第118話『化け物はヒトの顔をしている』

 ペレットは身体を起こすと、目眩を起こす頭を何度か小突く。

 それから周囲を見回し、付近に巨大馬の姿がないことを確認すると、手近にあった背の高い木のてっぺんまで登り、広い視界を確保した。


 どうやら先程ペレットが投げた爆弾の爆発により、森に引火したらしい。根元の方から巨大馬に蹴り飛ばされた木や、まだ辛うじて地面に生えている雑草が煙を上げながら燃え盛っていた。

 火は今も広がり続けており、3日も経てばスプトーラ大森林の全てが焼き尽くされるんじゃなかろうか、という勢い。そして、爆発の中心にいた巨大馬は、


「――!!」


 引火した尻尾を振り回し、火の粉をあちらこちらへ飛ばしながら、真っ黒に焦げた大地の上を跳ね回っていた。周りを火に囲まれて、パニック状態に陥っているのだろうか。馬が地面を叩くたび、地震のような振動がこちらまで伝わってくる。


 ペレットは、その様子をしばし眺めながら何かを考え、


「……よし」


 納得したように呟くと、登っていた木をするすると降り、馬が暴れて掘り返したことで辺りに散らばっていた拳サイズの石を拾った。


 次いで、白装束の羽織の内から透明な糸の束を取り出す。

 これは特殊培養されたかいこのものであり、ギルの腕時計型射出機にも使っている素材だ。その糸を先程拾った石に巻き付け、すぐに外れないよう雁字搦がんじがらめにした。


 これで振り子の完成だ。ペレットは、実際に石を手から落としてみたり、ボーラのように遠心力を使って振り回してみる。が、石が糸の束縛から抜け落ちる様子はなかったのでそのまま採用することにした。


 ただし、思いのほか石の重みで糸が手に食い込むことがわかったので、ペレットは羽織の内から軍手を取り出して両手に装着。


「なんでも、携帯しておくもんスねぇ」


 言いながら、ペレットは巨大馬が暴れる炎の領域へと足を踏み入れる。


 と、


「気づかれた……!」


 こちらに尻を向けていたはずの巨大馬が身を捩り、ペレットを視界に捕捉。抹殺すべき対象を見つけた馬は、ペレットの元へ猛突進してくる。


 爆発をもろに喰らったせいか、後ろ足の1本が負傷しているらしくおぼつかない走りであったが、それでも大質量の物体が飛び込んでくる光景は凄まじく、


「ッ……!」


 ペレットは一瞬竦む。だが、空間操作をこれ以上発動するわけにはいかない。

 歯をきつく噛んだ少年は、賭けに出た。こちらへ走ってくる馬の足元へ、対抗するように駆け込む。そして、大地を揺るがす馬の四足の間を滑り抜け、


「――!」


 すれ違いざまに尻の下から飛び出した。スライディングしたせいで白い羽織が土色に汚れるが、とやかく言ってはいられない。ペレットは立ち上がって振り向くや否や、先程作った簡易ボーラを振り回し、巨大馬の足に向けて投擲した。


 錘になっている石の遠心力で、糸は大きく残像をつくりながら、くるくると馬の後ろ足に巻きつく。成功だ。しかし、それを見た少年が『よし』と溢した直後、


「って、うわっ!?」


 絡みつく糸の異物感からか、馬が後ろ足を跳ね上げた。

 宙へ打ち上がる糸。長さがそれほどなかったせいか、それを握っていたペレットも大きく空に投げ出される。


 身体が猛回転し、激しく切り替わる視界。

 そのあまりの気持ち悪さにペレットは、ぐっ、と目を固く瞑るが、状況把握のため込み上げてくる吐き気を喉奥にとどめながら薄く目を開けると、


「……!?」


 眼前にはもう馬の首筋が。

 ペレットはぎょっと目を見開いたが、すぐにこの状況を『好機』と捉えた。


 間もなく、ペレットは簡易ボーラを手放すと、馬のたてがみの中に飛び込んだ。


 勢いのある衝突だったので、当然双方にダメージが入る。

 ペレットは片腕をクッション代わりにすることでダメージを軽減したが、巨大化してあらゆるステータスが上昇しているとはいえ、防御も何もない巨大馬はその衝撃を受け、悲鳴のようにいななきながら前足を振り上げた。


「っぶね」


 小さく呟きながら、馬のたてがみを両手で掴み、落下を回避するペレット。

 利便性の高い空間操作の使用を自ら封じたおかげか、失敗すれば取り返しがつかない、というプレッシャーが彼の集中力を過去最高に高めていた。


 そして、馬が前足を地面につけた瞬間、ペレットは頭頂へと一気によじ登り、


「――ッ!」


 背負っていた短機関銃を、馬の脳天に突きつける。

 瞬き1つ分、ほんの刹那のためらいのあと、ペレットは引き金を引いた。





 頭を撃ち抜かれた巨大馬は、元々のサイズであったのだろう体長へゆっくりと身体を変えながら、横腹で森を押し潰すように傾倒した。

 馬が倒れた際、自力で近場の木に飛び移っていたペレットは、地上へ降りて馬の死亡を確認すると、短機関銃を背負い直して再び歩き始めた。


 しかし、意識は既に朦朧としており、土を踏む足もおぼつかなかった。


「はぁ、はぁ……っ」


 肩で息をしながら、木の根を越える。

 霞む目を擦って、不自然に浮き上がった地盤に飛び乗る。


 もし途中で白装束たちや巨大馬と交戦していなければ、今頃は空間操作で移動のカットを繰り返して拠点に到着していたのだろう。ペレットは、戦った面々の顔を思い浮かべながら、恨みがましい気持ちに浸った。


