第123話『おやすみなさい、いい夢を』
フィオネ。
その名前が少女の口から飛び出すと、ジュリオットとリリアは揃って沈黙した。彼らの反応は、少なからず抱えていたフィオネへの『畏怖』の表れだった。
このタイミングで入った通信だ。きっと、リリアが復活したことを喜び、一刻も早く声を聞きたいが為に無線を繋いだわけではないだろう。十中八九、敵に凍らされるヘマをしたリリアへの
リリアは、濡れてぐしゃぐしゃになった髪を指で梳きながら考えて、
「あ〜……あたしに、か」
一瞬、彼女は渡された無線機の装着を躊躇う。
しかし、決断は早かった。彼女はすぐに無線機のボタンを押し、床でうつ伏せるジュリオットにも聞こえるようスピーカーモードにする。それを見て、処理班の少女が無言で腰を折って退出。ジュリオットと2人きりにされたリリアは、
「もしもし姉貴? 代わったぜ、あたしだあたし」
普段通りの声音を取り繕って、無線機に向けて声を発した。
「起きて真っ先にお話ししようだなんて、そんなにあたしが恋しかったか? あんたも意外と可愛いところがあんじゃねーか、なぁ」
《――開口一番に軽口が吐けるあたり、思っていたよりも元気そうで安心したわ。どう? 苦しいとか痛いとか、身体に不調はない?》
「おいコラ、こっちの問いを無視すんな。恋しかったかって聞いてんの!」
《えぇ、恋しかったわとても。胸が張り裂けそうなくらいに。それで調子は?》
「引くほどざっつい処理だな……体温が超低くて身体が上手く動かねーくらいで、特に問題はねーよ。ったく、生まれてこのかた恋の病しか患ったことのない、スーパー健康優良児のリリア様を舐めないでくれよなー」
軽快なテンポで行われる、一聴、コントのようにも思える2人のやりとり。
だが、リリアの目は笑っていなかった。傍でそれを見るジュリオット的には、フィオネの言葉に警戒しているように感じられた。
ただ、彼女の口ぶりに限定すれば、普段のリリアの様子とさして違いはなく、なるほどリリアも自分を偽るのが上手い、と思わされた。
《そう、なら良かったわ。えぇっと……あぁ、そうだわ、ジュリオットは?》
「あん?」
《貴方が目覚めたなら、彼もそろそろ解放される頃じゃないかしら?》
そう言われ、リリアの青い瞳が足元の青年に向けられる。言ってしまっても大丈夫だろうか、と言いたげな目。ジュリオットは横になったまま、頷いてみせた。
「……あぁ、ジュリオットきゅんならあたしの足元で転がってるぜ? けど、こっちはあたしよりも後に解放されたみてーだから、まだ調子が良くねー。あんま、無理はさせたくねーんだけど、なんか急用があんのか?」
《えぇ、今すぐではないけれど、それなりに急ぎの用事が。でも、調子が悪いならまだいいわ。とりあえずそこで聞いていて頂戴》
フィオネはそう言うと、『それじゃあ』と言葉を継いで、
《――まずは、貴方達が眠っていた間の出来事について話しましょうか》
*
それから約20分後の、スプトーラ国立展望台1階。
廃業に
手当を受けている負傷者の数は、およそ140。そのほぼ全てが腹を裂かれたり四肢を吹き飛ばされたような重傷者だったが、内7割は床の上や壁にもたれかかるように寝かされていた。負傷者の人数に対し、圧倒的に寝台が足りていないのだ。
そのうえ重傷者1人に2人がかりなので救護班の人数も間に合っておらず、ただ死にかけの人間が運び込まれ放置されるそこは地獄以外の何物でもなかった。
――鼻がひん曲がりそうだ。
そんなことを思いながら、救護班に協力する獣人の青年――フラムは、
グロテスクなものへの耐性がない彼は、充満する硝煙混じりの血の匂いや見るも無残な負傷者たちの有り様にかなり気を滅入らせていたが、弱音を吐いている暇もないこの状況に急かされ、辛うじて正気を保っていた。
