幕間『メーデー、こちら港町オルレオ』

 オルレアス王国へ帰還する途中、ある夜のこと。


 マオラオはなんとなく寝付くことが出来ず、食堂で水をコップに汲んだ後、甲板に出て海を眺めようとした。


 しかし、思いがけない先客が居た。


「……フラム?」


 声をかけると、海をぼーっと眺めていた犬耳の青年はぴくりと震え、それからマオラオを見て『あぁ、マオラオさんでしたか』とゆったり笑った。


 彼を照らす柔らかな月光が、儚さを助長する。マオラオはフラムがどこかに消えてしまうのではないかと一瞬不安になるも、自分の気のせいだとわかっているのでそんな非科学的な考えは捨て、


「あんさんがこないな時間に起きとるんは珍しいな。どないしたん?」


「……この船に乗っている間は、処理班員さんが食事を作られるじゃないですか。明日の朝食の仕込みをしなくてもいいって考えると、ずっと前からしてみたかった夜更かしがやりたくなって……」


「はん、またそう言うて。あんさんが嘘つく時の癖が出てんで」


「えっ、ちょっ、嘘でしょう!?」


「嘘やで?」


「ハーーーーーーッ!?」


 完全にマオラオに踊らされて、真夜中にも関わらず絶叫するフラム。マストの見張り台でうとうとしていた処理班員が、びくついて頭をぶつけたが、それには2人とも気づかず『うるさいわ』とマオラオは一蹴し、


「なんや、寝れへんの?」


「……そうです。でも、ちょっと気掛かりがあるってくらいで」


「……それは、言われへんやつか?」


「いえ。本当は先日の会議で言おうと思ってたんですけど……言うタイミングを見失ったままで。一応、フィオネさんには個別でお話をしましたが……そうですね。せっかくですし、マオラオさんにはお話ししましょう。お時間は?」


「まだまだ寝られへんやろし、10分はやるわ」


「わかりました」


 フラムは頷いて、それからどう話を切り出そうかと唸り始める。


 普段、何もなくてもゆらゆら揺れている尻尾が全く動かないので、今の彼は相当緊張しているのだろう。獣人族は感情がバレバレになるので、マオラオは自分が獣人族でなくて良かったと心の底から思った。


「――監獄で」


「おん」


「皆さんストレスでピリピリしてて、息抜きにバスケットボールをしようって屋上に出た日があったじゃないですか。その時に僕……マオラオさんに『間に合わないかも』って言ったと思うんですけど、覚えてますか?」


「……わからん、言われたかな」


 顎をやんわりと摘みながら、記憶を巡るマオラオ。そう言われると確かに、いつだか様子のおかしいフラムが自分に妙なことを言ってきたような気はする。


「それが、言ったんですよ。それで――実はその時まで、僕の分身をオルレアス王国に置いてきていたんですね」


「……どういうことや?」


 怪訝そうな目つきでフラムを見るマオラオ。すると、


「僕は、フィオネさんの外出中に屋敷で留守番していたところを、白装束の集団に襲われて気絶して、監獄に連れてこられた――って言ったじゃないですか。でも、実は気絶する前に分身を出していて……」



「ブルーノ国王陛下の元へ、救援要請をするように命令したんです」





 ――自分に備わった全ての機能を使って、森の中を駆ける。嗅覚、聴覚。それから脚力。犬の獣人族としての特性を最大限に活かし、完全逃走を試みる。


「ハッ、ハッ……」


 木々の葉の間から溢れ落ちた光が肌を照らす。

 だが天空には薄く雨雲がかかっており、雨がまばらに降っていた。


 ちょうど、自分の頬も濡らされる。疾走して振り回しているシャツの袖に出来る雨のしみが少しずつだが、しかし少しずつでも増えていることで、1時間もすれば外は土砂降りになるだろうことが予想された。


 しゃっしゃっ、と走る度に踏む落ち葉が鳴る。細枝を踏みつけてぱきりと割り、湿り始めた土を踏み、目指すのはオルレアス王都であった。


 ちなみに、港町オルレオから正規の舗装されたルートで目指すのではない。むしろ彼が走っているのはオルレオ方面の真逆だ。山を登って向こう側に降りて、そこから無理やり王都に立ち入ろうとしているのである。


 常識人なら考えもしない、馬鹿でも口にしようとはしないルートだ。

 そんな道を彼が、分身フラムが通ろうとしているのには理由があった。


「ハッ、ハッ……!!」


 自分達の拠点は放火されて崩壊し、オルレアス国王――もとい、ブルーノ国王への非常事態の伝言役として自分を外界に取り残していった『本体』のフラムは気絶してどこかへ連れてかれている。


 でも、あの白づくめの不気味な集団は、まだ周辺にたむろしているはずだ。


 戦闘力を持たない自分が相手取れるわけもなく、見つかりやすいルートを辿っていけば分身じぶんも奴らに捕まってしまうかもしれない。


 それに港町オルレオを縄張りとしてこれまで山賊や害獣などから守っていたのはフラム以外の戦争屋で、それが全員不在となり町を守る力がない今、あんな奴らを引き連れて向かえば町は崩壊してしまうかもしれないのだ。


