第92話『戦争屋インフェルノの秘密』

 それから更に1時間後の午前2時。

 ギルとマオラオとノートンの3名で看守達を次々と蹴散らしながら、一行は監獄所有の船を止めているガレージ式・ドックの4番ルームへとやってきていた。


 ヴァスティハス収容監獄には、職員専用通路から辿り着くことが出来る、全4隻の帆船を収容したガレージ式・ドックが存在している。


 1番から4番までドックがあり、普段は外界とシャッターで隔絶されているが、ドックの床が『コ』の字をしており、空白部分には海水が溜め込まれているため、シャッターさえ開ければそのまま出発できる仕様になっているのだ。


 だが、


「あれ、ここのドックだけドアぶっ壊れてんぞ」


「てか、既に照明ついてない……? シャッターも開いてるんだケド。うわ外真っ暗だ、今って大体何時だっけ……?」


「1時とかそんなやない?」


「いや、俺の腕時計だともう2時を過ぎているな」


 撒いてきたはずの看守達の喧騒がだんだん近づいてくるのを感じながら、一同は既に出発ができる状態で用意された船に疑問を覚える。

 すると無人のはずの甲板から、ひょいと顔を覗かせた人物が1人。


「あ、ギルのあんちゃんじゃねえかィ。ちっと遅かったなァ」


「なっ、レム!?」


 他全員が誰だかわからず反応に困る中で、弾かれたように驚愕するギル。

 その正体は、この数日間(アズノアの能力の作用で体感的には1ヶ月くらい)の収監ですっかり声を聞き慣れた、渋くも勇ましい武人顔の熊男であった。


 マルトリッドから逃れるために散開して以来、色々とありすぎてすっかり彼のことは忘れていたのだが、まさか自分達よりも先にドックに到着していたとは。


「知ってる方ですか……?」


 匂いで相手が熊の獣人族であると分かったらしいフラムが、ひそひそと囁き声でギルに確認する。動物的なカーストで敗北しているのかやたらと不安げだ。ギルは近距離に寄せられた顔面を遠ざけつつ、『ちょっとな』と短く返答すると、


「悪い、急いでるから乗せてくんねーか」


「まっっっったくもって遠慮がねぇなおめぇは!! 時間があんならそうしてやりてえとこだったが、もう看守どもが近くまで来てんだろーが!! あんちゃんには悪ぃが乗せられねえ、まぁしぶとく生きてくんなァってところで……」


 とそこまで言いかけたところで、レムの目がふとある人物に留まる。


「おめぇ、そいつぁ……」


 獣のようなつぶらな瞳は、ノートンに俵抱えされた気絶中の青年を見ていた。加えて何か言いかけていたが、追手が近いことを悟ると太い首を横に振り、


「いや、いい。乗るってんなら早く乗りやがれ畜生! ただし自力でなァ!」


「よっしゃーありがとう!!!」


 『行くぜフラム!』と手近にあったフラムの身体を引っ掴み、素早く甲板に投げ入れるギル。鼓膜を貫く絶叫が弧を描いて遠のいていく。続いてノートンが両腕にジャックとノエルを抱えたまま、ジャンプのような気軽さで船に飛び乗り、


「お前は適当でええやんな?」


「えっ」


 マオラオは両手で軽々とギルを抱え上げると、『待て待て待て』と必死で止める声も全く聞き入れず、ボールのようにぽいっと船上に投げ込んだ。

 綺麗な弧を描いて飛んでいき、自分が投げ込んだフラムと同じ目に遭うギル。


 しかし向こうでノートンに、上手いことキャッチされたようだ。何か悪いことを企んでいたらしいマオラオは、『失敗したわ』と少し悔しそうに溢した。


 残るはシャロとマオラオの2人である。

 シャロは自力で船に飛び乗れないのでマオラオが運ぶしかないのだが、ギルやフラムのように投げ入れると確実にお叱りの言葉が来る。どうすれば良いものかとマオラオが1人、行き場の見つからない手を泳がせていると、


「ん」


 当然というような顔をして、シャロが両手を広げてみせた。


「……ちょっと固まらないでよ、さっきしたじゃんお姫様抱っこ」


「わ、わかっとるわ!! 毎回緊張すんねんこういうの!!」


 指先を震わせたマオラオが、恐る恐る身体をシャロの腕の下に差し込む。

 そしてコンクリートで出来た床をたんっと軽く蹴ると、3メートルほどふわりと浮き上がって甲板に着地した。


「うっし、全員乗ったぜレム!! 操舵できんの!?」


「これで出来なかったら格好つかねーだろうがよォ! ったく、もし後ろから攻撃されたらおめぇらで捌いてくんなァ! あとエンジンは既に作動してるが、外輪が動くまで時差があらァ。その間に多分追いつかれて……」


