第128話『ラッキー☆ナインティーン』

 一体、何が起きたのだろう。


 弾ける赤色を目にした刹那、身体が吹き飛ばされて、何かに後頭部をぶつけた。それから灼熱に包まれて、自分を包む水が一瞬で熱くなったことは覚えている。

 しかし、その後の記憶が一切ない。

 故に、ジャックは一体何が起こったのか、全くわかっていなかった。


「――もし。もしもし。生きていらっしゃいます? もしもし?」


 次に目覚めた時、第一に聞こえたのはそんな、女とおぼしき声だった。


 しとしとと降り注ぐ雨に頬を打たれる感覚を得て、ジャックは薄く目を開く。

 すると視界に入ってくる人影。それは、豪奢な深紅のドレスを纏った、黒髪の女のものだった。否、女というよりその女の下乳が、視界の大半を占めていた。


「……え?」


 覚醒早々、困惑するジャック。


 どうして自分はローアングルで、知らない女の胸を見ているのだろうか。

 というかこの下乳、ジャックの口と鼻を塞いで肺を激しく圧迫しているのだが、胸の持ち主はそれに気づいていないのだろうか。


 いや、まさかわざとなのか? 胸を使って――乳殺しようとしているのか?


 あと、今気づいたのだが、顔面だけでなく後頭部にも何か柔らかいものがある。およそ太もも――いや、この硬さと柔らかさを両立させた物体は確実に太ももだ。とすると、もしや今、自分はこのドレスの女に膝枕されているのか?


 だとしたら、一体誰なんだこいつは。


 ――。

 ――――。


 いや、待て。

 この大きな胸には見覚えがある。


 そうだ、こいつは前線で剣を振り回していた処理班員の女だ。戦闘中、あまりに彼女の乳揺れが激しかったので――失敬、あまりに凄まじいパワーと機動力で敵を蹂躙じゅうりんしていたので、偶然目にしたその一瞬、ほへえと感心した覚えがある。


 そう、だから断じて鼻の下なんて伸ばしていない。


 残念ながら、会話をしたことは1度もないので、彼女に関する詳しい知識も、膝枕をされる覚えも全くないのだが。

 記憶が定かなら、確か容姿通りの偉そうな名前をしていたはずだ。


「……えと、ミーアキャット?」


「シーアコットですわ、このお馬鹿」


 呆れたように溜息を吐きながら、立ち上がるシーアコット。それにより、太ももから転がり落ちたジャックの頭は、強く地面に打ち付けられる。


「った!?」


 衝撃。


 スプトーラの大地は、雨が染み込んである程度柔らかくなっても、なおそれなりの殺傷力を持っていた。ジャックは悲鳴を上げながら飛び上がり、打ち付けた後頭部を抱え込む。それから、扱いの酷さに抗議しようと『なぁ!』と声を上げて、


「初対面だよナァ!? まだ友達でもなんでもねぇよナァ!? オレの扱い方ひど――」


 くね? という、声に出したかった2文字は、その後には続かなかった。彼の意識は、その時どこかから聞こえた、何かが燃えて弾ける音に掻っ攫われていった。


「え?」


 音が聞こえる方向へ、琥珀の目を向けるジャック。そこにあったのは、勢いよく燃え盛るスプトーラ学院の校舎だった。

 今はまだただっ広い校舎の一部しか燃えていないようだったが、その火は火元らしき1階の端から全方位へ広がって、更には校舎を囲む草木にも移り始めていた。


「え、え……?」


 20メートル先方、身を揺らしながら雨空に昇る黒い煙の、むせたくなるような匂いを微かに感じながら、ジャックの思考は困惑のあまりフリーズ。そこへ、見かねたようにシーアコットが並び立って、『どうやら』と口を切り、


「校舎中に、爆弾が仕掛けられていたようですわ。わたくしが2階へ上がって軽く確認しただけでも10数個……恐らく、遠隔操作式のものが。ですから、誰かが遠くから爆破した可能性があります。もしくは、戦闘の影響で誤爆したか」


