第104話『チェスボードは裏返される』
翌日、
そして更に3日後の16日に彼らは中央大陸・スプトン共和国の海岸に到着。小型船でやってきたメンバーはその日のうちに海岸沿いのスプトーラ大森林に身を潜めることになり、それぞれ迷彩服に着替えて調査の準備をしていた。
既に着替え終わったノートンが、地図や書類諸々を両手に偵察メンバーたち――リリア・フラム・レム・マオラオ・ミレーユの前に立つ。
「これよりスプトーラ大森林を突き進み、西の荒野に向かう。拠点の報告があったのは荒野よりも西の山脈地帯、そこを突き進んだ先にある『不信戦争』の名残り。旧スプトーラ学院だ」
そう言ってノートンは、過去の歴史を交えながら今回の任務について説明する。
「昔は普通の学校だったが、100年と少しで廃校した。いや、一応は今も『スプトーラ学院』という学校は続いているんだが、より都市に近い場所に新しい校舎が建設されて、旧校舎は全く使われなくなったんだ」
そして5年前、建物だけ残った旧学院は国の暗部に丸々改造され、それからはスプトン共和国の暗殺者を育成する学校として使用されていた。
そのため当時の旧学院は国の戦力の大半を有していたが、何者かに焼き払われたことにより暗殺者の育成制度は死滅。
交戦していた他の国もほぼ同時期に戦力の要を焼き払われ、それにより中央大陸の三国間で行われていた『不信戦争』は強制的に終了、旧スプトーラ学院は歴史的証拠としてそのまま残されていたはずなのだが、
「何故か改修された状態を、現地に行った情報課の班員が発見し、旧スプトーラ学院はヘヴンズゲートの拠点として利用されていることがわかったんだ」
『けど、』とそこでリリアが割って入り、
「現地の班員との通信は開始約1分で途切れた。その後向こうからの反応は皆無。恐らく
だから、旧スプトーラ学院のより詳しい情報を得るため、嗅覚や聴覚、または特殊能力により偵察に優れたこの6名が集められ、先に送り込まれたのである。
――矢筒を背負いながら、リリアが説明を付け加える。
「船の中でも説明した通り、あたしらは2人3組行動。1班はあたしとフラムきゅんで2班がノートンとミレーユちゃん、3班がおっさんとマオラオくんだな」
「荒野を突っ切ると無防備になるため、森の地形に沿って山脈地帯まで向かう。全滅してしまう可能性を考慮し、3班は一旦ここで待機だ。しかし敵地にいることに変わりはない、何かあればすぐに無線機で他の班へ連絡するように。いいな」
そう言ってノートンが手の内で転がしてみせたのは、処理班の工作課が作った遠距離対応無線機である。
といっても工作課にペレットほどの技術力はないので、耳の中に収まる豆型ではなく大きめのインカム型だ。
海を越えるほどの遠距離には対応しておらず、本部とのやりとりは不可能。通信範囲は強いても、海岸に船を寄せて待機している処理班員と繋がるくらいだ。
プロトタイプを知っていると少々使いにくいが、ないよりはずっとマシだろう。本人が居ないところで判明したペレットの高い技術力に、マオラオは複雑な表情をしながらインカムを耳にはめ込んだ。
「――それじゃあ、早速調査を開始しよう」
*
ずっと、静かな時間が流れ続ける。
聞こえるのは自分達の足音くらいだろうか。こんなに広い森なのに鳥や虫の声が一切しない。生気がしないと、よりこの冬の寒さを自覚してしまう。
頬を撫でていく冷たい風に、フラムはぶるっと震えて首を竦めた。
先を進むのは自分と同じ迷彩服を着たリリアだ。
こうして草木の色の格好をすることでカモフラージュをしているわけだが、それでも彼女は気を緩めることなく周囲に注意を払っている。
「……」
その背中には数十本の矢が入った筒が背負われ、弓が留め具つきのベルトで腰に固定されている。小さな手の中にあるのはリリアの身長よりも大きな槍で、彼女はそれを使って時折、行く手を阻む草などを散り散りに切り裂いていた。
今、彼女に話しかけられそうな雰囲気は全くない。
「……」
