第129話『Error Message : 410』

 場所は変わって、スプトーラ国立展望台前。


 茂みから突然現れ、えぐれた首から血を撒き散らして倒れたペレットに、リリアと採取チームの面々は言葉を失った。

 その反応は、見た目のグロテスクさだけが理由ではなかった。事情を知らないジュリオット以外は、寝返ったはずの彼が戻ってきたということにも困惑していた。


 彼は、敵と見做すべきなのか、味方と見做すべきなのか。

 各々の胸に生じる迷い。皆が互いの顔を見合わせていたその最中、ジュリオットが真っ先に少年の元へ駆け寄って行き、


「ペレットくん! ……あぁ、酷い怪我だ。――リリアさん、中からヘレンさんを呼んできてください!」


「あぁ、わかってる!」


 混乱しているのか、乱暴な返事をしながらも、展望台へ突っ込んでいくリリア。それを横目に見送りながらしゃがみこんだジュリオットは、脱いだマントを少年の首元に強く押し当て、少年の上半身を自らの膝に起こし上げた。


 仰向けにされたペレットは、眠りについたような穏やかな顔をしていた。

 一瞬、死んでしまったのではないかと思わせる表情だったが、僅かに聞こえる彼の弱々しい息遣いが、ジュリオットを安堵させ、同時に彼を急かしていた。


 降りしきる雨の粒に、眼鏡のレンズを濡らしながら、ジュリオットは口を開く。


「すみませんが、ルーイさん。私は少しここに残ります。先に、皆さんを連れて採取場所に向かっていて頂けますか」


「……わかりました」


 名を呼ばれ、手短にそう返したのは、採取班の最年長の青年だ。青年は他の班員達を集めると、少し速めの歩みでその場を後にする。それに続くフラムとイヴも、不安げな目でペレットを見やりながら、森の奥へと消えていった。


 そうして残されたペレット達の元へ、今度は展望台から1人の少女とリリアが飛び出してくる。


「ヘレン=ロンソン只今! 患者は!? 彼だけですか!?」


「はい。首の肉を1センチほど、削られています。出血が激しく、このままでは失血死は免れません。ヘレンさんの能力で、血を止めて頂けますでしょうか」


「首――!? わっ、わかりました!」


 動揺しながらも返事をして、ペレットに駆け寄る少女ヘレン。彼女は、治療行為中に汚したのだろう血塗れの手を、ペレットの身体にかざした。

 すると次の瞬間、少女の手が淡く青色に輝いた。


「――これで、ひとまずは安心です」


 そう言って、息を吐いたヘレンが抱き上げたのは、黒猫のぬいぐるみだった。

 長さは20センチほどで、細く平べったいミニマムな形をしている。耳や尻尾にファンシーな装飾がされているのだが、首元が破けており、中から綿が飛び出しているのが少し不気味だった。


 なお、このぬいぐるみは元・ペレットである。

 ヘレン=ロンソンの能力は、生命を全てぬいぐるみに変えるというものなのだ。


「これで後は綿を詰めて、縫合すればえぐれた部分は元に戻ります。ただ、私の能力では傷を塞げても、溢れ出した血を補うことは出来ない……。輸血が出来る環境が整うまで、彼を人間の姿に戻すことは出来ません」


「……ですが、確か輸血パックは爆撃を受けて全滅していたんですよね。……新しく採血して、輸血用に用意する必要がある。ただ、彼の血液は……」


 アルファ型・プラスタイプ。この世ではかなり稀な血液型で、500人に1人居るかどうかという非常に血液が用意しにくいものだ。


 もちろん、500人分の1の確率ならまだ望みはある。1万5000人もの母数があった戦争屋なら、今でもくまなく探せば同じ血液型の人間を見つけられる可能性は少なからずあるし、実際該当者を1人、ジュリオットは知っている。


 しかし、同じ血液型の人間――以降は適合者と表現しよう――が、既に死んでいる可能性や、そもそもそちらも輸血を必要としている可能性があるし、陣営の人間をひっくり返して探すにしても手間がかかりすぎる。


