第125話『消えた3分の1の魂』

 それからは、ジュリオットの指揮によってとんとん拍子に話が進んだ。


 採取班のメンバーを選別し、採取する植物の情報が共有され、救護班はより効率的に仕事が回るようメンバーの配置を入れ替えられる。他にも、自衛のための催涙薬の調合法などが伝授され、皆がそれぞれ与えられた指示に沿って動き始めた。


 なお、その一連の流れの中で、フラムの採取班配属も確定した。


 フラムは、自分では役不足だと過信していたために、配属を断るタイミングを虎視眈々と狙っていたのだが、ジュリオットの授業を聞いたことでつい賢くなったかのような錯覚を得てしまい、その熱に浮かされて同行を認めてしまったのである。


「……」


 若干の後悔はありつつも、錯覚はまだ続いているようで、フラムは世界の色が変わったのを実感しながら、2階に続く階段から1階のロビー――もとい、負傷者と救護班員が集められた救護エリア全体を見下ろす。


 誰が何をしているのかが一目瞭然のここからだと、ジュリオットの決めた位置になってから如何いかに全体の効率が上昇したかが――転じて、ジュリオットがどれだけ凄い人物であったのかがよくわかった。


 普段は、仕事に忙殺されるあまりゾンビのように痩せこけ、それを年下にさえ揶揄われている可哀想な青年、というイメージしかなかったので、こうして全体の指揮をとる彼を見ていると、不思議な気持ちにさせられるなとフラムは思う。


 それに――1つ、気づいたことがあった。


 ジュリオットは仕事に関する記憶量が、常人のそれから逸しているのである。


 たとえば調合の説明をする際や、それぞれの得意分野を考慮して、班員に改めて仕事を振り分ける際。彼は一瞬も言葉を途切れさせなかった。

 思い出そうとする時間も、言い淀むこともなく、確固たる自信を持って自分の思考を出力していたのである。


 だからきっと、彼の中には作業の手順や、仕事を共にする班員たちの得意不得意といったプロフィールが、全てマニュアルのように記録されているのだろう。


 そして実際、救護班は与えられた仕事に毅然きぜんとして取り組み、現在可能な限りの治療行為を圧倒的な速度で進めていた。つまり、ジュリオットの中にある救護班のメンバー銘々への認識が、事実と合っていたのである。


「……あの人は、本物の天才だ」


 そう、心からの感嘆を呟いて、フラムは階段を降りる。

 途中、薬液の全滅を報告した先の班員に、散らばった薬液の処理法を教えていたジュリオットと目が合ったが、フラムは会釈だけをしてすぐに展望台を出た。


 扉を開けた先、そこに居たのは採取班のメンバーだ。彼らは採取用の迷彩柄リュックサックを背負って装着し、残りのメンバーが来るのを待っていた。

 見送りに来たらしいリリアも居て、何かやりとりをしているのが見える。


「すみません! 遅れてしまって」


 言いながらフラムが駆け寄っていくと、班の中で1番の年長者であろう青年・ルーイがちらとフラムを見て、『あぁ!』と顔を綻ばせた。


「待ってたよ。と、これがフラムくんのリュックだ」


「あっ、ありがとうございます!」


 フラムは迷彩リュックを受け取ると、ショルダーハーネスに腕を通し、固定用のストラップを胸の前で止める。その後2、3回ジャンプをしたり、身をよじって前後屈をしたりして、背中のパッドがズレないことを確認。


 『大丈夫そうかい?』と尋ねるルーイに、フラムは頷いて応えた。


「あぁ、それならよかった。と、そのマントはリュックの外側に出した方がいいかもしれないね。背中とパッドの間に挟まってると、首が絞まってしまう」


「あっ、確かに……」


 青年の言葉に納得しながら、つい巻き込んでしまった黒のマントを、リュックの外側に追いやるフラム。


 と、その時、不意にリリアと目が合った。自分と同じ、しかしより青みの深い双眸に捕捉されて、フラムは思わず顔を背ける。だが、リリアは彼を逃さなかった。班員と会話をしていた彼女は、ずかずかとフラムに詰め寄ると、


「――フラムくん、ごめん!」


 勢いよく腰を折って、謝意を示した。

 その予想だにしていなかった出来事に、フラムはつい動揺する。


「ちょ……えっ?」


「守るって言ったのに、守りきれなくてごめん。すっげぇ、怖かったろ」


「えっ――い、いやいや、謝ることなんかないです。むしろ、命がけで僕を守ってくださってありがとうございます。貴方が戦ってくれたから、僕はノートンさんに助けてもらえた。ですから、気負わないでください」