フラムを絶対守ると誓った手前、流石のリリアも気が抜けないのだろう。
とはいえ、いつもは煩いほど言い寄ってくるリリアがこんなにも無言だと、フラムにも漠然とした不安が――。
「……フラムくん」
「は、はい、なんでしょう?」
「あたし、ここに来る前にフラムくんのこと、絶対守るって言ったじゃんか」
「……はい、仰ってました」
力のないリリアの声に、フラムはおずおずと答える。
彼女らしくない声音だ、一体どうしたのだろう。ずっと考え込んでいたら、約束を果たせるか不安になってしまったのだろうか。
フラムはリリアの実力を信じている。彼女が危惧しているような事態にはきっとならないだろう。それに、仮に敵襲によりフラムが怪我を負ったとしても、彼女に対して失望するつもりは全くない。
ここは、それを伝えて安心させるべきだろうか、とフラムは口を開く。
が、彼が喋るよりも先にリリアが言葉を紡ぎ始めた。
「それ、あたしの命と引き換えでもいいかな」
「……それって、どういう?」
「……思いのほか、デケェ敵にぶち当たっちまったらしい」
瞬間、大波のような濃霧がどこかから押し寄せる。
その
「どうやら、フラムくんを生き残らせるには――あたしの命を引き換えにしねぇといけないみたいだ」
――どういう、ことだ。何が起きているのだ。
フラムは霧に触れて赤みがさした指先を見つめ、唇を小さく震わせる。
異常なまでに空気が冷たい。まるで極寒の世界に塗り替えられたようだ。先程までも気温は十分低かったが、今の気温はいくら冬といえど、決して中央大陸で観測されるようなものではないだろう。
こんな寒さは大北大陸の極地か、それとも大南大陸より遥か南にあるという『無の大陸』ぐらいでしかありえない――。
「やぁ、急に寒くしちゃってごめんね?」
「っ!?」
突然霧の中から聞こえた声に、フラムは顔を強張らせた。一方槍を構えるリリアは最初から『それ』に気づいていたようで、声のした方をずっと睨みつけていた。
円を作るように並んだ人影たちはまだ、こちらを見たまま動かない。
「あぁ、可愛いお嬢さん。よければボクとお茶会をしないか? ビスケット、マカロン、スフレ、グラッセ。好みの菓子を用意するよ?」
「はっ、だぁーれが顔も名前も出さねー奴とお茶会なんかすんだよ。牛のしょんべんでも飲んでろバァーカ」
寒気がするほど薄っぺらい台詞に、挑発的な態度で返すリリア。
彼女らのやりとりをフラムが固唾を呑んで見守っていると、不意に霧の中から1人の人物が姿を現した。
「うーん……ダメかぁ、ボクなりの救済措置だったんだけどなぁ」
そう肩を竦めるのは、青みがかったスーツを着こなした、片目を覆う長い前髪が特徴的な青年だった。糸目なのか、傍目には目を閉じているように見える。
「アンタは……『針屋』のバーシーだっけか?」
「そうそう、よくご存知で」
ゆるりとまなじりを下げ、反対に口角を持ち上げて弧を描くバーシー。
端正な笑みは人間性の消失を証明しており、雪のような肌色と相まって、対峙しているのは果たして人間なのか、わからなくなる。
「まぁ、遭遇したらやばいって警戒してたからさ……アンタの実力、
「そうかなぁ、流石にイツメちゃんやエラーちゃんには勝てないんだけど……でも、そう言ってもらえて嬉しいよ」
照れ臭そうに口元を緩め、頬を掻くバーシー。わざとらしい彼の手前、リリアは突破口が見つからない現状に歯噛みする。
単純に一筋縄で倒せるような相手ではないことに加え、無線機で通信を入れようにもインカムに触れる必要がある。だが、この男に前でそんな予備動作をすれば、触れる前に殺されてしまうだろう。
つまり、応援を要請することも出来ないのだ。
はっきり言ってどん詰まりである。そして、とっくにこちらの心境にも気づいているのだろう、バーシーは一向に穏やかな姿勢を崩さなかった。
ただ、今はとにかく突破口が見つかるまでの時間稼ぎをしなければいけない。
降りしきる雪の中、リリアは苦し紛れに話題の転換をする。
「……エラーちゃん? 事前情報にはそんな女、居なかったけど」
