第124話『花をよく知っている人』
それは、とても美しい双眸だった。
赤に桃色、
事実、目を一瞬だけ〈見ることが出来た〉白装束たちは、オーロラを閉じ込めたようなその瞳にまとめて意識を奪われる。
しかし、彼の目を認識した直後。彼らの身体は『石』になり、森の枝葉から零れ落ちる雨をひたすらに弾く、計10体の精巧な石像と化した。
「――は」
イヴは、息を吐いて地面に座り込む。ぽつぽつと雨に濡れる己を抱き、小刻みに腕を震わせた。呼吸が次第に乱れる中、苦しげに顔を歪めて背を丸め、
「はぁっ、はぁ、あぁぁ……っ」
割れるように痛む頭の中に、いくつかの声が響く。それらは、ひどく不透明でぼやけていて、恨みの
死ね、許さない、お前のせいだ。とても簡単でありふれているが、えぐるように深く傷をつける恨み言が繰り返し吐きかけられ、イヴの喉を締め上げる。
無理やり息を吸おうとしても、くぅ、と掠れた音しか出ず、
「あ、あぁ、あ……」
頭がずきずきと悲鳴を上げる。
平衡感覚さえ失って、イヴは世界が揺れているような錯覚を覚えていた。
――わかっていた。
わかっていたのだ、最初から。この呪いを使うと決めた時点で、こんな風に苦しめられる可能性があるのは知っていた。
けれど。『もしかしたら』と、期待してしまったのだ。
だって、あの事件からはもう何年も経っているのだ。数年、というのは1つの事を忘れるには十分な歳月だし、事実、最近は当時の記憶もだいぶ薄れた。だから、ようやく踏ん切りがついたのだと、そう思って使った――それなのに。
歯を強く噛む。いっそ、自死してしまいたくなるほどの怨念にまとわりつかれ、舌でも噛んでしまおうかと、本気でそんな考えが脳をよぎった、その時だった。
「まぁまぁ、とりあえず落ち着けよ、きみ」
――突然。背後から、少女のように愛らしい声に話しかけられる。何事かと我に返ったその直後、後ろから何かが目元に当てられ、イヴはひっと萎縮した。
だが、その当てられたものが『人間の手』であり、後ろから伸ばされた2つのそれに目を隠されていると気づいた瞬間。青年は、その手を伸ばしたのが、ここに居るはずのない女である事を理解し、
「リリア、さん?」
はくはくと呼吸を繰り返しながら、恐る恐る名前を呼ぶ。目隠し用の帯を解いていたので、振り向くことはせず、ただ背後の存在を意識しながら問いかけた。
すると、
「せいかーい! んだ、気ぃ狂ってもあたしの声がわかるたぁ、イヴきゅんってばあたしのこと好きすぎかぁ? 意外とかわいーやつじゃねーか、なぁ?」
そう言われ、瞼に添えられた手が外される。急に視界が自由になって、イヴは慌てて帯を巻き直し、小刻みに震えながら振り向いた。と、最初に目に映ったのは、へたり込むイヴの目線に合わせられた、大きなサファイアの双眸で、
「おら、あたしが来たんだからもうだいじょーぶだ」
――その、悪ガキのような生意気な笑みを見た瞬間。
――脳内に木霊していた、いくつもの声がぴたりと止んだ。
*
その後、イヴは彼女――リリアに何があったのかを尋ねた。
曰く、リリアは先程海岸に停泊していた処理班の船の中で目覚め、フィオネから状況の説明を受けて、すぐさまこちらへやってきたらしい。
そして、道中に出会った白装束を殺していたところ、
「イヴきゅんが追われてんのをみっけたワケ。んで、10人も居たからやばそうだなーって思って、
「なっ、なるほど……ぜ、全部見られてたんですね……あっ、ってことは、展望台の前で亡くなってた方って……へへ」
「ん? あぁ、それもあたしの獲物だと思う。感謝してくれていーぜ? あたしが殺して回ってなけりゃあ、あの辺は未だに無法地帯だったろーからな〜」
「あっ、へへっ、ありがとう、ございます……?」
そんな会話をしながら展望台に向かうと、リリアが扉に手をかける。息を吸い、彼女が『ちわーす』と言って扉を開けると、2つの戸の間から喧騒が漏れ出した。どうやらイヴが外に行ってもなお、彼らは揉めていたらしい。
だが、建て付けの悪い扉が開かれる音は、この喧騒の中でもよく響いた。ぎぃ、という重い音を聞いた患者たちは、全く同じタイミングでこちらを振り返って、
「――リリア!」
――怒りや不満に満ちていたその顔が、一斉に綻ぶのをイヴは見た。
「リリア!」
「リリア副班長!」
声を上げて、一斉に彼女に駆け寄る救護班のメンバーたち。それに囲まれ、リリアも『よせやいよせやい』と言いながら照れ臭そうに笑う。
彼女も、彼女を囲む仲間たちも、喜びに満ちた顔をしていて――今更ながらに、イヴはリリアの凄さを思い知った。その存在1つで、まさかここまで他人に影響が与えられようとは。
到底自分には出来ないことだと、すっかりリリアと隔離されてしまったイヴは、遠巻きに賑わいを見つめてそう思う。しかし、
「はは――」
口を開けて笑うリリアの表情に、一瞬だけ陰りが見えたような気がして、呆けながらそれを見ていたイヴははっとした。
その陰りも、気づいた直後には消えてしまったため、言及をすることは出来なかったのだが――もしや、後ろめたさを感じているのだろうか。
聞けば彼女は戦争前の偵察時に、『
