第93話『ピースの欠けた再会』

 燦然と万の星々が輝く濃紺の夜を、無限の水を掻き分けて征く。潮香る夜風に髪を撫ぜられて、穏やかな波に囁かれながら木の船に揺られていた。

 喧騒の全てを置き去りにして、ただ音の眠る海を渡る。


 血にまみれた全身を蝕むのは、歩くことさえ億劫な疲労感。

 水瓶のように心を満たすのは、してやったという確かな達成感であった。


「よっ……しゃあ〜〜っ!!」


 甲板に寝転がるシャロが、満面の笑みで喜びを噛み締める。


 隣でびしょ濡れになっているマオラオは、遠ざかっていくヴァスティハス収容監獄を見ながら『脱獄犯の経歴もつくんかぁ……』と遠い目をしているが、そんなに嫌でもなさそうだ。ジャックは相変わらず気絶している。


 ギルは『あーねっみ』と精神面の疲労から来た睡魔に欠伸を1つ。


 ノエルは秋季も終わりという北の海の気温に震えてくしゃみをし、そこにノートンが水飛沫の跡ひとつない看守服のジャケットを肩にかけてやっていた。


 そしてただ1人、皆から離れた場所で舵輪に手を掛けているのがレムである。


「ねぇ、そういえばあの熊みたいなおじさんって誰なの? ギル」


「あぁ……レムっつッてな。サードで一緒の牢に捕まって、んで……色々アドバイスしてくれたおっさんだ。悪い奴ではねェと俺は思ってる。能力は物を大きくする能力で、まんま熊の獣人族らしい」


 恐らくは思われることを回避するためにやっているのだろうが、あのわざと掻き立てられたような茶髪の中に、可愛らしいクマ耳が埋もれて隠れているのだと考えるとアンバランスさが笑みを連れてくる。


「……ところで、あの御仁に操舵を任せてはいるが、彼はどこへ向かうつもりなんだ?」


「あー、ひそひそしてっけど聞こえてんだわ、刀使いのあんちゃん! 別に誘拐しようたァ考えてねえよ、ただこのヴァスティハスを囲む、特殊な海域を抜けるまでは舵輪から手が離せねえんでい」


「……特殊な海域?」


 依然、操舵に集中したままのレムから飛ばされる大声に、ネクタイを緩めながら眉をひそめるノートン。収容監獄までは船で来たが、そんな話は初耳である。


「大西と大北と中央、3つの大陸に囲まれてるもんで、並大抵の船じゃ抜けにくいようになってんだィ。この船みてぇな……しかも超改造されてるパドル船か、はたまたは余程腕の良い操舵手が居ねえと出入りが出来ねえ」


「……知らなかった。無知を晒してしまったな」


「っかー、色男が言うとなんでもカッコつくんで嫌になるねェ!」


 無知を恥じるノートンに対し、お手上げというようなレムの態度。言葉では嫌悪感を示しているようだが、その口調は明るく笑い声もけらけらと柔らかい。


「でもって、とりあえずこの海域を抜けたら適当な島に寄せとこうと思うが……しばらくは食糧難だ、魚で食い繋ぐしかねえ。つってもマグロ焼いて海水を炙った塩掛けたら肉みてえになるし、鯛のアラと昆布でダシとったら普通にうめえ」


 それから――と色んな調理の仕方を順に指を折って挙げていくレム。しかし、


「すまない、俺達は仲間に救援を要請していて、もうじき合流予定なんだ」


 ノートンが申し訳なさそうに眉を下げながら言うと、それまで楽しげに鮫の食べ方を説明していたレムの言葉がぴたりと止んだ。


「……ッアー、それは良い。帰る場所があるってのは良いことだ。ただそれなら聞くが、おめぇさんら――そこで気ィ失ってる男はどうするつもりなんでィ?」


「え、ジャックをどうするか……? って、そりゃ一緒に連れてくだろうよ」


 当然、といった面持ちで答えるギル。

 傷だらけの身体の治療もしなければならないし、何より傭兵団と再会できていない今ジャックを野放しにするのも忍びない。せめて傭兵団に会える日までは、戦争屋で匿っておくのが1番だと考えている。


