第109話『赤の女王と少女のお茶会』

 更に3日後の――出港前夜。


 その日のシャロは酷い倦怠感に悩まされており、早めに布団に入っていた。幸いにもすぐに寝入ることができ、しばらくの間は闇に意識を溶かしていたのだが、


「……?」


 小鳥のさえずりが聞こえて、シャロは目を覚ました。余程深く眠っていたのだろうか、あんなに開けているのが怠かった瞼が嘘のようにぱっちりと開く。しかし、視界に映った光景には流石のシャロも、『イカれたのでは』と自身の頭を疑った。


「……どこ、ここ」


 きちんと手入れがされた庭に、青く澄んだ大空。周囲には森が広がっており、小鳥のさえずりはそこから聞こえたのだとわかる。庭の真ん中には茶会でも開くかのような純白のローテーブルが置かれ、その上にはスイーツが並んでいた。


 どうやら、自分は茶会の傍で芝生に寝っ転がっていたらしい。上半身を起こした彼は何の情報も受け入れられず、とりあえず自分の姿を確認した。


「……うん、パジャマのまんまだ……」


 春のような陽気な風に亜麻色の髪を遊ばれつつ、シャロは自分に言い聞かせるように声を出して事実の確認をする。


「……エッ、どうしよ」


 探索、とかした方が良いのだろうか。


 とにかく時間を無為にするのも気が引けたので、シャロは立ち上がって、1番目立つ白いテーブルの確認からしようと決めた。


「え〜っ、美味しそ〜!」


 まず目につくのは、ど真ん中に置かれたホールケーキだ。飾りつけが豪奢かつ精巧で、よほどの玄人が作った物だと一目でわかる。あまり腹は空いていなかったのだが、このケーキを見た途端凄い勢いでお腹が空いてきた。


 ただし、流石のシャロもここでは自重する。


「いつ作られたものだかわかんないしなぁ……形綺麗だから最近だと思うけど、2日前とかだったらまだ有り得そうだし……」


 なお、彼の懸念に『人のものだから』という理由が入っていないのはご愛嬌である。


「……あえ、でもこのポット湯気出てない!? えっ、湯気!? この白い煙? って湯気だよね!? 湯気が出てるってことは……あれ、つまりどういうコト?」


 注ぎ口から湯気が出ているティーポットを見て、一瞬何かに辿り着いた気がしたのだが、途中でわからなくなり眉をひそめる。


「う〜ん……とりあえず、美味しそうってコトしかわかんないなぁ……あっ、このマカロンめっちゃ綺麗……エーッ食べちゃダメなのかなぁ!?」


「――食べても構わないわよ、どうせ、全部貴方のだし」


「……エッ!?」


 不意に背後から声がして、シャロは大きくビクつきながら振り返る。


 するとそこに居たのは、金髪を三つ編みに結んだ17歳くらいの少女だった。


 見覚えのあるモスグリーンのパーティードレスを着用しており、絶妙に覗く胸元や脇下がとても色めかしい。キッと釣り上がった目は彼女の気の強さを体現しており、翡翠の色をした瞳には並々ならぬ鋭い光が――。


「……って、え? お前、なんでここに居んの!? パオーンだっけ!?」


「セレーネよ、馬鹿じゃないの!?」


 怒号を上げながらずいっと詰め寄られ、セレーネの身体とローテーブルの側面にサンドイッチされたシャロは『ひぇ』と間抜けな声を上げる。


「そ、そうだセレーネだ! んで……な、なんでここに居んの? なんか勝手に死んでなかったっけ? ほらあの、カジノの時に……」


「勝手に死んだんじゃないわ! 貴方に殺されたの!」


「えぇ……? いや、殺してなんかないんだケド……」


 などと言っていると、セレーネの目つきがより鋭いものになる。命の危険を感じたシャロは、必死に記憶を探った。むしろあの時殺されそうになっていたのはシャロの方で、確かむちで拘束されたところに銃弾を撃ち込まれて――。


「――赤の女王」


「……え?」


 ふと、ぽつりとなにかを溢されて、シャロは呆気に取られた顔で聞き返す。


 すると、


「赤の女王。それが……貴方の能力名よ」


 再び呟いたセレーネは、複雑な表情をしていた。





 それから一旦シャロとセレーネは、茶会の席に座ることにした。


 落ち着いて話をしようということで、いわゆる誕生日席ではなく、近距離で向かい合える客席に座る。彼女曰くここの菓子はシャロのためにあるらしく、シャロは切り分けたバターケーキを咀嚼しながら話を聞く体勢をとった。


 セレーネは、そんな呑気なシャロを忌々しそうな目で見ていたが、やがて『仕方がない』と言いたげな表情をして話の口火を切る。


「……この世界は、貴方の能力が生み出した世界。『赤の女王』の世界よ」


「はろひゃん、ほうほふはんはほっへはいんはへほ(シャロちゃん、能力なんか持ってないんだけど)」


「いいえ、これは間違いなく貴方の能力。……ここに囚われた私には、それがなんとなくわかるの。というか、持ち主が自分の能力を理解していないのはどうかと思うのだけど。……まぁいいわ、続けましょう」


 唇の端についたクリームを舐めとるシャロに、諦めたような目をしながらセレーネは話を続ける。軽くまとめると、こんな感じであった。


 まず、この能力は普段なんらかの力によって制御されており、ある条件を満たさないと使うことが出来ない。しかしどういうわけかあのカジノでの戦闘によって制御は一時的に外され、シャロはあの場で『赤の女王』を使用することが出来た。