 そう言ってフラムが目尻を下げると、ゆっくりと顔を上げたリリアは複雑そうな表情をする。


「……人に甘過ぎるってのは、損な性格だぜ?」


「えっ、別に甘くしたつもりはないんですけど……あの、リリアさんって意外と、ご自身に厳し過ぎるところありますよね」


「え、嘘だぁ。だって、世界で1番あたしを可愛がってるの、多分あたしだぜ?」


「いや、まぁ、処理班のお仕事サボったり、僕の身体撫で回したり、自分の欲に素直なところはありますけど……リリアさんって実は、自分以外の人間が関わると異常に責任感を抱くところがあるんです。知りませんでしたか?」


「えっ、いや……」


 きょとん、と呆気に取られた顔をして、否定を口にするリリア。

 どうやら彼女には本当に自覚がないらしい。困惑すら滲む声音に、フラムは頭を抱えそうになりながら追憶する。


 それは、戦争が始まる前。一足早くスプトン共和国に向かい、ヘヴンズゲートの拠点の調査をする『偵察班』のメンバーが発表された円卓会議の後のこと。


 拠点の位置を割り出すのに処理班員の大半を使い潰し、リリア自身も疲労困憊でまともな判断が出来なくなっていたあの日、戦いの経験が全くないフラムやミレーユを偵察班に任命したことを、深く反省していた彼女はこう言った。



《――フラムくんはだめだな。そこはもっとあたしを罵るところだぜ?》



 許されざる罪を犯したのだから、罵倒すべきだと。彼女はそう告げた。


 でも、彼女は戦争の準備のために奔走し、精神を、体力を、すり減らしていた。

 実際にどんなことをどれだけやっていたのかはわからないが、あれほど熱心に可愛がっていたフラムを敵地へ送り出したのだ。あの彼女が、そんな判断に至ってしまうほどに、力の限りを尽くしきっていたのだ。


 そんな彼女を、どうして罵倒することが出来ようか。

 当然、勝手に命を危険に晒されたのだから、言いたい文句の1つや2つフラムにも存在していたが、それをどうして本人の前で言葉に出来ようか。


 そう考えるフラムの思考を『馬鹿』だと、普通ではないと思ってしまうあたり、リリアの抱く責任感は意外と重っ苦しい。


「僕は、もっと貴方に前を向いて欲しいです」


「……前、か」


「はい。僕も貴方も、こうして生きてるんですし。ノートンさんも、ジュリオットさんも生きてて、戦争屋陣営の皆さんも……まだ生きてる人の方が多い」


 だから、とフラムは言葉を継いで、


「ミスを気にして立ち止まってしまうくらいなら、いっそ割り切って、前を向いて彼らと一緒に戦いましょう。……これはあの、ほぼ受け売りなんですけど」


「――ふっ」


 台無しの一言を付け加えてしまうフラムに、思わずリリアが小さく噴き出す。それによって、何か変なことを言ってしまっただろうか、とフラムは僅かに赤面。

 しかし、それは杞憂だった。むしろ何か響くものがあったらしく、その顔に穏やかさを取り戻し始めた彼女は『……前』と呟くと、


「……そうだな。みんなを守れるように、前向き続けねーとな」


 そう言って、意地の悪い笑みを浮かべた。


「――はい」


 つられてフラムも笑みを刻み、柔らかな口調で応える。


 すると急に照れ臭さを感じたのか、リリアは目を泳がせて沈黙。白い頬の上を人差し指の先が居心地悪そうに往復し、


「あ、えと……そ、そうだフラムきゅん。フラムきゅんにおね、お願いがあるんだけどさ」


「? なんですか?」


「その、フラムきゅんの分身をさ、こっちに残してってくんねーかな? ほら、採取班だーつって何人かこっちから引き抜かれちったからさ。救護班の人手がすげー足りてねーみてぇで、1人でも動ける奴が欲しくて」


 言いながら、ちらと視線を採取班の方にやるリリア。それに乗じて目をやると、ちょうど合流したらしいジュリオットを含む計画8人の処理班員が居た。


 これでフラムを含めると9人なので、確かに拠点に残される救護班側からすると『引き抜きすぎ』だろう。とはいえ、一刻も早く薬液を大量に用意するためには、こちらもそれなりに人手が必要なので、人数の譲歩は出来なそうだ。


