第116話『10年前に消えた熾天使』

 予定を変更し、1人で戦争屋に会うことを決めたペレットが『空間操作』で向かったのは、広大なスプトーラ大森林の中のとある場所だった。


 運良く人気ひとけのないそこにやってきた彼は、ひとまずヘヴンズゲート陣営の人間に見つからないよう、学院の反対側へ進むことを決めて移動。特殊暗殺者時代に鍛えてきた足腰と無数にある枝木を駆使し、軽快に森の中を疾走した。


 道中、何度か白装束と遭遇することこもあったが、ペレットはすぐに彼らを殺そうとはしなかった。


 もちろん、離反を察して明らかな敵対心を向けてきた者とは交戦したが、訝しむ程度の反応だった者や、普通に仲間としてこちらを扱ってきた者には、事情はさておきスプトーラ学院が爆発するかもしれない、という注意だけして別れてきた。

 アドに告発されないよう、本当に表面だけの説明だったので、避難してほしいというこちらの意思が正しく伝わっていたかはわからないが。


 ――こうして、改まって何人かの白装束と話してみると、当然といえば当然なのだが、ヘヴンズゲートという組織の中にも色んな人間が居るのだ、と思わされる。


 アドに心酔している者、アドと同じ野望を抱いている者。居場所を探して組織に来た者、救いを求めてなんとなくここに居る者。一点の曇りもなく純粋にアドを信じている者、アドの導きが本当に正しいのか迷っている者。

 ヘヴンズゲートに属している以上、そのどれもが戦争屋にとっては敵で、戦争屋に戻ろうとしているペレットからしても敵であることに変わりはないのだが。


「……本気で神様信じてるやつ以外は、どーにか助けてやれないもんかな」


 そんなことを思いながら、次々と隣の枝に飛び移り、ふと。

 ペレットは異変を感じ取り、目の前にあった木に飛び移ろうとした足を止めた。


「――今、馬みたいな鳴き声がしなかったか……?」


 それも、凄く大きな馬の。気のせいでなければ、前方から聞こえてきたはずだ。


 ペレットは馬にはさほど詳しくないのだが、戦争屋にも馬車用の馬が居たため、何度か馬の鳴き声を聞いたことがあった。その中で1番記憶に残っている鳴き声を聞いたのは確か、珍しく暇を持て余していたいつかの昼過ぎのことで、


「あの日は、フラムさんに『厩舎きゅうしゃの掃除をしてくれ』って頼まれて……渋々ギルさんも道連れして手伝いに行ったら、ギルさんを見た馬がすげー鳴いてたんだよな」


 ギル曰く、『何もしていない』とのことだったが、その後遅れてやって来たフラムによって『どうやらこの子はギルが嫌いらしく、ギルが自分に近づいてきたため腹を立てているらしい』と結論づけられたというこのエピソード。


 これによりペレットは、怒っていたり、不機嫌だったりする馬のいななきに少しだけ聞き馴染みがあったのだが、


「なんか……」


 その時と似たような鳴き方だった気が、と続けようとした直後。前方から、激しい木々のざわめきが響いた。そして次の瞬間、足場にしていた樹木が、否、樹木が根を張る大地そのものが前後に揺れ、ペレットを高所から振り落とし、


「うわっ!?」


 高さ約10メートル地点から、固い地面へダイブ。

 地面にぶつかるかと思われた寸前、瞬間移動で落下をショートカットして、ペレットは地面の上にうつ伏せた。


「ッ、ぶな……」


 もし先程の馬のいななき――らしき音がなければ、つまり周囲への警戒が必要最低限であれば、恐らくペレットはここで死んでいたことだろう。かなり、すれすれの回避であった。ペレットはうつ伏せたまま、大きな安堵の溜息を吐く。


 しかし、事態はそれどころではなかった。


 微振動を続ける大地から起き上がった途端、根元の方からへし折れた木と小石の混じった砂埃がペレットの真横を通過。同時、不意に目の端に捉えた巨大な影に、ペレットは思わず目を疑った。


 そこにあったのは、艶やかな毛の塊――いや、


「馬……ッ!? ……ぁ」


 大声を上げてしまい、慌てて口元を押さえるペレット。


 なお、当たり前だが叫んだ直後なので、その行動は無意味であった。後ろに伏せていた耳をぐりんと動かしたその馬、と言っていいのかわからないが、規格外のサイズを除けばそうとしか言えない怪物は、真っ先にペレットを視界に捉える。


 自分の身長よりも、大きな目玉がこちらを向く光景。それは、体験型の悪夢そのものだった。馬の瞳に身体の中心を射抜かれ、ペレットはすくみ上がる。


 ――どうして、こんなに大きな馬がここに居るのだ。


 能力か何かを浴びて、身体を大きくされてしまったのか?

