第108話『人間であることの証明』

 前回の会議から1日後、オルレアス城・中庭、午後16時頃。


 相変わらず訓練中の兵士や処理班員で賑わっている中で、2人の青年が剣を手に向かい合っていた。ギルと、彼に剣術を習うイヴである。


 ギルは木剣を使用しているが、イヴは完全に実剣だ。

 しかしギルの服には汚れひとつなく、反対にイヴの身体は土と草に塗れている。肌が見える箇所は青あざができ、鼻からは血が出た跡があった。今でこそ血は止まっているが、その跡から凄い出血量であったことが窺える。


 服で隠れて見えない箇所も、実は打撲痕やら出血でかなり酷いことになっているのだが、それでもイヴは訓練の続行を望み、意地でも剣を手放そうとしなかった。


「そろそろ終わりにした方がいーんじゃね?」


「い……いえ、もう一戦お願いします」


 剣を大地に刺して杖代わりにし、腰が引けた状態でなお懇願するイヴ。


 一方涼しげな表情のギルは、目を細めて彼の姿をじっくりと眺めた。


 正直、加減不足だったとは思う。どのくらいの攻撃で、どこを打たれたらどれくらいダメージが入るのか、それがギルにはいまいちわかっていないから、つい好き放題にやってしまった。ぶっちゃけ撲殺寸前だろう。


 『神の寵愛』によってダメージとは無縁だった故に、丁度良い加減がギルにはわからないのだ。


「悪ィけど、俺は味方を殺す趣味はねェ」


「……ッ!」


「とにかく養生しろ。反省点は……あれだ、とにかく相手を怖がってることだな。敵の挙動にいちいち怖がってるようじゃあ、剣は真っ直ぐに振れねェ。あのー……誰だっけ、ポエム? って奴の剣筋を見てみろ、あれ」


 ギルに指を差され、イヴは少し離れたところでシーアコットと訓練をしている銀髪の少女へ目隠しの内側から視線を向ける。


 どうやら向こうも同様に、木剣と実剣の組み合わせで試合をしているらしい。

 ――が、少女は常に攻撃態勢であり、汗のひとつも流さずに攻撃を受け流してはいるものの、どうやらシーアコットの方が防戦を強いられているらしかった。


「あっちは反撃された時にすぐ引ける態勢じゃァねえのが問題点だが、それ以外は悪かねェ。シーアコットの教え方が上手いのもあるだろうが……ま、学べることは沢山あんだろーよ。しっかし、大北流剣術か……」


 絶え間なく紡がれる攻撃を見て、何か思うことがあったのか思案にふけるギル。その間、イヴは息を切らしながら、少女とシーアコットの戦いを眺めていた。


 銀髪の少女はかなり小柄だ。だからその分、俊敏である。そこで速さを特徴とする大北流剣術を使い、細やかな攻撃を繰り出しているようだ。


 一撃一撃の攻撃は軽いが、延々と繰り出される攻撃の全てに注意を払い、かわさなければいけないため、相手の体力や思考力は他の剣術より早く奪えるだろう。そうして疲労しきった時であれば、軽い一撃でもとどめが刺せる。


 大北流は、そういう流派だ。かなり彼女の体格に合っていると言えるだろう。


 対してイヴには適性のある流派が存在しない。


 まず男としては小柄で恐らく俊敏な方だが、反撃を本能が恐れているので連続攻撃を主とする大北流剣術は出来ない。


 当然、パワーがないので重たい一撃を主とする大東流の剣術にも適していない。攻めず、守らず、踊るように舞い、滑らかに敵を切り裂く『未知』と呼ばれる大南流剣術は、足先が器用でないのでイヴには合っていない。