 それはジャックの為だけでなく、シャロの為でもあった。


 3年ぶりに再開できた兄弟なのだ。しばらく騒動続きで時間がなかったが、これから少しくらいは平穏な時間を一緒に過ごさせてやるべきだろう。

 前回のミレーユ同様、無断で連れて帰ってしまうことにはなるが――。


「なるほどねぇ。ま、おめぇさんらとジャックの関係は知らねェが……短けェ間でもそいつたぁそれなりにやってきたんでねぃ、悪ぃがジャックは俺が預かる」


「……え?」


 レムの言葉にシャロの、理解不能とでも言いたげな声が響いた。


「なんで!? 預かるってなんで!?」


「まぁ、そいつが元々傭兵をやってたのは知ってるか? んで、俺はその傭兵団のオサ……つってもんな大したことしてねェけど、一応面倒見る立場だったんでぃ」


「そう言われても、ウチのお兄ちゃんなんだケド……!」


 シャロが必死に抵抗するも、レムは片耳を小指で掻きながら、


「お兄ちゃァん? 確かに似ちゃあいるなとは思ってたが、本人から『妹がいる』なんて話は一切聞いたことがねえ。そもそも家族のこと自体話さなかったしな」


「それは、その……記憶を取られてたからで……」


 忘れさせられてただけだ。

 そう説明しようと、セレーネのことを知らないレムにとっては、にわかには信じ難い話である。相変わらず怪訝そうな目つきをやめないレムに、シャロは言葉に詰まって『う』と引き下がりかける。


「ちゃんと、ウチのお兄ちゃんだもん……血、繋がってるもん」


「ま、こうなると本人を起こして、どっちにつくか選ばせるしかねェと思うが……妹ってんのがガチならこれ以上ねぇ切り札だな。俺はそれ以上のもんが出ねえ」


「あ、ちなみにおっさんこいつ弟」


「あっ、ちょっとギル!?」


 わざとレムの誤解をそのままにしようと黙っていたのに、横から訂正を入れられ叫声を発するシャロ。一方、レムは凛々しい眉をひそめて、


「弟ォ? 馬鹿言っちゃいけねえ、流石に女の子相手にそれはひど……あ、やべえマジか、ガチで人族のオスの匂いがする」


「ノートンこの人たちがいじめてくるぅぅぅぅ!!」


「うっせェ、説明しねえと認識の齟齬が出んだよ!!」


 泣きつくシャロと、逆ギレするギルと、星を見上げて『マジか……』と生命の不思議を目の当たりにして思考を彼方に飛ばすレム。ほとんど毎度お馴染みの光景にマオラオが苦笑していると、ふと、彼の目が何かを捉える。


「あ、あれフィオネの船とちゃう!?」


「あぁ、あれは……そうだな、今、連絡を向こうへ入れよう」


 マオラオの相変わらずの視力の良さに感心したように肯定し、耳の穴に嵌め込んだ無線機を叩くノートン。一方操舵中のレムは目があまり良くないようで、皆の視線の先を見ては『あぁ……?』と太い首を傾げていた。


「何、あっち? あっちに寄せてやりゃー良いのかい? なんつうか、寄せたら話し合いもなしにジャックを持ってかれるような気がしてなんねぇんだが」


「……いいや、こっちに来てくれるそうだ。心配せずとも、ジャックを治療している間はレムさんも移乗してもらう。こっちのパドル船は、向こうの搭乗員に乗って後ろを尾行してもらって、もしレムさんが我々と別の航路を進む場合は返すよ」


「あぁ……ま、そんなら助かるが……」


 こちらに迫り来る大型船を見て、自身の安否が気になるレムであった。





 一旦それぞれの船を近くの孤島に停泊させて、砂の浜にて合流を果たす。

 誰よりも先にタラップを渡り、フィオネと言葉を交わしに行ったノートンの後に続いてシャロが陸上に降り立つと、


「シャロさぁんっ!」


「お、ちょわ、ミレーユぢゃッ!?」


 感極まって走り寄ってきたミレーユに押され、砂浜に倒れ込むシャロ。何事かと上を見上げると、目の前には濃い青が広がる。それがミレーユの髪であると気づくのには少し時間を要した。


