第117話『白く、凍りつく世界の中で』

 木の影から飛び出したペレットは、巨大馬に捕捉されると同時、地上から奴の横腹の前へ瞬間移動。短機関銃のトリガーを引き、連射して即殺を狙う。

 同時、馬は突然視界から消えたペレットに驚き、くまなく地上を探していた。


 やはり、先程にも思ったが、馬という生物は目が良いらしい。

 否、それが馬本来のものなのか、巨大化した恩恵なのかは、馬のことなど生齧なまかじりのペレットにはわからないが――でも、あれほど離れた距離からペレットが消えたことに気づけるのだから、なんにせよ驚異、もとい脅威的な視力である。


 と、考えている間にも、銃弾は吸い込まれるようにくうを突き抜ける。

 巨大馬は落ち着きなくうろうろと首を動かしていたが、その規格外に大きい体格のため、狙いを外すことはなかった。


 そう、狙いこそ外しはしなかったの、だが。


「……あれ、効いてるんスか、ね」


 驚きも痛がりもせず、ただ痒さを覚えたかのように身を捩るだけの浅い反応に、重力に引っ張られるペレットは頬をひくつかせながら呟く。

 あの反応を見るに恐らく、巨大化した分だけ体毛が分厚くなっており、肉まで刺さる前に体毛によって弾が受け止められてしまったのだろう。


 想定、していないことではなかった。

 そもそもが大木を足で薙ぎ払うような奴なのだ。簡単に攻撃が通用するとは思っていない。ただ、実際にこうなってくると、焦らずにはいられなかった。


 ひとまず、銃はあまり通用しないと考えたペレットは、短機関銃を一旦負い紐ガン・スリングで肩から下げておき、今度は巨大馬の背の上に移動。

 流動する筋肉を、内の内に秘める毛の海に立った。


 ――なお、改まっての話になるが。


 ペレットが遠い場所にあるものを呼び出すには、事前に召喚したいものに触れ、召喚対象として登録する必要がある。


 そして、ペレットが今自分の手元に呼び出している武器は全て、過去に自分で製作した登録済みのもので、ペレットたちが焼き払った戦争屋の拠点から持ち出し、スプトーラ学院に来てからは学院の武器庫に保管していたものだ。


 なんだか知らないが、現在ではヘヴンズゲートの共有資財として扱われており、噂によると白装束たちもたった今戦争のために利用しているらしい――が。


「重っ……」


 呼び出した長剣に想像以上の質量があり、取り落としそうになったペレットは慌てて柄を両手で握り、持ち上げる。その際、真っ赤に濡れた刀身が雨粒を浴びて煌めいたことには、気づかなかったふりをした。


 ――『空間操作』とは。〈何を呼び出すか〉は能力者自身が選べるが、〈どこから呼び出すか〉は完全に運次第だ。そのため、運が悪ければ武器庫からではなく、今現在戦っている白装束の手から、奪い取る形で召喚してしまう可能性があった。


 そのことを踏まえ、たった今、既に血塗れになっている剣を召喚してしまったということは――などと小話をしつつ、


「――らッ!」


 ペレットは、手にした長剣を勢いよく馬の背に突き立てる。流石にこの距離から刺したので、分厚い毛の海も断ち切れて、剣は重い手応えと同時に背肉に沈んだ。


 本来は、このまま剣を引いて背の上を走り、肉を引き裂いてやるはずだった。

 しかし。今の攻撃が、かなり痛かったのだろう。ペレットが足場にしていた馬の背が地震のように揺れ出し、直後異物を振り落とそうと巨大馬が立ち上がった。


「うわっ!?」


 背に乗っていたペレットは、急斜面になった馬の凹凸豊かな背を滑走。尻から外へ飛び出して、反射で枝垂れ柳のように垂れ下がる馬の尻尾に掴まる。


 ぶらり、ぶらり、ぶらり。

 何度か大きく揺れた後、ペレットは馬が体勢を戻すのを待ってから、片手の中に手榴弾を召喚。もう片方の手が尻尾を掴むのに塞がっているので、歯の突起に引っ掛けてピンを引き抜き、馬の後ろ足の方へ放り込んだ。