 相変わらず、なんで剣士になろうとしたのか、自分でも鼻で笑ってしまいたくなるほど無様だ。けれど、自分にはこの道しかないと思った。そう直感していた。

 だから、人一倍頑張るしか他に方法がないのだ。


「すみません、ギルさん……もう1戦だけ……って」


 イヴはギルの方を振り向いて、言いかけていた言葉を止める。


 ギルは上を見上げて、赤い三白眼の目でじっと何かを見据えていた。

 その視線を追ってイヴが目を向けると、そこには王城3階のバルコニーからこちらを見下ろすオーバーオールの少年――シャロがいる。


 遠くて顔はよく見えないが、1人で柵に肘をついてもたれかかるその様子は、どこか哀愁を感じさせた。


「アイツ……今朝からずっとあんな感じなんだよなァ」


「今朝って言うのは……」


「2回目の会議が昨日あったろ。そん時に、中央大陸に行った偵察班から情報が渡されて……そん中に、アイツと仲良かったヤツの訃報ふほうが混じってたんだ」


「訃報……ヴァレンタインさん、って方でしたっけ」


「あァ。そこそこ慣れてはいるから、泣いたりはしねェんだけど……毎回、心ここにあらず、ってェの? ずっとボーーッとしてやがんだ。逆に、アイツは――」


 ちらり、とギルが見たのは訓練中のノエルだ。

 未だ、息を乱さずに猛攻を繰り出している。5歳は歳下の、年頃の少女とは思えぬ異常な成長ぶりに、なんとなくイヴは惨めな気持ちになった。


「アイツは、今日に入ってから急激に剣のキレが良くなった」


「……」


「雑念を振り払ってるッつーのかな。アイツとは俺そんなに喋んねェから詳しくは知らねーけど、そいつの訃報に思うところがあったんだろ。それが『強くなんねェと』って意思なのか、はたまたは剣に逃げ込んでんのかは知らねーが、な」


 そうギルが呟いた時、ちょうど大きく後ろに跳ねて下がったノエルが、自分を見つめる視線に気づいてこちらを振り向いた。目隠し越しにイヴと目が合う。しかし彼女はその後、すぐに目線を逸らして訓練に戻ってしまった。


「……」


 目が、合った時。その鋭い銀色の瞳に、彼女の覚悟の『違い』を思い知らされたような気がして、イヴは口を結びながら俯いた。





 蛇口を捻って、シャワーからお湯を出す。緩い水が雨のように降りかかり、乾いていた亜麻色の髪が後頭部から毛先までゆっくりと濡れ始めた。


 やがて湯は鼻を伝い、頬を伝い、肩から腰まで滑り落ちて足から排水溝へと流れていく。身体全体が濡れるのを待って、シャロはただ無表情で湯を浴び続けた。


 ここは兵士寮1階、男子用シャワールームだ。


 シャワーの1つ1つが小さな塀で区切られており、訓練でついた血や泥を落とすための場所として兵士や処理班員に愛用されている。今はシャロ以外には誰も使っておらず、タイルの床を叩きつける水の音が室内全体にこだましていた。


 この湯を被っている時間は、ぼーっと何かを考えるのに最適だ。考えすぎて少々、お湯を無駄遣いしてしまうことがあるが。


「……」


 ――心が、空っぽだ。


 先日まで色んなことを刺激的に感じて、楽しめていたはずなのに、今朝から何も楽しく思えない。けれど悲しいとか辛いとかそういう感情はなくて、今朝食べたオムレツもエビサラダも、クロワッサンもカフェオレも普通に美味しくて。


 非情、なのだろうか。と毎回考える。


 処理班員にも仕事の関係で仲良くしている子達が居て、その子達も数人は殉職しているのだが、それを悲しんで泣いたことが1回もないのだ。

 ただぼーっと空を眺めて、本を読んで、絵を描いて過ごすだけ。


 もしかすると、実は無意識にビジネスライクだったから、その子達の死を悲しんであげられないのでは、と自分を誤魔化して慰めたこともあったが――。


「……」


 ミレーユの死すら嘆くことが出来ないとなると、とうとう自分の感性の方に問題があるような気がしてきた。だってミレーユは、彼女に対しては絶対に、ビジネスライクなんかじゃなかったから。


 ――自分のような人間と接してくれるのは、大抵が同業者。

 必ずどこかに仕事付き合いという意識も絡んでくる。だからまっさらな感情で付き合うために、一般人と友達にならなくてはいけなかったわけだが、当然こんな仕事をしていて一般人の少女と仲良くなどできるわけがない。


 そう考えていたから、アンラヴェルで彼女に出会い、事件が終わったあと、ミレーユの弟の話を聞いた時――この子なら、シャロが本気で思いやってあげることが出来る『友達』になってくれる、と強く思っていたのだ。


