第102話『君はあたしのお嫁さん』
その後更に1時間続いた会議のあと、フラムが息苦しさを忘れるために城のバルコニーに出ると、そこには既に先客がいた。
頭上でまとめた2つのお団子髪。春の花を連想させるピンク色の髪は、実はこの辺りでは珍しい色だ。背丈に合わない草色のコートは薄汚れており、うっすらと見える血飛沫の跡がその者の正体を明らかにさせる。
いつでも朗らかで、悪戯好きの彼女も今日ばかりは悩んでいるらしい。眼下を見下ろしては物思いに
「――あぁ、フラムくんか」
といっても感性は衰えていないらしく、音を立てずにバルコニーのガラス戸を開けたにも関わらず、声をかける前に名前を呼ばれてしまった。
しかし女性的な高さがありつつも男性的な力強さのある声は、今回ばかりは暗く沈んだ力ないものになっている。
「……」
正午過ぎの冬の空は澄み渡っている。
風の冷たさと陽の温かさがお互いを打ち消しており、少し肌寒いが心地良い。透き通った風に空色の髪を撫ぜられながら、フラムは恐る恐る口をひら――
「フラムくんはさ、なんで、偵察行きを選んだの」
「…………それ、は」
正直、周囲の圧に押し流された部分もある。
フラムは重圧に弱い人間だ。あの時『行く』と答えなければ話が進まないような気がして、それでつい口を滑らせてしまった感も自分自身否めない。
しかし、
「白装束の集団に、屋敷を襲われた時……」
「……」
「何も反撃が出来なくて、ただ屋敷の崩壊を見ていることしか出来ない自分が憎かったんです。マオラオさんの監視モニター室が、ジュリオットさんの研究室が、ペレットさんの工作室が、色んな部屋が焼け落ちていくのを……止められなかった」
絵が得意なシャロが廊下に飾った風景画や、フィオネが大事な日にしか使わない一点物のグラス、実はギルがハマっている昔のロックバンドのCD。
それらが焼けていく瞬間を、壊れていく瞬間を、全て見ていたにも関わらず自分は何も守れなかった。自分の命をどう守るかしか考えていなかった。
知識がないから、力がないから、命を懸けるのは怖いから。
家事をして仲間の帰りを待つことで、自分も『仲間』のふりをしていた。けれど自分の小ささを、弱さを突きつけられた時。フラムは、自分がいかに役立たないのかを思い知ってしまった。
だからこそ、
「自分に出来ることがあるなら、やらないと……って、思ったんです」
大真面目な顔をして答えると、リリアはこちらを見てもいないのに、まるでフラムの表情が見えているかのように『はっ』と渇いた笑いを溢した。
「……フラムくんも大概バカなんだな。あたしはもっと馬鹿だったけど」
「ま、まぁ、僕が馬鹿ってことには同意ですが……リリアさんも仕事詰めで疲れていたんでしょう? 班員の方々を動かせなくなって、切羽詰まって……それなら、突飛な行動に出てしまうこともあると思うんです」
「戦いを一般人に任せることが、『突飛な行動』で済むと思うのか?」
「そこは個人の線引き次第ですが……どうしようもなくなった時、僕ならどうにかなるかもしれないって思ってくださったんなら、ちょっと嬉しいです」
たとえそれが、ダメ元での賭けだったのだとしても。
最後に出せるカードとして自分を思い浮かべてくれたのであれば、無力さを自覚したばかりのフラムにとってそんなにも嬉しいことはない。
――残念ながら現実のフラムは、土壇場で役に立つような人間ではないが。
「……フラムくんはだめだな。そこはもっとあたしを罵るところだぜ?」
「生憎と、罵れるほどの語彙がないんです。謝ることなら一流なんですけどね」
「……そっか」
ゆっくりと、雲が流れていく。
眼下には今日も訓練をしている班員達が居る。誰かに手を振られたらしく、リリアは手を振り返してやると、ギリギリ聞き取れるくらいの声で呟いた。
「――なぁ、フラムくん」
「はい、なんでしょう」
「偵察の日、2人1組で行動するッつったろ。頼りねーかもしんねーけど、フラムくんのこと……あたしに守らせてくれねーか?」
「はい、お願いします」
「……早くない??」
「だって、リリアさんなら絶対に僕を守ってくれると思って」
リリアは意地の悪い人間だが、義理堅い人物でもある。
それに女性でありながらフラムよりもずっと強くて、ずっと戦場を知っている。必ず自分を守ってくれるという安心があった。こんな華奢な彼女に守ってもらおうというスタンスなのは、フラム自身少し抵抗があるのだが。