 暴れられては迂闊に手が出せないので、先に足を潰してしまおうと思ったのだ。


 ところが。


「……ぁ」


 不意に視界が大きく歪み、ペレットは脱力。掴んでいた巨大馬の尻尾から手を離してしまい、彼は空中でひっくり返って頭からスプトーラ大森林へ直下する。


 そして、枝葉に富んだ樹木の1つに衝突。上手いこと刺さった少年は、硬い枝や柔らかい枝に身体を打ち付け、肌を擦り傷だらけにしながら段々と転がっていき、


「ッ!」


 枝と枝の間をぬるりと溢れ落ち、地面へ落下。ペレットは、とっさに受け身の姿勢をとって着地した。同時、遠くでペレットが投げた爆弾が爆発する。想定よりもかなりダメージが入ったらしく、力強い馬のいななく声がこの大地に木霊した。


 しかし、今の少年には巨大馬に攻撃が通じたことなど、全くもって眼中になく、


「ッ、つぅ……」


 息が溢れる。頭がくらくらする。まるで脳が揺れているようだ。意識はあるし、身体もまだ動くが、体内の色々な感覚が狂い始めている。起き上がるには、あと2、3分は安静にしていないと厳しいかもしれない。


 そんな風に自己分析をしながら、仰向けに転がるペレットは自分を受け止めてくれた大木を下から眺める。

 この木がなかったらきっと、ペレットは今頃死んでいただろう。速度も高さもあったから、この木のクッションなしに地面に直下していたら、落ちる前に能力を使えていたかも、受け身を取れていたかも怪しい。

 全身打撲と擦り傷で痛みが酷いが、命には変えられなかった。木々様様さまさまである。


 さておき。


 ――ペレットは、今の自分の身に起こっているこの状況が、道中に出会ってきた白装束たちとの連戦に由来していると理解していた。

 単純に、能力の使い過ぎで体力が枯渇しつつあるのだ。


 さて、この状況でどうやって馬を倒そうか。


 現状、限界に近いとはいえ、あと数回は能力を使っても死なないはずだ。ただ、使うたびに頭痛がし、血反吐を吐き、手足の感覚がなくなるくらいには思った方がいいかもしれない。それに、たった数回分の余力ではきっとあいつを倒せない。


 じゃあ、無理やりにでも限界を引き伸ばすか?


 幸いこちらの手元には、ヴァスティハス収容監獄のエリア・サードに収容されている、『Dr.ロミュルダー』の発明した薬がある。

 脳を興奮状態にさせ、体力を一時的に増強するドラッグ――効果が切れた後には地獄を見る羽目になるが、この状況を切り抜けられる確率は高くなるだろう。


「――いや。それは、ダメだ」


 いつもの癖で自分の命を賭けに出そうとしてしまったが、今の自分にはセレーネの命も懸かっているのだ。今までのように、自分を粗末に扱うわけにはいかない。

 ペレットは目を閉じ、一瞬浮かんだ自己犠牲の作戦を脳内で切り捨てた。


 と、なると、だ。


「特殊能力なしで、あいつに勝つしかない」


 ペレットは、ようやく感覚の戻ってきた手を、ぐっと固く握りしめた。





 先代の六熾天使。そう言われ、レムがすっと真顔になる。


「……なんでい、急にさっきまでわからねーとか言ってやがったじゃねえかい」


「ゴメンね。でも、お兄さんも男ならわかるでしょ? 男ってのは、脳みそのキャパシティの9割以上を女の子のために使う生き物だ。むしろ、女の子でも美人でもないのに、ボクに思い出されたんだから凄いよ、キミ。誇っていいよ」


