第119話『レッド・アントロポファジー』

 時は遡ること、10分と数分前。

 展望台から飛び降りたマオラオは、戦争屋陣営の縄張りに攻め込んできた白装束の集団と睨み合っていた。


 敵勢はおよそ15人。周囲には、先程マオラオが弓矢で射殺した白装束たちが10人近く倒れている。それらはみな頭や胸といった急所を的確に射抜かれており、マオラオの射撃の驚異的な精度を証明していた。


 その鮮やかなまでの射殺が、生き残った彼らに恐怖を植えつけたのだろう。マオラオを見る白装束たちは、臨戦態勢をとったまま停止していた。


 そして、そんな彼らと睨み合ったまま、マオラオは耳を澄ませた。


 ――3、4人分の足音と、衣類か何かが葉と擦れ合う音がする。

 音が聞こえる方向が移動しているのを考えるに、どうやら集団の一部が拠点に移動しようとしているらしい。


 つまり、目の前にいる奴らはマオラオの気を引くための囮か。

 マオラオは、集団を睨みつける目を更に鋭くする。


 拠点に向かう敵をまんまと逃してしまうのは癪だったが、目の前にも敵が居る以上追うことは出来ない。だから、なるべく早く手前の白装束を倒し、即残りの白装束を追う――これがベストだろう。少年は乾いた下唇を舐めて潤した。


 となれば、ある程度勢いに任せた特攻が必要だ。


 初手、マオラオは正面に居た猫耳の獣人らしき白装束の元へ疾走。

 固めた拳を振り払い、顔面に叩きつけた。そのかん僅か3秒。4秒目に入った時には猫の獣人の鼻骨が割れ、身体が10メートルほど吹き飛んでいた。


 続いて、隣に居た剣士の横腹に足を入れる。

 剣士は反応が早く、1人目が吹き飛んだ時点で剣を振りかざしていたが、振り下ろすよりも先にマオラオの攻撃を喰らってしまった。呻く声を出す間もなく、弾け飛んでいく剣士。手放した剣がくるくると宙を舞い、地面に突き刺さる。


「――!」


 背後で息を呑む音が聞こえ、マオラオは振り返ろうとした。

 が、その行為は後ろから何者かに抱きつかれることで不可能となる。何事だ、と無意識に眉をひそめる少年。それと同時、身体を拘束されたマオラオの正面から、槍を持った女が突撃してきた。


 なるほど、連携プレイか。抱きすくめられた意味を理解したマオラオは、勢いをつけて背後の人物に後頭部を叩きつけた。


「ごっ……」


 どうやら口元に当たったらしく、少年の背後に居た白装束は口から血と、欠けた数本の歯を噴いて引き下がる。それにより拘束が解けたマオラオは身を捩り、槍使いの突貫を避け、すれ違いそうになった槍使いの顔面に締めた拳を叩き込んだ。


 次いで背後を振り返り、欠けた前歯の根元から流れる血を、手で直接抑えている白装束に大股2歩で詰め寄ると、


「なんや、呆気ないなぁ、あんさん、らッ!」


 マオラオはその胸ぐらを掴み上げ、少し離れた場所から、戦うマオラオの様子見をしていた男白装束へ投擲とうてき

 男は弾丸のようにすっ飛んできた人体を、回避しようと身体の向きを変えたが、足の動きが若干間に合わず、人体投擲を喰らってひっくり返ってしまった。

 頭から地面に入り、後頭部を強く打ちつけた男は倒れたまま沈黙。


 ――さて、あっという間に敵勢の半分が戦闘不能となった。


「……っあー、ちゃうか? もしかしてやけど、オレのこと子供やぁ思って加減してくれてはるん? せやったら悪いなー、気ぃ使わせてもうて!」


 仁王立ち、手を腰に当て、尊大に胸を張りながらツンと顎を向けるマオラオ。

 対して、残り7名となった彼らはそれぞれの反応を取った。


 その身1つで集団の半数を無力化した少年に怯え、竦み上がる者。怖気付くことなく沈黙し、動かなくなった仲間を見やりながら冷静に打開策を練る者。煽りとも取れる少年の発言に触発され、苛立ったように歯を剥く者。


