第126話『タダ飯食らいの噺手』

 ほぼ同時刻、ヘヴンズゲート拠点・旧スプトーラ学院にて。

 このころ戦争屋陣営の前線組はヘヴンズゲート側の防御を突破しており、オルレアス軍の兵士や処理班員たちは次々と学院の中に押し入っていた。


 そうして現在、前線組の生存者はおよそ1200人である。

 必要不可欠だったとはいえ、多くの犠牲を払ったせいで、正直世界中に活動範囲を広げる教団の拠点に乗り込むにはやや心もとない人数になってしまっている。


 しかし幸い、現在は戦争屋陣営が優勢にあった。


 理由は至って簡単だ。

 前線組を率いているのは、あのギルとジャックの2人なのである。


「お――ッッッらァ!!」


「ぶっ放すぜぇ、バァン!」


 ここに来るまでの度重なる戦闘によって身体も十分温まり、熱く血をたぎらせた2人の前に敵などもはや存在していなかった。


 鉛色が肉を断ち、血を噴かせ、それに追随するように電撃が走る。その度に血の匂いと肉の焦げる匂いが漂い、死に損ないの悲鳴が飛び交った。

 まさに、阿鼻叫喚といった空間の中。ギル達は血塗れた瞼を乱雑に拭うと、目をかっと押し開き、ぎらついた瞳で敵を捕捉して、我先にと道を切り拓いていった。


 そんな2人の戦いぶりを、最初は仲間達も頼もしく思ってくれていたようだ。


 しかし、2人が人ならざる笑い方をするようになった辺りで皆引き始め、彼らの身体が乾いた返り血と新しい返り血で黒と赤のまだら模様に染まった辺りから別行動をとる者が現れ始め、最終的には皆ギルらとは別の道を進んでいた。


 故に、ギル達は今、2人ぼっちだった。


「――よし、この辺は大体制圧クリアしたナ! ケド、あんま手応えなかったくね、他の階もこの調子だったらオレやだナァ……」


「いや、この辺の奴らはほとんど俺らをふるいにかけるための雑魚だろ。カジノんとことか、監獄のところに居たような癖のツエー奴がまだどっかに居るはずだ」


「ソッカ! じゃあ、まずは階段探さねーと。どこにあんだろ?」


 周囲の敵を殲滅せんめつしたことで我に返って、今度は2階に続く階段を見つけるために探索を開始するギル達。


 ――床を埋め尽くし、足をもつれさせに来る死体のせいで、絵面的にはお化け屋敷と化してしまっているのだが、こうして探索してみると事前に聞いていた通り、ヘヴンズゲートの拠点は過去にあった学校を作り替えたもののようだった。


 まず、歴史を感じさせるダークブラウンの木の壁。廊下の天井から一定間隔で複数吊り下ろされた小さなシャンデリア。そのシャンデリアのほの暗さを補うように、これまた一定間隔で取り付けられた2人の身の丈よりも大きなガラス窓。


 監視カメラやスピーカーなど、明らかに最近取り付けたのであろうものを除けばまさに、『古き良き学び舎』というような雰囲気を醸す内装をしていた。


「ほぇぇぇぇ……」


 そして、案の定というべきか。『階段を探す』という目的を忘れて、校内見学に熱中し始めるジャック。途中、北東語で『1年6組』と記されたプレートが掲げられている部屋を見つけると、彼はその部屋の引き戸を引いて中を覗き込んだ。


「……おぉ」


 感嘆の溜息を漏らすジャック。


 恐らく昔は教室として使われていたのであろうそこには、教卓と黒板、それから3列に並べられた木製のローテーブルがあった。テーブルの上には木の椅子が逆さまになって幾つかずつ置かれており、数えてみるとその総数は25個。


 元々ここは、25人クラスだったのだろうか?