ただ、まだ周りはリリアの様子に気づいていないようだし――今、運良く彼女の違和に気づいた自分が、何か言葉をかけてやるべきではないだろうか。いや、今の彼女に慰めなど、むしろ迷惑になるのだろうか。そんな風に考えていると、
「……ん?」
今度は、2階に繋がる階段を転がり落ちる勢いで降りてきた1人の班員が、別の班員にこそこそと耳打ちしているのが目に入った。何やら深刻そうな雰囲気だ。
ほぼ同時、リリアもそれに気づいたようで、彼女は顔からふっと笑みを消すと、
「どーしたんだ?」
「あ……その、さっきの爆撃で、2階の部屋に貯蔵していた薬液の瓶が……その、全部割れてしまって……」
「――え?」
瞬間、浮かれていた場の空気が、地の底まで沈むのを肌で感じ取る。
報告した班員の口ぶり的に、包帯・ガーゼ類は無事だったようだが、それでも止血剤や消毒液が全滅したということは、これから治療を必要とする患者が入ってきても手の施しようがないということだ。
もちろん、効率も衛生も全て無視した荒療治なら出来るだろうが、元より戦争屋陣営は人数面においてかなり分が悪い。その上で救護班が中途半端では、回復した兵の再投入も出来ず、戦況は悪くなる一方だろう。
「ど、どうしたら……」
そう、誰かが嘆きを口にしようとした、その時だった。
「――アカグサ、キリの実、フユレンゲ。シオの葉、ハチの葉、スズリバナ」
響いたのは、低く穏やかな男の声だった。
その声に皆が意識を奪われたように閉口し、救護エリアは水を打ったように静かになる。そこへ、革靴の底がリズム良く床を叩く音が響き、全員が振り向いた。
そして、皆の視線を集めながら、
「これらは薬液の主な材料ですが、幸い全てスプトーラ大森林に群生しています。今から採取したとしても、1時間後には十分な量の薬液が完成するでしょう」
そう言って部屋の中央にやってきたのは、漆黒のマントをはためかせた青年――ジュリオット=ロミュルダーだった。
*
「――!?」
リリアに続く、『居るはずのない人物』の登場に騒然とする患者たち。唯一、リリアだけは挑発的な笑みでジュリオットを迎え入れ、
「あぁ、随分遅かったじゃねーか。あたしと一緒に出てきたのによ。もしかして、道に迷ったりしたか?」
「いえ、真っ直ぐここに来ましたよ、私が遅れたのではなく、貴方が先行しすぎただけです」
そう言って、はぁ、と肩を揺らすジュリオット。様子を見るに、彼も彼なりに森の中を走ってきたようで、青年はくたびれたように膝に手をつく。が、大きな一息を入れるとすぐに背筋を伸ばし、
「もう時間がありません、今すぐ薬草の採取にいきましょう。3人ずつの採取班を3つ作ります。まず、この中で薬草の知識があるのはええと……ルーイさんと、エウロペさんですか。でしたら、私含むこの3人が各班のリーダーです」
それから、と言葉を紡いだジュリオットは、紺青の視線をイヴへと向ける。嫌な予感がして、イヴが身をひゅっと竦めると、
「あと6人ですが、こちらは多少植物の知識があればよしとしましょう。それでは私の班はまず、イヴさんを採用します」
「……えっ、ちょっと待ってください、へ、へへっ、あの!?」
「貴方は昔から、用事のない日は図書室に閉じこもり、小説から図鑑まであらゆる本を読んできた本物の読書家だ、とノートンさんから聞いています。ですから、基本的な草花の知識は持っていると踏みました。どうですか? 違いますか?」
「あ……あります、けど、へへへっ、でも、本当に少……」
「ならば構いません」
イヴの否定を、言い切られる前に一蹴するジュリオット。
抵抗の余地なく採取班に配属され、イヴは必要とされた喜びやらジュリオットの押し切りの強さへの困惑やらで硬直する。と、
「エッ!! ジュリオッ―― 」
不意に、上から鼓膜をつんざくような大声が降ってくる。目を向けた先は、2階と繋がる螺旋階段。そこには、2階から降りてきたらしい犬耳の青年がおり、
「ハッッッッ、フラムきゅ〜〜ん!!!」
耳を押さえたリリアが目を輝かせて、その青年の名前を呼ぶ。
すると青年――フラムは、リリアの存在を認識すると、稲妻が走ったかのように目を見開いた。その後、彼は何かを呟いたが、すぐに複雑な表情を浮かべて閉口。彼の表情の変化を読みとって、リリアも万歳をしかけていた手を下げてしまった。
愛を込めた呼名の余韻もあって、気まずい空気が流れるが、
「そうだ、貴方にしましょう」
ぽん、と手を打つジュリオット。
すれば当然、何も情報を与えられていないフラムは目を白黒とさせて、
「え? な、何がですか……?」
「薬液作りのための、薬草の採取班です。貴方は誰よりも花に詳しい人ですから、ちょうどいい」
「えっ、花……!? ぼ、僕はそんなに詳しいわけでは……あっ、あくまで、家庭菜園のついでに育ててるくらいで――」
そう言いかけたフラムの言葉を、『いいえ?』とジュリオットが否定。困惑するフラムを見上げながら、その口角をすっと横へ引き、ジュリオットは微笑んだ。
「貴方は、花をよく知っています。きっと、役に立ってくれるでしょう」
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