「……ばく、はつ」


 シーアコットの言葉に、ジャックは何かを思い出そうと考え込む。


「あぁ、そうだオレ……爆発に巻き込まれて……ってなると、状況的に……もしかして、オレをここに運び出してくれたのは、えーーーっと……おま」


「『お前』じゃありませんわ。『シーアコット』です」


「あ、ゴメン。それで、その――」


「えぇ、そうですわ。わたくしと、班員の方々で運びました。……突入した2階の四方八方に爆弾が隠されていると気づき、安全確保のため1階へ戻ったら、貴方たちが火の中でひっくり返っていらしたので、わたくしとても驚きましてよ」


 そう言って、まとめた艶やかな黒髪を払うシーアコット。

 雨が染みているせいか、それが綺麗な波を打つことはなかったが、一瞬甘い花の香りが口の辺りを掠めた気がして、ジャックは思わず鼻を鳴らした。


 そして、


「――ン? 待って、オレ『たち』をって……そういや、ギルは!?」


「彼は、あちらでしてよ」


 すっ、と手をドレスの長い袖から出し、シーアコットはある一方を指さした。


 示された方向にあったのは、深く生い茂るスプトーラの木々だ。この大森林は、学院から離れれば離れるほど木が密集しているらしい。色濃い枝葉の影を落とされ暗くなったそのスポットには、数人の処理班員が居た。


 彼らはみな、輪を作るように円状に並んで、外を向いていた。円の中央は空間があるように見えるが、内側に何かを隠しているのだろうか。

 そんなことを考えていると、シーアコットは瞼にかかった雨粒を手で拭い、


「彼は、爆発の影響で服がボロボロになってしまったので、あちらで処理班の制服に着替えている最中ですわ」


「――えっ、ギルが生きてるのか!? あそこで!?」


「……はい?」


「あ、いや、悪い。変な質問しちまったナ。……でも、生きてるなら良かったヨ」


 『本当に』と呟いて、安堵を噛み締めるジャック。その横にて、置いてけぼりのシーアコットは怪訝そうに眉根をひそめる。


 それもそのはず、ギルという男は本来『死ぬことがない』のである。

 そしてそれは、ギルを知る人間のほとんどが知っている情報であり、特別シーアコットのみにもたらされた機密というわけではない。

 だから、どうしてジャックの口から『ギルが生きているのか』という『神の寵愛』を無視したような問いが発されたのか、理解が出来なかったのだが、


「……」


 よかった、と繰り返し呟きながら、1人涙を堪えるジャックの姿に、何か訳があることを察したらしい。彼女は先程ギルが居る、と言った方向に向き直ると、白磁のような両手を強く叩いて音を立て、


「そろそろ戻りなさい、ギルさん! ご友人を慰めるのは貴方の役目でしてよ!」


 そう、高らかに声を上げた。





 シーアコットの呼び声に、至極居た堪れなさそうな表情で班員たちの輪の中から現れたギルは、処理班の白いワイシャツと黒のズボンを身に纏っていた。


 フォーマルな格好とギルという組み合わせは、ギルの性格を知っているからこそ薄ら笑いが浮かぶような愉快さがあったが、見た目自体はかなり様になっており、彼のビジュアル的スペックが高いことを改めて思い知らされた。


 ちなみに、彼はマントも服と一緒に焼けてしまったらしい。

 ただ1人、黒いマントの集団に囲まれるマント非装備の彼の姿は、傍から見ると危険な宗教に捕まってしまった人間のようだった。


「いや、えっと、すみませんでした」


 無言の重圧をかけるシーアコットと、滝のような涙を流してコアラのようにひっついてくるジャックに挟まれながら、ギルは困ったような顔で謝罪。それから、ジャックの亜麻色の跳ねっ毛をわしゃわしゃと掻き回すと、


「あの、状況の説明……頼んでもいいか」


「わたくしも、そろそろジャックさん視点の情報を共有して頂きたいですわね」

 

