第130話『自己犠牲の精神に富んだ馬鹿』

 少女の正面から、風が吹く。

 それを浴びた瞬間、2人の処理班員が影も残さずに消えた。


 その光景を見て、フラムはようやく真実に辿り着く。


 採取班としてフラムが拠点を出発する時、本来2人出せるはずの分身が1人しか出てこなかったのは、つまり3等分した魂が1つ足りなかったのは、分身が魂ごとこの少女によって掻き消されたからなのだ。


 殺された、ではない。掻き消された。

 殺されていたのならば本来、分身はフラムの姿を留められなくなって、魂だけになって記憶と共に本体へ戻るはずなのだから。


「――ッ、逃げて!」


 フラムは声を張り上げる。ほぼ同時、皆がそれぞれの方向に散って逃げた。

 そしてフラムも、呆然としているギルの腕を引っ掴んで、荒野の反対側、海のある方面に向かって大森林の中を疾走する。


「……くそッ」


 これ以上犠牲が増える前に、早くエラーを殺さなくてはならない。

 けれど、エラーは手を叩くだけで何でも消せる能力者だ。みすみすとこちらから殺しに行くのは、あまりにもリスクが高すぎる。


 一体、どうしたらいいのだ。どうしたら、エラーを殺せるのだろうか。


 打破する方法が見つからない現状に、フラムは強く奥歯を噛む。と、不意に、ギルの腕を掴んでいた手が払われ、フラムはきょとんとした顔で振り返った。


「……ギルさん?」


「――悪ィ、先行っててくれ」


「え?」


 困惑するフラム。その手前、ギルは革鞘シースに入れていた短剣を引き抜き、


「殺してくる。放置できねーだろ、あんなん」


 と、見たこともないような顔をして身を翻す。だが、彼が来た道を戻ろうと走り出す体勢をとったところで、フラムはその手首を鷲掴みにして彼を止めた。


「待ってください、あの子は貴方が行っても危険です、貴方だって、消されるかもしれなくて……だから、普段みたいな特攻は許しません」


「……どういうことだ? 俺でも死ぬって、あれに会ったことがあるのか?」


「はい。でも、今はまだ逃げましょう。詳しい話は後ほどします」


 そういうとギルは、複雑そうな表情を浮かべたが、すぐに頷いて走り出した。


 走り慣れている彼の全力疾走は、犬の獣人であるフラムでもやや追いつけないくらい速かった。森の景色が、あっという間に2人の視界の端を流れていく。


 この速さならば、あの少女もこちらを見つけられないし、見つけたとしても追いつけないだろう。フラムはそう思っていたのだが、


「――え?」


 ふと、背後の様子を確認しようとギルが振り返った時、そこには何もなかった。

 木の根だけが生えた、ただっ広い土の世界が広がっていた。


 エラーとギル達の間にあったはずの木々が、まとめて消されていたのである。


「? どうしまし……」


 た、と言いかけて振り返り、言葉を失うフラム。その青い目に映るのは、雨風に打たれている12歳くらいの少女の姿だった。

 その少女は、一瞬にして見晴らしが良くなった大地を、小さな足で歩いていた。ただ、まっすぐこちらへ向かって。


 ――ギルが息を呑む。


「流石に、殺すっきゃねえよな」


「……」


 その言葉には、自分に殺す許可を出せ、という意味も込められていた。

 しかしフラムは、それをわかっていながら首を横に振った。


「いいえ、ダメです。逃げ続けましょう」


「んッでだよ」


「なんでって……逆に、なんでこっちから死にに行こうとするんです? わざわざ命を懸けてしてまであの子を止める必要があるとは思えません。それにきっと、あれくらいの年の子であれば、移動距離にも僕らより制限があるでしょうから……」


「……どうだろうなァ。あれを、普通の『あれくらいの年の子』と一緒にすんのは難しいと思うんだが」


「……うっ」


 確かに倫理観といい、見た目に対して異様に幼いその精神性といい、彼女には違和を感じる部分が多い。ヘヴンズゲートにそっくりな格好をしていることからも、エラーは普通の少女ではないと考えた方が良いだろう。