 その『赤の女王』というのは言うなれば『魂を取り込む能力』で、発動時にはこの茶会のような場所に赤と白の幽霊が現れる。


 能力に巻き込まれた者は茶会へ連れてこられ、その赤と白の幽霊が握る大鎌に首を落とされて死ぬ。ただしこの世界に連れてこられるのは被害者の魂のみなので、人の形に具現化した魂に鎌を通しても現実世界の身体には反映されないらしい。


 つまり、赤と白の幽霊が茶会の世界で対象者に鎌を振るうのは、ただ魂を刈るための行為なのだろう、とセレーネは語った。


「……よくわかんないケド、最強の能力じゃない? ……実感全くないケド」


「現に私が居るでしょう! 貴方が殺した私が! ここに!」


 小さな手で机を力強く叩かれ、『確かに』と返しながら摘んだ角砂糖を1つ、シャロは紅茶の入ったティーカップに落とした。ぽちゃん、と沈んだ角砂糖は飴色の水面に波紋を立てて、じわじわと端から溶けていく。


「でも、その制御ってやつの外し方わかんないし……あと、それって強制なの? 話聞く限り、なんか問答無用で殺されたみたいだケド……仲間巻き込んじゃったら怖いし、その辺なんかわからない? 能力の設定みたいなさ」


「……能力からの脱出方法はともかく、制御の外し方は知らないわ」


「じゃあ脱出方法教えてよ。今までの情報も教えてくれたんだし、ね?」


 そう言いながら紅茶をティースプーンでかき混ぜていると、セレーネはマカロンの山からパステルパープルのマカロンを摘み上げ、鼻で笑う。


「馬鹿ね、教えるわけないでしょう」


「ん〜、じゃあ、教えてくれたら交換でペレットのマル秘情報教えるよ?」


「そうね、脱出方法は被害者が茶会の席から立つことよ。それで能力が解けて魂は現実世界に戻るの。……実際にそうかは知らないけど、私がここに居てなんとなく読み取ったのはそういう情報だったわ」


「う〜ん、なるほどね!」


 思っていたよりペレット脳なセレーネにくらりと目眩を覚えつつ、シャロはティーカップを口につける。自分で出した餌とはいえ、こうもしっかり食いつかれると逆にこっちが狼狽えてしまう。


「ほあ、おひえはんははああははもほひへははいほ(ほら、教えたんだから貴方も教えなさいよ)」


「じゃ、じゃあえっとね……ペレットは野良猫に『ペッパー』って名付けて、こっそり飼ってた時期があったんだよね。意味は知らないんだケド、めちゃくちゃ真っ黒い猫でさ……ペレットが甘やかしたからデブっててさ……」


「――私、来世の名前はペッパーにするわ。そう名付けてくれる家に絶対生まれに行く。意地でもペッパーとして生まれてくるわ」


「きっしょ」


 口をウェッと歪めながら容赦なくディスるシャロ。しかし完全盲目のセレーネは気に留めることなく、優雅に紅茶を飲んでいる。


「……で、さぁ。アンタはどうすんの? 話が本当なら、ずっとアンタの魂はここに囚われてるってこと? リアルで胸の中に生きてるってこと? やだよ? アンタがウチの中に居たらウチまでペレット脳に……って、そうだよ!」


 シャロはティーカップを乱雑に置くとガタッとテーブルに身を乗り出し、


「この前に女子会! 恋バナの時にシャロちゃんに『ペレット』って言わせたのお前でしょ!」


「……なんのことかしら? 私以外の女の口からペレット君の名前が出るなんて想像しただけで殺意が湧くもの、そんなことできたとしてもしないわよ」


「え、えぇ……? た、確かにそう言われると……ケド、絶対シャロちゃんの本心じゃないもん! ペレットを選ぶくらいならまだ犬を選ぶよ!」


 勢いに任せてとんでもない発言をするシャロ。しかし犬の方がアイツよりずっと可愛いのは事実である。それに犬の方が素直だし、などとシャロが胸中で弁明し続けていると、怪訝そうな顔をしていたセレーネはすっと真顔になって、


「――貴方が何を言ってるのか、全くわからないけれど……それって、私の意思が貴方を侵食しているってこと?」


「し、知らない……でも、そういうことになるんじゃないの……? 身体の中に魂が2つあるわけだし、そうなってもおかしくはないと、思う、ケ……ド……」


 と、その途端、ふらふらと眠そうに揺れ動いていたシャロが机に突っ伏した。


 ティーカップが倒れて、残っていた紅茶がテーブルクロスを侵食する。どうやら気絶してしまったらしい。紅茶で濡れた手はぴくりとも動かないが、すぅ、すぅ、と眠るように息を立てて、次第に彼はその身体を白く輝かせ始めた。


「……」


 どうやら、現実世界のシャロが、そろそろ眠りから覚めるようだ。


 『赤の女王』の世界に囚われているセレーネには、能力を制御されている状態のシャロは本体が眠っている間の、更にごく僅かな確率でここに来れるということがわかっていた。

 だから、突然気絶したシャロに驚くこともなく、自分のティーカップを持ち上げる。


 シャロがここに来るのは、本当に僅かな確率だ。きっと今目覚めてしまったら、しばらくは会えないのだろう。まぁ、会ったら会ったで腹が立つので別に来なくて良いのだが、それはそれでつまらない、とセレーネは溜息をついた。


 そして彼女は、いつまでも温かいままの紅茶をあおると、怒っているような、悲しんでいるような複雑な色をした目を少年へと向けて、


「もう、居なくなってしまうのね。退屈しのぎには丁度良かったのに」


 そう呟いた瞬間、シャロの身体は霧のように弾けて散った。

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