 だとしたら犯人は高確率で、現在戦っている2つの陣営のどちらかに属している人間なのだろう。巨大化させることで、敵を圧倒的な暴力で殲滅できる、と考えてこの化け物を生み出したのかもしれない。


 だが、本気でそう思ったのだとすれば、そいつは世紀を代表する馬鹿だ。


 この馬が一度ひとたび荒野に繰り出せば、あらゆる命が一蹴される。

 たとえ攻撃すべき陣営の区別がつけられる賢い馬なのだとしても、このサイズでは敵陣営どころか、味方まで滅ぼしかねない――。


「――――!!」


 突然、力強くいななきながら、大きく前足を上げる巨大馬。

 その足先の、一軒家さえ容易に踏み潰せそうな蹄を前に、頭が真っ白になったペレットはとにかく遠くへ、と反射的に能力を使用した。


 体力温存、だとか賢いことを考えている暇はなかった。

 使わなければ潰される、直感的にそう思ったのだ。


 今ここから生き延びることを最優先とし、その場から姿を消すペレット。

 直後、元居たそこへ巨大な蹄が叩きつけられる。巨大馬のほぼ全体重をかけた、渾身の一撃。それは地面にクレーターを作り、砕いた土を方々ほうぼうへ弾き飛ばした。


 あまりにも地面との距離が遠いため、足元の見えない巨大馬は、今の一撃でペレットを仕留めた、と思ったのだろう。脚を退けた時、そこにペレットの潰れた跡がないと知り、一瞬困惑したように静止した。


 なお、ペレットはその様子を、巨大馬の死角になる太い幹の裏側から見ており、


「……そのまま、そこでじっとしてくれてると助かるんだけど……あれをこのまま放置するってのも危険だよな。――こっそり、仕留めるしかないか」


 ペレットは頭だけを木の影から出し、巨大馬の様子を窺いつつ利き手を淡い紫に光らせる。すれば、先の戦闘で幾らか汚れた砂だらけの手に短機関銃が登場し、


「拳銃弾が、あれに効くかどうかわかんねーけど……アンタみたいな巨体に、拠点突っ込まれっと厄介っスからね。罪はないんでしょーけど、早いとこ死んで馬肉になってください。戦争屋に差し入れて、カルパッチョで祝勝パーティーします」





 ――片目を隠すほどに長い、紺色の髪。蛇を思わせる切れ長の目は、細すぎるあまり閉じているようにも見える。異常なまでに白い肌は処女雪を連想させ、彼が日向を好まない人物であると暗示していた。

 食が細いのか、燃費が良いのか、その身体は全体的に細い。

 薄っぺらい微笑には人間性の軽薄ぶりを感じるが、身に纏った濃紺のスーツにはシワが1つもなく、また一切着崩されていなかった。


 一見チャラチャラしているが、油断はできない仕事人。そういった彼の人柄を、体現したような見た目だった。


「あんたは……『針屋』バーシー=バールエルかぃ。ジュリオットってぇ野郎と、リリアってぇ嬢ちゃんを氷漬けにしたっつー……」


「あぁ、そうだよ。逆に君は――ごめん、わかんないや。でも、そっちの子は知ってるよ。シャロ……いや、シャルル=リップハートちゃんだよね」


「――!」


 知らない人物に本当の名前で呼ばれ、動揺を顔に見せるシャロ。少年の纏う気が変わったのを察知し、彼に深い事情があることを理解したのだろう。レムは、小さな目でちらりとシャロを見やると、得物を向けてバーシーを牽制しつつ、


「嬢ちゃん、そっちの剣の嬢ちゃん連れてこっから逃げなあ」


「……え?」


「まだ、その子は生きてらぁ。瞬間移動でも出来なけりゃあ、間に合わねー距離だとは思うが……それでも、ここでへたり込んでるよか希望は持てる。早く、犬のあんちゃんのとこへ行きな。こいつぁ、俺が足止めしてやらぁ」


「……わ、かった」


 シャロは震える声で返事をし、自身の血で衣装を真っ赤に染めながら横たわるノエルを横抱きにする。そして1度だけレムに目をやると、何も言わずにその場から走り去った。向かうのは、戦争屋陣営の拠点・展望台がある方角だ。


 最中、シャロが攻撃されないよう男に注意を払うレムだったが、


「……ふふ」


 どういうわけかバーシーは、和やかな微笑でシャロの背を見送っていた。攻撃をする素振りは微塵もない。ただ、蛇のようにゆるりと細められる目に、レムは『気味の悪い野郎だ、』と内心呟きつつ、


「俺が誰だか知らねえなんて、寂しいこと言ってくれるじゃァねーかぃ。まぁ、傭兵なんて身分だ、仕方のねぇ話かもしれねえが――俺ァ、レム=グリズリー。ま、ちったぁ仲良くしてくれや、あんちゃん!」


 地面を蹴って、バーシーの元へ一直線に大地を駆ける。レムの疾走は、その熊のような体躯もあいまって、暴走した機関車を思わせた。

 しかし、そんな勢いで自分の元へ突っ込んでくる輩を前にしても、バーシーは一切怯まなかった。彼は、変わらず微笑をたたえながらレムを迎え撃ち、


「残念だけど、お断りかな。だって君、ボクのこと殺す気満々じゃん」


 突進するレムに手のひらを向けると同時、バーシーの周囲に追随するように氷の針が生み出される。鋭く尖った先端を熊男に向けるそれは、先程、ノエルを穿った凶器と同じものだ。


 そして、


「なっ……」


 それらは、一斉に射出された。その射出速度は弾丸並みで、決して常人が目で動きを捉えられるものではなく、目が悪いとされる『熊』の獣人であるレムにとっては尚更目に見えるものではなかった。


 だが、目には捉えられずとも、感じることは出来る。


 レムは襲い来る脅威を察知すると、両手の斧を振って的確に氷を砕いた。双斧そうふが風を殴る度、新しい氷針が走る度、煌めく氷はダイヤの粒のようになって散る。

 その人外じみた離れ業には、流石のバーシーも苦笑いをし、


「あぁ、なんとなく思い出してきたよ。熊の獣人、傭兵、斧使い。それから、その常軌を逸した戦闘スタイル――約10年前、忽然と『ヘヴンズゲートうちの組織』から姿を消したっていう――先代の使様じゃないか?」



 目を見開き、ぎらつく蒼の瞳を覗かせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る