「よ、し……次は……」
常に思考し動き回って、精神も体力もすり減らしながら、フラムは使命感だけで己の身体を突き動かす。先日の偵察の日からあまり寝れていないのも相まって、ふらふらになりながらも立ち上がり、次に取り掛かるべき患者の姿を探した。
「――うぁ、ぁぁぁぁあああっ!!」
「――うっ、ごめ……ごめ、なさい……」
「――へへ、へへへへへひひひひひ」
「――たすけて、ゆるして、エリザ、ルイ……」
うめき声、泣き声、叫び声、謝罪する声。
あるいは壊れたように笑う声に、息を押し殺しながら誰かに助けを乞う者の声。
様々な方向から聞こえて来る声に、フラムはあえて耳を貸さなかった。正面から受け止めてしまったらきっと、自分の心も壊れてしまうから。
「あぁ、そうだ、消毒液を補充して……止血剤はどこにあるんだっけ……」
エリア内をうろつきながら、新品の消毒液と止血剤を探す。
道中、やたらと散乱したゴミが目についた。ビニール袋だったり小箱だったり、包帯の芯だったりと様々だったが、全て手当の際に出た廃棄物だろう。散らかっていると汚い上に邪魔になる。折を見て回収しなければ。
「あぁ、こっちは血塗れだ……これを放置するのは衛生的に良くなさそうですね。ある程度ここが落ち着いたら、ゴミの回収と併せて掃除しましょう。……建物にこびりついてしまった血って、どうやったら落ちるんでしょう?」
衣類に染み込んだ血を落とす方法なら知っているのだが、と思いつつ、フラムは寝台と寝台の合間を通り抜ける。
直後、近くの患者を手当していた救護班員の男に肩をぶつけ、舌打ちをされた。
どうやらストレスや焦りが重なって、相当気が立っているらしい。男はフラムを
「……」
――あぁ、気づけばまた負傷者が外から運び込まれている。負傷者の方は誰だかわからないが、運び込んでいる少年の方は見たことがある。あの目元を帯で隠した奇抜な装いの少年。確か、イヴという名前だっただろうか。
しかし1階はもう満員で、新しい患者の入る余裕がない。
とすると、そうだ、2階を解放して軽症者をそちらに運び込もうか。重傷者を抱えて階段を上がるのは酷だし、その方がいいだろう。
ならば、まずは2階を解放する許可を取らなければいけない。
「許可を取るとしたら、救護班長かな……班長……どこにいるんだろう……」
そう呟いた、その時。
突然、足元が大きく揺れる。
同時、大量のガラスがまとめて割れるような音と、重たいものが叩きつけられるような音が上階から降り注ぎ、救護エリアは悲鳴に包まれた。
「っ……!? この揺れは……!?」
さしものフラムも我に返り、倒れないよう身を屈めながら息を呑む。と、何かが首の後ろ側にちくりと刺さった。恐る恐る首に手をやると、皮膚に張り付いたのは石粒のようなもの。それを見て、フラムは青ざめた。
悪寒がして上を見上げると、天井には彼の予想通り亀裂が。
どうやら丁度ここの真上、2階の部屋が何かしらの大きな衝撃を受けたようだ。砂粒のように小さい石材の欠片の落下は、幸い建物の揺れと共にすぐに止み、ひび割れた天井が抜け落ちることもなかったが――。
「……砲撃されている」
揺れが終息するとふと、フラムの近くの寝台に寝ていた老兵士の声が響いた。
「上の階に、砲弾を撃ち込まれたようだ……近くに、敵が
その、年季を感じさせる枯れ気味の声が紡いだ言葉に、皆が戦慄を走らせる。
現在、戦争屋陣営は戦力のほぼ全てを戦場に投入しており、拠点であるこの展望台には戦闘力がないか、重症を負った人間しかいない状態なのだ。
この状況で攻め入られれば、一網打尽にされることは明白で、
「私たち、逃げた方がいいんじゃ……」