 だから山を越えて王都まで向かおうと考えたのである。もっとも冷静でいられたのなら、そんな体力に物を言わせる行動には出ていなかっただろうが。





 一応は戦争屋の一味としてメンバーと生活を共にしているフラムであるが、その知名度は7名の中でもダントツの最下位である。


 理由は明白。考え方が人並みのフラムは、人殺しの試しもなければ、任務に同行したことすらないのだ。だから彼が戦争屋の仲間だと知っているのは、港町オルレオの僅かな町民と、オルレアスの裸体国王【ブルーノ】くらいのものである。


 あとは、普段はオルレアス城の中で兵士に混じって仕事をしている、『戦争屋インフェルノ事後処理班』のうちのごく僅かな何人かか。故に厄介ごとに絡まれることもなかったのだが、それが今は不利益な方向に働いた。


 予想通り土砂降りとなった王都、その中央にある王城の門前まで足を運んだ泥だらけのフラムは、只今確実に不審者を見る目で門兵達に訝しまれていた。


 こんなに怪しげでも捕らえようとしないのは、きっとフラムが丸腰で気弱であることが分かっているからなのだろう。


「すみま、せ……国王陛下に、お伝えしたいことが……」


「……一応聞くが、事前に面会の申請は出しているか?」


「出して……ない、です……はぁ、あの、戦争屋の……フラムが、いや、犬の半獣人が来たとお伝えしてくだされば、多分お会い……してくださると思うんです……すみません、お願い、出来ませんか……?」


 長時間の全力疾走で体力を奪われ、あまりの酸素不足に酔ったようにふらふらと視界が揺れ動く中、フラムは雨に打たれながら門兵に頭を下げる。


 しかし門兵は可哀想な物を見る目に変わったものの、やはり受け入れるにはまだ信用が足りていないのか、お互いに顔を見合わせたり、囁き合ったりしていた。


「戦争屋のメンバー……? にしては、見たことがないな」


「それに、その格好で面会というのは」


「しかも陛下は今、植民地化に成功したウェーデン王国への復興補助金をどうするか財務大臣殿や環境大臣殿と会議されている。珍しくお召し物を着て真面目に政治をされている陛下の気を散らすような真似事をするのは……」


「待て、服を着ているのか!? あの国王が!?」


 ざわざわと、ひそめく声が雨音の向こうで聞こえる。でも、その会話を最後まで聞き届ける余裕などフラムにはなくて、次第に意識が遠くなって、受け答えをするのも億劫になってくる。


 だから、



「――何をしてんだぁ? キミ達ぃ」



 フラムは、小柄な女性が門の内側から出てきたことにも気づかなかった。


「あ……」


 兵士の1人がこちらの異変に気づいて声を溢した瞬間、フラムは瞼をゆっくりと落としてひっくり返る。ほんの一瞬のことであったが、当人にはそれがとても長い時間であったように感じられた。


 長く長く、ゆっくりと地面が近づいて、身体を保つ意識を放棄する。


 吸い込まれるように倒れると、水溜りがびしゃりと跳ねた。





 次に意識を取り戻した時、まず最初に感じたのはベッドの中の心地だった。


 うっすらと目を開けると、なるほど医務室に運び込まれたらしい。薬独特の匂いがつんと鼻に刺さった。分身とはいえ、獣人の身体の造りが完全再現されている自分には中々辛い匂いだ。うっと顔を歪ませて、布団を鼻までかける。


 そしてどうやら自分は、小柄な女性に話しかけられていたらしく、


「おーい、おきろ〜。お・っき・ろ〜!! そのケツ揉みしだくぞ〜」


 掛け布団の隙間からぬるり、と小さな手が入り込む。その手はすすすと当たり前のように身体に触れてきて、フラムの尻の位置を確認すると、


「もみっ」


「ひっ!?」


 臀部でんぶの肉を鷲掴みされる感覚。小さい手だったのに、やけに真剣さを感じるセクハラを受けてフラムは飛び上がる。が、身を起こした瞬間に全身のあらゆる筋肉に激痛が走り、『いッ』と2度目の悲鳴を上げて上半身をベッドに落とした。


 すると、セクハラの犯人はぷっと吹き出して、


「あっはははははははは!! 相当疲れてやんの! ど〜したよ、ンーな身体になってまでウチ来てよお。お姉さんが聞いたるぜぇ〜?」


「え、と……」


 今こうして身体を痛めてるのは半分お前のセクハラのせいなんだが、と文句を言いたいのを堪えつつ、フラムはどうにか声のする方向に寝返りを打つ。


 と、そこに居たのは――身長が150センチあるかないかくらいの女性だった。長い桃髪を頭の上で2つの小さなお団子状に巻いている。明らかにサイズが合っていない大きなライダージャケットのせいで、少女体型が強調されていた。


