第127話『リビングデッド・デュード』

 3本の爪が振り払われる。狙いはジャックの喉だった。

 ジャックは鉄パイプを構え、互いの得物を交差させることで攻撃を防ぐ。そして身をよじってミカドの腹を足の裏で突き飛ばし、空いた距離を身軽に詰めて、よろめいたミカドにパイプを一振り叩きつけようとした。


 が、今度はミカドが攻撃を防ぐ。


 鉄パイプと鉤爪が交差して、金属同士きりきりと甲高い音を立てた。その耳を塞ぎたくなるような不快な音に、ジャックは思わず顔を歪める。


「――じゃあ、テメーは白いやつじゃねーケド、白いやつの味方についてるってことでいーんだよナ?」


「白いやつ、というのが、白い装束を纏った天使様たちのことならば、そういうことになるでござるな」


 そう言ってミカドは涼しげな顔で、床を蹴って大きく後退。四足獣のように身を低く沈めて、ジャックの両足目掛け疾走した。


 足を刈り取らんと、振り払われる3本の脅威。それをジャックは高く宙へ、前に飛び出すようにジャンプをして体操選手のように身を捻り、突っ込んできたミカドを飛び越えて着地することで回避。

 振り返りざまに武器を振るい、ジャックは背中への大打撃を狙う。


 しかし、ミカドの持ち直しは想定していたよりも早く、既に身を起こしていた彼の鉤爪によって渾身の一撃は吸収されてしまった。


「ぐっ……」


 額にしわを寄せるジャック。


 ここまで戦闘が長続きしたのは久しぶりだ。

 この学院の外のでの戦闘ではみな一撃か、多くても二撃目で倒してしまっており手応えに欠けていたので、骨のある奴に会えたのは喜ばしいことだ、と彼は思う。


 だが、ここまで強いと恐らく勝率は五分五分だろう。故に、ジャックが確実にミカドに勝つためには、いち早いギルの加勢が必要になってくるのだが、


「……おかしい」


 一向に現れないギルを不審に思い、ジャックは攻防を繰り返しながら呟いた。


 一体何故、彼は戻ってこないのだろうか。彼の『神の寵愛』は、首を刎ねられたところでそう回復に時間がかかるものではないはずだ。

 ……もっとも、最近は彼が首を刎ねられるところを目にしていないので、これはあくまで兵士時代の記憶で語っているのだが。


 彼が死んでから、もう数分は経っているだろう。

 まさか、本当に死んでしまったのではないか、と思うくらい何の音沙汰もない。


 ギルの身体は一体いま、どういう状況にあるのだろうか。今すぐ確かめに行きたいが、ミカドと戦っている限り教室を覗きに行くことは出来ない。


 ジャックは、なかば苛立ちながら攻撃をさばき続けた。


「――うん? どうしました、気が散っている様子でござるが……」


「るッ、せーーー!!」


 ジャックはとびきりの電流を流し込み、怒りを乗せてパイプを振るう。

 その時、ミカドの鉤爪は狙われた箇所を咄嗟とっさに防御できる位置になく、パイプは確実にミカドに当たる状態にあった。だから、ジャックのこの一撃は大ダメージを負わせられる、と確信していた。


 しかし、


「……あ?」


 当たると思っていたその一撃が何故か空振り、妙な感覚に襲われる。


「は、え? ……消えた?」


 つい、間抜けな呟きを溢すジャック。

 けれど実際、ミカドの姿はこの場から忽然と消えていた。上を見ても後ろを見ても、彼の姿はどこにもない。横を見ても下を見ても、やはり彼の姿はない――。


「アイツ、どこに行って……!!」


 自然、ジャックの心が焦燥に駆られた、その時だった。


 ふいにジャックは、自分の足元の周りが濡れていることに気づいた。床に、大きなしみが出来ていたのだ。およそ、ジャックが丸まって寝たくらいの大きなしみ。先程までは、確実になかったはずのものが。


「なんだ、コレ。雨漏れ……じゃあ、ねぇか」


 確かに今の外界は激しい雨が降っているし、校舎は古めかしくて所々にボロ臭さが垣間見える造りだが、ここまではっきりとしたしみを作る雨漏れなら、しみより先に漏れてくる雨の方に気づいていただろう。となると、


