第110話『さぁ、戦争をしましょう』

 4日後の昼過ぎ。


 トイレの便座に台座代わりとして乗り、天井のパネルを外す。すると、そこにはコードやら何やらが通された狭く薄暗い空間があって、そこにペレットはバスケットボールほどの大きさの黒い物体を押し込んだ。


 そしてパネルを戻すと、便座から飛び降りて個室を出て男子トイレから退室。ドアを開けた先で隣の女子トイレから出てきたセレーネと遭遇し、


「きちんと入れてきたわ。次は2階ね」


「ありがとうございます。あと、15個……」


 ペレットはふぅと息をつき、羽織の内側から学院の内部地図と赤いペンを取り出すと、3階の男子トイレと女子トイレにあたる部分にチェックマークをつけた。

 現在、チェックマークの数は計85個だ。今さっき入れた2個以外、つまり83個分は、セレーネを生き返らせてから今日までの間につけたものである。


「明後日、天使の半分が大南大陸に遠征する……今日中、最悪でも明日の午前中までには全部設置しないと……」


 焦りたくなる気持ちを抑えながらペレットが固い声で呟くと、『でも、』とセレーネは気がかりそうな表情で口を開き、


「それにしても不思議よね。本当は今頃、大東大陸にも遠征してたはずなのに……急に取りやめただなんて。あの神様は理由を教えてくれないし、六熾天使や幹部の方々も何やら不穏だし……私達の計画が、バレていないと良いのだけれど」


「……今はまだ、バレていないと思いたいっスね」


 ――と、その時だった。突如、近くの天井に設置されていたスピーカーから軽快なチャイムが流れ始めた。


 放送開始の合図だ。この建物は昔学校だったので、放送室が1階と4階の端にそれぞれあって、ヘヴンズゲートではそれをそのまま使っているのである。

 状況が状況だったので、一瞬びくっと震えて2人は天井を見上げた。すると、マイクのスイッチを入れるようなノイズ音が入り、


《――あー、あー。もしもしー? ジャック君って言うんですケド、そちらヘヴンズゲートさんで合ってマスカー?》


「――は!?」


 半生の中でもトップクラスの激しい混乱が、ペレットとセレーネを襲った。





「ついに来たか。たわけどもめ」


 くつくつと笑みを溢すイツメは、総統室の壁に寄りかかりながら呟いた。


 部屋の中には現在、イツメとハクラウルが居る。用があって2人ともアドに会いに来たのだが、運悪く不在であったため共に待機していたのだ。


 そこへ、急遽流れたジャック=リップハートによる校内放送――。


 まさかこんな面白い形で、しかもこんなにも早く向こうが手を出してくるとは思わなかったが、面白くて早いに越したことはない。イツメは次にどんな爆弾発言が降り注いでくるのか、続きの言葉を楽しみに待った。


 一方のハクラウルは、突然流れたチャイムにビビり散らし、放送の語り手がジャックであったことにもビビり散らし、今は部屋の隅でしゃがみ込んで震えている。イツメとは真反対の心境のようだ。


《あ、オッケー。繋がったっぽい! どうする? フィオネまだ来てねーケド、ジャックくんのMCで場ァ繋いどこっか?》


《やめーや、あんさんに喋ると厄介なことになんのはわかってんねん! た、頼むでフラム……シャロは絶対に部屋入れたらあかん。その扉は最後の砦や、死守せえよ。あと、フィオネとノートンはどこいってん!》


《の、ノートンさんは既に国境へ出発されてて……フィオネさんはちょっと僕にもわか……あっ、あの、もしかして、僕の声も入ってますかこれ!?》


《せやろな。声デカいであんさん……》


 スピーカーの向こうで騒ぎ立てる男3人衆。


 恐らく彼らは学院の放送室に居るのではなく、ここから近いどこかの建物の中におり、放送室のシステムをジャックが彼の能力の応用で乗っ取ったのだろう。


 どうやら今は、不在のフィオネを待っている最中らしい。


「そうか、トンツィ=シェイチェンは国境に……いや、何故国境におるのじゃ?」


 イツメが小首を傾げると、部屋のすみっこで暮らしていたハクラウルが震え、


「せ……戦争を、始めようとしてるんだ……! こっちの、た、退路を、断つつもりなんだろ……!」


「はぁ。いかにも馬鹿の考えそうなことじゃ。あの男らしくもない。わらわは逃げも隠れもせんというのに、小心者のようなことをしておるの。……よかろう、わらわは国境へ向かう。東か、西か……わからんが」