 しかしフラムは知っている。ぱっと見は13か14に見えるこの女性だが、実際は20歳を超えているということを。


「なぁんか失礼なこと考えてないかい? フラムきゅん」


「あははは、なわけ……」


「このリリア様の前で嘘つくたぁいい度胸だ、どうせちまっこいとか思ったろ? そら、もっかい揉んでやらねーとわかんねぇようだなぁ!」


 両手の指をくにゃくにゃと気持ち悪く動かし、迫真の表情でフラムに迫ってくる自称お姉さん。本人の発言通り【リリア】という名前の彼女は、これでも戦争屋インフェルノ事後処理班の副リーダーである。


 趣味はセクハラで男女を問わない。故に日々胸やら尻やらを揉むことに1日のほぼ全てを消費しており、処理班の事務作業をしたことはほとんどないとか。それでノートンがたまに愚痴ることもある。


 けれど、それでも副リーダーの座についているのは純粋に強いからだ、と聞いている。フラムはその現場を見たことはないが……。


「――で? なんか騒がしいなーって思って出てみたら、キミがお城の前でぶっ倒れたから、わざわざ医務室まで運んであげたわけだけど……要件はなんだい?」


 ひとしきり揉みしだいて恍惚としたリリアは、椅子に足を組んで座る。その横柄な様がどうにも気に障るなぁ、と思うも、何かを言うとまた揉まれるのを知っているのでフラムは渋々事情を説明した。


「ふぅん……」


 混乱のあまり支離滅裂なフラムの話を聞いて、リリアは顎を指でなぞる。


「フィオネ以外が任務で出払ってたけど、途中でフィオネもどっか行っちゃって、1人で屋敷を動かしてたら白い服の集団に屋敷を襲撃されたと。で、気絶した本体はどっかに持ってかれちゃって、分身のあんたがそれを報告しにきた……」


 『そういうことでいい?』とフラムの伝えたかったことをまとめ上げるリリア。おかげで簡潔でわかりやすくなり、逆にこちらが状況説明をされたような気持ちになりながら、どうにか落ち着いたフラムはこくりと頷く。


「……はい。港町オルレオは戦争屋の庇護下にありますし、それにあの人達がオルレアスの武力の一部を担っているのは確かですから、有事の際にそれを陛下が把握していないとまずいかと思って……」


「それだけ?」


「いえ。半分は、助けを求めに来たようなものですが」


「はーん。でもあれだ、残念ながら王サンは会議中だ。ウェーデン王国への視察もこの後に控えてるし、しばらくはてんてこ舞いで余裕のない王サンがキミの相手をしてくれるとは思えねー。キミ、タイミングの悪い男だな」


 『ははは』と絶対に場違いのタイミングで、軽快な笑い声を上げるリリア。一方全く笑えないフラムは表情を硬くするしかない。


「そんな……」


「でもさぁ、1個聞きたいんだけどー。キミらの拠点って、港町オルレオを経由しねーと入れねえよな? 森の中に通ずる道って、1本しかねえもんな? まぁ、キミは山を越えてきたって話だから感覚が違うみたいだけど」


「それって……あ」


 ――まさか、いやそんなはずはない。


 けれど確かに、普通の思考状態であればあの放火魔達も、オルレオから続く道を通らざるを得ない。でも、だとしたら彼らがあの町を穏やかに通過しているとは考えにくい。民間人と戦争屋の区別がついているならまだ良いが、


「オルレオ町民に……手を、出している可能性が、ある、のか」


 自分が街に奴らを引き連れてしまうことばかり心配して、そもそも奴らがどこからどう通って屋敷にきたのかという点にまで意識が向かなかった。フラムが自分の愚かさに青ざめていれば、リリアは『んまぁ』と見かねたように声をかけ、


「突然出てきたってんだからそれもわかんないけどな。とにかく、これは国王陛下の裁量ではなく、国として確認するべきことだとあたしは思うね。だから明日の早朝に港町オルレオに、あたしとキミで向かおう」


「えっ、明日の早朝、ですか……?」


 今すぐじゃなくていいのか、と聞けば、リリアは腕を組んで片目を瞑る。開けられた片方の、水色の丸い目がフラムを貫いて、


「あぁ、町民からの通報がない限りはな。だってキミ、そんなぼろぼろの身体じゃ今すぐ動くなんて無理だろ? それになーんか知らねーけどノートンが処理班の戦えるメンバーをほとんどを連れて出払ってるから、処理班は使えねえし」


「えっ、あ、じゃあ兵士の方々の協力は……」


「王国兵を動かすには国王陛下の許可が要る。けど、陛下を『うむ、兵を貸そう』って頷かせられるほどの証拠がねえんだ。あたしとキミが考えてるのは全て『かもしれない』って話だからな。つまり、味方ナシ」


 お団子髪の少女は、唇で弧を描きながら面白そうに肩を竦める。


 そんな彼女に大した反論も出来ず、結局分身フラムは提案通り、明日の早朝に港町オルレオと拠点をリリアに案内することになった。

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