 となると、なるほどフラムの分身の存在は都合が良いわけである。


「……わかりました、ちょっと待ってくださいね。今は2人とも実体化していないので、両方お貸しします」


 ふぅ、と息を吐いて呼吸を整えるフラム。目をつむり、全ての意識を集中させる。

 と、次第に彼の身体が淡い水色に輝き始めた。その後、フラム本体と向かい合うようにしてゆっくりと、光の粒が人の像を成していき――。


「……あれ?」


 異変に気がついて、フラムは目を開けた。


 正面には、鏡でも見ているかのようにそっくり映ったもう1人の自分。それが、本体から流し込まれる大量の記憶のインストールに意識を割いているのを見て、本体のフラムは唇を震わせた。


「……足りない」


「え?」


「足りないんです、『僕』が。……もう1人の分身が、呼び出せない」


「――!」


 怯えたようなフラムの告白を受け、リリアの表情が自然、剣呑なものに変わる。


 同時、遠くで会話をしていた採取班のメンバーたちが、出発を伝えるようにこちらに目をやるのがわかって、『彼らの元に向かわねば』とフラムの気持ちが早る。


 だが、


「……!!」


 指先から血の気が引き、膝が震え、喉が笑い、主の意思を全身が拒絶した。


 ――フラムの特殊能力『冥府の番犬トリプレット・ヘッズ』は、2人の分身を呼び出せるという力だ。


 否、それは本当に表面的な内容であり、実際はもう少し複雑である。

 フラムの能力はその実、使用者の『魂』を3等分するという力で、使用者の魂を分けることで分身という虚像に生命や実態を与えるというものだった。


 だから、分身が実体化していない時は本体が3分の3、つまり1個分を所有。

 分身が2人とも実体化している時は、それぞれ本来の3分の1の魂を所有していることになり、分身が消えるとその魂は再び本体に戻る――の、だが。


「どうして……」


 どうして、分身が1人しか出てこないのだろう。

 偵察のとき以来分身は出していないから、魂はいま本体のフラムが3分の3――1人分身を作ったので、正確に言えば『3分の2』が残っているはずだ。

 でも、どんなに強く意識しても、魂が外へ抽出される気配がない。


 おかしい。

 まさか、無意識に分身を回収し忘れているのか?


 いや、そんなはずはない。

 偵察の時に1体だけ出した分身の分の魂は、結局白い衣装を纏った幼い少女――エラーに殺されているから、魂は本体である自分に還元されているはずだ。


 ならば、何故。


「――フラムさん?」


 少し離れたところからこちらを伺っていたジュリオットが、フラムの異変を感じ取ったらしく小走りで青年に駆け寄ってくる。


「どうしたんですか、彼」


「いや、よくわかんねえ。なんか、もう1人の分身が呼び出せないみたいで……」


「分身が、呼び出せない?」


 そんなジュリオットとリリアのやりとりを聞き、自分のせいで群生地への移動がとどこおっていることに気づいたフラムは、額に汗の粒を浮かべながらも待ったをかけるように手を伸べる。


「フラムきゅん……?」


「っは、だい、じょうぶです。多分、ちょっと何かが変になってるだけなので……すみませんリリアさん、今はお貸しできるのが1人だけみたいで……」


「あ、あぁ……でも、フラムきゅ」


「大丈夫、です!」


 半ば、自分に言い聞かせるように声を荒げ、震える足を前へ進めるフラム。自分を待つ採取班のもとへ向かいながら、額の汗を腕で拭って、大きく息を入れ直す。


「すみません、大変お待たせし――」


 と、その時だった。


 ふと、雨が葉を打つ音に混じって、森の茂みががさがさ、と揺れる音がした。フラム達はその音を聞きつけ、一斉に音がした方向を振り向く。

 まさか、いつのまにか敵が来ていたのか。全員がそう思ったのだろう、皆表情を強張らせ、リリアに至っては手にしていた長槍を構えて歯を剥く。


 しかし、


「……!?」


 濡れる茂みを掻き分けて現れたその姿に、この場の全員が言葉を失った。


「――ペレット、さん」


 辛うじて、フラムがその名を喉から絞り出した時。現れた血塗れの少年はえぐれた首から血を大量に溢し、うっすらと微笑みながら倒れ込んだ。

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