 イツメは持っていた書類をぽいっとアドの机に放り投げると、本来の用事はすぐさま忘れ、自分の影を全身に纏い、影の沼へと沈み込んで退室する。


《えぇ、じゃあ一旦切る? 結構体力減るんだケドこれ》


《いや……3時間かけてようやく声を繋げられたんや、そのまま繋いどった方がええ……あ、ちょ、シャロ入って来とる!! あかん!》


 その場には変わらず騒がしい声が降り注いでおり、自分の身体を抱きしめたハクラウルは部屋で1人、『馬鹿馬鹿しい……』と小さく呟いた。





 今日は3回だった。明日は4回までいけるだろうか。そんなことを考えていたのに、その放送だけで続きは出来ないということを知らされた。


 針屋・バーシー=バールエルは、枕にもたれてふぅと紫煙を吐きながら、放送に耳を傾ける。先程からの賑やかな放送のせいか、隣で眠っている女の一定だった寝息がリズムを崩し始めたので、もうそろそろ起きてしまう気がする。


 今ここで起きられると厄介なので、早めに部屋を出れるように着替えたい。


 バーシーは妙な身体の軽さを感じながら、煙草をベッド脇の化粧台に置かれた灰皿で潰し、掛け布団をべらりと捲ってベッドから降りた。


《ジャック兄ぃ〜、今放送中? もう、あと20秒くらいでフィオネ来るよー》


《あ、おっけー! じゃあ、オレ離れとこ……ワン公とマオ助も外出よーぜ》


《あっ、そうですね。僕も救護班のところに行かないと……》


《いや、オレを押し出そうとすなジャック、オレここ持ち場やねんから、出ていかんよ!? 配置場所の話聞いとったか!?》


「……」


 ――もろに情報バレてるけど、大丈夫かなぁ。


 声の大きい人のプライベートな電話を聞いてしまったような気持ちになりつつ、バーシーはワイシャツのボタンを止め、赤紫のネクタイを締める。そしてベルトを通したままのズボンを履き、金具を留め、紺色のジャケットを羽織った。


《あっ、来た! フィオネ〜、遅いよぉ》


《あら、もう始めていたの? 悪いわね、ちょっと段取りの確認に手間取ってて。ところでアタシ、機械はよくわからないんだけれど、このまま喋っていいの?》


《あぁ、せやで。そこ押すとミュート状態になるから気ぃつけてや》


《みゅーと……》


《こっちからの声が聞こえへんくなんねん》


《あぁ、そうなのね。わかったわ、えぇっと……そうね》


 よその学院の放送システムをジャックしておいて何のつもりなのか、ようやく到着したフィオネとやらは喋る内容がまだ決まっていないらしい。そういうところもの神様によく似ている、とバーシーは心底思った。


 一体、どうしてこうもトップに立つ人間は前準備をしないのか。


「ま、ボクも準備は嫌いなんだけどね〜……」


 艶やかな黒革の靴を履き、とんとんと床をかかとで蹴って整えると、バーシーはジャケットのしわをぴっと直しながら甘い匂いのする部屋を出た。





 スプトーラ学院、研究棟4階。


 そこのとある研究室――まじないや宗教関連の匂いがする怪しげな本や物々で埋め尽くされた、儀式部屋のような印象を与えてくるそこでは、砂漠の王族を思わせる煌びやかな天蓋付きのベッドにて、アバシィナが寝転がりながら本を読んでいた。


 ちなみにその横では、髪ゴムを解いたエラーが大の字ですやすやと眠っている。どうやら呪い人ノロイビトとはいえ、精神年齢や生活リズムも見た目に引っ張られるらしく、彼女はちょうど昼食を食べたばかりなのでお昼寝タイムに入ったのだ。


 ――当然、ここにも校内放送は響き渡っている。


 しかしアバシィナもエラーも、自分のやりたいことをやるのに夢中で(片方は寝ているだけだが、)放送はほとんどシカトしていた。


《そうね、まずはご機嫌よう。フィオネ=プレアヴィールよ》


「お〜……」


 片手間に声を返すアバシィナ。彼の持つ褐色の手と無駄に澄んだ瞳はまだ、目の前の本を読むのに尽力している。


《既に組織のお偉方には筒抜けた情報でしょうけど……これからアタシ達は貴方達『天国の番人ヘヴンズゲート』に対し攻撃を行うわ。時間はそうね、今何時?》


《あ〜13時2分やで》

「14時28分やで。あぁ先言われてもうたし全然違った」


《あぁ、なら8分後……13時10分には攻撃を開始しましょう。この8分はアタシの慈悲。武装でもなんでもしていると良いわ。あぁあと、1つアドバイス。籠城戦は諦めた方が良いわ。この学院の電気システムは全て――》


