


 けれど彼は首を振る。濡れた白髪が揺れた。


「……確かにそれは、僕にとっても不本意だ。けど、これは僕の意地なんだ。1度でも彼を信じてしまった僕の。彼を信じなくて、誰を信じれば良い?」


「それは、戦争屋を……」


「そうは言ってもさ。君、戦争屋じゃないよね。なにアイツらに夢見てんの。なに偉そうに語ってんの。アイツらが、僕に何をしてくれるって言うの?」


「――」


 ハクラウルの静かな問い。

 それが深く胸に突き刺さって、セレーネは喉を凍りつかせる。


「それ、は」


 よく考えるとセレーネは、戦争屋のことなどほとんど知らない。


 戦争屋に協力することで得られるメリットも、よくわかっていない。


 否、考えたつもりではいたことだった。アドに裏切られるのなら、彼と敵対する戦争屋に協力をすればいいじゃないかと。そうすれば、ハクラウルの願いは新しい主人によって叶えられるだろうと、そう思っていた。

 だからハクラウルが戦争屋に来るのは、セレーネにも、ハクラウルにも得のある話なのだと、そう思っていた。


 でも、違う。戦争屋がハクラウルの願いを叶える保証など、どこにもない。

 彼にとって、今セレーネがしているのは――救いへの誘いではない。霧で覆い隠されたような、未知の世界への勧誘なのだ。

 それも、セレーネすら知らない未知の世界への。


 あまりにも、盲目になりすぎていた。

 あまりにも、ペレットの信じる『戦争屋』という組織を盲信しすぎていた。


「――君だって、戦争屋のことなんか何も知らないだろ。それなのに、わかったような顔をして……どうして、僕にアドを裏切れと説く! 君の勝手な都合に僕を巻き込むな、君の愛欲なんざ知ったことじゃない!」


「ッ……」


 言い返す言葉が出てこない。

 元よりペレットのために尽くすと決めたこの命だ、ペレットを追いかけることに罪の意識はさらさらないのだが、ハクラウルの否定はもっともだった。


 セレーネは、盲目的になっていた。

 いや、盲目になるのはいい。問題は、盲目である自覚がなかったことだ。


 材料さえ揃えて説得さえすれば、ハクラウルにも同じ希望が見えるのだと、都合の良い方向ばかり考えがいっていた。


 しかし実際、ハクラウルから見た戦争屋は未知の世界で、そこへ勧誘するセレーネは何も知らない癖にやけに狂信的で。どう考えても不安しかない。

 不満はあれど実態がわかっている、今の立場を手放すほどのメリット。

 彼がそれを感じないのも、当然の話だった。


「……おしまいだよ、セレーネ=アズネラ。僕に救いを説いたのは間違いだった。僕は彼のめいに従い、君への呪力供給を立つ」


「――!」


「それじゃあ。気が落ち着いた時、君の身体が残ってたら葬ってやるよ」


 そう告げて、身を翻すハクラウル。

 彼は雨に濡れながら、どこかに向かって歩いていく。


 この状況で彼は一体どこへ行くのだろう。足取りははっきりしているようだが、まさか行くあてがあるのだろうか。スプトーラ学院以外にもまだ、ヘヴンズゲートの私有基地がこの国にあったのか。


 ハクラウルの背中を追うことも出来ず、そんなことを考えながら、セレーネはただ彼の後ろ姿を見送った。

 そして、彼の姿が見えなくなった頃、


「ぁ……」


 セレーネは、頭から後ろに倒れ込んだ。

 身体に、力が入らない。思考は出来るし、目や口などの一部は動かせるのだが、四肢がもう動かない。本当に供給を切られてしまったのか。だとしたら今は、体内に残ったわずかな呪力でどうにか稼働している状態か。


「……」


 セレーネの胸を襲ったのは、どうしようもない悔しさだった。


 ペレットとの約束を守れなかったことが悔しい。

 ペレットの長い長い人生の道のりに、同行できなかったことが悔しい。

 ハクラウルを説得できなかったことが悔しい。


 ハクラウルを――助けられなかったことが、悔しい。


 でも、この悔しさもじきに消えてなくなる。動く死体から動かない死体になり、今度は生命体だったものとして正しく朽ち果て、この大地の養分になるのだろう。

 ならば今、頭と口が動く間にやらなくてはいけないことがある。


 ペレットに、全てを伝えなければ。


「――」


 身体は動かない。無線機には触れられない。

 だから、通信を繋ぐことは出来ない。


 でも、1つだけ。手を使わなくても、使える機能があることを知っていた。


 昔、暗殺者の育成学校にいた頃に、録音型盗聴器を作らされたことがあった。

 しかし、すぐに熱をもって故障してしまうので、長時間の録音に耐えうるものを作るのが至難で、当時は結局完成しないままだった。

 でも、それを思い出したペレットは、もう1度録音機能の開発に挑戦し、なんと成功して、セレーネと2人で使う無線機にみごと録音機能を搭載したのである。


 最初は録音も通信機能同様、指で小突いて振動させることで動くように設定したかったそうなのだが、通信相手を選んだり、音量をいじったり、電源を切ったり入れたりするための固有タップが、既にそれぞれ設定されていた。