「この建物には地下室がある、そこに避難しよう」
「地下室に入るにはハッチを使うしかないわ。重傷者をどうやって逃すの?」
「待て、1階の西の部屋に工作課の作った武器がある。それを使おう。武器の扱いがわかってて、動ける奴は全員武装するんだ。それで籠城戦に持ち込めれば――」
逃げる、隠れる、抵抗する。様々な意見が交錯するが、皆焦っているのもあって話は上手くまとまらず、刻々と時間が流れていく。そして、段々と激化していく議論に複雑な表情を浮かべながら、フラムはふと身体を窓際に寄せた。
それは、フラムの身長ほどもある大きな窓だった。
過去に廃業したためか、今はブラインドが掛かっていて外が見えないが、元々日中はここを開けて、日光を1階に取り入れていたのだろう。
そんなことを考えながら、埃で汚れるのも
――展望台を囲む、スプトーラ大森林の木々が見える。いつのまにかポツポツと雨が降り出していたようで、外の世界は昼過ぎにしてはかなり暗かった。
「あれ、かな」
ちらりと、木々の奥の方に人影を見たような気がして、フラムは口の中で呟く。
影全体が白っぽかったので、恐らくあれは白装束だろう。ここから見えるのは展望台の周辺の一部なので、他の方角がどうなっているかはわからないが、包囲、と聞いて受けた印象よりも敵勢は少なそうだった。
無論、たった1人で数十人をまとめて蹂躙できる
しかし――。
「どうして、こんな時に限って……指示が出されないんだろう……」
全体の統率をとるため、参謀に長ける人物を集めて出来た『司令部』。今はこの展望台の最上階に居るはずの彼らが、先程の砲撃に気づかないはずがないのだが、どれだけ待っても一向に指示が飛んでこない。
一体、どうしてこんな土壇場に限って反応がないのか。下手をすると、議論に決着がつかずこのままずっと足踏みして、全員死んでしまうかもしれないのに。
そんなことを考えながら、ヒートアップするあまり、もはや喧嘩にしか聞こえなくなった周囲の議論に顔をしかめていた、その時だった。
「――俺が!」
不意に男性特有の低い声が響き渡り、エリア内が静寂に包まれる。皆が一斉に視線を向けた先、そこにいたのは、目に濃紺の帯を巻きつけた小柄な青年――。
「俺が、戦ってきます! ……へへっ」
彼は場違いにもへらへらと口元を緩めると、抜き放った剣を引っ提げて、早足でその場から去っていった。
*
正直なところ、青年――イヴに勝算はなかった。
処理班の戦闘課の中では、最弱と言っても過言ではないのだ。
スプトン共和国に来る前、ギルに稽古をつけてもらって多少強くなりはしたが、それでも『ド素人』が『素人』になったくらいの些細な変化で、それなりに戦いに手慣れているであろう、かつ複数人いる白装束に勝てるはずはなかった。
けれど、無抵抗のままでは確実に死んでしまう。
だから、たとえ歯が立たなくても、誰かが戦わなければならないのである。
イヴは、逃げるように救護エリアから逃げ出した。
今先ほど、実力不相応にも大声で『俺が戦う』と宣言してしまったからだろう。背後から刺さる、奇異なものを見るような、又は愚かなものを見るような周囲の視線を無視して、彼はずんずんと展望台の正面に詰め寄った。
勢いのまま、扉を押し開ける。恐怖心に負けてしまいそうな心に、気合を入れるための開放だった。が、イヴは瞬間『しまった』と肝を冷やした。
展望台が包囲されているなら、扉の前にだって当然敵は待機しているだろう。
というか人が出入りする場所なのだから、押さえていなければ向こうが攻城戦に持ち込んだ意味がない。何も考えずに扉を開けるのは、愚策ではないか。
そんな考えがよぎるイヴだったが、時既に遅し。その場のテンションで思い切り開けてしまった扉は、惑うことなく外の世界を迎え入れ――