 半ば、自分が感情のある人間だと自分自身に証明するために、必死になっていたところもあったが。


「……心、冷たいのかな」


 すっかり濡れた喉に触れて、シャロは遠い日のことを追憶する。やはり自分もあの女から生まれてきただけあって、中身が人間ではないのかもしれない。戦争屋なんてものをやっていて、まだ『人間』と呼べるならそれはそれで笑える話だが。


「……」


「――ま、気にしなくていいんじゃね?」


「……え?」


 突然、隣から声が飛んできて振り向くシャロ。


 すると、いつのまにか真横のシャワースペースにギルがやってきていた。塀に肘をつきながらこちらを見ており、そこにはプライベートも何もなく、焦ってシャワーを取り落としたシャロは混乱しながらギルを1発殴る。


 ごりっ。綺麗にストレートが決まって嫌な音が鳴る。ギルの頬に拳がめり込み、彼の身体はひっくり返って壁や床などにぶつかった。


「へっ……変態!! ケダモノ!!」


「いッ……てっめぇ、殴る元気だけ一丁前に残しやがって……心配する必要もねーじゃん、くそ」


「えっ、心配……? 心配って……?」


 きょとん、と目を瞬かせるシャロ。その手前、ギルは『いっつ……』と歯の隙間から鋭く溢しながら塀を手すり代わりに立ち上がり、


「テメーの兄貴が『シャロが元気ない』っておろおろしてっから、代わりに様子見に来てやったんだよ。アイツが行くべきだと思うんだが、動揺しすぎて放電してっから近づけさせんのもどーかと思ってなァ」


「ジャ、ジャック兄ぃが……?!」


 放電して周囲を燃やしまくる自分の兄を想像し、シャロはばちん、と電撃を受けたようなショックに見舞われる。もしかして、その分の損害費って放電の原因になった自分に回ってくるのだろうか。いやそれはさておき、などと考えて、


「う、ウチそんなに元気なかったかな……?」


「別に、俺からしちゃあよくあることだが、アイツは初見の上に馬鹿でブラコンだからな。オメーがちっとでも落ち込んでると、気になってしょうがねえんだろ」


 本当に、傍で見ていて恥ずかしくなるくらいの動揺っぷりだった、とギルは追想する。数年前、弟のためと言って15そこらで出稼ぎに来たような奴なので、本人としては今回も大真面目に気にかけてのことなのだろうが。


「まぁ……ほら、なんつーの。別に、泣くことが偉いってわけじゃねェだろーし。それに……納得いってるから、泣けねェんじゃねーの?」


「……納得、って?」


「理不尽な死ならともかく、ミレーユの奴も、それ以外の奴も、全部仕事のために全力を駆けて、そんで死んでいった。文字通り死ぬ気でやるべきことをやり遂げて死んだんだってわかってるから、泣けねェんじゃねえの……」


 『って、フィオネがな』とギルが慌てて名前をつけ足すと、自分で言うのもなんだがどうしてか格段に説得力が上がったような気がする。


 同時に、フィオネの名前を付け足さないとこんなにも薄っぺらく感じるのか――と自分の言葉の軽さに絶望、その横でシャロは伏し目がちに俯いて、


「……そう、なのかな」


「ま、まァ……ジュリさんとか、フィオネとかはまさにそういう感じだしな。俺も大体合ってる。……だんだん、それが普通になっていくんだ。あんまり自分に落ち込まねーで、早いとこ受け入れて……その、お前は兄貴の放電止めてこい」


 一旦、放電を止めるようジャックに言ってからここへ来たが、恐らく高確率で今ごろ再発していることだろう。あのブラコンもちょっとは治らないだろか、などとギルが肩をすくめていると、シャロは『う……』と小さく唸り、


「……わかった、もう、いつも通りのシャロちゃんになるから……だから、心配しなくていいよって、ジャック兄ぃに伝えて」


「いいのか?」


「うん。――お風呂から出た後、ギルがチョコレートアイス奢ってくれたら本当に元気になるから」


「ハーッ、そういうとこでタカってくんのマージでたくましい精神してるよなァ!? いいぜ、トリプルアイスで泣きを見やがれェ……」


 ギルはぴっ、と立てた3本の指を突きつけながら、頬をぴくぴくとさせつつ悪い笑みを浮かべる。すると、シャロは複雑な表情をしながらもヘッと溢すように笑い、


「――たのんだ!」

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