 各々の性格を露わにする彼らを、マオラオは順繰り見回して、


「ええよ、遠慮はいらんわ。ほな、お互い本気で戦おーや? うふふふふふっ」


 嗜虐的に目を細め、わざとらしく口の片端を吊り上げた。





 ほぼ同時刻、荒野のとある場所にて。目元に紺色の帯を巻きつけた、藤色の髪の華奢な少年――イヴは、拠点である旧国立展望台に帰還しようとしていた。


 ――各々が声を上げて突撃する中、1人拠点に帰ろうとするその姿は一見、自己保身に走っているようにも見える。

 実際、彼を日頃いじめ抜いている性格の悪い同期たちが今のイヴを見ていれば、彼らはイヴを臆病者だとあざけり、一生の笑い話にしていただろう。


 だが、その理由は自己保身などではなかった。確かに、初めての戦争は想像を超えるストレスや恐怖があったし、散々敵に斬られて衣服は避け、全身に線のような傷が無数に走り、片手の小指に至っては取れかけていたが、そうではなかった。


 その理由は、彼が移動しながら背負っている兵士にあった。


 前提として、自分が今背負っている兵士が誰なのか、イヴは全く知らない。

 しかし、その兵士は背中を裂かれて出血しており、兵士用の戦闘服どころか戦争屋陣営が揃って身につけている、漆黒のマントにまで深く血を染み込ませていた。


 ――放っておけば失血死は免れない、ということは、医療の知識が皆無に等しいイヴにもわかった。そして、それと同時にその傷が致命傷には至っておらず、然るべき処置をすればまだ兵士を助けられることもわかっていた。


 だから、


「もうすぐ……救護班の方に、診てもらえますから……へへっ」


 重い風邪を患ったように、喘ぎ声にも似たつたない呼吸をする兵士に声をかけ、定期的に励ましながら、イヴは救護班の居る拠点までの道のりを歩く。


 既に体力が尽きかけているそこへ兵士1人分の体重が重なって、イヴの足取りはかなりおぼつかなかったが、幸いこちらのエリアには敵が全く居なかったため、よろめきながらも彼は真っ直ぐに目的地を目指していた。


 ――だが。


「……誰か、居る……?」


 霞みかけの視界にぼんやりと人影が映り、イヴは足を止めて目を凝らす。


 黒いマントを羽織っている。どうやら味方のようだ。背丈的には女性だろうか。小さいだけで骨格はがっしりしているので、いまいち性別が判定できない。


「……いや。もしかして、マオラオさんか……?」


 視界が徐々に明瞭になり、はためく黒マントの内から時折見える赤い生地を見て既知の少年を思い浮かべるイヴ。


 彼とは模擬訓練以降しばらく関わっていなかったが、それでもいち処理班員として戦争屋である彼のことはそれなりに知っていた。故に、イヴは顔を綻ばせ、知人マオラオらしき人物と合流できたことを喜ぼうとしたのだが、


「――様子が、変だ」


 何か、明言できない異様な雰囲気を感じ取って、イヴの表情から笑みが消えた。

 何かはわからない。だが、明らかに何かがおかしい。


「……!」


 じっとりと、季節外れの嫌な汗がこめかみに浮かんで、頬に零れる。今にも押し潰されそうな威圧感に、肺の動きが鈍くなり始めた。まるで、ゴム製の肺を移植されたかのようだ。全く空気が入らない。酸素不足で、だんだん胸が苦しくなる。

 頭からすっと血の気が引いていき、手足の指先の感覚がなくなる。

 2、3度くらい、体温が下がったのではと錯覚するほどの寒気を覚えるが、その一方で彼の心臓は強く熱を持って拍動し、全身に血液を巡らせていた。


 なんだ、これは。

 この異常な空気は、あの人影から――マオラオから漂っているのか?


「……いや、まさか」


 汗を首筋に這わせながら、イヴはやけに重たい足を後ろに引きずる。

 とにかく、あの人影の正体がマオラオであれそうでなかれ、ここからは一旦引かなければならない。ここは、イヴが干渉していい領域ではない。

 同じマントを羽織っているから、何にせよ仲間には違いないのだろう。

 だが、きっとあの人物に近づけば自分は死ぬ――そう強く予感し、イヴは1歩、また1歩と足を引くことで、静かにこの場所から脱出しようと目論んでいた。


 しかし、


「……?」


 けたけたと、笑う声が聞こえた。


 人影が笑っている。肩を震わせて笑っている。向こうを向いているから、どんな表情をしているのかはわからない。が、確かに笑っていた。


「くふ、んふふふふふ……はははははは……ひひひ……」


 どこか育ちの良さを感じさせる、落ち着いた笑い声。それが、だんだんと壊れていく。人ならざるものに取り憑かれてしまったかのように、狂っていく。

 そして、それはふと笑うことをやめて、イヴの居る方を振り返った。


 そこで、やっと露わになった正体に、イヴは震える声で名前を呼んだ。


「……マオラオ、さん」


 前髪が切り揃えられた、焦茶色の髪。丸く大きな紅玉の双眸。小さな背丈と、それに見合わない筋肉質な肉体。黒いマントに覆われた深紅の民族衣装と、元々身長のせいで子供っぽい彼を更に幼く見せる童顔。

