第131話『今日が、雨の日でよかった』

 森の木々の間から現れた少女、エラー。

 『天国の番人ヘヴンズゲート』を思わせる白いワンピースに身を包み、尻まで伸ばした水色の髪をツインテールにした彼女は、初めて見た時よりずっと大人びた姿をしていた。


 身長は約160センチ、年齢は17歳前後といったところだろうか。

 あまりにも常識から逸脱した成長スピードに、ギルは改めてエラーが得体の知れない人物であることを再確認しながら、自分でも驚くくらい低い声で尋ねる。


「――俺を、殺すために来た、つったか」


「うん。それが、エラーの氏名なの。エラーはそのために生まれたの。だから、エラーを会えたことを喜んでほしい。死ねるのは嬉しいでしょう? ギルくん」


 エラーは小さな両手を後ろで組み、こてんと首を傾げる。

 しかし、覗き込んだギルの表情が、酷く冷たいものであることを知ると、彼女はひょいと目を逸らしてツインテールの毛先をいじり、


「えと……エラー、生まれたばっかりで上手くいかなくて。だから、ギルくんじゃない子もさん……よにん? 消しちゃったけど。ごめんね。ホント、消すつもりはなかったんだよ。エラーはギルくんを殺せればいいから、だから」


「……」


「だから……」


 そう呟いて、口籠るエラー。

 ギルに許してもらおうと、必死に弁明の言葉を探して、


「なァ、お前さ」


 感情の抜け落ちた、空虚な音がギルの口から零れ落ちた。


「え?」


 呆気にとられるエラー。

 まさか、ギルの方から喋りかけられるとは思っていなかったのだろう。その、妙にあどけない表情が逆にギルの不快を強めたが、彼はただ瞑目し、


「――お前、俺を殺すために生まれてきたって言ったよな。ってことは、俺を殺すためにお前を生んだ奴が居るってことだ。……一体、そいつは誰だ?」


 目を開く。

 その目にはもう、先程までの突き刺すような鋭さは宿っていなかった。


 といっても当然、ギルはエラーのことを許したわけではない。幼かろうと誰かに命令されていようと、ここが殺し殺されるのが当たり前の『戦場』であろうと、ギルは永遠にエラーを恨むだろうし、今も彼女を殺したい欲求でいっぱいだ。


 しかし彼女に手を下す前に、ジャックやフラムが死んだ元凶になった人物の名を聞き出す必要があった。この胸に溜まった鬱憤を、ぶつけるべき場所に最大限にぶつける必要があった。彼らの死に関与している者を、1人残らず排除したかった。


 だから、エラーとの話を円滑に進めるために、感情を抑えていたのである。


 ただしギルは、すでに出してしまった殺意を再び抑えるのは得意ではなかった。彼が精一杯取り繕った冷静な表情は、穴の空いた鍋蓋のようなもので、内に燻る感情が声から顔から滲み出してしまっていた。


 つまり、激昂すると微笑む人ほど怖い――といった言説と同じような状態がギルに起きてしまっており、その大層歪な雰囲気を感じ取ったエラーはギルの配慮とは反対に顔色を変え、至極怯えた表情を浮かべた。


 そして彼女は、ワンピースの裾から覗く両脚をもじもじと不安げに寄せ、


「……え、えと、パパ。エラーのパパが、エラーに殺せって言ったの。ギルくんは生きてたらいけない人だから、なくしてきてねって。エラーだけがギルくんをなくせるから、エラーだけが頼りだ……って」