「今の一瞬で、アイツが水を使って……何かを、したんだよナ……多分」


 考えられるのはそれくらいか。

 ならば、彼は水を使ってどこへ消えたというのか。


「……ギル!」


 嫌な予感がして、ジャックは教室の中に飛び込んだ。

 教室の中は案の定、ジャックが胴体を適当に投げ入れたせいで散乱していて、机上に置かれていたはずの椅子がいくつかひっくり返っていた。


 ギルの胴体があったのは、そのひっくり返った椅子たちの上だった。


 ジャックは、周囲にミカドの気配がないことを確認してから、ローテーブルにひょいと飛び乗る。


「……やっぱりか」


 呟きながら、ジャックは手首を掴んでギルの胴体を引き起こした。


 起こされたその身体に、首から上は存在していない。

 ジャックがミカドと交戦していた間、『神の寵愛』はずっと発動していなかったのである。


「……でも、なんデ?」


 一体どうして、『神の寵愛』は発動しないのだろうか。


 今まであの能力は、数えるのも億劫になるほど乱用されてきたので、回数制限があったとは思いにくい。同じ理由から、発動条件を満たしていなかった、というのもあまり考えられないだろう。


 そうなると――現状、ジャックの頭で考えられる理由は、1つだ。


「アイツが、もしも呪術師だったラ……?」


 前提として、ジャックは呪術に関する知識は皆無に等しい。しかし、特殊能力よりも複雑なことが出来る、ということは知っていた。もしそれが本当なら、『能力を発動させない呪術』というのがある可能性も否めないだろう。


「ケド、それだったらオレ呪術師じゃねーカラ、解呪とかできねーし……アイツをぶっ殺すしか、ギルを生き返らせる方法はないんじゃネ……!?」


 自分の行き着いた考えに、さっ、と血の気が引くのを実感しながら、ギルの全身をくまなく調べるジャック。服の袖や裾をまくってみたりもしたが、呪術を人体に使用する際に刻まれるという紋章は見つからな――。


「……ん?」


 ふいにジャックは、それに気づいた。ギルの首の切り口に、謎の膜が張られている。

 透明な膜だ。触った感じは水に近いが、ぬるっとしていて気持ちが悪い。膜は首の切り口全体を覆っており、どれだけジャックが手で払っても、ぷるぷると動くだけで首からはとれなかった。


「……もしかして、この膜がギルの再生を邪魔してんのカ?」


 そう呟いたとき、ふと、ジャックの鼻頭に何かが落ちた。何だろう、と鼻頭に触れてみると、指先が少し濡れたのがわかって、ジャックは反射的に顔を上げる。


 すると、ミカドが降ってきた。


「――!?」


 ジャックはギルの足首を掴んで机上を角度約45度に飛び跳ね、無我夢中で奇襲を回避。ローテーブルの端まで転がり込むと、ギルの胴体を抱き寄せて、


「おい、これどーいうことだヨ!」


 凛とした立ち姿でこちらを見下ろしてくる、背の高い青年を睨み上げる。


「テメーだよナ、この膜はっつけたの!」


「――あぁ、そちらの御仁が死なないことは知っておりましたからな。再生箇所を水の膜で塞ぐことで、身体が元に戻らないようにしておりまする。まぁ、安心めされよ。再生を阻害しても、彼の身体は仮死状態にしかならないようでござるから」


 そう微笑んで黒い羽織をはためかせ、突進してくるミカド。彼はいつのまにか血の取れた綺麗な鉤爪を振り上げて、ジャックの脳天を狙う。


 対して、腑抜けた体勢のジャックはギルの胴体を放り出すと、鉄パイプを掲げて彼の攻撃を防ごうとした。が、机上に尻をついた状態なので、上手く防御の姿勢を取ることが出来ず、払われた鉤爪の衝撃でパイプが手から弾かれる。


「な……っ」


 そこへ走る追撃。得物を弾かれ素手になったジャックは、大きく後ろにのけぞって3本の爪をギリギリ回避。ブリッジよろしく低く身を仰向けさせた彼に、今度は胸を突き立てようと3撃目が襲いかかった。