 ぷっ、と部屋の明かりが消える。読書を邪魔されたアバシィナは『ほえ?』と間抜けな声を上げて、ようやく紙面から目を逸らした。


《ジャックが、ハッキングしているから》


《うぇーい》


《今は4階のみ送電システムを弄ってもらったけど、今の彼は電気が関わるもの全てに干渉している。そこに長居するのはあまり利口とは言えないわ。敵に塩を送るのもどうかと思ったけど、速殺じゃつまらないものね》


「か〜! 本読むん邪魔されてしもた。あ〜、エラー、はよ起きぃや。髪ぃはよ結んで、ないないしに行くで」


 アバシィナは手探りでエラーの身体を見つけて揺する。うぅん、と一瞬唸ったエラーだが、部屋のカーテンを開けたアバシィナにひょいと抱え上げられ、本が積まれた木椅子の上にセットされて、眠たげに眼を擦った。


 窓から見える外の空は、爽やかな青を薄暗い灰が呑み込み始めており、1時間後には雨が降りそうな予感がした。





 口づてに、至急集まるように天使から天使へ伝えさせ、アドは総統室に向けていた足を学院内の講堂に向ける。その間にも戦争屋からの放送は流れており、学院中が慌ただしく動き回っていた。


《フィオネ〜、まどろっこしいから早く始めようよぉ》


《まぁ、そう言わないで。――アタシたち戦争屋とオルレアス王国軍は、7分後、一斉に襲撃を仕掛けるわ。出てくるもよし、出てこないもよし……逃げても、別に構わないわ。海外に今すぐ逃亡する術も持ってるでしょう》


 でも、とフィオネは言葉を継ぎ、


《貴方――聞いてるかしら、そこのふらふら歩っている――自称、神様さん》


「……!」


 どこかから見られていたのか、とアドは驚いて周囲をゆっくり見回す。しかし周囲には監視カメラも何もなく、彼は少し考えてから『あぁ、あの背の小さな少年のせいか』と納得した。


 彼の能力は名前を忘れたが、確か千里眼のようなことが出来たはずで、しかもヴァスティハス収容監獄では唯一アドの姿を視認している。彼が向こうにいるならば、自分が今何をしているのか把握されていてもおかしくはない。


 アドは虚空に向かってピースサインを送った。


《……ピースサインしてるで》


《……まぁ、ユーモアがあるのは良いことだと思うけど。どうやら、話は聞こえているみたいね。さて、1つ聞くわ。貴方――戦争は好き?》


「……」


 好きかと言われたら、大好きだ。


 戦争とは、命を賭けて互いの意見を主張し、相手の財産を徴収し、一夜で全てが変わってしまう大規模なゲームである。

 敗北の一歩手前で醜く争い続けるスリルも、圧倒的武力で叩きのめす優越感も、最低限の手札で挑む、いわゆる『縛り』というものを設けて厳しい条件下で戦略を駆使して戦力差を覆す達成感も――その全てが愛おしい。


 更に、普通のボードゲームなんかとは違い、『戦争』は途中で投げ出すことを許されない。故に常に最善の選択が求められ――つまり、考えることが好きなアドとこれ以上ないほど相性が良いのである。


《まぁ、返事なんか聞こえないけれど。もし貴方が戦争を好きだというのなら、アタシが貴方に求めるのは逃走ではなく――反撃》


 凛とした声が心地よく響く。


 残り、6分。今頃みな講堂に集まっているだろうか。

 アドは、向かう足を少しだけ早めた。肩にかけた漆黒のジャケットの裾が、はたはたとひらめく。少し離れた場所に、講堂の扉が見えてきた。


《今からアタシは、アタシ達は、貴方達ヘヴンズゲートに宣戦布告をする》


 ゆっくりと速度を緩め、講堂の観音扉に手をかける。重たい扉がキィと音を立てて開き、アドは集合した数千人の白装束の前に講堂の東口から現れた。


 瞬間、ざわついていた空間に静寂が降りる。集う皆からの視線を受け取りつつ、アドはゆっくりと雄大に歩を進めてステージの中央に立った。そして『こほん』と1つ咳払いをすると、神は金色の双眸を鋭く細め、愉快に笑った。


《――さぁ、戦争をしましょう》


「――親愛なる諸君、戦争の時間だ!」


 こうして、史上最悪の戦争は幕を上げた。











— 第5章 贖罪の天使 編〈前〉・完 —

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