「はっ――そうかい。まぁ、どこまでも横柄な野郎だ、なあッ!」


 言いながら、レムは突進し、バーシーに向かって斧を振り下ろす。

 しかし、反応速度の早いバーシーはレムのそれを、空中に生み出したドーム型の氷の壁で受けた。そして、衝撃で壁がさらさらと崩れていく間に氷の槍を精製。防御されたレムが引き下がった瞬間、バーシーは氷槍を突き出した。


「ッ! つー……なんでもありじゃねーかい、その、能力っ!」


 身体を捻り、槍の先端を回避するレム。彼はすぐにバーシーの懐に飛び込み、2本の斧を同時斜めに振り下ろすも、バーシーは柔らかく腰をしならせ攻撃を回避。斧についた鋭い刃は、青年の顎のすぐ手前を通り抜け、大きく空振った。


 その後、大きく反り返って空を見上げたバーシーは、そのままバック転に入って地面を蹴り、くるりと回って1回転。足の裏が再び地面についた瞬間、ぴょいと飛び下がるようにジャンプをしつつ、空気を腕で払った。


 すると、手の軌道に沿って氷の針が再び生まれ、即座に射出。針は放たれた矢のように風を切って走り、


「ちっ……柔けーこって」


 自分のもとへ飛び込んできたそれらを、レムは鬱陶しそうに一薙ぎ。割れた氷がきらきらとダイヤモンドの原石のようになって散った。


「――1つ、聞きてえんだが」


 レムは、3メートルほど距離のあるバーシーに斧を向けつつ、話を切り出す。


「お前さんは、何故俺を知ってやがったんだぃ」


「……え? あぁ、別に。キミのことを知ってる人間なんて、そんなに特別なもんじゃあないよ? ボク以外にも10年前の事件を知ってる奴は沢山いるし、なんならうちの組織にいる奴は全員キミを知ってるんじゃないかな」


 そう言って、レムからの攻撃が止んだのをこれ幸いに、胸ポケットから手のひらサイズの小箱を取り出すバーシー。箱を開け、ひっくり返したバーシーの長い手に落ちてきたのは1本の煙草だった。


 その片端を咥えると、次いで青年はライターを取り出し、


「キミは、今まで必ず離反者を始末してきたうちの組織が唯一、そして約10年もの間ずっと見つけられず、始末できなかった人間なんだ。しかも、ただのいち構成員じゃなくて、六熾天使だって言うんだから、有名にならない方がおかしいよね?」


 先端に、着火。ライターをポケットに戻し、彼はふうと紫煙をくゆらせた。

 娯楽に浸る、油断しきったような、随分と余裕のある一連の動作――だが、彼の戦意は途切れたわけではなかった。

 ゆっくりと、そして静かに。バーシーの攻撃は、継続されていた。


「ッ……!?」


 バーシーの足元を中心に、ゆっくりと地面が凍りつき、更にはぽつぽつと雪が降り始めたのを見て、思わず得物を握る力を強くするレム。まるで世界が彼の能力で塗り替えられていくような光景に、外気温とは別の、嫌な寒さが背筋を伝う。


 何故、これほどの芸当が出来るのだ。どれだけ能力と相性が良かろうと、環境さえ作り替えるような能力を行使すれば、かなりの負荷がかかるはず――。


 得体のしれない人物を前に、緊迫感がレムを襲う。しかし同時にレムは、自分が不利になっているこの状況に、珍しい、と俯瞰的に苦笑した。

 その、追い詰められているにも拘らず、まだまだ笑う余裕があるかのような男の様子に、バーシーは驚いたように口を開き、


「ねぇ、逆に質問させてくれないか?」


「あぁ?」


「どうして組織を抜けようと思ったの? あそこから逃げたくなる気持ちはわからないでもないけど、熾天使は強さだけじゃなくて、度重なる『神様』への貢献でやっとなれる地位だ。だから、それなりに組織に尽くしてきたんでしょ?」