 そんなことを思ってふいに、ジャックは昔通っていた寄宿学校を思い出す。


 そういえば、かつて自分が通っていた学校もこんな風に、数列に並んだローテーブルに教材を広げて、仲のいい友達と固まりながら授業を受けていたはずだ。


「……今思うとあれ、めちゃくちゃ楽しかったナァ」


「んぁ?」


「いや、なんでもないヨ」


 怪訝そうな様子の相棒にそう返し、教室から顔を引っ込めるジャック。

 意外と真剣に探索していたらしいギルと喋って、階段のことを思い出した彼は、進路の障害になっていた死体の1つを、なんとなく足で避けて進もうとした。

 その時だった。


 ――たん、という音がした。


 ――過去の生業なりわいにより、ある程度の音を聞き分ける力を培っていたジャックは、その音が大人の男の足音であることを理解する。

 そして、それがギルから発せられたものではないことも。


「――!!」


 感慨に浸っていた顔を引きらせ、即座に音の聞こえた方向を振り返るジャック。直後、彼の視界内を緑髪の頭が血を撒き散らしながら駆け抜けていった。


「ッ!?」


 ギル、と叫ぼうとして、青年は声が出ないことに気づく。訳のわからない事態に混乱するあまり、声帯が声帯としての役割を果たすことが出来なかったのだ。


 だから、ジャックはただ無言で相棒の生首が落ちるのを見届けた。

 見届けた直後、ドッ、と全身の毛穴から汗が噴き、心臓が強く鼓動した。ジャックの身体が全身をもって、ジャック自身に身の危険を訴えたのである。


 しかし、ジャックは逃げ出すことが出来なかった。ただ両足を床に縫い付けられたように静止して、彼は『ぁ』と小さな息を漏らした。


 ――目を向けた先、少し離れた場所に立つギルの胴体。弾力のありそうな薄紅の断面が覗く首の根からは、水圧の弱い噴水のような、断続的な血が上がっていた。

 その鮮やかな切り口を見て、ジャックは悟る。


 ギルを殺した犯人は、相当な手練てだれだ。





 深く息を吸いながら、ギルの胴体の奥に目をやった。

 そこに居たのは、1人の男だった。


 背の高い男だ。すらりとした、しかし男らしい凹凸のある体躯に、奇妙な衣装を纏っている。いや、よく見るとマオラオの服に似ていないこともないだろうか。


 腕を通し、胸元で重ね合わされた生地。その上にからすの羽の色の羽織を羽織って、長い袖を白い紐でたすき掛けしている。下には細かく折り目がついたロングスカートのようなものを穿き、草を編んだような平べったい靴を履いていた。


 ギルの髪色よりも暗い、深緑色のつややかな長髪を後頭部で結び、尻の辺りまでさらりと流している。


 全体的にゆったりとした格好で、温和そうな人物のように思えたが、


「ッ……」


 頬が強張る。その男の片手には、長い鉤爪かぎづめがつけられていた。

 何度も血を浴びているようで、鉤爪は赤く濡れており全貌はわからない。だが、どうやら黒い金属で作られているらしい。黒い刃が帯びる、不気味な輝きに自然、ジャックの喉が鳴った。


 すぐに、攻撃をすることは出来なかった。

 ジャックと鉤爪の男の間に、ギルの胴体が残されていたためだ。


 だから、ジャックはまずギルの胴体に組みついた。そして、持ち上げた身体をちょうど真横にあった『1年5組』の教室に放り込んだ。数瞬すうしゅんの後、何かに衝突して何かを壊した音が聞こえたが、構っていられないので無視をする。