「……え?」
予想だにしていなかった光景に、困惑の声が溢れた。
1人の白装束が、扉の前で血を撒き散らして死んでいたのである。
「どっ……どういう……へへ、へへへっ」
意図せず口角を上げながら、恐る恐る死体に歩み寄るイヴ。後ろ手で扉を閉め、紺色の目隠し帯の内からその惨状を観察する。
――どうやら、死体は胸の辺りに穴を空けられているようだ。
前から後ろから大量の血が溢れ出ており、大地と白いマントに染み込んでいる。まだ血の色が綺麗で乾いていないことと、自分が負傷者をここに運んできた時には見かけなかったことから、この人物が死んだのは直近であると予想。と、
「貴様か、これをやったのは」
「っ!?」
背後から声がして、イヴは竦み上がる。ゆっくり振り向くと、そこには10人の白装束が孤線を作るように並んでいた。その内の真ん中、直前の声の主と思しき男だけが装束のフードを取り払っており、
「答えろ」
鋭い眼光を向けられる。憎々しげな色をした威圧感のあるその眼差しに、イヴは縋るように剣の柄を握りしめながら、
「い、いえっ、あの……えへ、俺は、ちが……へ、へへへへっ……」
「――!」
瞬間、男の眉間に皺が寄った。きつく睨みつけられ、額に青筋が浮かび上がり、男が孕んでいた怒気が膨れ上がるのがイヴにもわかった。イヴは、熱が押し寄せるような錯覚を得ながら、顔を真っ青に染め上げて、
「いや、あのっ、本当に、ちが、えへへへへ」
「ふざ、けるな――!」
憤怒の形相で腰の剣を引き抜いた男が、得物に殺意を乗せてイヴに飛びかかる。それは文字通り一瞬の展開であったが、相手を怒らせたと自覚した時点で剣を構えていたイヴは、目にも止まらないその剣撃を真っ直ぐに受け止めた。
がん、と双方の剣がぶつかり合い、
「全員っ、構えろ! この男は決して生かすな!」
重ねた刃が震えながら金属音を立てる中、視界いっぱいに迫る男が後ろの白装束たちに指示を飛ばした瞬間、イヴは身を翻して逃走。それにより、力を押し付ける先をなくした男の剣が、勢い余ってイヴの黒マントを
斜めに裂けたマントをはためかせながら、イヴは森の中に突っ込む。
背後から聞こえる、枝葉が衣類と擦れ、靴に踏みつけられる音に加速しながら、行く宛てもないままとにかく疾走した。
――さて、どうするべきか。イヴの実力では、剣1本で10人を相手取ることは出来ない。唯一扱える『本の呪い』は、手元に本がないので使えない。
そうすると、残された選択肢はただ1つだった。
けれど、これを使っても良いものだろうか。この呪いを使って、良いことが起きた試しがない。それに、これは一撃必殺だ。何かがあっても取り返しがつかない。周囲に自陣営の者が居るかもしれない以上、無闇に使うのは好ましくない。
「……でも」
怒り心頭に発しており、もはや向こうは聞く耳を持っていない。弁明の余地なくイヴは斬り殺されることだろう。ここでやらなければ、イヴは殺される。イヴが殺されたら、今度は殺意が拠点に居る皆に向けられる。
「――使うしか、ない!」
そう自分に言い聞かせ、拳を固めた青年は、立ち止まって振り返った。瞬間、イヴが攻撃を繰り出してくると思ったのだろう。白装束たちが一斉に踏みとどまり、受け身の体勢で各々の武器を構えた。
完璧な守りの姿勢。だが、むしろ都合がいい。
イヴは後頭部に手をやると、おもむろに目元の帯をするりと解いた。
「……おやすみなさい、いい夢を」
――顕現したその2つの瞳は、虹をそのまま閉じ込めたような、鮮やかな色をしていた。
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