 そこへ更に新機能をつけるとなると、従来のものとは被らない、かなり複雑なタップを新しく考えなくてはならなかった。

 それが厄介だったそうで、ペレットは録音機能が『特定の言葉』で動くように設定したらしいのだ。


「レコード」


 教えられた言葉で、無線機を起動する。

 無線機のものよりも少し高めのノイズ音がして、クリアになったと同時に少女は作戦の失敗を伝え始めた。


 ただ、淡々と喋る。刻々と明確になっていく、呪力の尽きる感覚が、彼女をそうさせていた。泣く余裕も悔しがる余裕もない。ただ、成果だけを報告する。


 そして、2分ほど喋った頃だろうか。意識がどんどんと失われ、まどろんでいるような錯覚を得つつも、録音を終えて一息ついた時だった。


「――おぉー! 壮観やなぁー! えっらい花火や、よう燃えとるね! やけど、これワシ暮らす場所ないなってもうたんとちゃう? え? またかなぁ、嫌やぁワシひもじいのー」


 突然、すぐ近くで大きな声がして、セレーネは驚いた。

 爽やかだが芯のある声をした、青年らしき人物の声だ。首を動かせないのでその声が聞こえた方向を見れないのだが、間違いなく近くに居る。と、


「んぉっ!? びっくりしたぁーっ! なんや、綺麗な娘さんやなぁ! ワシが現役の時やったら嫡妻むかいめに貰っとったで! ビンビン……うん? いや待て、これ蘇生体ちゃうか? こないな場所で蘇生体なんて……」


「……!」


 これまた唐突に、今度は視界にずいと1人の男が入ってきて、ほとんど停止しかけていたセレーネの頬が動いた。


 これが、声の持ち主の姿か。

 向日葵のような鮮やかな金髪に、青空を思わせる瞳。何より特徴的な褐色の肌。大南にあるという水都クァルターナの人間だろうか。この辺りでは見ないタイプの凛々しい顔をした男だ。しかしまぁ、子供のようによく動く表情筋だ。


 よく見ると纏っている白装束は、ヘヴンズゲートのものとはあしらいが違った。

 というか、見たことのないデザインである。異常に露出部が多く、生地には金の装飾が散りばめられている。見るからに豪華だが、寒そうな格好だ。


 誰だかはわからなかったが、素直に綺麗な人だと思った。セレーネのことを『蘇生体』と呼んだことだけは、少し不気味に感じたが。


「あ、あいつかぁ! 白い陰気なゴボウ君!」


 ぱちん! と手を打つ男。ハクラウルのことだろうか。


「ゴボウ君なかなかやりよるなー……けど、もう死にかけやないか。埋めるか? 埋めとくか? 土葬なんてもんもあるって聞いたでワシ」


 言いながら、男はぺたぺたとセレーネの身体を触った。腕を持ち上げたり、身体を持ち上げてみようとしたり、胸のラインを指でなぞったりなどしていた。

 こちらに意識があると思っていないのか、もしくはわざとなのか。

 このタイミングで出会ったのが、よりによってこんなにいやらしい男だというのが本当に気に食わなかったが、これは最後のチャンスだと思った。


 残った力を振り絞って、セレーネは音を紡いだ。


「たすけて」


「うん?」


 そこで、セレーネの意識は途切れた。返ってきた言葉に疑問符がついていたことを少し不安に思いながら、少女は眠るように事切れた。

 しかし、


「助けてー言うたか? しゃあないなぁ、美人さんやしサービスしたる! ワシも娘が死んでもうて寂しかってん、やから、元気なったら一緒におってくれへん? 濃いのぶちかましたるから、それくらいええやんな? っとー、呪力呪力……」


 男――アバシィナは呟きながら、白い糸で縫われたセレーネの頬に触れる。

 直後、周囲の空間が歪むほどに凄まじい呪気が放たれ――淡く白に輝くアバシィナの手から、膨大な呪力が注がれていった。

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