「そりゃあ最近作られた熾天使だから、情報が漏れてるはずがないよ」
「作られた? アンタら、人体錬成でもしてんのか?」
「まぁね、そんな感じ。――最近、【アバシィナ=イェブラハ】っていう呪術師をうちに迎え入れたんだ。それで、そいつが凄い奴でね? ヘロライカ・ガスに蝕まれて死んだアンラヴェル国民の
「……は?」
「なんていうのかな、本当に無邪気で愛らしい子なんだ。まぁ――君らがその子の姿を拝めるかは、君らの頑張り次第なんだけど」
バーシーがうっすらと目を開けた瞬間、ごう、と冷たい風が吹き荒れた。
*
同時刻、リリア達とは別の方角から山脈地帯を目指すことにしたノートンとミレーユの第2班にも、予期せぬ災難が降りかかっていた。
「どういうことだ、これは……」
通せんぼをするかのように並ぶ白装束たちを前に、困惑するノートン。
彼らはみな無言を貫いており、何も答えてはくれないが、敵意があることだけはなんとなく透けていた。
「……」
唇を結んだノートンは、腰脇に差した刀を引き抜く。
それを合図に、白装束が一斉に切りかかってきた。
「――ッ!!」
背後にミレーユが居るため、少しの隙も作らずに全員を一蹴する。
右肩から左腰にかけてを深めに斬り込み、しゃがんで避けられれば蹴りを入れ、上に飛んで避けられれば足を掴んで地面に叩きつけた。背中を打った衝撃で何度も
最後に、虫のような息をしていた男の後頭部を掴み、何度か顔面を木の幹に叩きつければ、ぴたりと呼吸が止んだ。
「……何が、起きているんだ」
足元、自分に斬り伏せられた白装束達の死体を見て、ノートンは愕然と呟く。
突然包囲されて襲われ、それを全て殺したはいいが、こんなにも早く見つかったということはつまり、森に入った時点で既に向こうにバレていた可能性が高い。
一体いつ、どうしてバレたのか。刃先からぽたぽたと新鮮な血を垂らす刀も握ったままに、ノートンは頭を悩ませる。その後ろでは、衝撃的な殺人現場を見せられたミレーユが蒼白の表情で腰を抜かしていた。
しかし、
「待てミレーユ、これは一旦報告を……」
と、ノートンが振り返った時、ミレーユの姿は消えていた。
自分から逃げたわけではないだろう。いや、状況からして恐怖のあまりその場を引いたということは考えられるが、一般人である彼女の逃走を、思考中だったとはいえ鬼族として狩猟に優れた体質のノートンが捉えられない訳がないのだ。
つまりこれは、ノートンの索敵をかい潜れる人物による、誘拐。そして襲いかかってきた白装束たちは、ノートンの気を少しでもミレーユから逸らすための――。
「……ッ!! こちら第2班、マオラオ、レム、聞こえるか!」
《――の、ノートン! どうしたん!?》
「ヘヴンズゲートから襲撃を受けた。襲いかかってきた奴らは全て始末したが、代わりにミレーユが誘拐された可能性がある! 急いでこの情報を、海岸に待機している部隊に報告してくれ!」
それじゃあ、とノートンが焦り気味に通信を切ろうとすると、気を動転させたようなマオラオが『ま、待ってや』と必死になって彼を止め、
《実はさっきッから、リリアさん達の向かった方向に霧が出とって、『監視者』で霧の中を見たんや、そしたら、ノートンが船ン中で言うとった、氷を――氷を操る男がリリアさんと交戦しててん!》
「は、氷を……!? ……待て、わかった、すぐに向かう!」
ノートンは来た道を逆戻りし、リリア達が向かった方角へ全速力で走る。
消えたミレーユのことも気にかかるが、とにかく今はリリア達の援護が最優先事項である。救える命から救っていかねば、偵察班は全滅してしまう。
――計画的に、詰めていたはずだったのに。
まるで、土台から全てひっくり返されたような気分である。からからと落ちるチェスの駒の音が、どこかから聞こえてくるような錯覚がした。
「くそっ、一体どうなってるんだ……!!」
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