 その人物を構成する、要素の1つ1つを今改めて観察し、イヴは確信する。


 間違いなく、彼はマオラオ=シェイチェンだった。


 けれど1つ、イヴの認識下にある『マオラオ』のイメージとは異なる要素――その額の両端に生えた赤いつのを前に同時、青年は閉口して固唾を呑んだ。


 ――美しい角だった。生え際は白く、先端にいくにつれ朱に染まっている。淡く輝くそれは、単体で見れば新種の鉱石だと言われても何ら違和感がなかった。

 その禍々しくも神々しい、相反する2つの要素を両立させる双角そうかくを見ながら、イヴはいつか見た書物を思い出す。


 『鬼狩り』という職業が存在していたその昔、美しく希少な鬼の角は財力やコレクターとしての実力を証明するものとされ、鬼狩りは殺した鬼の角を額から除き、顕示欲の高いセレブや収集家、商人などに高値で売りつけていたらしい。


 また、夜を照らすほど光り輝くと言われている高位の鬼の角は、国1つが買えるほどの高値で売買されたという伝説もあり、鬼族たちが大西大陸に鬼族だけの国を作る前までは、高位の鬼ほど角を隠しての生活が求められたという。


「……へへへっ。マオ、マオラオさん、鬼……だったん、ですね」


 低い声でそう呟きつつも、イヴは不思議と、目の前の光景を呑み込むのに時間を要さなかった。前から少年の人外じみた怪力のことを知っていたからだろうか。マオラオの放つ、文字通り鬼気に打ち震えながらも、彼の正体を受け入れていた。

 

 ただ、それと同時に青年は、認めたくないことにも直面していた。


「それ、って……」


 恐怖で意識を混濁させながら、マオラオが手にしているものを指差すイヴ。


 それは足だった。サイズからして、人間の男の足。膝から下のみの肉塊である。肉は上からある程度削がれた後なのか、骨が4分の1ほど覗いていた。

 否、削がれたというよりは――食べられた、と言った方が正しいのだろうか。


 肉の断面についた歯形を見てから、イヴは目隠し帯の内側で、マオラオの口元へと視線をずらす。乱雑に拭ったような跡があるが、赤い。口紅を塗ったかのように唇が赤く染まっていた。そして、頬にも歪な赤い線が残っていた。

 これだけ情報が揃えば、嫌でもこの状況を理解せざるを得なかった。


 マオラオが、人の肉を食べている。


 その現状を、イヴはどう受け止めるべきか迷った。

 鬼の一族はその昔、人族や獣人族――総じて『ニンゲン』を食べて生活していたというから、『食人』というのは鬼であるマオラオにとってはなんら問題のない、極々日常的、あるいは稀でこそあっても普通と思える行為なのかもしれない。


 だとすれば、むやみに彼の行いを批判するのは賢明ではないだろう。


 ただ、食人文化のないイヴからすると、マオラオの行為には『恐ろしい』という感情以外抱けるはずもなく――。


「――なぁんやあんた、見とったんか。あんたはなんや? どっちのモンや?」


「……え?」


 思考中、突然マオラオから話しかけられ、困惑の表情を浮かべるイヴ。一方、それを品定めするような目で見つめながら、マオラオは顎をツンと突き出して、


「神サマは信じとるタイプか? 見た感じ、大南大陸の出身っぽいけど。あそこは宗教関係が複雑やったやんなぁ〜、感じ悪い神様野郎もぎょーさんおって」


「……へ、えへへっ、え? かみっ、かみ、神様……?」


「せや、信じとるか? 信じとるなら……悪いことは言わん。早いとこ、に鞍替えした方がええで。その方が人生楽しく生きれるから」


 そう言ってイヴに歩み寄り、青年の肩に手を置くマオラオ。一瞬、攻撃されると直感したイヴは、本能的にひゅっと身を竦めた。


 しかし少年が触れた途端、傷や打撲を重ねて負い、重くなっていたイヴの身体からあらゆる痛みが抜けていき、その感覚に青年は『へ?』と間抜けな声を1つ。

 呆然とするイヴを前に、マオラオは双角そうかくを淡く輝かせながらくすくすと笑い、


「ほな、またどこかで会おうな? ――あんた、可食部が少なくてよかったなあ」


 すれ違いざまに口の端を引き、彼はイヴと入れ替わるように荒野へと駆けていった。

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