 と、その言葉がフラグになったのか、レムが壊したのであろう出入り口から一斉に看守達が入ってくる。『逃すな』『殺してでも止めろ』という物騒な言葉が飛び交っており、それぞれが剣や槍、銃器などを手にこちらを狙ってきていた。


「うわなんかめっちゃ来たよ!?」


「待てシャロ、お前は危険だそこから顔を出すなッ、俺が一掃する!」


 甲板から身を乗り出していたシャロを無理やり引っ張って下がらせ、刀を引き抜いてドックに飛び降りていくノートン。同時に船の両脇についた外輪がゆっくりと回転し始めて、海水をかきながら進んでいく。


「……ッ、オレも後で戻るわ!」


 敵の勢いを、ノートン1人では対応しきれないと捉え、彼の降りた方とは逆側へ飛び降りていくマオラオ。

 その様子に舵輪のある位置に居たレムは、『置いてっていいのか? 戻るも止まるも出来ねぇぜ?』と困惑を見せるが、


「……ま、アイツらなら追いつくだろ」


 船が外輪の回転で進んでいくことで後方に下がっていく阿鼻叫喚を聞きながら、ギルは脱力したように甲板で大の字に転がった。





 首を断ち、頭蓋を潰し、腹を裂き、腕を捻り上げる。

 そうして死体は積まれていき、生き残った数名は恐れおののいて撤退していった。目の前で仲間の腕が捩じ切れる瞬間を見て、逃げずにはいられなかった。


 普段ならばそれを追っていただろうが、生憎と逃げなければならないので追うことも出来ない。マオラオは死体を踏み越えて、頬についた返り血を拭った。


 ――腹が減った。


 ぶちまけられた内臓物を見て、ふとそんなことを思う。赤くぬれぬれと光るはらわたは魅惑的で、赤黒く渇いた手でそれを欲し、掴み上げて、鋭く尖った歯を立てようとして――『マオラオ?』。


 ノートンの声がかかる。我に返ったマオラオは慌てて腸を捨てた。


 声のした方に紅玉の瞳を向ければ、そこには同じく紅色を両の眼に宿した黒鬼。手首のスナップで軽く振って、血を払った美しい刀身を鞘に収めながら、彼はこちらに歩み寄ってくるところだった。


「……」


 確実に見られたな、とマオラオは思った。

 けれどノートンは言及することなく、『酷く汚れたな』と返り血塗れのマオラオの姿に苦笑するだけだ。


「アイツら、随分と遠くまで進んだみたいだな……マオラオ、走れそうか?」


「あ、あぁ……それくらいなら余裕やで」


「なら行こうか。早いとこ撤退しないと、増援も呼ばれている頃だろうからな」


 先に行ってるぞ、と声をかけて海へ飛び出していくノートン。文字通り風のような速さで走り抜け、自身の背後で物凄い水飛沫を上げながら水面を高速で蹴って、遠くの方まで進んでいる4番船まで走っていく。


 ぽつん、と1人取り残されるマオラオ。

 急いで追いかけようとして、ふと腹の虫が空腹を訴えた。


「……」


 不健康な生活が続き、平べったくなってしまった自分の腹をさすれば、自然と唾液が口内に溜まる。しかしそれを理性でどうにか飲み込んで、


「ッ……!!」


 マオラオはノートンと同じように、水面をさも当然の如く駆けていった。





 ヴァスティハス収容監獄・地上5階の監獄長室にて。海が一望できるよう張られた窓ガラスの前に立ち、監獄長ヨハン・バシェロランテは双眼鏡を構えていた。


 その様子を離れたところから見ているのは、部屋の火がついた暖炉の前でソファの背もたれに背を預けて座るペレットだ。


「……逃げられたんですか」


 治療を受けて休養しているペレットは、少しの動作でさえ激痛が走る状態になっているため、声をかけることしか出来ずにヨハンに尋ねる。


 すると、無駄に背筋の良い青年は双眼鏡を下ろし、


「あぁ、そのようだね。入ってきた情報だと恐らくはレム=グリズリーも持っていかれたかな。まぁ……こればかりは監獄長であるワタシの落ち度であるとしか言いようがない。神様からはお小言をもらうだろうが、受け入れる他ないね」


 そう言って双眼鏡をデスクに置き、ペレットの向かいのソファに座る。


 一瞬、ペレットが嫌そうに顔をしかめたが、何事にも無駄にさといはずのヨハンはこういうことに限って都合よく気づかない。彼はローテーブルに置いた、まだ湯気が上がっているポットを傾けて、空のティーカップに紅茶を注いだ。

 

「……白装束てんしを温存して、看守だけで追わせたのが失敗だったんじゃないんですか? 天使が居れば数人は持っていけたと思うんですけど。何故逃してまで……」


「現在本部は東の『オルレアス王国』と南の『水都すいとクァルターナ』侵略のため、全世界の支部から戦力を集めている。今回の攻略では、人員はなるべく取っておきたかった。だからワタシの一存で増援を呼び、交戦させるのは気が引けたのさ」