「も、もちろん守ってもらう分の何かはしますよ!? ……自分がリリアさんに何をしてあげられるのか、よくわからないですけど……」
自身なさげに首を竦めれば、強張っていたリリアの頬がふっと緩む。
「はっ……そうだね、それじゃあリリアお姉さんがフラムきゅんを守る代わりに、フラムきゅんにはあたし専属の癒し担当になってもらおうかな。それと……」
横髪を風に遊ばせながら、リリアはくるりと振り向いた。そして幼さの残る顔にたっぷりと悪笑を浮かべ、バルコニーの柵に背中を預けると、
「なぁ、フラムくん」
「はい、なんでしょ……あれ、これさっき」
「――あたし、いつか絶対フラムくんのこと
「……めっ、めと!?」
本気で狼狽えるフラム。
娶ると聞こえた気がするのだが、フラムはれっきとした男である。娶るとは奥さんを迎え入れるということなので、男性であるフラムには使えない。
つまるところ、
「それを言うなら逆じゃないですか!? それだと僕がお嫁さんに……」
「え? 娶ってくれんの? あたしはそれでもいーぜ?」
「そうとは言ってませんよ!!! もう!!!」
顔を赤らめて絶叫するフラムを前に、リリアは腹を抱えて笑う。げらげらと、悪魔のような笑い声に青年は『む……』と口を尖らせてそっぽを向くが、ちらりと向けた視線の先には、いつも通りのリリアの姿があった。
「さぁて……フラムきゅんのお陰でお姉さん元気になったからよぉ、もう一仕事してくるわぁ。まだ大事な仕事が残ってんだよね」
「えっ、待ってください、これ以上働いたら……!」
「んや、人生相談が1件入ってるだけだからヘーキヘーキ。帰ってきたら存分にキミの身体を揉みしだくから、そのつもりで頼むぜ?」
笑い涙をぬぐいながら近づいて、ぐっ、と顔を寄せてくるリリアに、フラムは呻きながら1歩後ずさる。そして『二の腕だけなら……』と小さな声で妥協すると、ピンク色の悪魔はまたけらけらと笑った。
*
一方その頃ノートンは、オルレアス城内の図書室にてフィオネと共にいた。
フィオネは『手記』の残り4冊の解読に努めており、文字を1つずつ、使われる場面の共通性や出現数などを一心不乱にノートへ書き出している。
「凄いものだな。……よくわからないが」
ぽつりとノートンが呟くと、フィオネは一瞬だけ手を止めて首を横に振った。
「アタシにもわからないわ。けれど、法則性からして実はこれ、現代の言葉とあまり変わらないような気がしてるの。……まぁ、文字は解読できたものと、まだ全く出来ないものがあるけれど」
「俺からすると解読できた文字があるだけで立派だよ」
幼児の殴り書きのような文字群を見つつ、ノートンは肩を竦める。どう頑張っても絵文字にしか見えないが、フィオネには言語のシルエットが見えているらしい。
「――そうだ。戦争の後、水都クァルターナにいかないか?」
「……どうしようかしらね。クァルターナは相当治安が悪いと聞くわ。『海賊』に『
「けれど、考古学者でもあるお前には夢のような国じゃないか?」
「そうね、その点においては。でも暑いのは嫌よ、ファンデが落ちるもの」
「ふぁんで……?」
「それくらい勉強しておきなさい」
知らない言葉に目を瞑るノートンへ、呆れたようなフィオネの声が飛ぶ。そしてしばらくの間かりかりと、フィオネが鉛筆を走らせる音だけが響いていた。
彼曰く、一心不乱に文字を書くときは鉛筆の方がやりやすいらしい。ペンだと消せない上にインクが乗りにくい時があるから、とのこと。
「……」
ノートンが何か言いたげな顔をすると、同時にフィオネが鉛筆を止めた。
「何かしら、言いたいことがあるなら言いなさい」
「……じゃあ。どうして、フラムにあんな酷なことを言った?」
「酷なこと? いいえ。アタシは嘘を吐いていただけであって、はなっからあの子を可愛がるだけのハウスキーパーとして置いたつもりはないわ。最初からその気で動いていた。それを今明かしただけでしょう」
「……お前は常にそうだな。仲間を駒としてしか見ていない」
――以前、『グラン・ノアール』に駆けつけた時もそうだった。仲間が連れ去られたり行動不能になっていることを知って、フィオネはまず彼らの無事よりも先に今後について案じていたのだ。