 啜り泣く声が聞こえ、視界を邪魔する長髪を慌てて払うと、長い青髪の持ち主である少女は何故か号泣しており、


「ミレーユちゃん……!? な、なんで泣いて……」


「だっで、わだじのぜいでジャロざんがぁ……ッ!!」


「死んでない!! 死んでないよ!?」


 まるで故人になったかのような口ぶりに動揺しながら、ミレーユの手をとって自身の頬に添えるシャロ。長い間夜風に当てられて冷たくなっているので、生者の証明が出来ているかはわからないのだが。


「な……泣かなくて良いんだよ?」


「……ゔぁぁぁぁぁぁっ!!」


 シャロの慰めとは真逆に、ダムが決壊したように涙を流すミレーユ。


 それをしばらく話を聞いていたのだが、どうやら彼女は『グラン・ノアール』での最後のこと――シャロがミレーユを逃すために、彼女を運びながら呪術師のオーナー・ハクラウルから逃走していた時のことを気にしているらしかった。


「わた、しを守ろうとして、あんな」


 途中から意識が微かにあったミレーユの脳裏には、シャロがハクラウルに踏みつけられているあの時の光景がしっかりと残っている。


 その後すぐ気を失ってしまったが、後からシャロはヴァスティハス収容監獄に運び込まれたと聞いて、数日間ずっと気が気でなかったのだ。


「ミレーユちゃん……」


 なんと声をかけるべきか言葉に迷うシャロ。別にあれは自分がミレーユを守りたくてとった行動なので、結果がどうであれその選択をしたことに後悔はないのだ。


 しかし、


「シャロさん医務室に運びまーす」


「あーい!」


 2つの船の間をせかせかと移動するダークスーツの集団――処理班員からそんな掛け声が上がったことにより、会話が中断せざるを得なくなった。


「……また話そっか、ね?」


「はい……」


 まだ言いたげな顔をしながら、シャロの身体の上から退くミレーユ。自由になったシャロは、囚人服についた砂を叩き落とすと、青髪の少女の頭を撫でた。

 ぴこぴこ、と何度かミレーユの兎耳が動く。


 それからミレーユは、班員に連行されていくシャロを惜しげに見送った。


 一方会話を長いことノートンと続けていたフィオネは、ひとまず会話に一区切りついたのか『はぁ』と色っぽい吐息を溢し、


「それでずっと聞きたかったのだけれど、あの2人は誰?」


 ギルに指示を出されて担架で運ばれているジャックと、パドル船からずっと暇そうに処理班員たちの流れを眺めているレム。

 自分の知らない彼ら2人を見て、怪訝そうな目つきでノートンに尋ねた。


「あぁ……あっちの青年の方は、ギルの古い知り合いでシャロの実兄のジャック。向こうの男性はその元仲間のレムさんだ。サードに収容されていたそうだが、ギルの脱獄を手伝ってくれたらしい。……んだが」


「だが?」


「ギルとシャロはジャックを戦争屋に迎え入れたいと言っていて、一方でレムさんはジャックを引き取りたいと言っているんだ。それで今揉めて……はいないが、とりあえずジャックが起きるまでは話が保留になっている」


「アタシの居ないところで加入するだのしないだのを話し合われてもね……」


「はは……それは尤もなんだが」


 困ったような笑みで頬を掻くノートン。そんな彼の手前で腕を組みながら、金髪の美丈夫はふと周囲全体を見回し、


「そういえば見当たらないのだけど……ペレットは?」


「――ッ!!」


 緩んでいた頬がぴく、と一瞬で強張った。ノートンの脳裏には監獄内での交戦の光景がよぎる。彼はなんと話を切り出すか迷っていたが、その反応から悪いものを感じ取ったらしくフィオネは静かに目を細めて、