 その、道中のことだった。


「――ぅ」


 突然ペレットは喉を詰まらせ、自分の身体から出た、とは思いたくないほど大量の血を吐いた。その大量吐血で一瞬意識を失いかけるが、森の枝葉の隙間から差し込んでくる冷たい雨の感触に、彼はハッと意識を引き戻され、


「……」


 何かがおかしい、と直感する。能力の使用は控えたはずなのに、何故ずっと命を削られるような心地が続いているのか。


「……まさか」


 自分の血で真っ赤に汚れた口元を、腕で拭って呟いた時。

 どこかから、肌を突き刺すような寒風が流れてきた。





 ――白い息を断続的に吐き、目の渇きも無視して、血でべとついた亜麻色の髪を風に遊ばせながら、シャロは走る。大鎌をベルトで止めて華奢な背に負い、空いた両腕にノエルを抱いて、血染めの荒野を走り抜けた。


「助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃ……」


 繰り返される呟きは、彼にとっての自己暗示だった。


 だって、もう助からないとわかっているのだ。拠点までの距離は長く、シャロの体力だって有限だ。ここから走って拠点に向かっているようでは、ノエルの手当はどうしたって間に合わない。それが、もう理解できているのだ。


 でも、足を止めてしまえばノエルの死亡は確実なものになる。

 だから、僅かな希望に賭けるため、拠点に向かう足を止めさせようとする、シャロ自身の出した理論的な考えに負かされないため、彼は自分を洗脳するのだ。


 この逃走が、意味のあるものであると、自分で自分を騙すのだ。

 

「助けなきゃ、助けなきゃ、たす、けなきゃ……!」


 舌が乾く。喉が冷える。睫毛の先が凍る。歯がかたかたと鳴りあう。

 肺が今にも裂けてしまいそうだ。でも、走る。いつのまにか氷で覆われていた大地を、容赦なく体温を奪う雪の中を、どこまでも、どこまでも走り続けて、


「――やっと見つけた」


 ここに居るはずのない人物を前に、シャロは青紫に染まった唇を震わせた。


「なんで、レムと戦ってたはずじゃ……」


 絶望の表情で問いかけるシャロの前、蛇のような細い目をしたその男はゆるりと目尻を下げて微笑む。脳裏をよぎる嫌な想像と、男――バーシーを中心に渦巻く雪を伴った強い冷風が、シャロの肌に青色を差した。


「あぁ、安心していいよ。彼なら氷の中で眠っている。神様の元へ戻す必要があるから、殺してはいないんだけど……」


 目を開けて、青い双眸を覗かせるバーシー。暗く沈んだ2つの目に浮かぶのは、悲嘆と慈愛の感情だ。彼はシャロを憐れみ、慈しんでいた。しかし、それを真正面から受け取ったシャロは、あまりの不気味さに口を歪め、


「……お前は」


 確信する。こいつは人ではない。人の形を模しただけの、別の何かだ。感情が、心が入っていない。酷く空虚で無色透明。氷のように冷たく、匂いがしない。


 血も涙もないだとか、そういう意味ではなく。

 吐く言葉、浮かぶ表情、見せる感情、その全てが薄っぺらいのだ。悲嘆も慈愛も全部が全部、作られたモノで中身がない。その感覚が、酷く気持ち悪かった。


「――あぁ、可哀想に。震えてるじゃないか。ごめんね、ボクも止められればよかったんだけど、制御が効かなくなっちゃって」


 人でないものが、憐んでいる。人でないものが、謝っている。


 恐ろしくなったシャロは、引き下がろうとした。

 しかし、足首から下が凍りついていた。移動するため動かそうとした足はその場から1ミリも動かず、拘束されていない足だけが後ろへずれる。


 当然、転倒。シャロはノエルを抱えたまま、氷の大地に尻をついた。


 ――自然、バーシーを見上げる体勢になったシャロの頬に、上から伸びてきた男の指が触れる。長く骨張っていて、冷たい指だ。それに触れられ、『氷漬けにされる』と察したシャロは、ベルトで背負っていた大鎌を引き抜こうと腕を上げた。


 だが、持ち上げたその手はかがみ込んだバーシーの片手に絡め取られ、


「怖くないよ」


 言いながら、バーシーは指の背でシャロの頬を撫でる。すると、撫でた側からシャロの頬に、氷の膜が浮かび始めた。


 頬という位置の関係上、シャロも直接見ることは出来なかったが、その自分の顔が凍りつくという異常な感触に現状を理解したのだろう。震え、琥珀色の瞳に恐怖の感情が浮かんだ――その時だった。


 くふふ、と淑やかで小さな笑い声が聞こえ、同時。バーシーの頭が弾け飛んだ。

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