「パ……男なのか? 誰なんだ、そいつは」


「だ、誰って」


 1歩ずつ、詰め寄りながら訪ねてくるギルに、顔を真っ青にするエラー。彼女は後ろで組んでいた手を胸の前に持ってくると、いつでも手を叩ける体勢をとって、


「パパはパパだよ。名前なんかない。金ピカの髪の毛でおめめが青くって、でもエラーとは身体の色が違くって、超すごいジュジュツシなの」


「――金髪で、目が青くて……身体の色が違う、呪術師?」


 咀嚼するように、エラーの言葉を一文一文区切って復唱するギル。ふと彼は、記憶の一部が反応したのを感じ取って、『まさか』と呟いた。


 脳裏に浮かんだのは、アバシィナの顔だ。

 ヴァスティハス収容監獄・エリア『サード』にレムと共に収容されていた、笑い声のやかましいあの青年。


 金髪・碧眼・褐色肌・呪術師・男――今判明している要素を並べると、確かにあの男はエラーの言う父親のステータスに当てはまっている。


 しかし、


「……いや、違うな」


 よく考えるとあの男は、ギルが収容される前からあの監獄の中で過ごしていたはずなのだ。


 実際、何年前から居るのかはわからないが、彼の罪状――『国民10万人殺し』というのは、彼に会うまで耳にしたことがなかったので、ここ数年の事件ではないはず。なんなら、ギルが生まれるより前の事件の可能性だってある。


 それを考慮すると、明らかにまだ1桁の年齢であろうエラーを産むタイミングは、限りなく『無い』はずなのだ。――なお、今のエラーはどう見ても17、8歳の少女なので、その事実が推理を邪魔しにかかるのだが。


 とにかく、彼女の父親がアバシィナと決めつけるには、まだ確定要素が足りない。


 ギルは、小さな吐息をした。


「――わかった」


 手の甲で、雨に濡れる顔を拭う。袖をまくり、手首をシャツの内から出すと、ギルは射出器の円盤のつまみをいじった。


 何をしているのだろう、と、エラーの目線が青年の手元に寄る。が、


「俺を殺そうとしてんのが、お前1人だけじゃなくて……他にも居るってんなら、まだお前のことは殺せない」


「ッ!」


 ギルが射出器をつけた方の腕を振り、雨で光る透明な糸が大きくうねったのを視認して、エラーは即座に手を叩いた。


 ぱん、と濡れた手のひらの音。直後、大きな風が吹いた。


 だが、エラーはギルが消えるところを見ることが出来なかった。それは突然、身体が何かに強制されるようにぐりんと仰向けて、宙に浮いたためであった。


「なっ……!?」


 何が起きたのかわからず、圧倒される少女。しかし、不意に目に入った――透明な糸が巻き付けられた自分の腕を見て、ようやく彼女はこの状況を理解した。


 自分は、罠にはまったのだ。


「……さっきまでこの辺で、フラムがくたばってたからな。いつお前が来ても良いようにって、周囲一帯に簡単なトラップを仕掛けてたんだよ」


 言いながら、ギルはピンと張った目の前の糸に指をかけ、弾く。すると、縦横無尽に走る糸の中に閉じ込められた少女は、悔しげに口を強く結んだ。


 いい気味である。


 しかし、こうして彼女の悔しそうな表情を見られたのも、フラムがトラップのある場所に、エラーを誘い込むように逃げてくれたおかげだ。


 ギル達が本部と通信していたころ居た辺りには、2人が居るため当然トラップがかけられておらず、横からの奇襲を想定していたエラーには2人の真上から降ってこられたので、その時はトラップが無意味になったかと思ったものだ。


 意図的か無意識かわからないが、トラップのある方向に走ってくれたフラムには感謝しなければならない。


 なお、このトラップは射出器が、吐いた糸を回収することであちこちの木にかかった糸が張り、ネットの役割を果たすというものなのだが、射出器は規定の振動で動いてしまうので、逃走中にトラップが誤作動を起こさなかったのは奇跡だった。