「ゔ、ん……わがっだぁ……えっど、えっど……」


 詰まりを起こし始めた鼻をずびっと汚くすすって、ギルが死亡してからの出来事について語り始めるジャック。彼はミカドとの熾烈な戦いや、ミカドが放った意味深長な言葉の数々を明かして、


「そんで、急に教室が爆発して……そこまでしか覚えてネェ。なんでオレは黒焦げになんねーで今生きてるのかも、ミカドがその後どーなったかもわかんねェ……うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」


 全てを語り尽くすと、ギルにしがみついて再び号泣。自然とギルの首を絞めていることには気づかないまま、彼は新しく袖を通されたシャツの生地を、涙と鼻水と雨の混じった粘液をつけて湿らせる。


「……」


 ――本当に同じ19歳なのだろうか、こいつは。


 懐疑の視線を向けたくなるが、ジャックに心配をかけさせたのは自分で、自分を命懸けで守ってくれたのはジャックなので、もはや何も言うことが出来ない。

 というか、首が絞められてるので色んな意味で言葉が出ない。


 ギルは、首を締め付けるジャックの手を軽く何度か叩き、両手をそこから退けさせると、数分間取り入れていなかった空気を新しく取り込んだ。


 そして、


「黒焦げにならなかったのは多分、ミカドって奴がお前を捕まえるのに使った水が上手くクッションになったからだろうな。俺の服は黒焦げになってたし、その水がなかったらきっと、ジャックも真っ黒になって死んでたはずだぜ」


「ゔえぇぇぇ……ぞれっで、アイヅの技にだずげられだっでごと……!?」


「まァ、向こうは全く意識してねェだろうけどな」


 そう言って、まだ見ぬミカドという男の、不運さに憐れみを抱くギル。


 その一方で、ちょうどクッションになる水に包まれていて、ちょうど爆弾が同じ部屋にあって、ちょうどその爆弾に電撃で起こした火が引火するという奇跡を引き起こしたジャックは、とんでもなくラッキーな人間だと言えよう。


 ただ、ここで奇跡を起こしたその代償として、しばらくの間ジャックには不運が続くかもしれない。そうなったら今度は、自分がジャックを守らなければ。


 そんなことを思っているとふと、ギルにしがみつく19歳児が、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をシーアコットに向けた。


「あ、あのざ、オレらをごこに運び出してぐれたっで言っでたジャン。ぞん時に、同じ部屋ん中で焼けだ死体は見でねーのカ? ミーアコット」


「シー・ア・コッ・ト、ですわ! キメラを作らないでくださいまし!」


「あ、ゴメン」


「全く……しかし、鉤爪をつけた男性の死体なら、確かにあの教室で見ましたわ。ミカドさんという方のご遺体で、間違いないと思い――」


 と、その時。

 突然、スプトーラ学院から、連鎖する爆発音が響き渡った。


「――!?」


 恐らく、まだ爆発していなかった爆弾に、火が移ってしまったのだろう。

 雨の中、勢いよく広がった火の粉に目を向けたギル達は、呆然と、あるいは強張った表情で、曇天に揺らめく大火の眩しさに言葉を詰まらせる。


 そういえば、校舎中に隠されているという爆弾は、一体誰が何のために仕掛けたものなのだろうか。戦争屋陣営の誰かが拠点を吹き飛ばすために仕掛けたのか、それともヘヴンズゲート側が用意したトラップだったのか。


「……なんか、スゲェ嫌な予感するヨ、オレ」


 すごすごとギルの身体から降りて、小さく呟くジャック。


 その傍で、処理班員の1人がおもむろに耳元の無線機を押さえた。班員は、雨と火の弾ける音に支配された森の中、『はい、はい』と、繰り返し相槌を打つ。そして、


「シーアコットさん」


 ようやく耳から手を離した班員は、複雑な表情でシーアコットに歩み寄った。


「――本部から、退却命令が出ました。……本部側で確認をしたところ、あの校舎からは生体反応が一切検知されなかったそうです。逃げられた可能性がある、と」











――【ミカド・レンジ】死亡。

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