 とにかく、ギルが『神の寵愛』で回復するまで、1人で相手をしなければ。


「――」


 ふいに、男と目が合った。瞬間、ジャックは弾ける電流を手持ちの特製鉄パイプに流し込みながら突進し、距離を詰め、それを鉤爪の男に向けて振り下ろした。


 目掛けるは脳天一直線――だが、男は鉤爪を使ってその攻撃を受け止める。


 ぐぐぐ、と互いの力がそれぞれの得物の交差点に作用し、ジャックはのしかかる重圧に腕を震わせながら、頬をひくつかせて笑った。

 そのこめかみを、たらり、と季節外れの汗が伝ったことには気づかない。それほどに集中していた。集中しなければ、殺されるという確信が彼にはあった。


「……誰だよ、テメー」


 ジャックが尋ねると、鉤爪の男は『拙者か?』と聞き返し、


「拙者はミカド・レンジ。いや、こちらでは【レンジ=ミカド】と名乗った方がよいのでござったかな? まぁ、好きなように呼んでくだされ」


 そう、涼しげな顔で自己紹介をする。


「……南西人か」


 男――ミカドに聞こえないよう、口の中で呟くジャック。服装からしてそんな感じはしていたが、この妙な喋り方と名前は南西の人間で間違いないだろう。


 さて、こいつは一体どう倒すべきなのか。


 不意打ちだったとはいえ、ギルとジャックの気配察知を掻い潜って、ギルを1回殺している時点で、少なくとも今日ほふった内の誰よりも強いのは明らかだ。

 いつものように、力ずくで倒す戦法はとらない方がいいだろう。


 しかし、今まで圧倒的な実力でほぼ全ての敵をねじ伏せてきたジャックには、それ以外のやり方がわからなかった。故に立ち往生し、考えあぐねた結果、


「お前は、ここの信者なのか? ミカド」


 ひとまず、世間話をしてみることにした。

 どうしてこんな発想に至ったのかは、ジャックにもよくわかっていない。


「……シンジャ? あぁ、いえ。拙者はただの居候にござるよ」


「ん、イソウロウって?」


 聞き慣れない言葉に、難しい顔をするジャック。

 するとミカドは、目の前の青年が何か策の上で話を始めたのだと思ったらしく、警戒したように後ろへ数歩引きながら鉤爪を構え直し、


「有りていに言えば、タダ飯食らいでござる。というのも、色々訳がありましてな」


「訳……?」


「そう。……長い話になります。拙者には、夢があったのでござる。諸国漫遊……つまり世界を巡るという、幼少の頃からの夢が。そして数年前、ようやく必要な路銀を貯めた拙者は、夢を叶えるべく、一人旅を始めたのでござるが」


「ござるが?」


「とある下山中、ウーダン族に襲われましてな。……あぁ、ウーダン族というのは熱帯雨林に集落を作る、女だけの一族にござります。して、拙者は彼女の縄張りに踏み込んでしまったようで、全方向から攻撃を受けたのでござる」


「ウワッ……」


「拙者は、荷物を全て捨てて逃げたでござる。そうでもしないと、拙者の命はないという確信がありましたからな。そして、拙者は野を越え山を越え、海を越えた。その間、拙者にものを食べる余裕はなかったでござる。故に」


 ――ごくり、とジャックの喉が鳴る。ミカドの不思議な口調で語られる話は、何故だか続きをせがみたくなる力があった。


 それを、ミカド自身も理解しているのだろう。

 ひとまずの時間稼ぎという当初の目的をなかば忘れつつ、夢中になって話の続きを待つジャックを前に、ミカドはにやりと薄い笑みを刻んだ。


 そして、小さく口を開けて、ぽそりと言葉を落とす。


「……道中、空腹に倒れたんですな」


「おぉぅ……」


「それで、拙者が餓死寸前の状態になっていたところを、この教団の方々に助けて頂いたのでござる。それから拙者は彼らの厚意に甘え、ここで療養生活を送り……あまりの居心地の良さに、旅立てなくなり75日。今日が76日目にござります」


「なっが!」


「ははは。そう、長いのでござる。つまり、それだけ世話になったということ」


 そう言うと彼は口角を更に引き、恍惚とした口調で尋ねる。


「お分かりかな?」


「……あ」


 そこで、初めて我に返った。ジャックが慌てて得物を構え直すと、ミカドは五指をくっつけたり離したりして、鉤爪同士をかちかちと鳴り合わせ、1つ。


「――拙者には、恩を返す必要があるのでござる。だから、恩人達にあだをなす者が居るのなら、拙者がこの鉤爪にて斬り捨てる……貴殿には、死んでもらおうか!」


 まるで役者のように、高らかに死刑宣告をして、彼は血塗れた爪を振り払った。

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