第135話『愛されたがりの私と貴方 前編』

 時は遡ること数十分前。

 セレーネは、スプトーラ学院の旧美術室――今は、ハクラウルの居城となっている3階端の部屋の前に立っていた。


「……」


 息を吸い、吐いて、心を落ち着ける。

 白装束のシワを払うように伸ばし、前髪をいじって整えた。


 この部屋でやることはただ1つ。ハクラウルの説得だ。


 今のセレーネは、六熾天使が1人・ヨハン=バシェロランテの特殊能力で生前のセレーネの情報を引き出され、それを読み込んだ糸――ハクラウルの呪力が宿った糸を全身に縫われることで動いている。


 なお、糸の呪力というのはカロリーのように、セレーネが動けば動くほど消費されていくものらしく、セレーネがセレーネという少女を『再現』し続ける為には、ハクラウルから継続的に呪力を供給してもらう必要があった。


 そして現在、ハクラウルはペレットとアドの間で交わされた契約により、セレーネに対して少しずつ呪力を分け与えてくれていた。


 ペレット曰く、供給はハクラウルかセレーネどちらかが死ぬまで続ける、という話になっているようで、彼自身には何のメリットもないのに、他人の契約にそんな形で巻き込まれてしまったハクラウルには、感謝と哀れみを向けざるを得ない。


 ただ、その点に関して1つ、問題があった。


 セレーネ達はこれから、戦争屋に加担しようとしている。


 そのことが彼や、アドに知られればどうなるか。今でこそハクラウルは健気に呪力供給をしてくれているが、いつかセレーネ達の計画を知った時はきっと、流石の彼も供給を切って、セレーネを死体に戻してしまうだろう。


 セレーネとしてはもちろん、そんな事態は回避したい。

 ならばどうするか。数日に渡り、ペレットと話し合った結果決めたのは、『ハクラウルも仲間に引き込む』ということだった。


 もはや考えるだけで頭が痛くなってくる、無理難題のミッションに思えるが――意外と、彼を引き込める可能性というのは低くないのである。


 まず、ヘヴンズゲートというのは皆、何らかの願いをアドに託して生きている。

 願いの内容は多種多様で、ある者は世界の平和を、ある者は自分の居場所を、ある者は亡き恋人の蘇生を望み、その代わりに『天使』になっている。


 ペレットとセレーネも同じだ。


 2人も、あの地獄――暗殺者養成学校からの救出を求めて、アドに縋った。

 否、よく考えるとあの時は生か・死かという状況で、脅迫されて勧誘に乗っただけのような気がするのだが、本題から逸れてしまうのでこの話は割愛。とにかく、アドが願いを叶えてくれると信じ、その引き換えにみな彼に協力をするのである。


 が。


 期待を一身に背負ったアドは今、上位種の中の上位種――神の御業みわざにも等しい彼の特殊能力、『1枚きりの画用紙リメイク・ワールド』による世界の再編を行おうとしている。


 この世界を、この世界に生きる人間たちを、捨てるに等しいその行為。

 もしかすると彼は、何度目かの世界で最終的に願いを叶えれば良い、と考えているのかもしれないが、アド以外は違う。

 世界が再編され、また自分が自分として生まれても、それは自分ではないのだ。


 だから、彼を信じたハクラウルもまた、彼に裏切られることになる。


 ポイントはそこだった。そこを狙って、ハクラウルと交渉していく。アドに裏切られたのだから、こちらからも裏切れと囁くのである。


 それに交渉が決裂しそうなら最悪、『記憶の鍵』を使ってハクラウルの中にあるアドの記憶を全て奪い取り、強制的に仲間につけることも出来る。


 相手は精神異常の狂人――なかなかに手強いが、こちらの手札は悪くない。


「……よし」


 気合を注入し、セレーネはドアをノックした。


 先程、深く呼吸をして落ち着けたはずの心臓が、強く脈打つ。こうしていると、自分が死体だとは到底思えない。呪力と能力の合わせ技で、生前の自分の再現をさせられているだけ――頭では理解しているのだが、どうにも不思議な感覚だった。


「セレーネ=アズネラです」


「……なに」


 ドアの向こうから返ってきたのは、不機嫌そうな声だった。

 それを了承と受け取って、セレーネは部屋に入る。


 部屋の中は、相変わらず医務室のようになっていた。

 ちらと奥に見えた、先日セレーネが蘇生手術を受けた部屋に意識を取られつつ、彼女は机に突っ伏しているハクラウルを見やる。


 今、すぐ外で行われている戦争のことなど、まるで知らないように腑抜けた姿。


 まさか暇なのだろうか。だったら、戦えるのだから前線に行ったらどうなのだ、と考えたセレーネだったが、すぐに考えを打ち消す。

 彼の呪術は強力だが、入念な前準備を必要とするものがほとんどだと聞く。瞬発性が重視される戦場とは相性が悪いのだろう。


 ――ハクラウルは、絹のような輝きを持つ長い白髪を乱し、下に濃い隈が出来た片目を開けて、部屋に入ってきたセレーネを見た。


「その顔。僕を、騙そうとしてるだろ」


「――」


 初手にかけられた言葉に、セレーネの心臓が跳ねる。


 だが、これは『アレ』だと言い聞かせた。


 生前、セレーネがアンラヴェル宮殿から離れた後、『グラン・ノアール』に配属されるにあたってオーナーである彼に挨拶をした時も、彼はこちらの顔を見ては『殺さないで』『僕を嫌うな』などと訳の分からない言葉を繰り返していたのだ。