 それに――なんなのだろう、この妙な感覚は。


 改めて見たがあの少女、あんなに背が高かっただろうか。偵察に来た時――初めて会った時はもっと、9歳かそこらの容姿に見えた気がするのだが。


 ――なんだか、嫌な予感がする。


「……と、とりあえず、今は逃げましょう、ギルさん」


 ゆっくり、しかし確実に近づいてくる少女に、フラムは青ざめながら言った。





 2人の無線機がノイズ音を立てたのは、逃走開始から5分ほど経った頃だった。

 その頃、フラムの体力が切れたことにより、木の影に隠れて小休憩をとっていた2人は、片耳にはめた無線機に手を添えて、通信をオンに切り替えた。


「こちらギル=クライン、どーぞ」


 フラムが木にもたれかかって肩で息をしている傍、ギルはしきりに周囲の警戒をしながら応答。すると返ってきたのは、ギルには聞き馴染みのない声だった。


《こちら監視課。マルングラッテより連絡です》


「マルングラッテ……あぁ、あの頭沸きお嬢様の家名か……どうした?」


《伝言です。そのままお伝えいたします》


 そう言うと、伝言役の人物は小さく息を吸って、僅かに声のピッチを上げ、


《『その子を引きつけておいてくださいまし。わたくし達が背後をとってその子を斬ります。それまで、ギルさんはフラムさんを、フラムさんはギルさんを守ってくださいましね。両方、自己犠牲の精神に富んだ馬鹿でございますから』》


「最後の要らねーだろどう考えても」


 なんで急に罵倒した、と眉をひそめるギル。


 エラーの射程外――安全圏から罵倒してくるシーアコットもシーアコットだが、わざわざそこまではっきりと伝える伝言役からも性格の悪さがうかがえる。監視課、と最初に言っていたから、もしかするとあのちっこい少年の仕込みだろうか。


 思えば、しばらく声を聞いていない彼の姿を脳裏に、ギルは疑念を抱く。


 一方、伝言役はギルの疑問には触れず、《以上が伝言です》と答えると、


《……健闘を祈ります》


 そう言って、通信をぷつりと遮断した。


「だってよ、フラム。俺たちに囮になれってさ。……立てるか?」


 ギルは通信をオフにして、もはや白い筋のようになった雨を一瞥いちべつしてから、横でぐったりとしているフラムに声をかける。と、同じように通信を切ったフラムは、どうにか上半身をもたげて息を吐き、


「えぇ、どうにか……ご迷惑をおかけしました」


 言いながら、背もたれにしていた木を支えによろよろと立ち上がった。


 ――なんというか、老い先短い人間と同じ哀愁が漂っている気がする。ギルは、いっそ哀れみを込めた視線をフラムにやって、


「嘘つけ、ふらふらじゃねえか馬鹿」


「うるさいです」


「バァカ」


「うるさいっ」


 ギルと知能の低そうなやりとりをしつつ、鬱陶しそうに尻尾を振るフラム。


 見え見えの意地を張る彼だが、彼の疲弊具合は顕著にその身体に現れていた。

 息はまだ上がっているし、頬や目尻も垂れ下がっていて若干老けて見える。立ち上がってもなお木から手を離さない辺り、未だに自力で立てるほどの力は回復していないのだろう。とにかく、彼が自力で逃げられないということは明らかだった。


「……はぁ」


 溜息をついて、見かねるギル。彼は、処理班に借りた白いワイシャツのまくった袖から見える、腕時計のような機械――射出器をフラムに見せると、


「やろうか? これ」


「……え、それって、トラップを仕掛けるためのものなんじゃ……?」


「いや。あれ、フラムには飛んでるとこ見せたことねーんだっけ? これ、本来は建物なんかに糸引っ掛けて空飛ぶためのモンなんだよ。雨に濡れっとカラクリが錆びて使えなくなるから、今日のとこは全然飛んでねえんだけどさァ」


 説明しながら、ギルは射出器の留め具を外す。フラムに目の前で消えられるくらいなら、いっそ錆びてしまった方がいい。そう判断しての提案だった。


 しかし、フラムは物欲しげに射出器を眺めると、その首を横に振った。


「お気持ちはありがたいですが、遠慮します、すみません。貴方の物なんですし、貴方が使うべきですよ。それに、使いこなせれば便利なんでしょうが、僕の運動神経ではそんなもの扱えませんから。持ち腐れです」