「死んだ、訳ではなさそうね。裏切った?」


「……お前は本当に察しが良いな。あぁ、裏切られたと見て間違いないだろう。アイツはヘヴンズゲート側についていた。既に攻撃もこちらに出されている」


「……そう、ヘヴンズゲートに」


 少し眉をぴくりと動かすも、特に顔色を変えることなく淡々と呟くフィオネ。紫紺の瞳は海の遠くへと投げられて、彼は顎に手を添えながら何かを考えていた。


「やけに反応が薄いな。まさか未来視で既に見ていたのか?」


「いいえ、『革命家ワールド・イズ・マイン』はそこまで細かい未来を見ることは出来ないわ。ただ、誰かしらが裏切るだろうということだけは知っていたの」


 だから、先日ウェーデンから奪取した殺戮兵器の設計図も、あの場では『手元にあっても暴走したら怖いから』と説明して燃やしていたが、本当はメンバーの誰かに盗まれることを危惧して焼失させたのだ。


 結果的にその懸念に、意味があったのかはわからないが――。


「ペレットはその可能性の1番高いところに居たから、驚きが薄いだけよ」


「ペレットが裏切ると、予想していたのか?」


「いいえ、これに関しては完全なる直感よ。裏切るような素振りは見せなかったけれど、あの子は1番アタシを怖がっていたしね。仲間として見られていないということは理解していたから――それよりも、フラム!!」


「ひっ、あっ、はい!!!!!!!!!」


 フィオネに突然名前を呼ばれ、砂浜を動き回る蟹を観察していたフラムはびくりと姿勢を正して向き直る。囚人服のズボンの後ろ(獣人の尻尾を出すため)のチャックから出た空色の尻尾が、ぴんと逆立った瞬間をノートンは見逃さなかった。


「貴方、何故ここに居るの? 留守番を頼んでいたと思うのだけれど、あの後アタシの知り得ないところで何があったの?」


「あの、そそ、それはえっと……その、あの」


 まさか白装束の襲撃に一切抵抗できぬまま屋敷を燃やされて、救えないくらい滑稽に気絶して、そのまま監獄に運ばれてぶち込まれていました――なんてことは当然言えず、言葉に迷うフラム。


 しかし、そんな彼の胸中を簡単に無視して、


「ヘヴンズゲートに屋敷燃やされて気絶してたところを運ばれて、気づいたら監獄にぶちこまれてたんだとよ」


「あ、ギルさん……」


 いつの間に近くまでやってきていた、肩までかかる緑髪を結んだ青年がフラムの失態を呆気なく白日はくじつの下に晒した。

 すると今まで平静を保っていたフィオネが、『え?』と明らかに狼狽える。


「屋敷って、あの拠点にしている屋敷が……? 嘘でしょう? そんな、まだアタシの部屋には未解読の『手記』が沢山あるのに……」


「……『手記』、だァ?」


 彼の口から初めて聞く言葉に首を傾げるギル。隣のフラムも、怒られると思って口をつぐんでいたため言葉にはしなかったものの、そのワードに対して不思議に思うような表情を浮かべていた。


 ただし肝心のフィオネはショックのあまり、額を抑えながらよろよろと引き下がっており、それがなんなのかを答えてくれないためノートンが代わりに答える。


「ウェーデンの地下図書室から掘り出した、『この世に存在しない文字』で書かれた本の話だ。俺ら処理班が見つけて、フィオネに解読を任せていたんだが……全部で13冊あって、そのうち4冊は船に積み込んでいたよな?」


「え、えぇ。でも残りの9冊が……全部……いえ、ちょっと休ませて頂戴。今は何も考えたくないわ」


 そう言って何かをぶつぶつと呟きながら、船がある方とは真逆の森林の方へ踏み込んでいこうとするフィオネ。溜息を吐きながら見かねたギルが、『おらジジイ船はこっちだ』と老人を介護するように手を引いていく。


「……僕のせい、ですよね」


 いつもあれほど強気なフィオネが、あそこまでショックを受けているのを見て、犬耳も尻尾もだらんと垂れさせながら肩を落とすフラム。そんな彼の様子にノートンは『うーん……』と困ったように笑い、


「まぁ、1人であの屋敷を守り切れ、っていうのは難しい話だからなんともな……ただ、丸ごと気負う必要はないよ。とにかくお前も一旦休んでこい。認識の擦り合わせを明日に行うから、それまでに脳が動く状態にするんだ」


「……はい」


 ノートンの言葉に頷いて、目を伏せた犬耳の青年は浮かない足取りでトボトボと停泊船に向かっていった。

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