 あの時はただ混乱したのだが、きっとそういう癖があるのだろう。被害妄想というやつだろうか。よくわからないが、第一、騙そうとしているわけではない。


「真っ当な、交渉をしに来ました」


 凛とした声が響いて、ハクラウルの目が両目とも開かれる。

 昔から、人の意識を容易に集めるその声は、セレーネの強みであった。


 少女は目だけで周囲を見回し、半径10メートル以内に人の気配がないことと、監視カメラの類が室内にないことを確認。盗聴器も、多分ないだろうと判断。

 部屋の主がハクラウルである以上、盗聴器などという人のプライベートをストレートに侵害するものがそう簡単に置けるとは思えないし、そもそもあれは制作に高度な技術を必要とするものだ。セレーネやペレットでないと作れないはず。

 そんな貴重なものが、たとえ彼らの手元にあるのだとしても、わざわざこの部屋に置かれているとは思えない。自分がアドなら、戦争屋の拠点にでも隠しておく。


 そう考え、セレーネは本題に踏み入った。


「私と一緒に、戦争屋の元へ行きましょう」


「……」


 セレーネの提案を聞いて、黙り込むハクラウル。

 10秒ほど経ってから、彼は『あぁ』と納得したように声を上げた。


「そういうことか。君は、僕なしでは生きられないからな。逃げるにも、僕を連れていかなきゃいけないと思ったんだ。だからか」


「……えぇ」


 改めて、自分のしようとしていることを他人の口から聞かされると、あまりに利己主義な話で気が滅入る。覚悟は決めていたものの、つい言葉の出が悪くなる。

 でも、ハクラウルにとっても利のある話のはずだ。そう口にしようとして、


「だから……だからだからだから!」


 ハクラウルは、机に強く指を立てた。

 その勢いで、何かの書類がぐしゃりとしわをつけた。


「――!?」


 次の瞬間、見えない何かが波のように押し寄せて、セレーネの身体を捉えた。


 ――生前のセレーネならきっと、その正体はわからなかっただろう。だが、呪力で動いている今のセレーネには、その正体がわかった。


 それは、濃密な『呪気』だった。


 ――呪気。

 呪術師や呪物から漏れ出た悪性の気体。大南大陸では、大自然に生息していた生物を次々に化け物へ変えてしまったという代物。


 それを浴びた瞬間くらりと目眩がして、セレーネは大きくふらついた。が、


「僕だからじゃない! 君が欲しているのは僕の呪力! それがなければ生きていけないから! 君も、あいつも、誰も彼も! 僕を僕として見ることはない!」


「待っ……!」


「あぁ、そうだ! 僕は弱くて惨めで面倒なやつだ! 泣いて喚いて、他人を呪うことだけは1人前のな! ずっとずっと、ずっ――とそう言われてきた! どうせ君もそう思ってるんだろう……口にされなくても、わかりきってるんだよ!」


 少女が膝から崩れるのも構わず、小さな子供のように叫ぶハクラウル。

 彼は机に預けていた上半身を起こすと、長い両手で白髪を掻き乱す。その動きに重なるようにして、部屋に散らかっていた紙が吹雪のように吹き荒れた。


「――っ!」


 目をつむり、セレーネは襲いくる紙吹雪の猛威に耐える。かと思えば、


「生涯に1度で良い。……愛されたいだけなんだ」


 そう言って、ハクラウルは机に倒れ込んだ。

 同時に紙吹雪が鳴りをひそめ、はらはらと落ち葉のように舞い落ちた。


「――」


 絶句するセレーネ。


 絶賛傷心中のハクラウルには悪いが、本当に面倒なことになってきた。時間はあまり残されていないのだ。いっそ、本当に記憶を抜いてしまおうか。


 幸いハクラウルは今、机を掴みながらしゃがみ込んでいてこちらを見ていない。頭部はこちらに曝け出されている。抵抗されるかもしれないが、セレーネにだって長年鍛えてきた腕力がある。数秒触れることくらいは容易だろう。