「……それは、わかりましたが……ですが、追わなくて良かったんですか?」


「あぁ、それ自体は構わないよ。これ以上追ったところで被害しか出ないのは明白だったしね、これは上手いタイミングを突かれたとしか。ただ――今日の警備が手薄になるなんて話は、囚人達には一切していない。と、なるとだ」


 ヨハンは、アプリコットの爽やかな風味のする紅茶を、ティーカップのつまみを摘んで遠心力を生じさせることで混ぜる。それから口をつけ、ふた口喉へと通し、受け皿ごと静かにローテーブルへ戻して、


「――ドクター・ロミュルダー。彼がギル=クラインにこっそりと情報を流した可能性が高い。後で彼には色々と聞かなくてはならないね」


「……」


「はは、アサシンはそんなに脱獄した7人のことが心配かい? 大丈夫さ、『声』曰く彼らの寿命はそう長くない。あの7人のうちの半数以上が1年以内に死ぬ」


「……それは、確かですか?」


「不確かであると思いたいのかい?」


「……いいえ」


 ペレットは目を伏せる。そのいじらしい様につい微笑みを浮かべるヨハンだが、黒髪の少年は知っている。この陽気な男が微笑む時は大抵、心の底から笑っていることはないのだ。恐らく本当に笑ったことは生まれて1度とないだろう。


 それだけにこの男は感情を持たない、血の冷えた人間なのである。


「君は戦争屋『インフェルノ』を裏切った。彼らとは敵対関係に戻った」


「……」


「そうして君は殺戮兵器の量産を完了させて、ミス・セレーネを甦らせる――綺麗に通った一本筋を、些細な心の乱れで崩してはいけないよ」


「はい。……治療、ありがとうございました。それと、監獄長……」


 目を伏せたまま、言い切ることを迷うような様子で呟きを溢すペレット。


「ん? なんだい?」


「ボクが以前お伝えした、戦争屋から盗んだ『機密情報』についてですが……監獄長はそれを、何に使われるおつもりなんですか」


 そう尋ねると、狂人はと目を細める。口を尖らせながら顎を撫で、思考を広げて数秒後『あぁ――』と柔らかい声を胸で響かせると、


「『ギル=クラインは仲間殺しの罪を犯す』だったかい?」


「……はい」


「この情報がどう利用されるかは神様次第さ。ワタシにもわかることはなく、故に君に伝えられることもない。だから今は、君は自分の仕事にだけ集中して欲しい。あぁ、そうだ。仕事といえば、そういえばあの青髪の少年がいただろう?」


「え? 青髪って……あぁ、ハリーくん……でしたっけ」


 この監獄でドクター・ロミュルダーと初めて出会った時に見た、弱々しい身体の獣人を脳裏に思い浮かべるペレット。チャーリーがこっそり食事を与えていた、みたいな話を聞いたが、実際どうなのかは――。



「あれを、殺処分しておいてくれないかい?」



「――ッ!?」


 いつもと変わらぬ笑みで下されためいに、ぴくりと頬を動かすペレット。なるべく感情は顔に出さないように努めていたのだが、それでも僅かに漏れてしまう。それを目に写したヨハンは、彼の焦燥を理解していながら『ふふっ』と声を溢し、


「この世界ものがたりに貢献できる者だけが生を勝ち取る。生きる意味がなくなった時点で、もはやそれは人間ではなく動く肉塊だよ。生かす費用や手間も無限に尽くせるわけじゃないんだ。要らないものから捨てるのは当然のことだろう?」


「……」


 要らないものから、捨てる。よく聞いた懐かしい言葉だ。


 幼少期のペレットには自称『先生』という男達が居たが、彼らが揃って口にするのはこの言葉だった。そうして成績の悪い奴から四肢をもがれて海に捨てられた。捨てるのは連帯責任として『生徒』の役目にされていたからよく覚えている。


 およそ4歳から、12歳。部位1つからでも幼いとわかる子供達の、腐敗した四肢がぷかぷかと海に浮いている様は酷く――いいや、思い出したくもない。


「……わかりました。そのようにします」


 ヨハンの発言に表情の温度を下げて、ついには透明な仮面の奥まで凍りついてしまったペレットは、ソファから立ち上がると痛みに悲鳴を上げる身体を無視して一礼する。きっと今までのどんな時よりも、事務的な挙動だったことだろう。


 ――今すぐにでも彼から離れねば、本当に気が狂ってしまいそうだった。


「あぁ。また休み時間にでも来てくれたら嬉しい。今度はきちんともてなそう」


「……はい、また今度」


 無理やり透明な笑みを作って平和的な挨拶に努めると、白装束の少年は『失礼しました』と一言入れて、監獄長室を後にした。


「――くそッ」

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