 少なくとも、戦争中に適合者を見つけるというのはかなり難しいだろう。


 ただし、


「ヘレンさん。その能力、かなり消耗が激しいんでしたよね」


「い、いえ。そんなことは……」


「私の前で嘘をつくのは、無意味であるということは忘れてしまいましたか?」


「……あ」


 しまった、という顔をする少女。


 あまり視覚的な能力ではないので、つい忘れられてしまいがちなのだが、ジュリオットは『絶対審判』という嘘を見破る能力者だ。

 今の問いが『絶対審判』で嘘とわかってのものだったのか、それともただカマをかけただけだったのかは、少女にはわからない。だが、今の反応によって、少女が嘘をついていたことは誰から見ても明らかになってしまった。


 少女は、ばつが悪そうな顔をして俯く。


「……そうですね。他の方の治療にも力を使っているので、ペレットさんをこのままの姿に保てるのは、もって1時間くらいです……ごめんなさい」


「いえ、謝る必要はありません。貴方に助けを求め、負担をかけさせているのは私ですから。むしろ、私の方こそ申し訳ありません。……しかし」


 布を詰めて縫合を終えても、人間の姿に戻ればペレットは血液不足で死ぬ。ペレットをぬいぐるみの姿で保とうとすれば、ヘレンが能力の酷使で死ぬ。

 2人を助けるためには、輸血を1時間以内に済ませなければならない。


 そして輸血を1時間以内に済ませるためには、ジュリオットが知っている、ペレットと同じ血液型の人間を今すぐに呼び戻し、その人物の血を採取する他ない。

 

「問題は、彼が生きているかどうかなのですが……」


 そう険しい顔で呟くと、ジュリオットは立ち上がってリリアの方に向き直った。


「すみません、貴方の方から監視課の方にお伝え頂けますか」


「……なんだ?」


 少し怯えたような、警戒するような声音で、問い返すリリア。彼女も処理班の副リーダーを務めている関係上、ペレットとはそれなりの面識があったので、彼の命が失われかけているという現状に何かしら思うことがあるのだろう。

 30センチ以上離れた位置からサファイアの双眸に見上げられ、ジュリオットは少しのあいだ目を閉じると、


「――シャロさんの、生存確認をしてください。そして生存していた場合、自力での帰還が可能なようなら、こちらに呼び戻してください、と。……現状、彼だけがペレットくんを救える人間なんです」


 1人の少年に、ペレットの命運を賭けた。





 茂みを掻き分け、雨に全身を濡らされながら、道なき道を進んでいく。

 スプトーラ大森林の中では、各地で戦闘が起こっていたようで、道中、急所をナイフで的確に突かれて死んだ白装束の身体があちらこちらに転がっていた。


「――かなり歩きましたわね。そろそろ休憩にいたしましょうか」


 そう言ったのは、先頭を進むドレス姿の女、シーアコットである。この森の中をヒールというふざけた格好で歩いているにも関わらず、全く疲れた様子を見せない彼女は、行く手を阻む枝木を大剣で切り落として、後続のギル達を導いていた。


「ここが良さそうですわね」


 彼女が足を止めたのは、根元から倒された木の幹が、いくつも横たわっている奇妙な場所の前だった。


「なんだここ、なんでこんなに木が倒れてんだ?」


 その環境のあまりの異様さに、足を踏み入れかねている班員達を背に控えながら疑問を呟くギル。それに対しシーアコットは、


「わかりませんわ。一瞬、砲撃を受けたのかと思いましたけれど、それにしては爆発の痕跡がない……もしかすると、巨人か何かがいたのかもしれませんわね」


 と、詩的な返答。大剣を背中の鞘にしまい込みながら、倒れる幹の1つに身を寄せるシーアコットに、残されたギルは『そんなんでいいのか……?』と若干引きながら後を追って入る。