「――ッ」


 ジャックは自分を電流に変え、瞬間移動することで3撃目も回避。

 攻撃対象を失って、テーブルに強く鉤爪を突き立てたミカドは、その表情に僅かな驚きを滲ませながら背後を振り返った。


「……!!」


 そこにあるのは、教室の天井中央から吊り下げられた、少し大きなシャンデリア。そしてそれに掴まって、身体を宙に垂らす亜麻色の髪の青年が居た。


 彼は、片手で自分を支えながら、もう片方の手をピストルのように見立て、人差し指をミカドのど真ん中に向ける。直後、その指の先端にビー玉サイズの電気の塊が顕現、ばちばちと弾けるそれは、光線となって発射された。


 文字通り、光の速さで撃ち出されるそれは、常人なら避けようがないものだった。


 だが、鉤爪の青年は撃たれそうになった部位を瞬時に水に変え、部分的に変形して身体に穴を作ることで光線をすり抜けさせる。


「ッ……!?」


「ははっ」


 愕然とするジャックを見上げ、愉悦の表情を浮かべるミカド。続いて彼は、ジャックに向けて手をかざした。何事か、と青年が眉をひそめたその時、鉤爪の付けられた手の内側に、拳1つ分サイズの水の球が生み出される。


 直後、発射。放たれた水の球が、自重を支えるジャックの手元を刺した。その想像を遥かに超える威力に、ジャックは思わずシャンデリアから手を離し、落下する。


 弾き落とされた先にあったのは、黒板の前の教卓だった。否、その教卓の上に、ジャックを待ち構えるものがあった。先程のものとは全く比べ物にならない、人1人を丸ごと包み込んでしまいそうな大きさの水の球だ。

 ジャックがそれに意図せず飛び込むと、水の球は衝撃で散ることなく青年の身体を飲み込んだ。


「――ぶば、べべべぼばば!?」


 唐突な水の感覚に仰天し、勢いよく息を吐き切るジャック。

 

 彼は、どうにか水の球の中から脱出しようと試みる。しかし、球の外に手を伸ばしても、身体が何故か1回転し、思うように動くことが出来なかった。どうやら、完全に閉じ込められたようだ。


 ジャックは苦い表情を浮かべて、苦しさを紛らわすように外のミカドを睨む。水の中から見るミカドは、水自体が球体なのもあってか、酷く不細工に見えた。


「勝負あったでござるな」


 ローテーブルの上を、ショーの舞台のように歩いて、教卓の前で降りるミカド。


「いやはや、貴殿も強い男でござる。ウーダン族に襲われた時を思い出しました。狩られる側の気持ちを、久々に味わいましたな」


 彼の言葉は、ジャックにはやはりぼやぼやして聞こえたが、なんとなく煽られているのだろう、ということだけはわかった。

 なお、溺死しそうな今その煽りを真正面から受け取る暇はなく、ジャックの意識はここからどう脱出するか、どう息を繋ぐかの思考に割かれていたのだが、


「あぁ、それから――ギル殿、でしたかな」


「……!!」


 その名を聞いて、ジャックは鋭い目をミカドに向ける。彼にしてはかなり高圧的な目をしていたが、ミカドは怯むこともなく飄々と続け、


「彼は拙者の恩人曰く、『世界の再編』前に消滅させておく必要があるそうですからな。残念ですが、彼の遺体はこちらで預からせてもらうでござる。もし、何か彼に言いたいことがあれば、これが最後の機会でござるよ」


 そう言って、身をひるがえす。

 向かったのは、ジャックが先程放り投げたギルの遺体がある、教室の後ろ側だった。そこへ行って、遺体を取ろうとして――彼はふと、に気づいた。


 壁やカーテンが、ミカドに避けられたジャックの電撃によって、ちらちらと燃え始めていたのである。


「おや、いけないでござるな」


 ミカドは最初こそ驚いたようだったが、炎がまだ小さかったことと、自分自身が水の能力者であるという余裕からか、すぐに落ち着きを取り戻した。

 そして、早速燃えるカーテンや壁に向かって、手の内側から水を放ち、


「ほとんど物置部屋のような扱いとはいえ、ここも恩人であるあの人の持ち物に変わりはないでござるからな。あとで謝らなくては」


 そう呟きながら、丁寧に火の処理をしていく。その消火作業を、ジャックが遠のく意識の中でぼんやりと見つめていると――それは起こった。


 突然、大爆発が教室を飲み込んだのである。

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