それ以前にもノートンは、フィオネが仲間を駒として見ているような素振りを確認している。立て続けにくる任務を少人数で回させているのだって、仲間相手の指示とは思えない。仲間ならば普通、休息を与えて体調管理にも気を配るはずだ。
そうでなくても一刻も早く人員を増やし、1人1人の仕事量を減らすということだって出来るはず。
だがフィオネはそうしない。処理班という人材資源があって、そこから前線に引き抜くことも出来るはずなのに、頑なに勧誘も人員募集もしないのだ。
そこまでは良い。いや、良くはないが、『人選に慎重になっているから』という理由で人材不足の問題は片付けられる。しかし、ノエルとジャックのように、ふと思いついたかのようなタイミングで仲間を引き入れるのだから、ノートンにはもう訳がわからなかった。
「……いいえ。駒なんて単純なものではないわ。駒だったらとっくにアタシは世界を征服しているでしょうね。言うならば――協力関係。同盟にも近しいわね」
「協力関係……?」
「言い換えてみれば、個人としての在り方を尊重しているの。傀儡でなく――人。人は考えるものよ、関わりの中では常に思惑が渦巻いている。そんな中で『人』をどうやって動かすか? 利益と、嘘を与えるの」
ぺらりとノートが捲られて、真新しい紙面が黒く潰され始める。
フィオネ自身を表したような力強く、乱れのない美しい文字が並べられるのを見ながら、ノートンは眉根を寄せて沈黙していた。
「その2つを与えなければ人は動かない。だからアタシは嘘を吐いて、フラムを手元に置いておいた。駒のつもりなら嘘なんて吐かないわ」
「……」
なんとも捻くれた意見である。
確かにフィオネはギルらに激務を与えている分、報酬を与えている。それは金であったり物であったり『許可』であったりと日によってまちまちだが、ノートンの確認している限り、『報酬が不足している』ということはないはずだ。
だから悪ガキの4人でさえ、それぞれの貯金総額は一家族を数年は満足に養っていけるだけの大金だったはず――浪費癖のあるギルやシャロでさえ。
つまり、ただ自分の言うことを聞く『駒』ではなく、きちんと1人の人間として扱っている……という、フィオネの理論そのものはわかる。だが、
「お前は根本から間違っている。確かに労働の対価として利益を与えるのは当然だ。だが――対価があれば人はなんでもしてくれると、そう思っていないか」
「つまり?」
「本人の意思や命を差し置いて、欲望を刺激することで強制的に人を操る。そのお前のやり方は、間違っていると言っているんだ」
「人を操る? いいえ。悪いけれどノートン、あの子達は貴方が思っているほど馬鹿じゃないわ。きちんと納得して利益を受け取っている」
たとえばギルは飽きない日々の提供を、シャロは男から女への性転換が出来る方法を探してくれることを。ジュリオットは自身の存在意義を証明できる『仕事』を定期的にくれることを。フラムとマオラオは自分の居場所をくれることを。
ペレットは
ノエルはヘヴンズゲートに復讐するチャンスをくれることを、ジャックは傭兵団に存在をアピール出来る居場所をくれることを。
残念ながらシャロの願いは未だ叶えられそうにないが、一応ジュリオットや処理班らも使って探し回ってはいる。ロイデンハーツでジュリオットが『珍しい薬草』を買おうとしていたのだって、性転換剤の開発を進めようとしていたからだ。
加入時の『願い』を全員分叶える、あるいは叶え続けるために、フィオネは契約通り動いているのである。全てが始まったあの夜から、3年前からずっと。
「そしてアタシが勧誘したのであれ、向こうが志願したのであれ、お互いそのシステムに納得しているの。向こうがどう思ってるかは知らないけれど、『仲間』という名の協力者であることに変わりはないわ」
貴方も――。そこまで言いかけて、フィオネは動きを止める。彼の胸中で何かが引っかかったのだろう。鉛筆を置くと、ちらりとノートンを見やって、
「……貴方、何も利益を与えていないのに、何故アタシと一緒に居るの?」
「――さぁな?」
愉悦の表情を浮かべるノートン。
それをアメジストの双眸でじっとりと睨みつけながら、フィオネは『貴方も大概ヤな男よね』と忌々しそうに悪態をついた。
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