 セレーネは息を呑み、音もなく近づいた。足音の殺し方を習っていてよかった、とこれほど強く思ったのは、きっと今日が最初で最後に違いない。


 少しずつ、ハクラウルに近づくセレーネ。息の音も、衣服の擦れる音も殺して、そこに存在していないかのような無音さで青年との距離を詰める。

 そして、もう少しで髪に触れる――という距離になって、


「意味がないよ」


 伏せた青年はそう溢した。伸ばした手が、ぴくんと震える。


「特殊能力は魂に付随するものだ。でも、今の君はもぬけの殻。意味わかる? 君にはもう、記憶を抜き取る力は使えないってことだよ」


「……!?」


 初めて知る事実に、セレーネは翡翠の目を見開く。その視界、ど真ん中に映る長身痩躯の青年が、気怠げに身を起こしたその時だった。


 突然、階下で爆発音がした。


「ッ!」


 足元が大きく揺れ、即座に腰を低く落とすセレーネ。

 一方、ハクラウルはぶるりと震え、机の下の狭い空間に光の速さで潜り込んだ。2メートルはある巨体の癖に、子猫みたいな反応である。


 爆発が怖いのか音が怖いのか、小刻みに振動する白い毛虫を目の端に見ながら、セレーネは話を再開するタイミングを伺う。しかし爆発音はなかなか止まず、立て続けにくる振動に建物がみしみしと音を立て始めた。


 刹那、セレーネに走った嫌な予感。


 ――まさか、今爆発しているのは、あの爆弾なんじゃないだろうか。


 いや、そんなはずはない。起爆スイッチはセレーネのもとにあり、何かの拍子に押してしまわないよう3重のロックをかけてある。じゃあ、なんだ。別のものが爆発しているのか、それとも誰かがあの爆弾に強い衝撃を与えたのか。


 何にせよ、このままだと危ない。


 セレーネは耳に触れた。無線機をオンにして、ペレットに状況を説明する。


 少年とのやりとりは、ごくごく短いものだった。

 まずは避難するよう指示され、セレーネは部屋の窓を開ける。冬の枯れた外気が入り込み、机の下のハクラウルが水気を払う猫のようにぎゅるんと震えた。


 寒がりなのだろうか。だとしたら申し訳ないが、こうしなくてはならない。

 この部屋の外が、どうなっているのかわからないのだ。焼け落ちているかもしれないし、燃え盛っているかもしれない。何にせよ、迂闊に廊下には出られない。


 だから――飛び降りる。


「ハクラウル様、外に出ましょう」


 セレーネのまっすぐな呼びかけ。それに反応して青年は顔を上げたが、彼は理解できないものを見たかのような表情をして、


「な……何を言ってるんだ、ここは3階で」


「いいえ、ハクラウル様。私は元・暗殺者です。3階だの4階だのは、暗殺者には関係ありません。高所・暗所・視界不良――どんな空間であろうと理解し、自分の根城にして標的をほふる。標的はいませんが、今回も同じです。ここは、私の城」


「意味がわからない!」


「とにかく、ほら、出てきてください」


 セレーネはつかつかと歩み寄ると、ハクラウルが作った即席のバリケード――ローラーつきの椅子を構えられただけだが――をひっぺがし、真っ白な毛虫を掴む。


 安寧の地から引きずり出されそうになり、ハクラウルはその巨体をばたつかせて必死に争ったが、暗殺者の少女に抗うには圧倒的に腕力が足りていなかった。

 日陰の毛虫は、うら若き少女にずるずると引っ張り出される。


 そして、


「私に捕まっててください、ハクラウル様」


「何をやってるんだ君!?」


「何って、お姫様抱っこですよ。全ての女の子の憧れです」


「僕は女じゃない!」


「じゃあ、自力で飛び降りますか? 無理でしょう?」


 セレーネは、逃げ出そうとする大型の毛虫を横抱きにし、ひょいと持ち上げる。

 そのことにハクラウルは絶句。セレーネは得意げにするでもなく、青年の軽さを馬鹿にするでもなく、ただ窓から身を乗り出して落下防止の柵に足をかけた。


 下から風が吹き上がり、セレーネの白い羽織とハクラウルの髪が舞い上がる。


 雨に濡れながら、ハクラウルは無意識に少女の首にしがみついて、叫んだ。


「ばばばばばばば、馬鹿なんじゃないのか君!」


「でも、あのままあの部屋に居ても燃え死にます。まだ死にたくないでしょう?」


「は?? 待て、じゃあ聞こう。君は何をしようとしてるんだ? まさに今から人生投げうとうとしてるようにしか見えないけど? 3階の窓から身を乗り出して、飛び降り自殺じゃないなら何なんだ?」


「まぁ、見ててくださいな。ほら、3……2……1!」


 自分の掛け声と共に、窓辺から飛び立つセレーネ。

 ハクラウルの顔が真っ青に染まると共に、彼女の羽織が下からの空気を受け、白い天使の羽のように広がった。

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