 そして、続くようにジャックが入ったことで、流れが出来てしまった後続の班員達。彼らは、辺りを執拗に見回してから『えいっ』と声を上げて3人に続いた。


「とりあえず、3分ほど足を休めていきましょう」


 シーアコットがそう言ったことで、班員達は自由に広がって休憩をとり始めた。

 木の幹に寄りかかって立つ者、木の幹の上に座る者。こんなに倒れているのは明らかにおかしいので、木の幹には近づかないよう地面に腰を下ろす者。

 なるほど、これは性格が出るなと思いながら、ギルは手近な幹に寄りかかった。


 その時だった。


「――!」


 ぱたぱたと雨が葉を打つ音の中、濡れた土を踏む数人分の足音が耳をかすり、ギル・ジャック・シーアコットの3人は振り向いた。


 今、休憩中の班員達は皆足を休めている。ここを離れて歩き回っている者は居ない。だから、この足音は確実に部外者から発せられた音だ。


 もしや、敵襲だろうか。

 数瞬遅れて班員達にもその音が聞こえたようで、場の全員が警戒を走らせる。


 ――しかし、それは杞憂に終わった。

 ちょうど障害物になって、こちらの身を隠す役割を果たしていた木の幹からギル達がすっと顔を覗かせると、目が合ったのは顔見知りの面々だった。


「イヴ!?」


「ワン公!?」


「ルーイさん!?」


 拍子抜けするあまり、目が合った人物の名を叫びながら、顔を木の影から飛び出させてしまう一同。そして、それにより向こうも、


「ギルさん!?」


「ジャックさん!?」


「シーアコットさん!?」


 と、似たような反応を見せた。

 足音の持ち主はフラム、それと処理班員のメンバー達だったのである。


「ど……どうしたんだお前ら、何人か……いや、ほっとんど戦闘要員じゃねェ奴が集まってるみてえだけど」


 そう言って、フラムや知り合いの班員達に目を向けるギル。多少なりとも剣の扱えるイヴや格闘をかじっているルーイを除くと、戦場の真ん中で見るにしては随分と場違いな顔触れだ、と彼は勘繰る。


「……まさか、拠点潰されたのか?」


「いっ、いえ。それが……先程、拠点が砲撃を受けまして。それによる死傷者は出なかったんですけど、代わりに被害のあった部屋に置いていた薬品類が全部ダメになってしまって……だから、薬の材料の採取に来たんです、ボク達」


「――エッ!?」


 歯切れの悪いフラムの告白に、激しく動転するジャック。彼はしばらく口をぱくぱくと動かすと、『……マジで!?』と言葉を捻り出し、


「超やべーじゃんそれ! えっ、オッ、オレも協力するヨ、何集めたらイイ!?」


「本当ですか! えっと、キリの実……この辺りの木にってる赤い実と……あ、ボク達が来た方向はあらかた採取が終わってるので、あちら側をお願いし――」


 と、その時。


 どこかからぱん、と音がして、ジャックの姿が掻き消えた。


「……あれ?」


 突然消えたジャックに、呆然とするフラム。


 まだ説明の最中だったのに、何故消えてしまったのだろう。それとジャックはフラムの指示した『あちら側』を一体どこだと思ったのだろうか。

 フラムが指示したのは、能力を使うより歩いた方が効率の良い近距離なのだが。


 きっと、薬が全滅したと聞き、拠点に居る負傷者たちのことを思って、気が急いてしまったのだろう。あのハイテンションはあまり受け付けないのだが、彼のそういうところだけは好ましい、とフラムは、



「……ジャック?」



 ――息が止まった。

 空色をしたフラムの犬耳が、ぴくりと動いた。


 耳にしたのは、今まで1度も聞いたことのない、ギルの震えた声音だった。


 何事かと思い、フラムはギルの方を振り返った。


 そして、『それ』と目が合った。


 白く、小さな装束。大きな丸い瞳。水色の愛らしいツインテール。まだ微かに幼さの残る形をした、内側が重ね合わせられた2つの手。

 ――9歳くらいの、無垢な笑顔をした少女。


「……エ、ラー……!?」


 震える声音でその名を呼ぶと、少女は笑った。


 笑って、再び手を叩いた。











――【ジャック=リップハート】、存在消滅。

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