「……え、いや、これ一応ペ……レットに貰ったモンだし。扱うのも、結構簡単なんだぜ? 糸巻くのも、糸抜くのも、ぜーーんぶ腕振るだけ」


「いやいやいや、聞けば聞くほど無理そうですけど?? あと、僕は『神の寵愛』を持っていないので、失敗して落下とかしたら普通に死にますし……」


 と、2人で射出器を押し付け合っていた、その時だった。


 不意に、2人の真上から、枝葉が大きく擦れる音がした。風や雨の影響で鳴ったのではない、ガサガサガサッという人為を感じる音だった。

 そして同時に、少女の笑う声が聞こえた。


 姿を直視しなくても、2人にはその正体がわかった。


 フラムの全身がぞっと粟立つ。ギルの表情から、フラムを相手にしていた時の柔らかさが消えて、血のような色の双眸に殺意が宿った。


 同時、2人が抱いた感情は、相反するものだった。


 フラムは、逃げなければと直感した。2人の頭上、枝と枝の間から抜け落ちてくる少女が、どちらを向いているのかを見て、彼は瞬時に逃げる方向を決めた。


 ギルは、少女を殺さなければと思った。脚に取りつけた革製の小さな鞘から短剣を取り出し、それをひらめかせて迎撃しようとした。


 なお、少女はギルの方を向いていた。

 落ちてきた彼女が、落下中に手を叩こうとしているのを見て、彼女の後ろ側に立っていたフラムは重たい身体を突き動かす。


「ッ――!!」


 そして、落ちてきたエラーを――身長150センチほどの、しかしやけに軽い少女の身体を両手で鷲掴みにして、彼は遠くの茂みへと放り投げた。


 直後、くうを切るギルの短剣。それにより、ぎろりとこちらを向くギルの目。自分に向けられた殺意ではないとはいえ、今までは見ることのなかった殺人鬼の目に、フラムは一瞬怯む。しかし、フラムはギルの二の腕を勢いよく掴むと、


「逃げましょう!」


「んッで……!」


「るうさいです!」


 早く! と意図的に大声を出してギルを牽制けんせいし、今にもエラーを追いかけそうな彼を引っ張って、その場から離れるフラム。

 彼は、まだかまだかと周囲を見やった。そして、シーアコットの姿を探しながらふと、エラーを投げ飛ばした方向を振り返って、


「――ギルさんッ!」


 刹那、フラムは何を思ったのか、ギルに向かって体当たりをした。

 当然、味方から攻撃されるなど思ってもいなかったギルは、もろにダメージを受けながら転倒。突き飛ばされて尻をついた後、驚異の運動神経で後転に入る。


 だが、これは青年の身体に染みついた長年の経験が彼にそうさせただけであり、ギルの頭は未だに状況を理解していなかった。


 ギルは回転から起き上がると、すぐにフラムの居る方向を、



「……ぁ?」



 居なかった。


 こんな薄暗い森の中なら、遠くにいたって目立つあの青空の色の髪が、どこにも見当たらなかった。

 ただ、淡い水色の光の粒子が、さらさらとギルの目の前を流れていった。


「……は、あ?」


 ギルの声が、震える。ギルの喉が、瞳が、指先が、震える。


 この気持ちがなんなのかは、今のギルにはわからなかった。

 だが、確かに質量と熱を持った、何らかの感情が胃の辺りから込み上げて、ギルの脳裏を白く染め上げていた。



 ――また、消された。



「ごめんなさい、失敗しちゃった」


 不意に、鈴の鳴るような心地よい声音が、耳に触れる。


 聞こえた方向をゆっくり振り向くと、そこにあったのは、先程フラムが投げ飛ばした時よりも明らかに背丈の伸びたエラーの姿だった。

 今の身長は、大体160センチくらいだろうか。17歳、くらいに見える。


 一体、何故この短い間でそんなに成長したのだろうか。


 よく見れば背丈だけでなく、声も顔つきも女性らしいものになっている。成長していないものといったら、彼女の白いワンピースくらいだ。もっとも元より大きい服だったので、今の身体でようやくフィットしているように見えるのだが。


「……」


 ゆっくりと近づいてくる少女に、ギルは目つきを鋭くする。対して、長いツインテールの少女は、濡れた顔にうっすらと笑みを浮かべ、



「私はエラー。君を殺しにきたよ」



 ――その青い瞳に、ギルの姿を映し出した。











――【フラム】、存在消滅。

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