 実際トラップを仕掛けている最中、糸を掛けようとジャンプをすると射出器が反応してしまい、その度にギルやフラムがトラップの餌食えじきになっていたのだ。


 フラムが休憩中、射出器を貸そうとしたギルに『トラップを仕掛けるためのものでは』と尋ねたのも、そんな実体験による認識の刷り込みがあったからだった。


「……悪ィけど」


 ギルは、木々の間で宙ぶらりんになっているエラーを見上げる。


 少女は糸から抜け出そうと必死にもがいており、こちらの話に耳を傾ける様子は一切なかったが、それでもギルは話を続けた。


「敵討ちってガラじゃあねェけど、珍しくキレてるもんでな。お前には、お前の父親を紹介してもらわなきゃなんなくなった」


「――え?」


 父親、という言葉に耳を動かし、ギルに目を向けるエラー。彼女は青ざめた顔を引きらせ、ギルの言葉の意味を理解する。否、理解はしていなかったが、父親に悪いことが起きようとしている、というのは幼いながらに悟っていた。


 ――滝のような雨が、スプトーラ大森林に叩きつける雨音の中、エラーが息を飲む音が聞こえたような気がした。


「何、別に乱暴なことはしねーよ。……多分な。ただ、色々と聞くことがある。だから、そいつが今居る場所を喋ってくれるか? エラー」


「っ……やだ、言わないっ、絶対に言わない!」


「本当に? お前は、それを選ぶのか?」


 首を傾げ、問いかけるギル。彼の疑うような物言いに少女は、自分の選択がさも間違いであったかのような錯覚を得る。けれど、頷いた。


「エラーは、パパが怖い思いをしない方を選ぶよ。きっと、パパの居場所を教えたら、ギルくんは怖いことするから」


「……そうか」


 真っ直ぐなエラーの目を見て、ギルは瞑目する。


 これは、ギルが嘘をついても、脅しても意見を変えないタイプの人間の目だ。それだけ、彼女は自分の父親を慕っているということだろう。

 そんな満ち足りた親子愛を見ていると、まるで自分だけが悪者だったかのようだ、と思う。今からすることに、罪悪感すら湧いてくる。


 けれど、この少女が脅威であることに変わりはない。

 トラップから解放するのはもちろん、このままここに放置するのも危険だろう。所詮は糸なので、時間と頭さえ使ってしまえば誰でも抜けられるのだ。それに、消滅させられたジャックとフラムのためにも――これは、為さなければならない。


 ギルは、息を吸った。


「わかった。じゃあ、頼んだシーアコット」


「了解ですわ!」


 瞬間。ギルの正面、エラーの背後にある木の裏から、大剣を構えた女が飛び出してくる。そして、彼女は超質量のそれを飛び出しざまに振り下ろした。


 刹那、ほとばしる光。空間を一直線に突き進んで、鋭さを持ったその輝きは糸に絡められたエラーの背に叩きつけられた。


 はらり、はらりと糸が落ちて――少女が、光の粒子となって霧散する。


「……やっぱり、人じゃなかったか。……俺もジャックも、全く気配に気づけねえから、人間じゃねえのは大体予想ついてたが……」


 風に溶けていく光を眺めながら、ぼんやりと呟くギル。

 そこへやってきた葡萄色えびいろのドレスの女、シーアコットは、大剣を背負った大きな鞘に収めると、雨風に乱れた黒髪を整えて、


「合流が遅れてしまい、申し訳ありませんでしたわ。……フラムさんは」


「察しの通りだよ。やっぱ、あんまり気分のいいもんじゃねえわ」


 やれやれ、とギルは肩をすくめる仕草。それを見たシーアコットが、一瞬神妙な面持ちをしたが、彼女はすぐに『そうですわね』と追及を諦めると、


「彼女が父親と言っていた人物……貴方は、どうするつもりですの?」


「……そうだな。とりあえず、あのガキから聞いた父親の特徴は覚えたから、それを頼りに探していくしかねェ。つっても今がこんなだし、それがあと何年後に出来るのかはわかんねーけど。……色々、聞きたいことが――」


 と、言いかけていたその時だった。


 突然、大地が大きく揺れ動いて――一陣の風が、全てを薙ぎ払うように駆け抜けた。

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