 小首を傾げるバーシー。

 その動作で、片目にかかっていた長い前髪がさらりと横へ流れる。柔らかくて、美しい髪だ。よく手入れされているのだろう、などとレムはぼんやり考えつつ、


「……さぁ、ねえ。てめえに話す義理はねえな」


「えー、教えてくれないの?」


「教えねえよ。人には誰だって秘密にしたいことがあんだろぃ。その辺、おめーの方がよくわかってるんじゃないのかぃ? なぁ、バーシー=バールエル」


 緩い弧を作っていた口の片端を、レムは挑発的に吊り上げる。渋みのある武人顔での嘲笑は、美人のそれとはまた違うおもむきがあり、


「アンタだって、隠したいことの1つや2つはあんじゃねーのかぃ? 例えば、アンタが理由――とかなぁ?」


「――」


 微笑をたたえていたバーシーの表情が、ふっと凍りつく。瞬間、万物を凍らせるような一陣の風が両者の間を吹き抜けた。

 乾き切った風が、鼻腔を突き刺す。周囲の空気は底冷えし、ぽつぽつと降り積もっていた雪が勢いを増し始めた。着実に状況が悪化している。このままだと、いつ吹雪ふぶき始めてもおかしくないだろう。


 もしや、彼の繊細な部分を踏んでしまっただろうか。まるで、バーシーの心境をそっくり写しているかのような環境の変化に、焦るでもなくレムは思いつつ、


「別に警戒しねえでも、俺ぁアンタに興味はねえ。だから、アンタが男として振る舞ってることに関して、とやかく言うつもりはねえよ。だが、こっちも詮索されると色々面倒なんでなぁ。あくまで、牽制として言わせてもらっただけでい」


「……そうだね。いや、ちょっと驚いただけさ。問題ないよ。けど、これだけは念頭に置いておいてくれ。ボクは、男だ。ボクにとっても、君にとっても」


 思い出したかのように笑みを繕うバーシー。

 彼はそう言うが、彼を中心に荒れ狂う気候はレムを確かに苦しめる。バーシーの足元から広がる氷の絨毯も、いつの間にかレムの足をその場に固定していた。


「……なんでぃ、冷てえじゃねえかぃ」


 レムは軽口のようにぼやきながら、これ以上の抵抗は厳しいかと考える。


 彼の操る冷気は、2人を取り囲む無数の死体さえ取り込み、全てを氷漬けにし、なおも遠くへ遠くへと氷を伸ばし、大地を侵食していた。その所業はもはや災害か神の仕業に等しく、こちらに勝ち目はないと一目でわかる。


 ただレムには、1つだけ理解の出来ないことがあり、


「あいつ……一体何を考えてやがんでい。んッなに無駄遣いしてっと、すぐ体力が尽きて死んじまうことくれぇわかるだろうに……寒さで自分もイカれたかぁ? 自爆してくれんのは結構だが……いや。どのみち俺が凍りつく方が先かねぃ」


 服越しに氷の冷たさを感じながら、口の中で呟く。と、


「あぁ、もうこんな時間かぁ。そろそろ効果が切れて倒れちゃいそうだし、その前に片付けておきたいから、お話はここでおしまいにしようか。大丈夫、君は眠るだけだから、痛くも怖くもないよ。それじゃあ、また後で会おうね」


 腕時計を気にしながら、ふらふらと手を振ってその場を後にするバーシー。

 彼が足を向けた方角にあるのは、戦争屋の拠点だった。そこへ向かったシャロを追って、瀕死のノエル共々手にかけるつもりなのだろう。


「くっそ……」


 じわじわと、身体が呑まれていく。意識が、感情が、薄れていく。

 膝まで覆っていた氷が腹へ、胸へと昇っていく。吹雪のせいで、バーシーの姿が見えなくなる頃には、レムの全身は氷に呑まれ、彼は意識を失っていた。



「――さて、最後はあの子だね。琥珀の瞳の、綺麗な子」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る